そう、これはたとえばの話。 - 21/22

「……アナタたち、本当に仲良しね? 最近ずっと一緒じゃない?」
大学で一番デカい食堂。ちょうど昼飯を食いに出掛けようとしていた皆本を捕まえて、賑やかなテーブルに囲まれながら飯を食っている時だった。
「んだよマリア。別にいいだろ? 俺たち本当に仲良いもん」
な、皆本? と笑いながら問いかければ、皆本も苦笑いしつつ俺を見ながら頷いて。それが嬉しくて口元を緩めながらマリアに笑顔を向ける。
それを見て呆れたように肩を竦めたマリアは、俺たちが使っていたテーブルの空いたスペースに陣取って、内緒話をするように俺たちに顔を寄せた。
「ねぇ、あなた達って……」
ひそひそと喋りかけてくるマリアの声を聞き取ろうと耳を寄せると、一瞬だけ言い淀んだマリアが、意を決したように口を開いた。
「あなた達って、ステディなの?」
真剣な表情を浮かべて、俺たちの挙動を見つめているマリア。俺はマリアの言葉にポカンと呆気に取られてしまったけれど、すぐにその有り得ない話に机を叩いて吹き出した。
「ハッ! ハハッ、アハハハハッ! ないない! 俺らがそんなワケねぇじゃん!」
あはははは、と止まらない笑いに腹筋が引き攣れて痛い。何とか深呼吸をして息を整えながら、目尻に浮かんだ涙を拭って不満そうな顔をしているマリアに目を向けた。
「マリアさぁー、自分がクリスとうまくいってるからって浮かれすぎなんじゃねぇの? 俺らまでそういう風に見えるってよっぽどじゃん!」
「そんなことないわよ! あなた達の仲の良さの方がよっぽどだわ。だって本当にいつもベッタリ一緒なんだもの」
別の学科なの忘れちゃうくらい、と続けたマリアに、そんなわけないと突っ込む。
「俺ら授業ほとんど被ってねぇし、所属の棟だって違うし、それぞれ別のことやってんだから、いつも一緒なワケねぇじゃん」
なぁ皆本? と皆本に笑いかけると、皆本はどこか寂しい表情を浮かべて笑った。
その表情に引っ掛かりを覚えて首を傾げていると、はぁと深々溜め息を吐いたマリアが頬杖を突きながら、そっぽを向いて呟いた。
「……シュージがそう思っているのならそれでいいんだけど」
「……どういう意味だよ?」
「そのままの意味よ」
ひらひらと手を降りながら立ち上がったマリアは、もう一度溜め息を吐いてまるで俺を不憫だとでも言いたげな目を向けて。
「コーイチが可哀想だわ。コーイチもこんな男に振り回されてないで、他に目を向けてもいいのよ?」
折角の人生が勿体ないわ、と皆本に向かってマリアは憐れみの声を上げている。それが何だか気に食わなくて、身を乗り出してマリアの視界を遮った。
「なんでマリアが皆本の人生の心配してんだよ! 皆本が悩んでたら俺が相談に乗ってやるからマリアが心配しなくていーの!!!」
カッとマリアに向かって言い返せば、マリアは眉を吊り上げて俺の鼻に指を突き立てた。
「そういうところよ! コーイチにだって自由はあるわ! 何もかもがあなたじゃなくたっていいのよ!」
ビシリ、と鼻の前に差された指に何だか居心地が悪くなって目を泳がせると、更に眉をキリリと吊り上げたマリアが俺に向かって言い放った。
「その気がないのならコーイチのこと放っておいてあげなさいよ! あなたそれでも年上なの!?」
マリアに言われた言葉の意味がわからないのに、何故か無性にイライラして俺は周囲の目も気にせずに叫んでいた。
「なんでマリアにそんなこと言われなきゃなんねぇの?! 俺と皆本がどうしてようと、それは俺と皆本の問題だろ! マリアに口出される筋合いはない!!!」
「なんですって?! 私はあなた達を心配して」
「……マリアさん、もう、それくらいで」
更に俺へ言い募ろうとしていたマリアを、皆本が静かに遮る。皆本は淡々とした表情でマリアを見ていて。マリアはまるで今にも泣き出しそうなくらいに顔を歪めて皆本を見つめた。
「だって! あなたが可哀想だわ、コーイチ!!!」
眉を寄せて皆本に目を向けるマリアに、皆本は静かに笑いかける。
ふわりと柔らかいその表情は、いつも俺に向けてくれている穏やかさで、それがマリアに向けられているのが無性にモヤモヤとして堪らない。それが何故なのかなんて考えている間を与えてもらえない内に、皆本はマリアに向かってにこやかに口を開いた。
「……いいんです。これは僕が選んだことだから」
「それでも!」
「大丈夫です。ちゃんと覚悟の上ですから」
だから大丈夫なんです、と繰り返した皆本に、マリアは押し黙ってしまう。まだ不満そうなマリアに、皆本は重ねて大丈夫、と笑いかけた。
なんで皆本とマリアだけが話をわかってるみたいな会話ができるんだ。
目の前で繰り広げられる二人だけの世界にイライラが止まらない。
悔しい。
どうして俺だけが仲間外れなんだ。
「……マリアはクリスと仲良くしてればいいだろ。皆本にまで手ぇ出してんじゃねぇよ」
悔し紛れに呟いたソレは、ガヤガヤと煩い食堂に呑み込まれていく。
俺にみっともなさしか植え付けなかったその呟きに、マリアは驚いたように目を見開いていて。それから呆れたように深い溜め息を吐いて額に手を当て項垂れた。
「……ここまで来ると重症ね」
「……何が言いたい?」
「シュージがそこまで馬鹿だったなんて知らなかったって言ってるのよ」
マリアは俺の問いかけに呆れ返った口調で返した。それから、腰に手を当てて真正面から俺と向き合い、俺を見透かすような目をして続ける。
「私は! アナタに言われてちゃんとクリスと向き合ったわ! だから関係も進展させたし、アナタが言うようにクリスと仲良くやってる! それなのに、アナタはどうなの!?」
キッと俺を睨み付けて言葉をぶつけてくるマリアは、まるで俺を逃がさないとでもいうような態度で仁王立ちしている。
なんでこんな、俺が怒られているみたいな雰囲気になってんだ。オマケに、俺は怖じ気づいて逃げ出すだろうとでも言いたげなマリアの態度。俺は何もしてないし、この場から逃げなきゃいけないようなことなんて何もない。
それなのに、どうしてこんなに居心地が悪くて、モヤモヤして、落ち着きなくさせられるんだ。
「……俺は、別に」
関係ないだろ、と続けようとして、言葉に詰まる。
関係ないのに。
関係ないはずなのに。
どうして。
「シュージ……あなたもちゃんと向き合わなくちゃ。じゃないと」
「マリアさん」
更に言葉を続けようとしたマリアを、皆本が遮る。
「賢木さんが言うように、これは僕と賢木さんのことですから。僕が自分で何とかします」
「……そうね。確かにそうだわ。これ以上私が口出しするのは余計だった。ごめんなさい、コーイチ」
いえ、いいんです、と皆本はマリアに向かって笑う。
優しげなその表情に、マリアも穏やかに笑い返して。
「でも、辛くなったら私もクリスもいくらでもあなたの話を聞くから。遠慮せずに言ってね、コーイチ」
「はい。ありがとうございます」
「今日は邪魔してごめんなさい。また会いましょう、二人とも」
じゃあね、とマリアは手を翳して去って行った。その後ろ姿をぼんやりと見送って。
「……座らないんですか? 賢木さん」
マリアが見えなくなってもぼーっと立ち尽くしていた俺に、皆本が声を掛けた。
ハッとして皆本を見ると、皆本は既に席に着いてランチの続きを食べようとカトラリーに手を伸ばしている。
あぁ、そうだな、とどこか間抜けな返事をして、ドサリと腰を下ろした。
「……なぁ、皆本」
一口サイズに切り分けたハンバーグを口に運ぼうとしていた皆本が、目だけでこちらを見て反応を返す。普段と何も変わらないその態度に安心しながら、どこか抑えられない焦燥感に駆られて、ぽつり、と小さく呟いた。
「お前さ……前に好きなヤツがいるって言ってたろ」
もぐもぐとハンバーグを咀嚼していた皆本が、ピタリと動きを止める。
それを見て、どうしてなのかはわからないけれど、ドキリと緊張で身体が硬くなった。跳ね上がる心拍数が耳の中でドキドキと主張して煩い。何とかそれを無視して、じっと俺を見つめてくる皆本からそろりと視線を外して、口を開いた。
「アレって……マリアなのか?」
口にした途端、ずきり、と胸が痛んで眉を顰める。
なんでこんなに胸が痛くて苦しいんだと思いながら、それを誤魔化すように細く息を吐いて身体の緊張を解そうと俯いた。
皆本の顔を見たくない。
今、皆本がどんな表情をしているのかなんて知りたくなくて、ぎゅっと目を瞑った。
ざわざわと相変わらず周りは煩いはずなのに、自分たちの周りだけがシンと静まり返っているように思えて、皆本との間に生まれている沈黙が肌に重くて仕方がない。
何か喋れよ、皆本。
早く、違うって言ってくれ。
それ以外の言葉が返ってきたらどうしたらいいのか、俺にはわからない。
だから、早く、いつもみたいに笑って、違うって言ってくれ。
「……賢木さん」
皆本の声が耳に届いて、びくり、と大袈裟なくらいに肩が跳ねる。ハッと目を開いたけれど、皆本のことを見ることはできなくて顔は俯けたままだった。
もう一度、静かに、賢木さん、と皆本が俺を呼ぶ。
嫌だ。
やっぱり何も聞きたくない。
これ以上喋るな。
お願いだから、俺を。
「……僕の好きな人は、マリアさんじゃないですよ」
静かな、そして穏やかな皆本の声が、そっと告げる。
期待していた言葉がそのまま聞けて嬉しいはずなのに、信じることができなくて、思わずバッと顔を上げて皆本を見た。するとそこにはいつものように穏やかに笑う皆本が、緩く目を細めてこちらを見ていて。
「僕の好きな人はマリアさんじゃないです」
もう一度、改めて俺に聞かせるように告げた皆本は、ふわりと柔らかく微笑んでみせた。
「……そっか……そう、だよな。俺、何勘違いしてんだろ」
はは、と軽く笑って誤魔化して、自分の中で燻っているモヤモヤから目を背ける。
俺の望む答えが聞けたはずなのに、どうしてこんなにも胸が焼け付くような焦燥感に駆られるのか。
皆本の心に居る相手はマリアじゃない。
良かったじゃないか。
俺はその答えを望んでた。
これで今まで通りだろ?
皆本が誰を好きかなんて、俺には関係ない。
だって、俺たちは。
俺たちは、ただの親友だ。
ズキズキと痛む胸を誤魔化しながら何とか口角を持ち上げて顔に笑顔を貼り付ける。それでも、まっすぐに皆本のことを見ることはできなくて、顔は背けたままだった。
皆本に好きなヤツがいるのは、知っていたことなのに。どうして今更になってこんなに動揺しているのかわからない。応援してやるつもりで居たはずなのに、素直に喜べていない自分を自覚してしまって、酷く焦った。
こんな時、俺はどう場を誤魔化せばいいかなんてこと、いくらでも知っているはずなのに。どうしても上手く誤魔化すための次の言葉が出てこなくて。俺は自分を宥めるための深呼吸を繰り返すことしかできなかった。それでも空回りする頭を何とか動かして無理矢理明るい声を出した。
「……結局、皆本の好きなヤツ、誰か解らず仕舞いだな! いい加減教えてくれよ」
嫌だ。
聞きたくなんてない。
心はそう叫んでいるのに、口から滑り出るのは自分を苦しめる言葉ばかりで。泣きたい気持ちを抑え込みながらそれでも何とか笑った。
「……内緒です。僕だけの秘密」
シー、と指を立てて恥ずかしそうに笑う皆本が眩しくて。
一生懸命に堪えているのに、無性に泣きたくて溜まらなくなった。
「……いいなぁ……皆本の特別扱いを受ける子が、羨ましいよ」
俯いて、ぽろりと溢れ出た言葉は何とも情けない響きを伴っていて。
顔も知らない、どんな子かもわからないその子のことが羨ましくて堪らない。
皆本の中の特別を受け止められるその子が羨ましくて仕方がない。
自分ではない、その子に向ける皆本の笑顔が、欲しくて欲しくて、堪らない。
胸が苦しくて潰れてしまうんじゃないかと思うくらい、強く、そう思った。
でも、友達相手じゃ、そんな気持ちを向けてくれるわけないだろう?
俺は一体何を高望みしているんだろう、と絶望にも似た悲しみに打(う)ち拉(ひし)がれた。
それは、皆本の特別を受け止められることができる、その子だけの特別なモノだ。
俺なんかが手に入れられるものじゃない。
俺が手に入れていいものじゃない。
頭ではわかっているのに、心が嫌だと叫び出しそうで堪らなかった。
「……賢木さん」
皆本が、優しい響きで俺の名前を呼ぶ。
そんな声で呼ぶなよ。
勘違いしちまうだろ。
一体何を?
わからない。
でも、とにかく今は、それが辛くて、痛かった。
なんだ? と皆本の方を見ないでぶっきらぼうに答える。
皆本の前ではいつもみたいに笑っていたいのに。それが叶わない今が苦しくて堪らない。笑わないと、ただでさえ人が寄ってこない俺なんだから、せめて笑っていないとダメなのに。どうしても上手く笑えなくて俯いたまま皆本が何か喋るのを待った。
いい加減、呆れられてしまうかもしれない。いくら友達だってこんな態度、酷すぎる。優しい皆本でも、こんな俺に嫌気が差して、流石に離れていくかもしれない。それだけは避けたいのに、どんなに頑張っても笑えない自分が嫌で嫌で堪らなかった。
そんな俺の様子を見て、皆本はもう一度、静かに、賢木さん、と俺の名前を呼んだ。
「僕は……賢木さんのこと、特別だと思ってますよ」
照れを含んだその声色に、恐る恐る顔を上げると、少し頬を赤らめて目を細める皆本と視線がかち合って。
「僕にとって、賢木さんは、特別です」
ふわふわと、甘い響きを伴ったそれは、間違いなく俺の身体に染み込んでいく。
「……そっか」
それでも、俺はその特別じゃなくてもっと違う別の特別が欲しいんだ。
はっきりと自覚してしまったこの想いは、切なく、俺を締め付ける。
「……俺も、皆本が特別だよ」
俺たちは友達で、親友になれたはずなのに。
俺が抱えてるこの想いは、一体どこに当て嵌めればいいんだろう。
答えはすぐそこに転がっていそうで、だけど薄く掛かった靄のせいで上手く手を伸ばせなくて。
いや、本当は答えを知るのが怖くて手を伸ばせないだけなのかもしれない。
それでもいい。
俺は、やっと手に入れた皆本の親友というポジションを手放したくなんかない。ずっとここに居られるなら、欲しい特別が手に入らなくても我慢できる。
どうせ、本当に欲しいものはどんなに頑張ったって手に入らないってこと、俺はよく知ってるだろ。
自分にそう言い聞かせて、皆本の笑顔に笑みを返した。

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