「ねぇ賢木クン」
この声が耳に障るようになって、どれぐらい経つだろう。
なんてことのないフレーズのはずなのに、どうしてだか私の中にある何かを撫で回して、不快な気分を呼び起こすのだ。それが何故なのかはわからないけれど、とにかく、そのフレーズを耳にするのがいつの頃からか寒気がするくらいとても嫌になっていた。そして、それを自覚してからは、どうしたって逃げられないその状況に、ほとほと嫌気が差している。
だって、賢木先生と蕾見ばーちゃんが一緒にいるってことは、私たちも一緒にいるって状況が多いじゃない。
「ねぇ、賢木クンはどう思う?」
作戦会議中、蕾見ばーちゃんがふいと賢木先生に顔を向けて声を掛ける。
何気ないこと。よくある風景。ごく日常に行われるやり取り。
それなのに耳障り。
そんなことにいちいち引っかかっている私の方が、どう考えたっておかしい。
「うーん。まぁ、まず考えられるのは間違いなくエスパーが関与してるってことでしょうね」
事件の書類に目を通しながら、先生はごくごく普通の返答をした。今、私たちが取り扱っている事件に関する先生なりの考察を聞き流しながら、ちらりと先生に視線を向けると、意図したわけじゃないのにふと目が合って。先生が話す合間に、にこりと微笑みを返されて、フイ、と視線を外した。
先生のそんな態度にドキドキしているのは、きっと気のせい。
「まぁ、そんなとこよね……皆本クン。その上で、現状の作戦通りのままでいっても問題ないかしら?」
「ええ、問題ないと思います。では、このまま進めるように、僕から警察部隊にも伝えておきます」
「じゃあ今日はこんなところね。解散しましょ」
蕾見ばーちゃんの一声に、作戦会議に参加していたメンバーがほっと一息吐いて椅子から立ち上がる。それぞれが思い思いに仲間たちと喋っている中、私は賢木先生を呼び止めた蕾見ばーちゃんに視線が囚われていた。
振り返って身体をおばーちゃんの方へ向けた先生が、蕾見ばーちゃんの話に応答している。何の話をしているのかはここからじゃわからない。少しだけイライラしながらじっと見守っていると、不意に親しい距離感でヒソヒソとおばーちゃんが何かを囁き始めた。それに先生は耳を傾ける仕草をして、一気に二人の距離が縮まり、クスクスと二人で可笑しそうに笑っている。
自分の中で何かがふつふつと沸き上がるのを感じながら、ぎゅっと眉を寄せて視線を逸らした。
「紫穂ー? どしたの? はやく行くよー」
「……ごめんなさい。今行くわ」
がたり、と椅子の音がなるのも気にせずに立ち上がって、足早にその場から立ち去る。既にドアのところで待っていた薫ちゃんたちを追いかけて、息苦しく感じて仕方がない会議室を後あとにした。冷えた廊下の空気が、どうしてだか逆立ってしまっていた神経を優しく撫でて、少しずつ冷静さを取り戻していく。薫ちゃんと葵ちゃんがさっきの会議について皆本さんとお喋りしているのを間で聞きながら、一人、考えを巡らせて。
ただ、喋ってただけじゃない。
なのに、どうして。
どうして、あんなにイライラするの?
――馬鹿馬鹿しい。
ふぅ、と深呼吸をするように深く息を吐いて気持ちを切り替えると、不思議そうな顔をして、三人が私の顔を覗き込んでいた。
「難しい顔して、どしたの? 紫穂」
「何や気になることでもあったんか?」
「作戦で何か不安な点でもあったのか?」
さぁ何でもいいから気にせず話せ、とでも言いそうな勢いの三人に、クスリと表情を緩めて笑いかける。
「何でもないの。大丈夫」
そう返事しても納得して引き下がってくれない三人に、眉尻を下げて笑いながら本当に大丈夫だと伝えた。
だって本当に何でもないのだ。
自分でもよくわからない感情に乱されているだけで、本当に、何でも。
安心させるようににこりと笑ってみせれば、三人は少しだけ訝しんだ目を向けてから、事件の話題に戻った。
「でもさ、久し振りじゃない? こんな大掛かりな作戦って」
「確かに。エスパーと警察の連合チームなんて、最近あんまなかったもんなぁ」
「賢木先生が現場に出てくるのも久々だよね?」
薫ちゃんの口から出た賢木先生の言葉にびくりと肩が跳ねる。それが何故なのかもわからないまま、皆にバレないよう表情を取り繕って、話を聞いている振りをした。
「そうだね。まぁでも、今回の事件は要約すると大捕物だから、先手を読むためにも接触感応系や精神感応系の力を持っているエスパーが要になってくる。バベルに所属してるエスパーとして賢木も登用されるのは、当然と言えば当然のことだと思うよ」
皆本さんが事件に関する書類が入ったファイルを指で弾きながら、ごくごく普通のことのように告げる。
何てことのない、意識するような会話でもないことなのに、何だかそわそわとして落ち着かない。それは多分、先生が話題に上がっているからだ、というのは何となく気付いているけれど、どうして先生の話題になったらそわついてしまうのかまではわからなくて、そんな自分自身に戸惑ってしまう。
「……別に、私一人でも大丈夫なのに」
ぽつり、と不満げに呟くと、皆本さんがふわりと笑って私の頭を撫でた。
「君の力が足りないんじゃない。事件が余りにも大掛かりだから、紫穂の負担を減らすために、賢木が作戦参加を買って出たんだ」
君のせいじゃないよ、という優しい気持ちが皆本さんの手のひらから伝わってきて、ほ、と肩から力を抜く。
それから、賢木先生が自分から作戦に参加したのだということを聞かされて、少しだけ頬が熱くなって。
何よ、別に先生に心配されるほどのことじゃないし、と心の中で呟いていると、タッタッと軽快な足音が後ろから聞こえてきて、振り返るのと同時に声を掛けられた。
「よっ! お疲れ!」
私たちに近付いてゆっくりと足を止めた先生は軽く手を上げてにこにこと私たちに笑顔を振りまいている。その笑顔にちょっとだけ意識が取られてしまって、チラリと先生と視線が絡むと、ふわりと先生の笑みが深くなってドキリとした。高鳴る心臓を誤魔化しながらツンとそっぽを向くと、先生の苦笑いした様子が伝わってくる。
「どうしたんだ? 賢木。何か用か?」
「いや? ただ紫穂ちゃんに挨拶だけしとこうと思ってさ。今度の現場で一緒になるだろ?」
そう言って私に向かって差し出された先生の手をフンと鼻で笑って突っ返した。
「……確かに、一緒に現場任務にはあたるけれど、先生は私よりレベルが低いんだから。せいぜい足を引っ張らないでよね」
ぷい、とそっぽを向きながら先生に言い放つと、先生は顔を引き攣らせながらもポンと私の頭に触れてきた。
「へいへい。レベルシックスだけど紫穂ちゃんの足を引っ張らないように精々頑張りますよ」
そう言いながら、まるで私に透視よみ取らせるように、先生の手のひらにふわりと乗せられた思念を透視よみ取ってカッと頬を染める。
『君が心配だったんだ』
『……なによ、それ』
誰にも聞き取れない、私たちにしかわからない会話を交わして、先生とアイコンタクトを取る。赤くなった頬を悟られないようにキッと睨みつけると、ハハ、と苦笑いを返されて。
「まぁ、それだけだ! 当日はよろしくな!」
ひらりと手のひらを翳かざして、先生はあっという間に行ってしまった。さっきまで先生が触れていた頭のところに手を遣りながら、きゅっと眉を寄せてその後ろ姿を見送る。
「なんなのよ、もう……」
ポロリと口から溢こぼれ出た言葉に、薫ちゃんと葵ちゃんが鋭く反応した。
「そんなん言うて、嬉しかったんとちゃうん?」
「何だかんだ先生は紫穂のこと特別扱いだもんね!」
二人に指摘されたことと、薫ちゃんの特別扱いという言葉に反応して、カッと頬を赤くしながら言い返す。
「せッ、先生に特別扱いなんてされたって嬉しくないわよ! どうせなら皆本さんに優しくされた方が何万倍もいいわ!」
そう言ってするりと皆本さんの腕に絡みつくと、ズルい! と言って薫ちゃんと葵ちゃんも皆本さんにふわふわと身体を浮かせながら纏まとわりついた。うわ、とか、やめろ、とか言っている皆本さんにぎゅっとしがみついて、皆にバレないようにそっと息を吐く。
そう、今はこの状態が心地いい。
先生なんか関係ない。
私に近寄ってこないで。
薫ちゃんと葵ちゃん、それから皆本さんがいれば私には充分なんだから。そう心の中で呟いて、私たちの待機室へと向かった。
いとし いとし と なく こころ - 1/6
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