~イデア・シュラウドの場合~

「はぁぁぁぁこのもふもふ本当に堪りませんなぁァァァァあはぁぁぁぁァァァ」

 ルチウスたんは在籍中に触らせてもらえる気がしないけど、課金すればモフらせてくださるグリム氏マジ最高。グリム氏本人への直接課金はユウ氏と学園長に未来永劫禁止されてしまったので、モフ成分を摂取したいときはどうしてもユウ氏を通さないといけないのが厳しいですが。何卒サブスク導入してくださらんか。

「……で? レオナ氏のスーパープレイがバッチリ記録できる撮影機材を貸してほしい、だっけ?」

「えへ、そうなんです」

 芝生の上で眠り転けているグリム氏を一緒に撫でくり廻しながら、実は今度マジフト部の練習見学に誘われまして、と嬉しそうに顔を緩めて監督生氏は笑っている。レオナ氏遂にしがらみ的なアレを解消して行動できる状態になったんか? と思ったけど、そう簡単に『あの』国の内情が変化するか? とも思えて、レオ監穏健派の拙者としては、素直に喜べる状況かもう少し冷静に見極めたい。監督生氏の熱烈なラブコールに塩対応の割に微笑ましいレベルでイチャイチャしてるからレオナ氏も肩書きがなかったら満更でもなかったんだろうな、と少し同情の目もありつつ、『ああいう国』の王族は僕らとは違う『モノ』を押し付けられて大変だろうなぁ、と他人事のように思考を閉じる。

 脳内で回る思考を収束しつつ、目の前にいるシンデレラ『かもしれない』少女に意識を向けた。

「オルトでよくない?」

 複数の思考回路を動かしつつ導き出した最適解を監督生氏に向けると、監督生氏はきゅっと顔の中心に皺を寄せて唇を尖らせてみせた。

「オルトだと困るんです! 私がキャーキャー言ってるところも撮っちゃうし、僕もキュンキュンしてみたいんだ! もっと恋の話を聞かせて! って追っかけられちゃうから!」

 恥ずかしいんです! と監督生氏は真っ赤になった顔を両手で隠した。

「それは、その……申し訳……オルトに言うて聞かせますわ……」

 オルト、流石にリアル女子の恋バナを機械学習に使うのやめてもろて。

 好奇心旺盛過ぎて行動力ありすぎの弟にちょっとだけ頭を抱えたくなった。

 そりゃ拙者もレオ監穏健派イグニ代表やらせてもらってるんで、公式からの供給は大変有り難く吸わせていただきそのまま尊さに失神してしまうレベルなんですがさすがにオルトの興味の示し方はいただけない。お兄ちゃんとして、イグニ寮長としてちょっとだけお説教が必要だと思う。本当にちょっとだけ。

「えーっと、ユウ氏でも扱える撮影機材、用意出来ないこともないけど……やっぱりオルト連れてく方が早いんだよな……」

 ぶつぶつと頭からこぼれていく思考を口から垂れ流したまま、ぐっすり幸せそうに眠るグリたんの腹を丁寧にブラシで梳く。わざわざ輝石の国から取り寄せた最高級グリム氏専用ブラシは今日もグリたんのもふもふを更にもふもふサラサラつやつやに仕上げてふわふわにしてくれる。やっぱりブラシ本体にもしっかり課金することが重要ですな、フヒ、勇気を出してトレイン先生にも相談してよかった。

「うぅ、そっかぁ……自分のカメラでちゃんとレオナ先輩を撮れるかなぁ……」

「心のシャッターに焼き付ければいいのでは」

「イデア先輩は撮影可能な現場で推しの最高な写真を撮れなくても問題ないんですか?」

「申し訳ございませんでしたオルト以外のカメラで何とか検討し準備させていただきます」

 唇を尖らせて不満を訴える監督生氏に深々と頭を下げる。くすくす笑って、いいですよ、カメラ期待してますね、と返事してくれる監督生氏にホッと胸を撫で下ろしつつ、不快なことがあっても曇らない顔は不思議で仕様がなかった。

「ねぇ」

「はい? 何ですか?」

「なんで……なんでこんなキモオタの相手をしてくれるの」

「イデア先輩は別にキモオタじゃなくないですか?」

「えっ、君視力大丈夫?」

「あはは! 目は悪くないですよ? 駄目なのは不潔な人であってキモオタじゃないって父が言ってました。イデア先輩は不潔じゃないです」

「あ、あー……あーね、そういう」

 微妙に返答に困る開示をされてしまい目が泳ぐ。モフモフを堪能させていただいていた手も宙を彷徨い自分の元へ返ってきてしまった。

 これは監督生氏のお父様が大変な人徳者であったかぶっちゃけキモオタだったかのどちらかだそしてどっちかと言えば多分後者! ホントそういうの娘に切々と訴えるのやめてもろて、教育のつもりかもしれんけどそもそもオタクの世界にこんな何も知らん子を近付けんでもろて!

 自分から聞いたクセにこの話題の着地点をどこへ持っていけばいいのか全く答えを見出せずにいると、グリム氏のズレたリボンと魔法石の位置を丁寧に直していた監督生氏がニッと笑った。

「あと……イデア先輩って、私の父にすごく似てるんです」

 本当にそっくり、と監督生氏はそのままクスクスと笑い出してしまう。

 ハ?

 君のお父さんと僕が?

 すごく似てる?

 本当にそっくり???

「拙者まだ十八で子を成した覚えございませんが!?!」

 隠し子疑惑とかが似合うのは寧ろ君が大大大好きな某国の王子の方でしょ!?

「あっ! その!! 子持ちって意味じゃなくて! 研究者っていう意味で!」

 すみません! と顔を真っ赤にして手も頭もブンブン振って監督生氏は思いっきり否定した。

「……ハハ、そーいうこと。よかったっスわ、要らぬ疑惑を吹っ掛けられてる訳でなくて……っていうか研究者?」

 何にもしてないのに五年分くらいの運動をしたみたいな疲労に襲われつつ、何だか妙に気になって更に監督生氏へ問い掛ける。

「ユウ氏のパパ上って何の研究してたの」

「父は考古学の研究者で、大学の教授をしてました。父も、考え事して昔にタイムスリップしてるときはずっとひとりでぶつぶつ喋ってて……私、それをそばで聞いてるの、大好きだったんです」

 自分も昔の世界にタイムスリップしてるみたいで、とくふくふ笑う監督生氏の横顔は本当に少女らしい可愛さを含んでいて、弟たちしかもたない僕に妹ができたらこんな感じなのかなと思わせるには充分だった。流石全校生徒の妹ポジ。これからもその可愛さで全校生徒を積極的に癒してくだされ。

「でもさ、ユウ氏の世界で考古学ってどうやって研究するの。魔法も魔導エネルギーもない世界で、昔のことなんて記録以外で把握できるわけ?」

 ふと沸いたごく当然の疑問を監督生氏に投げかける。

 当たり前に使える物が使えない想定をするのは不得意ではないけれど、魔法も魔導エネルギーも使えないとなると、呼吸したいのに酸素がないと言われているような恐怖心が付き纏ってその世界で普通に生きるという想像すら難しい。それくらい僕たちは魔法や魔力、魔導エネルギーに頼って生きているんだと思い知らされる。監督生氏の行動や生活習慣から、おそらく物理法則や自然そのものが僕たちに及ぼすものは然程違いがないとは想像できるけれど、見えないところを見る為の何かしらの道具に、魔法以外の力が使われているという想定をすること自体が天才を自称する僕の頭脳を持ってしても気が狂いそうな非現実的妄想に囚われてしまいそうで怖い。

「記録以外に、私の世界にもありますよ? いろんな遺跡」

「えっ、でも遺跡をどうやって見つけるの? 普通にあるの?」

「地面を掘ります」「地面を掘ります?」

「地面を掘ったら、出てくるんです」

「地面を掘ったら出てくるんです? 何が?」

「遺跡……ですね?」

 あとは化石とか? 結構いろいろ出土しますよ、と監督生氏は続ける。

 地面を掘ったら出てくるってどういうこと?

 監督生氏の世界は地下都市があるのがデフォってこと?

 いや、それより。

「めっちゃアナログー!!!」

 古代文明でももうちょっとマシな魔法とか道具を使ってるよ!?

 魔法のない世界ヤバすぎー!!!

 拙者マジでツイステッドワンダーランドに生まれてよかった~!!!

 マレウス氏に眠らされて本ッ当に大変な目に遭ったし、未だに実家が背負わされてる業があまりにも理不尽過ぎんか~って現実逃避したくなることいっぱいあるけど、今ある文明が触れられないなんて地獄過ぎる~~~!!!

 アニメもゲームも無い世界なんて、想像するだけで虚無っすわ……うっかり呼吸の仕方忘れそう……

 想像しただけでしっかり地獄を味わった気分になったというのに、回転が良すぎる頭脳が導き出してしまった疑問を解決したくて堪らない衝動に駆られた。

 まだ自分に追い撃ちを掛けるなんて拙者ドMか?

 いやこれはもう知識欲だけは抑えられない天才の性!

「あの……まさか、その……手で、掘ったりしないよね?」

 遺跡、とオドオドしながら監督生氏に確認すると監督生氏は眉を下げて苦笑いした。

「……まさかの手ですね」

 ひぃっ!

 声にならない悲鳴が喉と鼻を通り抜けて噎せそうになる。ごほごほと情けなく芝生の上に這いつくばっていると、監督生氏が、大丈夫ですか? と小さな手で僕の背中を撫でてくれた。

「ママがその遺跡発掘調査員でした。私もお手伝いしたことあります。結構楽しいですよ?」

 手先が器用じゃないと就職は難しいみたいですけど、と続けながら、拙者の丸くなった背中を撫で続けている。ひゅーひゅーと虚しい呼吸音をのろのろと整えつつ、ごめんねアリガト、と監督生氏の手を止めた。

「……手先が器用とかそういう問題じゃなくない? 壊れたらどうすんの」

 人間は大抵『ウッカリ』何かをやらかすものだ。そのやらかしを極限まで減らすためにいろんなことを蓄積して改良改善に人々は努めてきたけれど、それで全ての『ウッカリ』が回避されるわけじゃないし寧ろ未だにヒヤリハット事例は更新されてるんだから人間ができることには絶対限界がある。それを僕たちは魔法や魔導エネルギーによるコンピュータで補うわけだけど、それがない世界でどうやって『ヨシッ!』みたいな事態を回避するんだ?

 ひょっとして監督生氏が元いた世界の人類は人間を辞めている方が多数いらっしゃる? と非現実的な解に縋ろうとする脳をドウドウと落ち着かせて監督生氏の答えを待った。きょとんとしていた監督生氏は、うーん? と何が疑問かよくわからない顔をして口を開く。

「壊れたら……補修します。壊れてなくても補修します」

「ほ、補修……? 魔法も使えないのに? どうやって……?」

 補修ってことは修理するってことで修理するということは元の形に戻すってことでは?

 でも基本魔法でも元の形がわからないものは修理できない場合が多い、例外は除くけど。魔法もなく、どうやら手当たり次第に地面を掘り起こしていそうな監督生氏の世界で、元の形がわかるほどの『信用できる』マトモな記録なんて存在するんだろうか。それとも補修という概念自体が違ったりする?とウンウン唸っていたら、監督生氏はクスクス笑って眉を下げた。

「掘り出して、足りないところを想像しながら継ぎ足したり、掘り出した物を参考にしてレプリカを作るんです。あとは他の出土品とかできた時代を推測して」

 それぞれ専門の修繕士さんたちが頑張ります! と小さくガッツポーズした監督生氏は、ニッと歯を見せて笑う。

 詳しく話を聞いてみるとやっていることは同じなのに魔法がないというだけで人類が果てしない時間をそこにつぎ込んでいるのが監督生氏の世界なんだと理解した。パパッとできたらいいのに、と思わないのかと問うたら、ゆったり流れる時間も素敵ですよと監督生氏は笑う。

「いやー……なんか、もう……びっくりっすわ」

 異世界スゲー、と拙者にしては小並感溢れる感想が口から漏れる。自分よりも僅かに幼いこの少女が遺跡に流れるゆったりとした時間を愛でているのを想像して、あぁ確かに想像に難くないと目を細めた。父親と母親からたっぷり愛を注がれてここまで育ってきたんだろう。両親の仕事も後ろめたいものでなく、きらきらとまばゆい恵まれた環境ですくすくと育ったこの少女が、どうしてたったひとり放り込まれたこの世界でくじけずに立っていられるのか本当に不思議に思えてしまう。いや、これまでに育まれたものが彼女を強くしているのか。月並みだけれどマトモに愛着が形成されて欠伸が出るような平和な世界で生きていればこういう女の子が量産されるのかも。まぁ自分たちの世界とは違うし魔法が使えるか否かみたいな生まれた瞬間からの宿命のようなものがない世界なら、子育てもラクでそういうことも有り得るのかもしれない。親の職業に何の疑いもなく触れて楽しいなんて能天気に笑えるなんてそれくらい自分たちと違うところを探さないと到底納得できそうになかった。あと、この子が過酷な人生歩んでる想像は何となくしたくないなっていう意味のない身内感情もあるけれど。

「でも……君もそういう家系? って言っていいの? そういう生まれだからこそ、よりレオナ氏の国みたいなのに興味湧くのかもね。熱砂とかも結構面白いよ。ウチは企業秘密が多すぎるんでできれば君の好奇心は抑えてもろて」

 本当はウチの遺跡とか見せてあげたいし見たらきっと大喜びしたくなるような遺物がガッポガッポなんだけど、ちょっとね、機密がね、あまりにもね。

 遺跡担当のスタッフたちと意気投合しちゃったら多分一生帰ってこない。

 アレはそういう人種の集うところだから。

 なんでみんな『遺跡にはロマンがある』って口を揃えて言うんだろうね。

 それ以外の台詞聞いたことないが?

 レオナ氏もそう思ってそうなクチじゃない?

 古代呪文の解読してるタイミングに一回だけ遭遇したことあるけど、なんかめちゃくちゃ同じニオイ感じたんだよなぁ……

 そんなこんなで監督生氏とも意気投合しちゃった感じ?

 ふたりのこと古代遺跡カップルって命名して大丈夫そ?

 公式を著す新たな隠語がココに爆誕してしまいましたな……と感慨に耽っていると、不思議そうに首を傾げていた監督生氏がこちらを見上げていた。

「え、なにその顔」

「……レオナ先輩の国……夕焼けの草原のことですか? 遺跡発掘と何か関係あるんですか?」

「んん?」

「レオナ先輩、あんまり自分の国のこと教えてくれないから……自分で調べてわからないことを聞いたり、文化の違いとか、聞ける範囲で聞いていってるんですけど、そもそもこの世界のこともよくわかってないし、まずは魔法のことを知る方が先決で……本当はもっとレオナ先輩に夕焼けの草原のことを聞かせてほしいんですけどね、まだ難しくて」

 勉強することいっぱいです、と眉を下げて笑う監督生氏はちょっとだけ寂しそうだ。

 と、いうことは?

 つまり?

「えっと……歴史的遺物が好きだからレオナ氏と意気投合して仲良くなったわけではない……?」

 よくイグニで話題になる『レオ監らぶはぴ火曜の図書館二人っきり♡ひみつの勉強会』が始まったキッカケは『監督生氏が勉強中、レオナ氏に質問して意気投合。そしてその質問はきっと古いもの好きにレオナ氏に刺さる魔法史か古代呪文入門Ⅰ』という仮説が本人の手によって覆されてしまうってこと?

「違いますね……?」

 公式からの否定キタコレー!!!

 嘘でしょじゃあどうやってあんな臍曲がりの無精プリンスと仲良くなったの!?

 何!? 本当に君は猛獣使いってワケ?!

 やっぱり本当は魔法が使えるんじゃないの?

 ……ひょっとして、君は天然のマタタビか何かだったりする?

 再び非現実的な解を導き出そうとした頭を横に振って、比較的現実的な答えを捻り出す。

「じゃあやっぱ顔?」

 まぁ、だろうね、と言いたくなる納得の理由を口にすると、ドン、と何か重めの衝撃が背中に飛んできた。

「ひどい! 失礼! 顔もカッコイイしとっても好みで大好きですけど! 中身だって大事です! レオナ先輩優しいじゃないですか!」

「ちょ、うわ、落ち着いて」

 ドコドコとドラムを叩いてるみたいに監督生氏が僕の背中にパンチを繰り出している。

「こ、コレが噂に聞く妹パンチ……ッ」

 バルガスが『俺が育てた』と豪語している監督生氏の細腕は想像していたよりも重くて痛い。何かこう、もっと、ポコポコという効果音を想像していたのに、確実に拙者の背中のダメージゲージを削って的確に体力を奪っている。噂では『まるでキレた妹が手加減無しで殴ってくる感じ』と聞いていたのにマジで想像していたのと違う! 痛い! 結構イタイ! このままじゃボコボコにされる!

「や、やめて……もう勘弁してくだされ……」

 悲鳴に近い呻き声を上げると、ようやく手を止めてくれた監督生氏が拙者の身体を起こしつつ眉を釣り上げて不平不満を追加した。

「中身だって大事だけど顔だって大事です。レオナ先輩が顔も中身も素敵だったってだけの話です。顔だけじゃないもん」

「ご、ごめんね……怒らせるつもりは、なくて」

「怒ってないです。悲しいだけです。私はレオナ先輩の顔だけじゃなくて中身も好きだし考古学だって好きです」

 イデア先輩ヒドイ、と更に追加された文句に、本当に申し訳ない、と力無く答える。

 確かに、レオナ先輩カッコイイ! 好き! とレオナ氏の前で豪語してはレオナ氏にハイハイとあしらわれているけど、普段の監督生氏を見ていれば顔だけでレオナ氏のことを追っ掛けているわけじゃないのは何となくわかってた。どう足掻いても性格が悪すぎるレオナ氏の何に惹かれたのか、はみんな想像で埋めるしかなくていろんな説が上がる中、イグニの談話室では古代遺跡カップルっていうのが有力だっただけで。

 じゃあ結局のところ監督生氏はレオナ氏の何に惹かれたんだろう……まさかこの子が金や権力に興味があるように思えないし。レオナ氏のなかに、監督生から見て何かとても光る魅力を見つけた、ってことだろうね。

 へぇ、と少し重くなりそうな気持ちから目を背けてイジケている監督生氏に視線を移す。風船みたいに頬を膨らませたまま、監督生氏はいじいじと芝生を撫でている。

「それに……そもそもみーんな顔面偏差値が高いじゃないですかぁ……みーんなカッコイイもん」

 レオナ先輩だけがイケメンじゃないもん、と小さな膝に顎を乗せて不貞腐れている監督生氏は唇を尖らせる。

「あー……」

 ここに在籍する学生の顔面を思い出す必要もないくらい、皆様大層顔が良くていらっしゃる。いやホント拙者場違いすぎて実家からリモートで通学を希望したいくらい。今すぐパーカーのフードを被って引きこもりたい気分なのをグリム氏のふよふよのお腹を撫で回すことで誤魔化した。

「……それは否定しない。ヴィル氏と並んでも遜色ない男だらけだもんね……拙者マジ肩身が狭いっすわwww」

「イデア先輩もイケメンですよね何言ってるんですか自分の顔面自覚してください」

「ファーッ! 拙者に気を遣ってお世辞なんて必要ないんすわ陰キャは陰キャらしく生きていきますんでそっとしておいてくだされオナシャス」

 曇りなき眼でイケメンとか言われると泣きたくなるんで!

 監督生氏に負けないくらいの音量で叫ぶ。もう本当に今日だけでなけなしの体力を全部使い果たした気がする。もうやだ、帰りたい。

「イデア先輩も前髪をしっかり上げて鏡でお顔をよーく見てみるといいんじゃないですか? ちゃんと美しいお顔の部類に入ります、ヴィル先輩の隣に並んでも遜色ない男です!」

「いや……もう許して……」

 何だか恐ろしいくらいエネルギーを消耗するお世辞攻撃にどんどん顔がシワシワになっていく。

「これ以上拙者のHPを削らんでくだされ……何でもします故……」

「イデア先輩だってかっこいいのに……」

「ホント……もうやめて……」

 何とか話題を変えないとこれは自分がイケメンであると認めるまで監督生氏は折れてくれなさそう。変なトコ頑固っていうのを頼むからこんなところで発揮せんでくだされ。

「……てことは……夕焼けの草原のことは純粋な興味で知りたいってこと?」

「……」

「え、なんで沈黙……拙者不味いコト聞いた?」

 うまく話題を変えられたと思ったんだけど、とげっそりしたまま首を傾げると監督生氏は、ぎゅう、と思い切り眉を寄せて目を閉じた。

「……弟が弟ならお兄ちゃんもお兄ちゃんなんですね」

「え? どういうこと!?」

「好きな人のことをもっと知りたいって思っちゃだめですか! レオナ先輩のことが好きだから夕焼けの草原のことももっと知りたいってだけです!!!」

 顔を真っ赤にして叫んだ監督生氏は目尻に涙まで浮かべていかにも女子らしく頬を膨らませている。

 アッこれマジでアカンやつ!

 今にもこぼれそうな涙におろおろアワアワと手を振りながら勢い良く地面に擦り付ける勢いで頭を下げた。

「拙者の命を差し出すだけで足りますでしょうか」

 芝生に額を擦り付けて無駄にひょろ長い身体を必死に小さくする。

「……何の話ですか?」

「誠心誠意謝罪いたします故どうか拙者の命だけでご勘弁くだされ」

 実家に知られたら死ぬのは確実。命をもって償えるならここで潔く散った方がいろんな意味で絶対マシ。一族の恥晒しと罵られるより辛い目に遭わされるのは必須な上、部署の垣根関係なくステュークス全体に拙者のしくじりを拙者自身の口から公開生放送させられるのは当然なのでその前に死ねるなら本望。むしろ潔く散った拙者の亡骸をオルトならかき集めて弔ってくれそう。多分。

「イっ、イデア先輩の命を差し出されても困ります! 恥ずかしい気持ちをわかってもらえればそれで充分ですから……」

 SEPPUKUは大袈裟過ぎます、と聞き慣れない言葉を口にしながら監督生氏は赤くなった顔を手のひらでパタパタと冷ましている。

「それはもう充分! 重々承知しております故! 女子の恋バナとか男子が軽率に触れてはならんモノなんで!」

 本当にごめんなさい! ともう一度頭を下げようとしたら、本当にもう充分ですから! と監督生氏に無理矢理身体を起こされた。

 女の子を泣かしてしもうたという衝撃事態だというのにこんなんで許してもらえるとか女神か。

 そりゃこんなに心が広かったらレオナ氏みたいなダメンズ候補生に足を一歩踏み入れかけてそうな病みかけ男子も当然のように受け入れてくれるワケですわ。

 でもさぁ、君ら金銭感覚違い過ぎない?

 その辺大丈夫そ?

 ホラ、金の切れ目は縁の切れ目って言うますしおすし……

「まぁ、レオナ氏も僕と似たような立場だと思うけど……ちゃんと恋愛の段階を踏んで婚姻関係が結べるだけ、恵まれてますなぁ」

 つい、ぽろりと溢れてしまった本音に慌てて口を塞ぐ。

 恋愛なんて面倒なモノ、僕には必要ないのに恵まれてるだなんて発想が出てくること自体がおかしくない?

 あんなレオナ氏でもこーんなかわいい女の子に構われ倒されたら絆されちゃうんだね、って話で終わりじゃん。むしろあんなレオナ氏だから意外と人間臭い行動に振り回されるワケねっていうか。うぅん、やっぱり拙者には不要っスわw

 ウンウン、と腕を組んで改めて頷いていると、急にパーカーの裾をぎゅっと引っ張られてバランスを崩した。

「ふぇっ」

「……レオナ先輩、結婚するんですか」

「え?」

「やっぱり、婚約者とか居ますよね」

 ちょっとだけ険しい顔をして、監督生氏が僕のパーカーを引き続き引っ張っている。伸びるんで止めてもろて、と言えない切羽詰まり方に息を呑みつつそろりと監督生氏の手をパーカーから外した。

「は? 聞いたことないけど」

「え? いないんですか?」

「いないはずですぞ?」

「え? じゃあ誰と結婚するんですか?」

「え? 君と結婚するんじゃないの?」

「え……初耳です……」

「は? ちがうの?」

 頭のなかで、クオリティの低いカートゥーンみたいなやり取りを地でしてしまった、と感想文を呟いて、遂に明かされた真相にもついでに驚く。

 え? キミら卒業したら結婚するんでしょ?

 レオナ氏の付き合い方が完全にソレじゃん。違うとか冗談もほどほどにしてほしいっすわw

 引くつきそうな口角を何とか袖口で誤魔化していると、監督生氏は淡々とした表情で膝を抱えてしまった。

「私……そんなの知らないです。結婚とか、話題にしたことも、話題にされたこともないです。婚約者のことも話したことないし、何も知らない」

 マジで? そこから? と思わず言いそうになったのを堪えた。

 何やってんのレオナ氏!

 自分の彼女のケアはちゃんと自分でやっとこうよ!

 いや……むしろ何もできない、が正しいか。

 レオナ氏の様子から察するに、レオナ氏も少なからず監督生氏のことを想っているのは間違いない。それなのに沈黙を守って動かない選択を選ぶってことは、よほどあの国はレオナ氏の言うとおり堅物揃いってことなんだろうね。普通、レオナ氏を国の外に出した時点でその辺りもご配慮いただくのが常考だと思いますが、それすら想定できない、対応できてないっていうなら、本当にあの国が崩壊するのも有り得る話なんだろう。

 あーでもどうしよ、こういうのって他人がどうこう言えるもんじゃないし、むしろ軽率に何か言って期待させるのもマズいって言うか!

 うーんうーん、取り敢えず今言える当たり障りのないことナンバーワン!

「まぁ……レオナ氏が何とかするんじゃない? あの人黙って命令聞くタイプじゃないし」

 そんなレオナ氏でも無理矢理ねじ伏せて言うこと聞かせようとしたからオーバーブロットしちゃったんじゃないんですかー? というセルフツッコミが爆速で飛ぶ。デスヨネー! と更に自分で返して、何でこう拙者こういうとき気の利いたコト言えないかな?! と悲しくなった。いやそもそもココで気の利いたことを言わなきゃいけないのはレオナ氏では? 拙者全く関係なくない? むしろ巻き込まれて迷惑っていうか?

「……? それはそうだと思いますけど、何を何とかするんですか?」

 この世界に描き文字が実体化する機能が備わっていたとしたら、ほえ? というほわほわ文字が間違いなく監督生氏の背景に表示されていたと思う。

「え? 君のことじゃないの?」

「私のこと?」

「だってお互い好きで一緒にいるんでしょ。僕らもその尊い営みを有り難く拝ませていただいてるわけで。推しカプの約束されし未来はレオナ氏がもぎ取ってくるんだと勝手に思ってたけど」

「約束されし未来……?」

「監督生氏はレオナ氏と結婚したくないの?」

「結婚……? できるんですか……?」

 あの、何を仰って? という真顔が僕の目の前で思い切り首を傾げている。自分も一緒に監督生氏と首を傾げそうになって、派手に卒倒しそうになった。

 まさかの推しカプ新事実発覚ー!!!

 えっコレって本当にどこまで介入していいの?

 レオナ氏もっとわかりやすいアピールしたげて!

 この子どうやらすごい鈍感だよ!

 思ってるよりも五倍くらい鈍感だよ!!!

 かっこいいことポロッとひとつふたつみっつ無限に今すぐどんどん監督生氏がもうお腹いっぱいだよ〜って言うまでじゃんじゃん言うてもろてー!

 オタク特有の早口を脳内で繰り広げながら、ウッともう一度現実とのギャップに卒倒しそうになる。

 そういやレオナ氏も恋愛初心者だっけ。

 拙者悲恋も好きですがそれは最後に成立してこそなんで!

 結ばれないラブストーリーは報われないし救われないので勘弁してもろて!

 現実なら尚更!!!

 自分が追っかけてる推しカプには絶対幸せになってほしいし幸せになってくれなきゃ困る。だって自分以外のことならいくらだって夢見ていいでしょ?

 それなのにこんな現実を突き付けんといてもろて!

 レオナ氏も王冠取りに行く前にまずは監督生氏との未来勝ち取ろうよ!

 コレこそが何者にも代えがたいものってやつなんじゃないの!!!

 壮絶なセルフツッコミをひと言も漏らさないようギュッと唇を噛み締める。

 ナニコレ新手の拷問?

 なんで拙者がこんなに気を揉んでるの?

 ちょっと本気でわけがわからないよ?

 いっそ頭を抱えて唸ってしまいたくなる目の前の事象に、マジでレオナ氏ちゃんとしてくれ〜と泣きそうになりながら取り敢えず大前提の話を監督生氏に告げた。

「あー……レオナ氏、結構監督生氏のこと好きだと思うよ?」

 ここまで気に掛けて堂々と人前で勉強の面倒を見たりしてあげてるのって監督生氏がはじめてだよ。

 我々がカプの波動を感じて確信に至っているエピソードも付け加えると、監督生氏は困ったように眉を下げて笑った。

「うーん、どうでしょう。物珍しいだけじゃないですか? 異世界の言葉を勉強するのが楽しいみたいです」

 すっごく楽しそうに勉強してるんですよ、と続ける監督生氏に好奇心が掻き立てられて脳内の意識比率が一気にそちらへ向く。

「えっ何それ気になる」

「私の母国語がこの世界の共用語に似てるけど文法が違うんです。翻訳魔法でもうまく訳せないみたいで」

「……興味深いね」

 ちょっと詳しく聞かせて、とせっつくように監督生氏へ続きを促す。監督生氏の口頭説明を聞きながら、深く理解しようとタブレットに内容を手書き入力していると、監督生氏が横からタブレットを指差して追加の説明をしてくれる。これは監督生氏と画面共有してチャットした方が早いと判断して監督生氏にもタブレットの手書き権限を付与した。

「公用語だと、文法はこうじゃないですか。でも、私の母国語だとこの順番になるんです。レオナ先輩は文法が捻れてるって言ってました」

「……ホントだね。あまり見ない文法形式かも。古代語でもこんなのあったかな……確か東のほうで、似たようなの見た気もするけど」

 すぐさまタブレットの検索用ブラウザを立ち上げて東側で使われていた言語を検索する。いくつか思い当たる古代語をリストアップして検索エージェントに指示を出そうとしたところで耳慣れたターボの音と強い風が勢いよく駆け抜けた。

「兄さーん!」

 追加の高級ツナ缶持ってきたよ! とキラキラの笑顔で帰ってきたオルトの腕にはグリム氏用に買い貯めている高級ツナ缶が積まれている。それをしっかり受け取ってから、オルトに手を伸ばしてゆっくりと着地させた。

「ありがとオルト。助かったよ」

「これくらい問題ないよ、兄さん! でも、追い課金もほどほどにしてね!」

 また怒られちゃうよ、とオルトに見つめられてしまい、ぐぬぬ、と何も言えなくなった。

「……監督生氏、遅くなりました。こちら本日の納税です」

「あはは、有り難く受け取りますね。これは今度のテストのご褒美分にさせていただきます」

 以前、この課税システムを管理している監督生氏にも上納金を払おうとしたら、どうせグリムの食費になるから、と断られた。解せぬ。

「……ひとつくらい君も食べてね。このツナ缶、栄養評価も高いしコスパいいから」

「グリムに見つからなかったら……いただきますね……」

 最近食欲がすごいんです、とげっそりした顔で言う監督生氏がちょっと哀れになってきて、増税を提案しようかと真剣に悩んでしまった。

 提案するなら寮長会議か、いや、学園長に直談判か?

 学園長に直談判はちょっと精神的負荷が重そうだし、外堀を埋めて寮長会議で議案にしちゃうほうが決裁まで早いかも。部活のときにアズール氏に相談してうまいことみんなを巻き込んでもらおうそうしよう。

「いつも兄さんの我侭に付き合ってくれてありがとう、監督生さん! それから、すぐそこでレオナさんと会ったから少しお話したよ!」

「え、そうなの? 何の話?」

「兄さんは今監督生さんといるのかって聞かれて、今兄さんはグリムさんのブラッシングをしているよ! って答えたんだ」

 僕急いで飛んでたのに声を掛けられるなんてすごいよね! とオルトは笑う。

 あーそうか、レオナ氏に相談すれば一発決裁じゃん。

 レオナ氏って監督生氏の保護者も兼務してるとこあるし、グリム氏だけじゃなくて監督生氏もちゃんとごはん食べられるようにしてあげてって相談したらすぐに動いてくれそう。

「兄さん! そろそろ移動しないと次の授業に遅れちゃうよ!」

「あー確かに、拙者次はリモート参加なんで忘れてましたわ」

「もー! 折角リアル登校してるんだから授業に出ようよ!」

「それはそれ、これはこれでして……じゃあね、監督生氏」

 また今度モフらせていただくときは税額の大幅アップに期待してて、と心のなかで唱えながら小さく手を振る。細い腕をぶんぶん振って元気よく小さな手を振り返してくれるのが、この学園全校生徒の妹キャラと謂われる所以なんだろう。あ〜、推しカプはよ結婚せんかな、と考えながら校舎に入ったら、柱の影から突然人影が姿を現した。

「よォ、カイワレ大根。監督生とのお喋りは楽しかったか?」

 暗がりに光る緑の目がキラリと光って僕を貫く。

「ヒィッ」

 思わず上げてしまった悲鳴はか細くてすぐに掻き消えた。

「 Have you discovered the kitten’s secret ? 」

 王族らしいとても綺麗な発音が耳を撫でる。五メートルは離れていたはずなのに、耳のすぐそばで囁かれたような気配にぶるりと身体を震わせる。まだ未修得と言っていい言語なのに問われた内容を正確に理解してしまった。そしてそれがどうやら地獄へ足を踏み入れていたということにも気付いてしまった。こういうときのポーカーフェイスは得意じゃないことが災いする。僕を見てニタリと笑った緑の目をした怪物は、唇の隙間から鋭い牙を覗かせた。

「選ばせてやるよ。消すか、忘れるか。どっちがいい?」

 ゆったりとした動作で、一歩、また一歩と気配が近付いてくる。ごくりと喉を鳴らして、やっとの思いで口を開く。

「他言しない。忘れる。実家にも報告しない。個人間にはなるけど、NDA結んでもいい」

 実家名義だと報告しなきゃいけなくなるからさ、と早口で伝えると、レオナ氏はスッと目を細めてポケットから携帯端末を取り出した。簡易だけど録音された自分の音声を聞かされて、ゾワゾワと冷たい何かが背筋を撫でているような気がした。

「忘れんなよ」

「り。あとで契約書持ってくんで」

 もう一度、ギラリと目を光らせたレオナ氏は、さっきまで僕らがグリム氏のモフモフ成分補給してた方向へ向かってゆったりと歩いていく。レオナ氏の気配が感じられないくらいになって、ようやくその場にしゃがみこんで溜め息を吐いた。

「ッはー死ぬかと思ったッ!!!」

 ゼェゼェヒィヒィと胸を大きく動かして思い切り息を吸うと、圧倒する気配に存在が消失してしまっていたオルトがヨロヨロとこちらに近付いてきた。

「ごめんね兄さん。大丈夫だった? 僕、回路がショートしたわけじゃないのに、全然動けなかったんだ」

 もう少しで再起動命令掛けちゃうところだったよ! とオルトはプンスコしながら僕を起こしてくれる。

「ね、ねぇオルト」

「なぁに、兄さん」

「あの二人……なんでまだ結婚しとらんの?」

 どう見ても今のは配偶者の危機に暗躍する男の顔してた。

「……その謎を解明するために、ジャングルの奥地へ旅立ってみる?」

「いや、拙者そういうリアルな冒険はちょっと……」

 むしろレオナ氏本人が行けば全部解明できるんじゃないの? とオルトの腕に倒れ込んだ。

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