そう、これはたとえばの話。 - 3/22

「ねぇ、またあの日本人が喧嘩をしているわ!」
その日本人が賢木修二を指していることがわかるくらい、僕はもう自然と賢木修二の情報に対して、日常的にアンテナを張れるようになっていた。
彼のキャンパス内の行動範囲で生活することにも幾分慣れて、お気に入りの自習室ができた頃、突然その機会はやってきた。
「近づかない方がいいわ。別の部屋へ行きましょう」
同じように自習室で勉強していた彼女たちが部屋を出ていく前に、僕は自習室を飛び出していた。
やっと実物の賢木修二に会える。
その喜びと興奮が、僕の身体を急き立てていた。大きな物音のする方へと進むと、すぐに目的の人物は見つかった。
「賢木さん!!」
倒れ込んだ人だかりの真ん中にポツンと立っているその背中に、僕は叫んだ。僕の声に反応して、その背中の持ち主はゆっくりと振り返る。
褐色の肌に、跳ねた癖毛。すらりとした長身に、不機嫌そうに寄せられた眉。それでも美形だとわかる顔立ちに一瞬だけ息を呑んで、キッと目の前の賢木修二を睨み付ける。
「こんなマネは……許せない!!」
あなたがしたいことはこんなことじゃないはずだ。
それでもそれを、彼にとっては初対面の僕が、上手く伝えられる言葉を思いつかなくて。苦い思いを噛み締めながら、ただじっと彼を見つめることしか出来なかった。
「てめーも日本人か?」
ぎろり、と深い色をした目が、僕を睨み付ける。その強い光の鋭さに一瞬だけ怯みそうになったけれど、負けじとその視線に応えていると剣呑な表情で彼は口を開いた。
「日本語で説教すれば俺が反省するとでも!?」
まるで喧嘩腰の強気な口調。周り全てが敵だとでも言うようなその態度に、あなたはそんな人じゃないはずだという怒りが込み上げてきて、煽られるように僕も強い口調で返す。
「あなたはサイコメトラーなんでしょう。ケンカに強くて当たり前だ!! 相手の動きを先読みして殴ってるんだから」
僕の指摘に、目の前の賢木修二はニヤリと笑って僕に握り拳を翳した。
「なんならてめーもくらうか!? 坊ちゃん♪」
賢木修二のその態度に、珍しく感情が煽られて怒りやイライラや不満なんかの感情が一気に爆発しそうになる。マトモな殴り合いの喧嘩なんてしたこともないのに、僕は彼に殴られてもいいよう無意識に眼鏡を外していた。感情の荒ぶりに任せて、彼に向かって中指を立てて見せる。こんなにも怒りに任せて行動をしたのは人生でこれが初めてだと思う。勝算なんて全くない殴り合い。しかも、どうあっても一方的に僕が殴られる展開を予想しながら、僕は彼の拳を受けた。
ガツン、と衝撃を受けて、ぐらりと視界が揺れる。殴られる瞬間も、僕は賢木修二に対して怒りを爆発させていた。
力で物を言わせたって、何にもならないのに。
それなのに、優秀で、世を渡るための他の術を知っていてもおかしくない彼が、この方法を採っているということに、僕はとても怒っていた。
そしてどうしようもなく悲しかった。
彼に対しての怒りを爆発させながら僕は彼の拳を受けて、殴り合いになる前から予想していた通り、彼に反撃することなんて到底敵わず、そのまま昏倒してしまう。
僕がしたいのは、こんな感情に任せた、子どもみたいな取っ組み合いの、喧嘩の真似事なんかじゃないのに。
僕はただ、君に会って、君と話がしてみたかっただけなんだ。
そんなことをうっすらと頭の中に浮かべながら床に身を転がした。
そしてそのまま、初めて人に殴られた痛みを噛み締めながら、僕はゆっくりと意識を手放した。

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