そう、これはたとえばの話。 - 22/22

あの日から、それまでと変わらず毎日皆本と会って、今までと変わらず過ごしているはずなのに、どこかから湧いてくる飢餓感が拭えなくて困っている。
マリアに指摘されてすぐ、俺は自分の行動を振り返った。でも、生まれて初めてできた親友が皆本で、俺は皆本以外の親友を知らない。だから俺たちがベッタリなのかどうかなんて、そうだとか、そんなことないとか、自分自身で判断できるわけがなかった。
それでも一応距離感を気にしてみたりして、皆本と距離を保とうと気持ちだけでも努力をしたりはした。でも、自然と足は皆本の元へと向かってしまうし、皆本を見つけてしまえば絡まずにはいられなかった。
それなのに。
結局今までと同じように空いている時間のほぼ全てを皆本と過ごしているというのに、心の奥底で燻る、足りない! という心の叫びが、ほとほと俺を参らせていた。
これ以上なんてどうやって埋めるんだよ。
毎日キャンパスで顔を合わせて、週末は一緒に飯食ってお泊まりまでしてるっていうのに。
それでもまだ足りない、なんて、どう考えたっておかしいだろ。
はぁ、と深く溜め息を吐いて考える。
――わかってる。足りない原因は自分の中にあるってこと。
でもその蓋を開けてしまえばもう元には戻れないってわかってるからどうしようもできない。これ以上欲しがったって、ソレは絶対手に入らないし、今の状態も手放したくない。
だからどうしようもないんだ、と自分に言い聞かせるようにもう一度溜め息を吐いた。
「……何かあったんですか? 賢木さん」
皆本が心配そうな顔で俺を覗き込んでくる。うっかり気を抜いてしまっていたと焦って、皆本に笑いかけて誤魔化した。
「いや、何も。ちょっと考え事してただけ」
「……そうですか? 最近、溜め息多いですよね? 何か悩み事でも?」
まだ心配そうに俺の様子を窺ってくる皆本に、心の中で、よく見てるな、と呟く。
「……大丈夫。心配いらねぇよ」
あは、と笑って誤魔化すと、ふわりと優しく笑った皆本が口を開いた。
「遠慮せず、何でも言ってくださいね。賢木さんの為に僕が力になれることがあるなら、何だってしますから」
皆本の言葉に、ドキリと心臓が跳ねて、それからチクチクと胸の辺りが痛み出す。
あの日から、以前は何とも思わなかった皆本の言動が、少しずつ、遅効性の毒のように俺のことを苦しめている。嬉しいはずなのに、素直に喜べなくて。俺もだよ、と素直に返すこともできず、それ、好きな子に言ってやんなよ、と明るく笑って返すこともできなくて。勘違いしてしまいそうな自分が醜くて、でも、何を勘違いしそうなのかはわからなくて。
心の内のもやもやを埋めるように、こうして空き時間はずっと皆本と一緒に過ごしているのに、思うように満たされない毎日に、もどかしさが募ってしまっていた。
自分でどうにかするしかねぇんだから、自分で何とかしろよ。
皆本に心配されてんじゃねぇよ。
心の中で自分に突っ込みながら、顔に笑顔を貼り付けて、本当に何でもないんだ、と皆本に笑いかけた。
「……ねぇ、アナタがサカキ?」
急に後ろから声を掛けられて振り向くと、ブロンドの長い髪が目を惹く、柔らかそうな身体をした女の子が立っていた。
「……そうだけど……何か用?」
この手の誘いを最近まったくと言っていいほど受けていなかったから、一瞬反応に遅れてしまう。にこりと微笑みながら女の子を見ると、わかってるくせに、と女の子はふっくらとした唇の端を緩く持ち上げた。
そういえばここのところ、ずっと会えていなかった皆本と時間を作れることの方が嬉しくて、女の子と遊ぶなんて発想が頭の中から消えていた。
ふと、自分の内を埋め尽くそうとしているこの餓えた感じを、女の子たちが埋めてくれるかもしれない、と思った。
差し伸べられた手を取れば、柔らかく俺を包んで一時でも俺を満たしてくれるんじゃないか。
「今夜、空いてる?」
女の子からの問いかけに、立ち上がりながら素直に頷きそうになって、ハッと皆本の存在を思い出した。
「あー……ちょっと待って。今はちょっと」
マズいんだ、と女の子に伝えようとして、ニヤリといやらしく笑う女の子に気を取られる。
「ねぇ、あっちの子も日本人? 可愛い顔してる」
俺の向こう側にいる皆本を指差して、女の子は笑ったまま首を傾げた。
「あの子も混ぜて、でもいいわよ? あの子も面白い能力持ってるんでしょ?」
楽しませてくれるのならなんだって構わないわ、と笑う女の子に、ぞわりと寒気が走って思わず顔を顰めた。
「……賢木さん? お知り合いですか?」
皆本が、俺の後ろで小さく問いかけてくる。
何も知らない、無垢な目で、俺たちの遣り取りを不思議そうに窺っている声色。
その声色に、皆本をこちら側に引き込むのだけは絶対にダメだ、と強く思った。
「いや? 知らない子だ。ちょっと待っててくれ」
振り向かずにそれだけを答えて、女の子に近付く。ニタニタと笑っている女の子の肩に手を置いて耳元に顔を寄せる。
「今日は帰って。都合が悪い」
皆本に聞こえないようわざわざ小さな声で話しかけているのに、察しが悪いのか、女の子は俺の目を覗き込みながら、にま、と笑って。
「どうして? いつもは断ったりしないんでしょ? いつだって応えてくれるって聞いたわ」
私のコト、好みじゃない? とゆるやかに首を傾げる女の子は可愛くて。いつもだったら二つ返事で応えていたハズなのに。どうしてだか、今は苛々と俺の気分を不快にさせる、鬱陶しい存在にしか見えない。
早く目の前から消えてほしいのに、なかなか立ち去ろうとしない女の子にどんどん気分が荒立ってくる。女の子に対してこんな気持ちになるなんて俺らしくないのに、どうしてもイライラを抑えられなかった。
「……だから、今日は都合が悪いんだ。また今度じゃダメなのか?」
また今度なんて以前の自分であれば有り得ない言葉が出てきたことに驚いて、オマケにそのまた今度はきっと来ないと確信している自分にも驚いた。女の子の誘いを断るなんて、少し前までの俺なら天地がひっくり返っても有り得ない、考えられないことだった。
でも今は。
こんな自分を皆本に見られたくない気持ちでいっぱいだった。必死になってどうすれば女の子が帰ってくれるのかばかりを考えている。
らしくない自分に戸惑いながら、それでも女の子の誘いを断るべく空回りする頭を動かした。すると女の子は俺の様子に何を悟ったのか、眉を寄せて小さく問いかけてきた。
「もしかして……あの子、アナタよりヤバイ能力なの?」
「は?」
女の子は訝しむような目を皆本に向けていて。
「だって……アナタとつるんでるってことは、あの子もヤバイ能力なんでしょ?」
その、まるで、エスパーの友達はエスパーだ、とでも言うような女の子の態度に、カッと頭に血が上った。
「帰れ」
自分でも驚くほど冷たい声で女の子に告げていて。
「今すぐ俺たちの前から消えてくれ」
女の子に向けるものとは到底思えない言葉で、目の前の不快でしかない存在を突き放した。
ハッと目を見開いて俺を見た女の子は、すぐに顔をくしゃくしゃにして俺を睨み付けた。
「な……なによ。エスパーのくせに、調子に乗らないで」
自分の肩に乗った俺の手を振り払い、女の子はギッと侮蔑の目を俺と皆本に向けている。
皆本をその視線から守るように立ちはだかって、口を開いた。
「そのエスパーの力で快感得ようとしてんのは誰だよ。エスパーはセックスドラッグじゃねぇんだぞ、この淫乱女」
酷く冷たい、でも腹の内を暴れ回る怒りの感情を全て込めるように小さな声で汚い言葉を吐き出す。どうか皆本に俺たちの遣り取りが聞こえていないことを祈りながら、目の前の女を睨み付けた。女の子は口をわなわなと震わせて、目を見開きながら怒りに任せて荒々しく叫んだ。
「なっ!? ア、アンタだっていい思いしてるクセに! その能力がなかったら、誰も相手なんかしてくれないわ!!!」
そんなの俺が一番わかってるよ。お前みたいな女に言われなくてもな。
言葉にならない思いが自分の中でぐるぐると駆け巡って、衝動に任せて更に汚い言葉が口から飛び出してしまいそうになる。
それでもこれ以上は何とか抑えなければ。
だって俺の後ろで、皆本が見てる。
「とにかく失せろ。お前の相手はできない」
自分の内でのたうち回る怒りを何とか抑えつけながら、できる限り落ち着いた口調になるように努めて告げた。すると女の子はわなわなと口を震わせて、感情剥き出しのまま俺の頬を叩いた。
「バッカみたい! 気持ち悪い能力者同士、アンタなんかそこのエスパー坊やと仲良くネンネしてればいいんだわ!!!」
明らかに皆本を蔑む言葉を叩きつけられて、自分が叩かれたことなんか忘れて、プツリと何かが切れる音がした。
「お前ッ……もう黙れッ」
「賢木さんッ、落ち着いてください!」
思わず手が出そうになったのを、皆本が俺の腕に掴み掛かるようにして引き止めてくれる。
僕は何を言われても平気です、と間に入ってきた皆本が俺の顔を覗き込みながら笑う。その笑顔に、荒れ狂っていた自分の中の感情が少しずつ落ち着いて、幾ばくかの冷静さを取り戻した。
グッと力を入れていた握り拳から力を抜いて、皆本、と小さく呟く。柔らかく微笑む皆本の目を見つめると、皆本は優しく、ふわりと笑みを深めて俺に頷いた。まるで、大丈夫だ、とでも言い聞かせるように、俺の腕をきゅっと掴み直した皆本は、そっと俺の背中を撫でてから女の子に向き直った。
「……すみませんけど。お引き取り願えませんか。まだご用があるなら、僕が伺います」
皆本が俺の前に出て、女の子に柔和な態度で応対する。穏やかなのに有無を言わせないその様子に、女の子が怯んで後退った。
「……もういいわ。はみ出し者のエスパー同士、傷でも舐め合ってればいいのよ」
じゃあね、と吐き捨てるように言いながら、女の子は荒々しい足取りで立ち去っていく。
皆本はお前が貶めるような存在じゃねぇんだよ。コイツは、俺とは違って、もっと綺麗で気高くて。俺なんかとは全然違う存在なんだ。
どんどん小さくなる女の子の後ろ姿を冷めた目で見送っていたら、賢木さん、と小さく声を掛けられた。その声にハッと意識を取り戻すと、皆本がまた俺を穏やかな目で見つめていて。
「一旦、座って落ち着きませんか?」
皆本の、心が洗われるような優しい声に、酷く泣きたい気持ちになりながら顔を俯けた。
「ごめん……俺……」
「大丈夫ですから。ね、座りましょう?」
皆本の声が、逆立った俺の感情を宥めるように撫で付けていく。それから、俺に触れてくる手はどこまでも優しくて。皆本の、俺を癒やす優しいその手に縋りたくなってくる。
でもダメだ。
改めて気付かされてしまった。
俺は、皆本の側にいられるほど、綺麗な存在じゃない。
「ダメだ。ダメなんだ皆本」
俺はお前みたいに綺麗じゃないんだ。
ずっと側にいたいし、お前の特別になりたいけれど、こんな俺じゃダメなんだ。
「ゴメンな、皆本。巻き込んじまって……」
俺と一緒にいなければ、皆本があんなどうでもいい、名前も知らない女の子に不快な言葉を投げ付けられて、蔑まれることもなかった。
「ゴメン、皆本。本当にゴメン」
俺のせいで皆本を不快な気分にさせた。
それがどうにも許せなくて、自分が情けなくて堪らない。
俺に触れてくれるその手を掴んで、ぎゅっと握り締めた。俺のためにと心血を注いでくれるこの手が嬉しくて、でもそれを受け止めてはいけない気がして。
「……こんな俺に、もう、優しくしないでくれ」
そろりと皆本の手を離して、鞄を引っつかむ。そのまま何も言わずに皆本に背中を向けてその場から駆け出した。
「賢木さん?」
俺を呼ぶ声に振り向きそうになるけれど、それを振り切るように頭を振って駆け出した。
「賢木さんッ」
後ろでガタガタと音がして、皆本が追いかけてこようとしているのがわかる。何としても追いつかれないようにと走って食堂を飛び出した。
とにかく今は皆本から離れなければ。
ただその一心で校舎から飛び出した。広いキャンパス内。逃げられる場所は限られている。走りながら頭を巡らせて足を動かした。皆本と俺の行動範囲はほぼ同じ。でもこれだけ広いんだ。何処でもいいから早く逃げなければ。いくつかの場所を頭にピックアップしながら取捨選択をしていく。
できるだけ人のいないところ。
誰にも邪魔されない、独りになれる場所。
気付けば、皆本と初めて会話を交わした場所へと辿り着いていた。悲しいことに、皆本も、もうすぐそこに迫っている。
皆本から逃げ切れなかった、という絶望と、なんで追いかけてくるんだよ、という困惑と、こんな俺を見捨てないでいてくれるのか、という歓喜が同時に押し寄せてきて、心の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられるような感覚に襲われた。
逃げなきゃ、今すぐ何処か別の場所へ行かないとダメなのに。
「賢木さんっ」
タッタッと俺を追いかける足音が近付いて、ピタリと止まった。きっともう振り向けばすぐそこにいるのだろう。今からでも逃げればいいのに、足は動いてくれなかった。
「賢木さん」
ゆっくりと皆本が俺に近付いてくるのが気配でわかる。
逃げられないというのなら、せめて、いつもみたいに笑って、何でもなかったように、どうした皆本って、笑わないと。
何もなかった振りをして、さっきのことなんてまるでなかったように。
「……賢木さん」
「……ッ」
皆本が俺のすぐ側にいる。
それなのに、笑って振り返ることができない。
何もかもを覆い隠して笑うことなんて、慣れているはずなのに。
ただそれだけのことが、どうしてもできなかった。
「賢木さん、大丈夫です」
皆本の声が、優しく俺の耳を撫でる。
「僕は何を言われても平気です。賢木さん」
「ッ、そんなわけッ」
皆本の言葉にバッと思わず振り向くと、穏やかな笑みを湛えた皆本がそこにいて。
「どうでもいい、知らない人に言われることなんて、気にしなければ無いのと同じことですから。僕は気にしません」
だから泣かないでください賢木さん、と皆本が俺の頬に手を伸ばした。皆本の親指がそろりと俺の目元を撫でていく。濡れた感触がして、自分が泣いていることに気付かされた。
「あ、アレ……」
慌てて目元を覆うと優しく皆本に両頬を包まれる。俺の頬を撫でる皆本の指があたたかくて、ささくれ立った心が綻(ほころ)んでいく。
目元を覆っている指がふと皆本の指に触れて。自然と指が絡み合った。
緩く絡む指先から、皆本のあたたかい気持ちがとろりと流れてくる。
そのとてつもない安心感に、気付けば肩に入った力が抜けていた。
「……落ち着きましたか? 賢木さん」
皆本が、絡めた指に力を込めて、そっと俺の顔を覗き込む。無理矢理ではないその力の強さに抵抗できなくて、俺は自分の泣き顔を皆本に曝してしまった。でもそこにある優しい光を伴った皆本の目に、目から涙が溢れるのを止められなくて。
皆本は俺の顔を見ても優しく笑っていて、絡んだ指から伝わってくる感情も、純粋な優しさだけだった。
俺の目を見てふわりと笑みを深めた皆本は、きゅっと絡んだ指先に力を込めて。
「僕たち、お互い泣いてばかりですね?」
クスリ、と笑いながら、皆本は俺の目元を拭う。まるで子どもをあやすようなその仕草に恥ずかしくなって、慌てて皆本の手を自分から引き剥がした。
離れた温もりが惜しいけれど、それを知られるのが怖くて、手の甲で適当に涙を誤魔化して。
「……泣いてばかりなのはお前だろ、皆本」
幸い涙声にならなかったことに安心して、ジロ、と皆本を軽く睨む。
皆本はそんな俺の強がりも包み込むように笑って、取り敢えず座りませんか、と先にベンチに腰掛けた。
「……ここで話すの、初めて賢木さんとお話しした時以来ですね」
皆本は少し昔を思い出すようにテーブルを撫でながら、眉を下げて笑った。
あの頃とは変化した自分たちの関係に、一緒に過ごした時間の濃さを体感する。あの時と同じ、皆本の真向かいの席にゆっくりと近付いて腰掛けた。
「……その頃は俺のストーカーだったんだよな、お前」
俺のことを嗅ぎ回っていた頃の皆本を思い出して、クスリと笑う。
男に追われるなんて初めてで、正直気持ち悪いだけだったのに。今となっては皆本が自分の人生に欠かせない存在になっている。皆本にとってもそうだといいなと思いながら、そんな贅沢有り得ないと自分に言い聞かせた。
皆本の特別は他にいる。
俺じゃなくて、別の存在だ。
きゅっと心臓が潰れるような痛みに襲われて、胸を撫でた。
「……賢木さん」
急に真剣な表情をした皆本が、じっと俺を見て呟く。本能的にさっきの話題が来ると察して、先手を打って誤魔化さなければと頭を回した。
「さっきはゴメンな。何かゴタゴタに巻き込んじまって」
お前エスパーじゃないのにな、と笑うと、皆本は改めて真剣な顔をして、賢木さん、と俺の言葉を遮った。
「それはもう気にしないって言ったじゃないですか。僕が話したいのはその件じゃなくて別のことです」
じ、と俺を真正面から見据えるように見つめる皆本の視線に、何も言えなくなってしまう。
あまりにも真っ直ぐなその目から逃れたくて、口を引き結んだまま少しだけ目線を逸らした。
「……以前から……ああいう女性は、いたんですか?」
意を決したように口を開いた皆本は、少しだけ眉を寄せて俺の表情を窺っている。
「……まぁ、たまに。日本に居た時から、ああいう女の子は、割と、いた」
ぽつぽつと皆本の問いに答えると、皆本はより一層眉間に皺を寄せて俺を見つめた。
「割と、ってことは、結構あるんですね? ああいうこと」
「え、いや、そんなことは」
「やっぱり頻繁にあるんですね? ああいうお誘い」
前のめりに身を乗り出した皆本が、少し強めの口調で俺を問い質す。嘘を吐いたら許さない、という皆本の雰囲気に圧されて、うぅ、と小さく呻いた。
「……えっと、その……まぁ、ある……かな」
「はっきり答えてください」
「……ある。あります」
「最初から素直に答えてください」
「……ゴメンナサイ」
もう、と腕を組みながら皆本はベンチに座り直す。
そんな皆本の様子に少しだけしゅんとして、顔を俯けながら上目遣いに皆本の顔色を窺うと、やっぱり少しだけ怒った顔をしていて。
知られたくなかった自分の一面を垣間見た皆本。その皆本が怒っているという事実に、俺はますます身体を小さくして項垂れるしかなかった。そんな俺を見た皆本は、ふぅ、と小さく息を吐いてから表情を和らげた。
「……毎回、断るの大変だったでしょう?」
女性相手に穏便に対応し続けるのも難しいですよね、と呟いた皆本に、ん? と首を傾げた。
「……ことわ、る?」
俺の呟きに反応した皆本が、俺と同じように、ん? と首を傾げて口を開いた。
「断、ってたんですよね?」
「……え?」
「え?」
皆本の問いかけに思わず間抜けな返しをすると、まさか、と目を見開いた皆本はあんぐりと口を開いた。
「……こ、ことわって、ないんですか?」
ひょっとして、と小さく続けた皆本は、嘘だろ? とでも言いたそうな目をして俺をまじまじと見つめている。
「……だって、断る必要性がない、から、な?」
「はぁぁぁぁ?」
正しく絵に描いたような驚いた目をしてみせた皆本は、ハッと気を取り戻して眉を吊り上げてから俺に言い募った。
「きょ、今日は断ってたじゃないですか! いつも断ってるんじゃないですか? っていうか時々賢木さん女性物の香水の香りを纏ってるときあったじゃないですか! 特定の相手がいるってことだったのでは?! それとも毎回違う女性とだったってことですか!? 誘われるまま複数の女性と関係を持っていたってことですか!!!」
言いながらだんだん前のめりに俺の方へ身を乗り出してくる皆本は、まるでマシンガンのように俺に向かって捲し立てる。お、落ち着け、と両手を翳すと、皆本は凄く悲しそうな目をして吊り上げていた眉をへにょりと下げた。
「……賢木さんが、そんな……女性にだらしない人だなんて、思って、なかったです」
今にも泣きそうな目をして告げた皆本は、落ち込んだように項垂れてしまう。俺は俺で、皆本に幻滅されてしまった事実を受け止めきれなくて、呆然としてしまっていた。
こんな自分を知られたくなかった。
でも、たとえだらしないと言われようと、自分にとって仮初めの女の子達は必要だったし、彼女たちは皆、一時とは言え俺の孤独を優しく包み込んで埋めてくれる、麻薬のような、嘘でも俺を癒やしてくれる、救いとも呼べる存在だった。
「……ひとりは寂しかったんだよ。だから、誘いに乗ってたんだ」
嘘偽りのない、自分の本心。
でも、そのせいで皆本に軽蔑されてしまうなら。
そんなやり方でしか自分を慰めることができなかった俺は、もうどうしたって皆本に受け入れてもらうことは有り得ないんじゃないか。
「たとえ、俺のことを好きになってくれなくても……俺に興味を示して俺を誘ってくれるのが嬉しくて、それを断るなんて選択肢、俺にはなかったんだよ」
皆本には理解できないかもしれない。
皆本は孤独と戦って、自分と向き合える力を持った人間だ。
そんな皆本が眩しくて、俺は心から惹かれてる。
でも俺は、どこまでも果てしなく続く孤独に耐えきれなくて、一時でも、あたたかく自身を包んでくれるモノなら何だっていいと手を伸ばしたダメな人間だ。
皆本のように正しく生きることができる人間には、俺みたいにダメな男は一番理解できない存在かもしれない。
ようやく手に入れた皆本の友人という立場を、こんな形で失ってしまうかもしれないなんて。
過去の自分の行いを悔いたとしても、俺にとって必要だったそれらを無かったことにもできない。
やっぱり、皆本という存在自体が、俺には過ぎた贅沢だったのかもな、と諦めにも似た悲しみに襲われた。
「……本当の賢木さんに惹かれて、声を掛けてきた女性は、いたんですか?」
皆本の静かな問いかけに、ゆるゆると首を振る。
「……いなかったよ。皆、俺のチカラ目当てだった」
力なく笑ってみせると、皆本は傷付いたように顔を歪めた。
何でお前がそんな顔してんだよ。
お前が傷付くことなんて何ひとつないじゃないか。
今にも泣き出してしまいそうな皆本に笑ってほしくて、一生懸命笑ってみせた。
「日本人だしサイコメトラーだし。珍がられるのは仕方ねぇよ。それにそこそこ顔もイイから女の子たちもほっとかねぇっつーか」
モテる男はツラいよな、なんて、はにかんでみても、皆本の顔は全然晴れなくて。
あー、これはいよいよ嫌われちまったのかな、と静かな絶望が自分を襲う。
せめて笑ってサヨナラしたいのに、うっかり気を抜くと涙が溢れてしまいそうで。何も言えないまま、俯き加減に何とか口角を上げていることしか出来なかった。
ぎゅっと眉を寄せて目を伏せた皆本が、ゆっくり目蓋を開いて俺を見つめる。
「……僕じゃ……駄目ですか」
ぽつり、と呟いた皆本が、思い詰めたような目をして俺を見据えていた。
「……え?」
「……僕じゃ、駄目なんですか」
皆本はもう一度繰り返して、真剣な表情で更に続けた。
「僕じゃ、賢木さんの寂しさを、埋めることはできないんですか」
まっすぐ俺を見つめる皆本の目に、あんまりにも熱が籠もっていて、笑って誤魔化したり茶化したりできる雰囲気じゃなかった。
でも、そんな。
だってそんな目でそんなこと言われたら。
信じたくなってしまう。
これ以上を求めたくなってしまう。
「そんな、賢木さんのことをちゃんと見ていない人たちに、賢木さんを利用するみたいな形で、賢木さんに触れてほしくないんです」
きゅっと眉を寄せて俺を見つめる皆本の視線に、息が詰まる。
「僕は、もっと……賢木さんに自分のことを大切にしてほしい。そういうことは、ちゃんと……その、大切な人と、してほしい」
少しだけ頬を赤らめて言った皆本は、ゆっくりと目を閉じてひとつだけ深呼吸をした。
それから、皆本らしい意思の籠もった目で俺を見て、言った。
「そんな人たちで寂しさを埋めるなら、僕に……僕に、賢木さんの寂しさを、埋めさせてくれませんか」
大切に、丁寧に告げられた言葉に、思わず心が震える。
でもダメだ。
ダメだろ、だって皆本は。
「……そういうのは、好きな女の子に、言ってやれよ」
俺じゃない特別を、皆本は既に心に抱えてる。
その子に向けてやるべき感情を、俺に向けてる場合じゃないだろう?
「お前ならきっと……うまくいくよ」
本当は、うまくなんかいくな、と心の底では思ってるくせに。
こんなタイミングに限って、ちゃんと笑って言えた気がする。
普通に好きな女の子がいる皆本が、俺を好きになんてなるわけがない。
俺だけを見て、その特別を俺に傾けてくれるわけがないんだ。
そこまで考えて、はたと自分の考えていることのおかしさに気付く。
今、俺、なんて?
「違うんです。そうじゃない。そうじゃなくて……」
違う違う、と首をゆるゆると振っている皆本は、苦しそうに顔を歪めて、テーブルの上にあった俺の手をそっと包み込むように握った。
「僕にとって、あなたは初めてと言ってもいいくらい、大切な存在なんです!」
触れた手から伝わってくる、皆本の確かな想い。
俺はそれに激しく動揺した。
「……う、嬉しいこと言ってくれるじゃん! 俺もお前のこと、大切に思ってるよ!」
パッと皆本の手から逃れて、慌てて立ち上がる。
俺を追いかける皆本の視線が、熱い。
そんな目で、俺を見ないでくれ。
「賢木さんっ! 僕、あのっ」
「ゴメン皆本! 俺、そろそろ行かねぇと」
じゃあまたな、と皆本の目から逃れるように鞄を引っつかんで走り出す。どうか今度は追いついてくれるなと心の底から願いながら全速力で走った。
ダメだ。
ダメだよ皆本。
そんな目で俺を見ちゃダメだ。
だって、俺は。
俺たちは、仲の良い親友だろ?
校舎の角を曲がったところで呼吸が上手くできずにゲホゴホとむせ込む。急に走った所為で肺に余計なモノが入ったらしい。なかなか治まってくれない咳に足を縺れさせながら壁に手を突いてへたり込んだ。
皆本の手を通して伝わってきたそれ。
それは間違いなく、簡単には語り尽くせない、俺への好意。
全力で俺のことが好きだと訴えてくる、俺が欲しくて欲しくて堪らなかった、皆本の特別。
意図せず透視み取ってしまったそれに、身体が震えるくらいに動揺した。
皆本が好きな相手は、俺だったってのか?
狂おしいくらいに嫉妬した、皆本の特別を独り占めするだろう存在。
それは俺のことだった。
「嘘だろ……?」
じゃあ俺は?
俺のは一体、何なんだ?
俺が、皆本に向けるこの想いは一体何なんだ?
本当はもうわかってる。
でもダメだ。
言葉にしてしまったら。
想いを形にしてしまったら。
俺たちを取り囲む、全てが変わってしまう。
そんなの嫌だ。
絶対に嫌だ、皆本の側に居られなくなるかもしれないなんて。
ただその一心で、皆本も誰も追いかけてこないとわかっているのに、俺は必死に足を動かして、その場から逃げ出した。

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