欲求不満の向き合い方 - 3/5

 毎日この部屋へ帰ってきて、今朝だってこの部屋から仕事へ向かったというのに、見慣れた扉が重々しく感じて堪らない。大層な扉ではないはずなのに、この王宮のなかにある重厚で無意味なほど豪奢に飾られたどの扉よりも重苦しく感じるのは一重に自身のせいではある。まぁそもそも、この王宮に戻ってきてから鬱陶しくて開けられない扉なんてなかったのではないかと指摘されれば、それもそうだと頷くしかない。何より、ここは自分の部屋でもあるわけで、入るのに抵抗感があること自体がおかしいのであって、堂々と入室してしまえばいい。俺はこの部屋の主なのだから。
「……ハァ」
いや無理だろ。
同じくこの部屋の主であるユウに、俺は拒絶されたのだから。
もし、中に居るのが俺たちと同じ獣人だったなら、もうとっくにドアの前で立ち尽くす俺の気配に気付いているだろう。今だけはユウがヒトで良かったと思うと同時に、アイツが何らかの獣人なら無理矢理部屋のなかへ連れ込んでくれていたかもしれないと想像しては溜め息を吐く。
その方が余程ラクだっただろう。
自分の意思など関係なく、強引に部屋のなかへ引き摺って頭ごなしに罵ってくれれば、思考を放棄し心を閉ざすこともできた。
だが、ユウを相手にそれだけはしたくない。
たとえもう要らないと言われても、もう手放すことなんてできないのだから、自分から手を伸ばさなければならない。
「……ふぅ」
ラギーとターシャに背中を押してもらい、何とか重い足を無理矢理動かしてこの部屋まで帰ってきた。
あとはノックをして、部屋のなかにいるはずのユウに入室の許可を得るだけ。
たったそれだけのことがあまりにも難しく、頭を抱えたくなるような政治的難題よりも重大な困難に俺は今直面している。
失敗は許されない。そもそもこの場合の失敗とは何だろうか。
話をできずに終わること?
話ができたとしても、ユウに拒絶されたまま終わること?
どのようなプロセスを踏んだとしても、ユウがもう一度俺に微笑んでくれなければ、何もかもが終わりなんだろう。
「……いい加減、覚悟を決めろ」
マジフトの引退試合だってこんなに緊張しなかった。あのときだって、もう一生、マジカルシフトをプレーすることはないだろうと覚悟を決めて試合に挑んだというのに、それよりも遥かに、もうユウと夫婦でいることが不可能かもしれないと覚悟する方が厳しかった。
ひとつだけ深呼吸をして、握り拳に力を込める。
眉間に力を入れて握りしめた手を胸の辺りまで持ち上げた。
スッと細く息を吸って呼吸を止めてから、小さく手を動かして軽く二回扉に触れた。
「……はい」
今日一日使い物になっていなかったらしい優秀な耳がユウの小さな声を拾う。いつもよりか細く掠れて弱々しく聞こえるのは、俺がそうさせているのだろうか。
「……ッ」
俺だ、と言おうとした口は素直に動いてくれず、震えただけで閉じてしまう。何と情けないことか、それでも誇り高き獅子の獣人か、と自身をなじろうとしてキュッと唇を噛み締める。
「……レオナさん、ですか?」
中から再びユウの声が聞こえて、ドアをノックした手を引っ込める。
「……あぁ」
「……どうぞ、入ってください」
最後通告のようにも聞こえるソレに肩を震わせて、慎重に深呼吸を繰り返してからドアノブに手を掛ける。音を立てないようそっと力を込めて、自分の身体が滑り込めるだけの隙間を開けた。滑る様に足を入れて部屋の中へ入ると、ベッドの上で小さくなっているユウと目が逢った。そこからはもう、自然とユウの前まで這うようにして近付き、床に平伏すと同時にseizaをしていた。
「……レオナさん? お耳はどこへ行っちゃったんですか?」
床に這い蹲っている俺を、ユウは目を真ん丸にしてベッドの上から覗き込んでいる。今日の俺の耳はそんなに酷い事になってんのか、と思わず頭に手を伸ばすと、自分が思っている以上に綺麗にぺったりと耳が頭に張り付いて同化し――ていた。
「……ちゃんとここにある、だろ」
自分でもここまで垂れた耳を経験したことがなく、それ以上言い様がなかった。俺は耳も思うように動かせないのか、と打ちひしがれそうだ。このまま床にめり込んでしまえば、多少羞恥は薄れるだろうか。
「レオナさん」
ユウの呼び掛けにいち早く耳が反応する。鈴を擽ったような甘い声に思わず顔を上げそうになるが、そう簡単に絆されてしまったらあまりの情けなさに更なる拒絶を喰らってしまいそうで恐ろしい。額を床に押し付けるように伏せって言う事を聞かない身体を無理矢理押さえつけた。怒っているのか、それとも呆れた顔をしているのか、ユウがどんな顔をしてこちらを見ているのかさっぱりわからない。自身もどんな顔をしてユウに許しを請えばいいのかわからなかった。尻尾の付け根辺りが緊張でしびしびと落ち着かない。どうしたものかと震えていたら、ふふ、といつもと変わらない優しい声が俺の全身を撫でた。
「……レオナさん、私の大好きなお顔見せて?」
ね? と強請るような念押しに、思わずパッと顔を上げてしまう。顔を上げた後、ハッとして顔を俯けようとすると、優しく微笑むユウと目が逢ってしまい、ただただユウの蒼い瞳を見つめ返すしかなかった。
「……ユ、ウ」
自然と溢れ出た名は掠れてしまい、情けないことこの上ない。それでも崩れることなく身体を起こしていられるのは、ユウがふわりと笑ったまま俺を見つめ返してくれているからだろう。
「レオナさん、どうして床にいるんですか? ベッドへどうぞ? 私、二人でちゃんとお話したいです」
困ったように笑って眉を下げたユウは、首を傾げてダメですか? と続けた。そんなわけないと言う前に、がばりとユウの膝へ縋った。
「許して、くれるのか……?」
くるくると鳴り始める喉はそのままに、一心にユウの瞳を覗き込む。
そこにはもう怒りや恐怖はない。
俺は、許されたのか。
身体中にドッと何かが流れて安堵に緊張が解れていく。
「許すって?」
きょとんとした顔で俺を見つめ返すユウは、本当に俺が何のことを言っているのかわかっちゃいないらしい。
今朝はあんな様子だったのに今がこうだというのなら、ユウのなかではもう済んだことになっているのだろうか。
「……昨日……昨日のコト、だよ」
「……昨日、の? どれのことです?」
「……ッ……朝……お前、もう来ないで、って俺を拒絶しただろ」
間違いなく、こんもりとした布団の山の中へ潜り込んで存在を消してしまう前、ユウは俺を拒絶した。夜の交歓は全て俺の勘違いで、俺の一方的な行為だったと思い知らされた今、俺はユウに対して本当に許されないことをしたんだと思う。
「そうですね……ごめんなさい。言い過ぎました」
「は?」
しょんぼりと、叱られて落ち込んだ仔犬のように項垂れて、ユウは告げる。
謝罪すべきは俺であってユウではないはずなのに、当たり前のようにユウが謝罪の言葉を口にするから、どうあっても頭が混乱してしまった。
「すごく悲しくて、恥ずかしくて……もうレオナさんの顔が見れない、と思ったら、つい、あんな事を言ってしまって……すごく傷付けましたよね、本当にごめんなさい。謝って許してもらえることなのかはわからないですけど、精一杯謝ります」
本当にごめんなさい。
そう言って改めてユウは頭を下げた。一体何が起こっているんだと動揺しながらも、慌ててユウの頭を上げさせる。
「……な……なんでお前が謝ってんだよ」
謝るのはお前じゃなくて俺の方だろ、とぐるぐる回る頭のなかで告げてユウの顔を覗き込む。
ユウは酷く落ち込んだ顔をして、うるりとした目を俺に向けた。
「だって……レオナさんのこと、すごく傷付けました……私、もう……国外追放、ですか……?」
「ハァ? なんでそうなるんだ」
急に飛び出してきた『国外追放』という言葉にどきりと心臓が跳ねる。
何がどうなってユウが国外追放なんて極悪非道な目に遭わなきゃならないんだ。
どちらかというと今回の件で制裁を受けるのは俺だろう。
ユウは何ひとつ悪いことなんてしていない。
お前が責任を取らなきゃなんねぇなら俺は打首にされて晒し首の刑に処されても足りないくらいだ。
聡明なユウの頭が一体どんなトンデモプロセスでそんな解を導き出したのか、丁寧に聞き出さないといけない。
ぺしょぺしょと今にも涙が溢れそうになっている目許から先に水分を拭うように親指でそろりと触れてから、落ち着いてユウに言葉の先を促す。
「レオナさんを、怒らせちゃったから……もう私のこと、嫌いになっちゃったんじゃ……」
「怒ってもねぇし嫌いにもなってねぇよ」
「ホントに?」
「当たり前だろ……それを言うならお前の方が……怒ってんだろ」
「え? 私が? どうして?」
ユウはまるで朝の自分のことなど忘れてしまったかのように、ポカンとした腑抜けた顔で俺を見つめてくる。
本当に何もなかったことになっているのか?
それとももう忘れてしまったのか?
いや、ユウがそんな間抜けな草食動物みたいなことをするわけがない。
フゥー、と細く息を吐いてから、観念してぽそりとゆっくり口を開いた。
「お前……朝、泣いてたじゃねぇか……」
忘れもしないユウの泣き顔。
甘い朝が始まると思っていたら、あっという間に地獄へ突き落とされた。
あの瞬間は訳がわからなかったものの、ラギーやターシャに諭されたお陰で全ては自身の非が招いた結果であると理解している。
ユウは俺の指摘に表情を強張らせて固まってしまった。
ユウは忘れたんじゃない。無かったことにした。
記憶を消して、なかったことにしてしまえば、ユウを傷付けた全ても無かったことにできる。
でもそれは、悪いことをしでかした奴の体のいい解釈にしかならない。
「悪かった」
思ったよりすんなりと出た謝罪の言葉にほっとしつつ、ユウの様子を窺うように下からユウの顔を覗き込む。
強張ったままの表情は、ほんの少し歪んでそっと目が伏せられる。
「……何に謝っているのかわからないので、その謝罪は受け取れません」
涙が溢れていないのに泣いているように見えるその顔にぎゅっと胸が押し潰される。
それだけのことを自分はしたんだと改めて自分に言い聞かせ、ベッドによじ登りSEIZAをした。
「ッ……イヤだって言ってたのに、無理を強いた」
全部俺の独り善がりだった。
本当に悪かった、とSEIZAのまま頭を下げる。
いつだったか、ユウの暮らしていた世界にはDOGEZAというものがあって、ユウの母君をカンカンに怒らせたとき、ユウの父君が使っていたと聞かされたのを思い出す。
今正しくこれは同じ状況なんだろうな、と奥歯を噛み締めて自分のしでかしたことを心底反省した。
「……そうですね……私、ちゃんとイヤって言いました」
「……だから、悪かった……次からは気を付ける。だからッ」
バッと顔を上げてユウの目をまっすぐ見つめる。
「実家に帰るなんて言うな」
心からの悲痛な叫びが俺たちしかいない部屋に響く。
みっともなくたっていい。
嫁に実家に帰られた男は恥でしかないとかそんなのも関係ない。
ただ、ユウに見捨てられるのが怖くて、どうか俺のそばを離れないでほしいと祈るしかない。
俺の情けない悲鳴を聞いたユウは、少しだけ眉を寄せて一瞬考え込むように顎へ手を当てている。それからその難しい顔のまま、スッと目を細めて俺を見つめた。
「……言ってないですね?」
「……は?」
「そんなこと言ってないですよ。そもそも私が帰る実家なんてもう何処にもないじゃないですか」
レオナさんだって知ってるでしょ?
さっきまでの小難しい表情を明るいものに変えて、ユウはカラリと笑ってみせる。
どうやら本気で帰る場所なんてもうない、とユウは思っているらしい。
まぁ、コイツの帰る場所はここにしかないわけで他なんて俺は認めないが、ほんの少し考えれば浮かんでくるユウの実家候補地がチラホラと頭の中で主張し始めてウンザリと溜め息を吐いた。
「……お前の実家になりたがる野郎どもの顔はいくつも浮かんでくるがな」
「あはは、でもみんな突然私が訪ねていったら困っちゃいますよ」
ユウも全く考えていなかったわけではないらしく、何人かの実家候補が頭に浮かんでいるんだろう。コイツ自身は本気で迷惑だと考えているようだが、アイツらのなかで誰ひとりとしてそんなことを言う野郎はいない。寧ろ、喜んでユウを受け入れ、二度と俺の元へユウを帰さないだろう。大喜びで強請りに使う奴も出てくるはずだ。だから絶対に、ユウをアイツらの元へ渡してはいけない。
イマイチわかっていなさそうなユウにギリギリと奥歯を噛み締めて、どう言って聞かせようかと頭を悩ませた。本人にその気がないとわかっても、いつかアイツらに唆されて実家へ遊びに行ってくるなんて言い出しかねない。まずはお前の帰る場所はココだときっちり躾けるところからだろうか。コイツこそ昔チェカが使っていたGPSが必要かもな、と思案を巡らせていると、とにかく、とユウは場を仕切り直した。
「私、実家には帰りませんから。何より、ちゃんとレオナさんと話し合う前に家出するなんて、したくありません」
「い、家出なんてするな」
「だから、家出もしませんってば。私はレオナさんとちゃんとお話して、仲直りしたいです」
ダメですか? と大きな目でこちらを上目遣いに見つめられて、きゅうん、と胸が情けない音を立てる。うずうずと尻尾も落ち着かず、これ以上カッコ悪いところは見せたくないのに、と無理矢理眉間にぎゅっと皺を寄せて誤魔化した。
ユウと仲直りとやらを終わらせて、早くユウのやわらかな身体と甘いニオイに包まれて眠ってしまいたい。
仲直りをするには、もう一度頭を下げればいいんだろうか。
一度経験してしまえば、もうこれから何度でもユウには躊躇わず頭を下げることができそうだ。
ユウが喜ぶ謝罪の品を用意して、毎日謝り続けたっていい。
それくらいできずにユウの旦那を名乗れるワケがない。
早速明日は甘いモノと花束を買いに行こうか。
それくらいの時間はあったはずだ。
仲直りの為だと伝えれば、ラギーだって大目にみてくれるだろう。
「……ねぇ、レオナさん」
「ん? どうした?」
明日からの甘い日々を想像して、つい声もゴロゴロと甘くなってしまう。これはもう仕方のないことなのだと自分に言い聞かせつつ、甘やかすようにユウのことを見つめると、ユウはほんのりと目許を赤く染めて俺からそっと目を背けた。
「どうして……」
「ン?」
「どうして……どうして、大人のおもちゃ、なんて……使おうと、思ったんですか?」
寝そべっていた耳もびっくりして飛び起きるくらい、何ひとつ包み隠そうとしないダイレクトな問い掛けに思わず目を見開いてしまう。もっと何か別の聞き方はなかったのかと思いつつ、それ以上もそれ以下もない事実だから言い換えようと同じだろと一気に熱が冷めた何処か冷静な自分が突っ込んでくる。
できれば一番触れてほしくなかった部分を、一番知られたくなかった人物に直接問われてしまい、どうしたものかと頭を抱えたくなった。
問いかけてきたのが他の誰かであれば、適当にはぐらかすか、有耶無耶にして逃げることも可能だっただろう。
だが相手はユウだ。
もう逃げることも隠れることも、誤魔化すことだってできない。
スゥ、と深く息を吸って、胸に溜まったモノをしっかり吐き出してから、ゆっくり目を閉じ覚悟を決めた。
「……お前……最近……あ、あっさり、してただろ」
「うーん……全然そんなことないんだけどなぁ……」
ターシャにも同じこと言われちゃいました、と眉を下げているユウはとてもかわいい。
ぺそ、と下がった眉尻を撫でて慈しんで愛で倒したい。
ぎゅう、と厄介な音を立てた心臓を咳払いで誤魔化して、いつまでも見つめていたいユウの顔から目を背けた。
「とにかく! あまりにもあっさりしてるモンだから……その……」
「その?」
「ッ……ま……」
「ま?」
「ッッ……ま、まッ……マ、マンネリ……なのか、と……思って、な……」
「まんねり……」
口にすると現実になってしまいそうで、ユウには絶対言いたくなかった言葉を、遂に口にしてしまった。
そうですねぇ、なんていつも通りのふわふわした音色で言われてみろ。
俺はもう絶対立ち直れない。
いや、ユウを手放すつもりはないから、どんな手段を使ってでもユウを俺のそばに縛り付けるだろう。
でも、それをユウは望まないし、俺はそれを望まないユウを愛している。
もし、本当にユウが俺の元を離れると言うのなら、きっと俺は自身にもユウにも呪いを掛けて、別の何かになってしまうんじゃないだろうか。
嗚呼、どうかこんな俺を見捨てないでくれ、と心の中で唱えながらユウを見ると、ユウは何故かとても悲しそうな顔をして俺を見ていた。
「……やっぱり……私といるの、つまらなかったですか?」
落ち込んだ顔、と表現するよりも、目を背けていた事柄が急に目の前へ押し寄せてきて処理しきれない、という表現をする方がきっと正しい。
ユウはそれほど引き攣った顔で俺のことを見つめていた。
「ハァッ!? お前と一緒にいるのがつまらないワケねぇだろうが! 俺と一緒にいてつまらないと感じてるのはお前の方じゃねぇのか!」
「えぇッ!!! 心外なんですけど?!」
本当にそんなことないのに〜! と今にも泣き出しそうな顔でユウは叫ぶ。
そんなことないワケないだろ、と思わず返してしまいそうになるのを何とか堪えて、懸命に深呼吸を繰り返しながらユウの本心を聞き出そうと言葉を選んだ。
「……正直に言ってくれていい。お前、最近……俺と居るより、他の奴と居る方が楽しいんだろ」
ターシャだったりジャックだったり、時折グリムともお茶の時間を設けているのも知っている。
何なら義姉上様だって俺のユウだというのに、まるで自分のモノになったかのようにお茶をしたがっているというのも聞いた。
学生の頃から反発し合っているものの、何やかんやとチェカと仲が良いのもバレてるんだぞ。
俺に隠れてどんどん王宮内での交友関係を広げやがって!!!
「公務だって、慣れてから徐々にやればいいって言ってるのに、どんどん首突っ込んで……遺跡調査も、絶対俺より楽しんでやがる」
王族しか知らない年表を何処からか引っ張り出してきて読み耽ったり、それで得た知識を元に政策の見直しやら厄介なジジイ共相手に反撃の機会を狙ってみたり、俺の奥様は世話になってる教授とも毎回それはそれは楽しそうに勉学やら調査に励んでいらっしゃる。ただでさえどんな形で政敵に狙われるかわからないのに、本ッ当にコイツは、全く俺の言う事を聞いちゃくれないし、大人しく王妃の席に納まっておくということもしてくれない。
「れ、れおなさん」
ユウからの呼びかけに、ぶつぶつと不満を口にしてしまった、とハッとして口を噤む。これ以上恥を重ねることはできないと沈黙を守った。何となく、ユウがじっと俺を見ているような気がして違和感を与えないよう顔を背けてしまう。それでもユウは俺の顔に追随するよう身を乗り出して、わざわざ下からひょこりと俺の顔を覗き込んだ。
「ひょっとして……レオナさん、寂しいの?」
恐る恐る俺の様子を窺うようにユウが問い掛けてくる。
ユウの言葉をゆっくりと逡巡して、カァァ、と顔に熱が集中するのがわかった。
「さっ……さびしくなんかねぇ」
声が裏返らなかっただけ、充分褒めていい部類だろう。
わなわなと震えそうになる唇と手を懸命に誤魔化してユウから必死に顔を背ける。
「ホントに? じゃあ私、これからもお仕事がんばるね?」
「そっ……それはだめだ!」
咄嗟に出た声は遂に裏返ってしまい情けないことこの上ない。クッと眉を寄せ噛み合わせた歯を剥き出しにして精一杯威勢を張るしかなかった。そんな俺を見越していたのか、ユウは落ち着いた表情で笑って、そっと俺の手を取った。
「レオナさん、私にどうしてほしいですか?」
昨日も触れたはずなのに、もう何日も触れていなかったように感じるユウの体温が強烈に俺を惹きつけて離さない。びりびりと電気刺激を与えられたような痺れが指先から脳へ駆け抜けて、きゅうと喉を締め付けられるのを感じた。
俺は、ユウに、どうしてほしいんだろう。
いや、俺は、ユウに、何を求めていたんだろう?
「……がっ……学生の頃の方が……もっと、熱烈だった」
珍しく、考えるよりも先に動き始めた俺の口が俺の意思とは関係なくポロポロと本音を明らかにしていく。
「あの頃は、鬱陶しいくらい、毎日、毎日……止めたって、聞きやしなかったクセに」
そのうち、俺自身も絆されて、表面では拒絶しながらも、共に居ることを選んでいた。
共に生きることはできないと頭で理解しながら、何としてもユウの人生に爪痕を残そうと必死だった。
共に在ることができないならば、俺がしてやれる最大限のことをしてやるのが、ユウへの誠意だと自身を縛り付け、それ以外の選択肢を見ようともせずたった一人突き進んだ。その結果が今であり、この結果に至る為に、なりふり構わずユウが俺の元へ飛び込んできたから、今こうして俺はユウの手を掴んでいる。
「レオナさん」
ユウの目が、優しく俺の心を解す。優しい声が俺を撫でて、凝り固まった俺の意識を溶かしていく。
名前を呼ばれただけだというのに、もう堪らなくなって思わずユウに手を伸ばした。
俺がユウを抱き締める前に、ユウはふわりと俺の胸に飛び込んで、細い腕を思い切り俺の身体に纏わり付かせる。
「今も、あの頃も、これかも、ずーっと。いーっぱい好き。私、レオナさんのこと、大好きだよ」
学生の頃、幾度も幾度も聞かされた言葉が、俺自身を満たしていく。
懸命に腕を伸ばしてぎゅっと俺を抱き締めるユウに応えるように、ユウの細っこい身体を潰さないようそろそろと抱き締め返した。
「私ね……はやく、王族に馴染んで、レオナさんの隣にいても問題ないニンゲンなんだって認めてもらえるよう頑張らなきゃ、って頑張りすぎてたかも」
ぽつぽつと話し始めたユウの声が俺の耳を擽っていく。ユウの声を拾う度、ふるふると耳が震えてどうしようもない気持ちになる。
「レオナさんにそうした方が良いって言われたわけじゃないのにね。私も、一人で考え込んで、先走っちゃってたみたい」
これからは、ちゃんとレオナさんと、いろいろ相談しますね。
ふふ、と笑って俺の胸板にうりうりと額を擦り付けているユウは満足そうにしている。こんな俺でも、こうして身を寄せて頼ってくれることに感動していると、でも、とユウは顔を上げてほんの少し唇を尖らせた。
「あと、物足りなかったなら、これからはちゃんと言ってほしいです。私じゃ不満かもしれないけれど、私もっと頑張りますから」
絶対ですよ、とユウは俺に念を押した。
「……物足りない、のか? 俺は」
他の誰かにも言われたようなフレーズをユウから聞かされて、思わず真顔になってしまう。
物足りないのは俺じゃなくてお前の方だろ。
そう言い返そうとして思い留まる。
ユウは俺と一緒にいるのが物足りないから、他に刺激を求めているんだと思っていた。
でも、もっとユウがほしいと感じていたのは確かに俺で、満たされたい、満たされないと感じていたのも俺だ。
ということは、物足りないと感じているのは、俺だったってのか?
「だって、私は充分満たされてるから……これ以上、なんて思わなかったけど、レオナさんはまだまだもっと足りないから、『マンネリ』なんだって勘違いしちゃったんでしょ?」
「勘違い」
「うん。ターシャがレオナさんは欲求不満なのかもって言ってました。欲求不満はマンネリとは違うでしょう?」
「そう、だな……欲求不満……そうか……」
俺が感じていたモノはマンネリではなく、どうやら欲求不満と言うらしい。
意味は文字通り読んで字の如く。欲求が不満なのである。
俺は、どうやら、欲求が満たされず、フラストレーションを抱えていたらしい。
そう言われてみれば、確かに思い当たる節があって、自らの思考や行動の全てが、その解を導いていた。
初めての彼女に振り回されるティーンかよ。
情けなさ過ぎる自分の有り様に呆れて物が言えなくなるが、そもそも俺は番を持つどころか交際自体が初めてじゃねぇかと思い直した――まぁ、この歳になってそんなガキみたいなヤラカシをしているのはどうかと思うが。

~ここから大人向けシーン(同人誌収録)~

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