~エース・トラッポラの場合~

あんまりダラダラと走って他所の先輩を待たせるワケにはいかないし、適当に走ってレオナ先輩の元へ向かう。走りながら、俺の頭のなかは『俺、何かしたっけ?』とただそれだけがぐるぐると回っていた。
「あのー……俺に何か用すか?」
正直全くと言っていいほど心当たりがない。普段ならあれもこれもと浮かんでくるヤラカシも今日に限って浮かんでこない。そもそも俺とレオナ先輩ってほとんど関わりねぇもん。
「ア? 用があるからテメェを呼んだんだろうが」
「……そうっすよねー」
うわー、マジで何も思いつかないんだけど!
レオナ先輩に怒られるような事自体がまず想像できねぇし、この人俺のコトなんてユウのオマケくらいにしか思ってなさそうじゃね?
自分のトコの寮長に叱られるのだってメンドーなのに、なんで他所の寮長にまで叱られなきゃなんねぇの?
しかもめっちゃコワそ〜じゃん、レオナ先輩って!
「……エース」
わー名指しじゃん! もう逃げられないじゃん!!!
「何でしょーか……?」
心持ち姿勢を正して飛んでくるだろう怒号に身構えていると、ハァァァ、と深い溜め息が聞こえてビクッと身体が震えるのがわかった。
「……お前……女性には優しくしろって教わらなかったのか?」
「……へ?」
「女性に対してなんだあの口の聞き方は。大体、相手はユウだろうが。なんでそんな態度を取れる」
え? いきなり何の話?
俺の耳がおかしくなったのかと思って恐る恐るレオナ先輩の表情を窺うと、超大真面目な顔で腕組んでた。これマジなヤツじゃん。
だいぶ意味わかんねぇと叫びたくなりそうなのを一生懸命堪えて頑張って愛想笑いを浮かべるしかなかった。
「……そんなん言ったってユウは友だちだし……女の子扱いするってのはなんか違うっていうか」
そういや夕焼けの草原って女性が大事にされるんだっけ。レオナ先輩はそこの王子様だし、他の人よりそういうのウルサイって事? でもそんなん関係なくない? ユウは友だちなんだし、変に女の子扱いしてたら気ぃ遣うじゃん。俺だってちゃんと女の子扱いしなきゃなんない場面だったらユウのこと女の子扱いしてんだけどな。
「そういうのはレオナ先輩がしてあげればいいんじゃないっすか? その方がユウも喜ぶでしょ」
ユウだったらレオナ先輩に女の子扱いしてもらっただけでキャーキャー言いそう。普段レオナ先輩だってユウのこと特別女の子扱いしてるわけじゃないんだし、絶対ユウは喜ぶじゃん。
「なんで俺の話になるんだ。今はテメェの話をしてんだよ」
「……そんなこと言われても、俺は俺でちゃんと越えちゃいけないトコは守りながら友だちやってるんで。っていうか、先輩がユウから直接嫌って聞いたの?」
それなら言葉遣いとか見直さないといけないのはわかるけど。でももしそれが本当ならなんで俺に直接言ってくれないワケ? 俺らそんなんで仲悪くなるような関係じゃないじゃん、なんてったってマブだし。
「……アイツからそういう相談は受けてねぇよ。テメェの問題はテメェで解決しろよ」
「はぁ? じゃあなんでレオナ先輩にそういうこと言われなきゃなんねぇんすか? ますます訳わかんねぇ」
「チッ……キャンキャンウルセェな……そういう話をしてんじゃねぇんだよ」
わかんねぇ野郎だな、とレオナ先輩は呟いてもう一度大きな舌打ちをした。その恐ろしさにぶるりと全身が震える。こっわ、ユウはなんでこんなおっかねぇ先輩のコトが好きなんだろ。顔が好みってだけなら他の先輩でもよくない? 俺が女だったら絶対トレイ先輩とか選ぶわ――嘘、前言撤回。あの人も付き合うといろいろめんどくさそう。彼女のコト、超甘やかしそうじゃね? そこまでやっちゃダメでしょって一線を簡単に越えるクセにそれが何で悪いのかどんだけ説明してもわかってくれなさそう。トレイ先輩の場合、わかってるけど自分のために無視してそうなトコがありそうなのもコワいっていうか。
親しい先輩の覗いてはいけない闇のようなものを覗いてしまった気がして背筋にゾッと寒気が走る。それなら多少はおっかなくても顔が良い目の前の先輩をユウが選んでしまうのは仕方がないのかもしれない。自分がよく知っているバスケ部の先輩よりもおっかなさは随分マシだとも思えた。でも顔だけで選ぶならヴィル先輩でもよくない? 寧ろオンナノコはモデルとかアイドルとかの方がワーキャーなるんじゃねぇの? あー……そうか、レオナ先輩も一応本物の王子様だったわ。えー、ユウは何だかんだ言ってお金とか権力に釣られちゃう感じ? だってレオナ先輩って白馬の王子様って感じじゃねぇじゃん。どっちかと言うとギラギラした金が似合うっていうかさ。
「……い……オイ! エース!!!」
「はっ、ハイッ!!!」
「チッ……まぁいい」
やべぇ上の空だった、と冷や汗を流していると、レオナ先輩がゆっくりと俺の方へ近付いてくる。アッこれ殴られる? と身構えていると、顔が引き攣ってしまうくらい俺の耳元へ顔を寄せてレオナ先輩が囁いた。
「お前……個人資産どれくらい持ってんだ」
「え、何カツアゲ?」
コワ、と身体を硬直させると何故か不思議なものを見るように目を大きく見開いているレオナ先輩と目が合ってしまった。
「……なんで俺がテメェの財布に集らなきゃなんねぇんだ」
呆れたようなレオナ先輩の口調に、逆にこっちが聞きたいわ! と心の中でツッこんでから引き攣ったままの顔を何とか口元だけでも笑みに変える。
「だって……『お前どれくらい持ってんだ』ってカツアゲの常套句じゃ」
「俺がテメェの財布をアテにするワケねぇだろ。そもそもテメェの金を使う相手が違うだろうが」
「……ますます意味わかんないんですけど?」
さっきから本当に会話が成立してる気がしない。そもそも使う相手が違うってどういう事? 俺のお金は俺のものなんですけど?
「アーッ! レオナさん!!! また!」
突然向こうから走ってきてベリッと俺とレオナ先輩を引き剥がしたラギー先輩は、その勢いのままレオナ先輩を廊下の壁まで引きずっていった。
「だから何でそう違う方向へ気を回しちゃうんスか! アンタが今気を回さなきゃいけねーとこはそこじゃねぇだろ!」
「ンなことねぇ、大事なコトだろ」
「ダーッ! もう! レオナさん!!! だから! そうじゃないんだって!!!」
「じゃあどうすりゃいいんだよ! いつも通りテメェの常識と俺の常識が違うってだけの話だろうが!!!」
急に目の前で始まったおっかない喧嘩のような言い合いにできるだけ空気になれるよう身を縮める。何なのこの嵐みたいな展開。俺を置いていかないで、という気持ちが半分と、このまま俺のことは空気にして、という気持ち半分がめちゃくちゃせめぎ合っている。一体何の話をしているのかがさっぱりわからないから二人にちゃんと説明しろよと問い質したい。でも首を突っ込んで面倒なコトになりそうな雰囲気しかない気もして、ただひたすら、黙々と息を殺し続けた。
「だからそもそも誰かそこら辺の都合の良い相手を見繕おうってのが間違ってんスよ! アンタ実はバカなの!?」
「……ラギー……散々好き勝手言いやがって……俺の何が間違ってんだ金は重要だろうが!!!」
「それは間違ってないんスけどそうじゃなくてホントそうじゃなくってぇ! 何でそんな方向音痴になっちゃうんスかいつも底意地悪い天才司令塔サンはどこに行っちゃったんスかぁッ!!!」
二人が繰り広げている会話を最初から聞いていたはずなのに、驚くほど意味も内容もわからない。二人とも実は獣人の言葉で喋ってたりする? そう思わずにはいられないくらい、何の話なのかわからないし何もかもが理解できなかった。
「エースくん!」
「うわ、は、ハイッ!!!」
パッと場を仕切り直すように笑顔でこちらに振り返ったラギー先輩は、何故かちょっとだけ口の端を引き攣らせて目を泳がせている。何その表情、とツッコミたくなる自分を抑えて、ぴしりと姿勢を正した。
「レオナさん今ちょっと風邪気味でおかしくてぇ……申し訳ないんスけど、今日絡まれたコト、全部忘れて水に流してやってくんねえかなぁ?」
「オイ、俺は風邪なんかひいてねぇ」
「アンタもう風邪っぴきみたいなモンなんすよ! ね、この通り! お願い!」
ふてぶてしい表情でラギー先輩に文句を言っているレオナ先輩は、とても風邪気味とは思えないくらい顔色がよかったけれど、俺の知らない獣人属向けの風邪だってこの世には存在するのかもしれない。きっとそうだそうに違いない、そう思わないとこの場を収拾するのは不可能に思えた。
「沈黙は了承と受け取るっス! じゃ! そういうことで!!!」
怒涛の勢いでラギー先輩は超不機嫌なレオナ先輩を引き摺っていった。
「結局何だったの? アレ……」
廊下に一人、ポツンと取り残された俺は一体どうすりゃいいわけ? カツアゲかと思ったらそうじゃないっぽいし、なんかいきなり目の前で痴話喧嘩みたいなのが始まるし。最終的によくわからない風邪の話になって終わったんだけど。
「……アッ! コレが噂の『王子様ジョーク』って、ヤツ?」
レオナ先輩は常識が違いすぎて時々ジョークみたいになるって確かサバナクローの奴らが言ってた気がする。それがコレってコト? ジョークっていうか、ただただ訳のわからない話だったけど?!
やっぱりサバナクローの奴らは寮長のコトが好きすぎてレオナ先輩への評価が甘すぎるとしか思えなかった。

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