真夏が来るのはまだ早い

「あっ! レオナ先輩こんにちは!」

 明るい声に振り向くと、毛玉を抱えたユウが扉を開けてこちらを覗いている。ゆらりと尻尾を揺らすとユウは笑顔を浮かべてドアを丁寧に閉めてから店の中まで入ってきた。

「やぁ小鬼ちゃん。注文のお品物はバッチリ揃えてあるよ」
「サムさんもこんにちは! ありがとうございます! 今お買い物袋出しますね!」

 にこにこと笑顔を浮かべたまま、ユウは毛玉を横に置いて大きなトートバッグのようなものを取り出している。それからサムが出してきた商品をせっせと袋のなかに詰めていた。
 その様子をジッと見守っていると、一緒にサムの店に来ていたラギーがニヤニヤ笑いながら俺を軽く肘で突っついた。

「……あんだよ」
「いやぁー。そんなに見つめてちゃ穴が空いちゃうなーって思っただけっスよぉ」

 他意はないっス! と言う割にニヤけた表情を浮かべているラギーにチッと大きく舌打ちをする。

「おい、サム! こっちの注文の相手もしてくれよ」
「ゴメンよ小鬼ちゃんたち。今は僕ひとりだからどうしてもお待たせしちゃうんだ。君たちの注文はこれで全部揃っているかい?」

 ちっとも申し訳なさそうには見えない顔で冷気の漂う箱を出してきたサムに、フンと鼻を鳴らしてからチラリと中身を確認する。一緒に差し出された金額が明記された紙も確認してサッとサインを返した。支払いも済ませてラギーに箱を運ぶよう指示すると、ほぼ同じタイミングで袋にきっちり荷物を詰め終えたユウがこちらに向かってにこりと笑った。

「レオナ先輩も買い出しですか?」

 見るからに重そうで大きく成長した鞄とユウを見比べていると、横からラギーがひょっこり顔を出してへらりと笑いながら口を挟んだ。

「俺たちは買い出しっていうかマジフト部への差し入れを買いに来たんスよ。ユウくんは買い出しの荷物重そうっスね! ちょうど良かった、レオナさんに運んでもらうといいっス!」
「おい、ちょっ! ラギー!」
「じゃあレオナさんまたあとでー!」

 にこやかに笑ってその場から立ち去ったラギーの背中をあんぐりと口を開けたまま見送る。引き留める間もなく消えたアイツを恨めしい目で見つめながら、そわそわと落ち着かない気分を宥めて草食動物に視線を移した。

「……貸せ。運んでやる」

 ゆらゆらと揺れる尻尾を隠すように手を差し出せば、ユウはびっくりしたように目を大きく見開いてから首を振った。

「いえ! お気遣いなく! むしろせっかく部活動に参加されてる珍しいレオナ先輩の邪魔なんてできません!」

 私のことは気にせずどうぞ部活に励んでください! と続けるユウに顔を顰めていると、日頃の行いだねぇ、とサムが笑った。チッと舌打ちして手持ち無沙汰になってしまった手をそろりと引っ込めれば、今まで様子を窺っていた毛玉がふんふんと鼻を動かしながらサムに近付いた。

「なぁサム。さっきラギーが持っていった冷たそうな箱は一体なんなんだゾ?」
「あぁ、あれはアイスだよ。練習試合で良い成績が出たから、部長からの差し入れをお買い上げしてもらったのさ!」
「アイス! じゃあますます早く戻らないと! レオナ先輩の分溶けちゃいますよ!」
「溶ける? アイスって溶ける食べ物なのか?」
「エッ! グリム、アイス知らないの?!」
「オレ様アイスなんて知らないんだゾ! 知らないものは何だって食べてみたいんだゾ! サム! 今すぐアイスを寄越せなんだゾ!!!」

 やいやいとやかましく騒ぎ始めた毛玉に眉を寄せると、ユウは慌てたように毛玉を抱えて財布を取り出した。

「ちょっとグリム! 今月はもう贅沢できないって言ったでしょ! でもアイスを知らないのは確かにちょっと勿体ない……」
「優しいね、小鬼ちゃん。このバニラアイスならオマケして百マドルで売ってあげるよ」
「本当ですか! よかったね、グリム!」

 小さなアイスひとつにこうも喜ぶのかと目を見開きながら見守っていると、財布から百マドルだけを取り出してユウはサムからアイスを受け取った。

「グリム、ここ出たところのベンチで食べちゃうといいよ。持って帰ってたら多分溶けちゃうから」
「そ、そうなのか! オレ様のアイス溶けちゃうのか?!」
「うん、だから急ごう! じゃあレオナ先輩も! 急いで戻ってくださいね! また会いましょう!」

 ばたばたと騒々しく出て行った後ろ姿をドアが閉まるまでジッと見つめる。サムの店の窓からすぐそばのベンチに座った二人が見えてほっと息を吐いた。

「……追いかけなくていいのかい?」

 二、と食えない笑顔を浮かべているサムにチッと舌打ちしてからポケットに突っ込んだ財布を取り出す。

「アイツ……自分の分、買ってなかった」
「……あぁ、本当だね。二人で分けるんじゃないかな?」
「あの狸が人に食いモンを分けるかよ」

 最近弁えることを少しずつ覚え始めた毛玉だが、それでも初めて食べるアイスをユウと分け合うなんてこと、とてもじゃないがするようには思えない。

「アイスの在庫は俺たちが買った分で全部か?」
「……舐めてもらっちゃあ困るね。In stock now ! 」

 まるで魔法で呼び出したようにアイスのカップを取り出したサムは、ニヤリと笑ってアイスのカップを指先で弾いた。

「悩める小鬼ちゃんの為に今女の子が夢中な塩キャラメルのフレーバーをご用意したよ!」
「……フン……別に悩んじゃいねぇよ」

 ヒラヒラと手を振ってくるサムに顔を顰めつつ、アイスを引っ掴んで店を出る。まだベンチにいたユウの姿に内心ほっと胸を撫で下ろしながらゆったりとした歩調でユウの前に立った。

「……? レオナ先輩?」

 不思議そうに俺を見上げているユウの隣で毛玉はガツガツとアイスをほおばっている。それを冷めた目で見つめながらスッとアイスを差し出した。

「お前はそこの狸の母親なのか?」
「え……違います。私グリムを産んだ覚えはありません」
「じゃあなんでお前の分がねぇんだよ」
「えっと……それは、もう今月のお金がなくて」
「おい狸。金がねぇのにお前ひとりで贅沢するなんざ、ひでぇ親分がいたもんだなァ」
「ふ、ふなぁッ! そっ、それは、確かに……でも、もう食べちゃったんだゾ……」

 どうしよう、と目を泳がせる毛玉にフンと鼻を鳴らしてからユウの手のひらに無理矢理アイスのカップを載せた。

「……やる。溶ける前に食っちまえ」
「え……え?」

 戸惑っているユウの手のひらからアイスのカップを奪い返して蓋を開ける。丁寧にスプーンの封も切ってやってからもう一度ユウの手にアイスを持たせた。

「……塩キャラメル……好みじゃなかったか」
「い、いえ! そんなことないです! でも……」
「でも?」
「私、マジフトでいい成績も残してないし、レオナ先輩にアイスを戴くようなこと、何もしてないです……」

 困ったように眉を下げているユウに、ふぅ、と溜め息を吐いてポケットに手を突っ込んだ。俺とアイスを見比べているユウの視線に居た堪れなさを感じる。クソ、と頭の中で呟きながら、ドカリとユウの隣に座ってそっぽを向いた。

「……日頃頑張っている後輩に先輩からのご褒美だ。くれてやるから有り難く受け取れ」

 フン、と鼻を鳴らすと、ユウはほんの少し嬉しそうにはにかんだ笑顔を浮かべて、ありがとうございます、と小さく呟いた。それに視線だけで返事すると、ユウはまた照れたように笑って勿体ぶるように小さくひと口分のアイスを掬って桜貝の色をした小さな唇へと運んだ。

「……美味しい」

 えへへ、と綻ぶようにユウが笑う。その表情にどんな顔をしていればいいのかわからなくて、そうかよ、と素っ気なく返事した。

「とっても美味しいですよ。レオナ先輩も食べますか?」
「ハァッ?! お前、なに言って」

 俺の前にドウゾと差し出された、自分が口に入れた分よりも大きく掬われたソレ。
 少し溶けかかってとろりと液体が溢れそうになっているのを思わず凝視しながら口元を片手で押さえた。

「お、お前……他の男にもこんなことしてんじゃねぇだろうな」

 まさかあのいつも侍らせている一年坊主たちと日頃からこんな風にしてるっていうのか。
 じわりと広がる胸の澱みを誤魔化すように眉を顰めると、ユウは不思議そうに首を傾げて俺を見つめた。

「え……えっと?」
「……お前が口に含んだモノを、他の誰かにも渡したりしてるのかって聞いてるんだ」

 地を這うような低い声が出てしまったことをほんの少し後悔しながら、ユウの白状する内容によっちゃあ説教しなければなるまい。この平和ボケした草食動物をわからせるのは俺だと使命感に燃えていると、ハッと目を大きく見開いたユウがしどろもどろになりながら頬を染めてアイスを乗せたスプーンを引っ込めた。

「そ、そうですね?! 私、王子様相手になんてことしちゃってるんだろう!!!」

 そうじゃねぇ! と大声で叫びそうになるのをきゅっと唇を引き締めて堪える。不敬罪で処刑されちゃう、と方向音痴な心配をし始めたユウに、この程度でそんなことにはならねぇよ、と返しながら頭を抱えた。ジッと俺たちの様子を黙って見守っていた毛玉がソワソワと立ち上がってユウが引っ込めたアイスのスプーンに顔を近付ける。

「それじゃあ……レオナが食わないんだったらオレ様が戴くんだゾ!」
「テメェはもう食っただろうが! ユウの分までせがんでんじゃねぇ!」

 それを遮るようにユウの手首を捕まえて毛玉の身体を押さえ込むと、毛玉は情けない声を上げてベンチにへしゃばった。赤い顔のまま固まっているユウに、あークソ、と半分投げやりになってそのままスプーンを口に含む。溶けかけと言ってもまだ充分冷たくアイス状になっている部分が舌の上でとろけて、独特の甘じょっぱい風味が口の中に広がっていく。ゆっくりとスプーンを唇で挟むようにして引き出しながら、ユウの手首を解放した。

「……甘いな」
「……あ、あいす、ですからね。あまいんじゃ、ない、でしょうか」

 アイスなんてどろどろに溶けちまうんじゃないかというくらい赤い顔で、ユウはカチコチに身体を硬直させている。

「……早く食っちまえ。オンボロ寮まで荷物運んでやる。だから早くしろ」

 溶けちまうぞ、と顔を背けた自分も、何だか暑くて堪らなかった。

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