そう、これはたとえばの話。 - 18/22

柄になく緊張している。
いつも以上に下拵えは丁寧にしたし、とっておきの出汁も使った。あとは賢木さんが来てから唐揚げを揚げて、味噌汁を温め直すだけ。万全の状態が整っているはずなのに、そわそわと落ち着かなくて、何度も手順を確認したり、冷蔵庫に用意した小鉢を確認したり、とてもじゃないけどじっとなんてしていられなかった。
ブー、と鳴り響いたブザー音に、ハッと意識を取り戻してインターホンの受話器を取る。
「はい。どちら様ですか?」
「あっ、俺俺! 賢木」
「あ、今開けますね。そのまま部屋まで上がってください」
オッケー、という賢木さんの返答を聞いてからそっと受話器を置く。
い、いよいよだ、と緊張が振り切れてしまいそうなのを感じながら、賢木さんが僕の部屋に辿り着くのを今か今かと待ち続けた。コンコンとドアをノックする音が聞こえて、覗き穴から賢木さんがドアの向こうにいることを確認する。はぁ、とひとつだけ深呼吸をしてから、ドアのロックを外した。
「よっ」
そろりとドアを開けると、ニコニコと明るい笑顔を振りまいている賢木さんが片手を上げた。その笑顔がなんとも可愛らしくて口元が緩みそうになるのを必死に堪えながら、賢木さんを部屋の中へ招き入れる。
「中へどうぞ。大したおもてなしはできませんが……」
「んなことねぇよ。今日はもう朝から楽しみすぎてウキウキだったんだからな!」
お邪魔しまーす、と挨拶をしながら中へ入ってくる賢木さんは、本当にウキウキと気分が弾んでいるのが伝わってくる。さっきまで緊張でおかしくなりそうだったのに、賢木さんの感情に乗せられて僕まで嬉しくなってしまいそうだった。
「まだ食べてもいないのに……そんなに期待されると不安になります」
「大丈夫だって! お前絶対料理上手いもん! まだ食べてないけどわかる!」
「そんな……あ、洗面台はあっちなんで。これから唐揚げ、揚げますね」
「オッケー。手洗ったらダイニングで待ってればいいか?」
「はい。出来上がったら運びます」
待っててください、と伝えると、嬉しそうに笑って賢木さんは手を洗いに洗面台へと向かっていった。その背中を見送って、ふぅ、ともう一度深呼吸をしてから、よしっと気合いを入れ直した。
キッチンへ向かって用意していた揚げ物用の鍋を火に掛ける。一人分の自炊だと揚げ物なんて殆ど作ることがないから揚げ物調理は久し振りだ。少しだけ衣を油に落として温度の上がり具合を確認する。しっかり油の温度が上がっていることを確認してから、衣をまぶした鶏肉を静かに油の中へ落としていった。油の温度が下がるから、欲張って鶏肉を入れすぎてはいけない。衣同士がひっつかないように気をつけながら、空気に触れさせるように揚げ網で鶏肉を掻き回す。油から上げたりまた沈めたりを繰り返しながら色が変わるまで熱を加えて、良い色合いになったところで油から取り上げる。一度油を切ってから、もう一度油の中へ戻して、またしっかりと空気に触れさせながら揚げていく。こうすることでカリッとした衣と肉汁をたっぷり含んだ鶏の唐揚げが出来上がる。温めておいた味噌汁をお椀に装って、しっかり油の切れた唐揚げをベビーリーフとプチトマトを盛った皿に盛り付けた。レモンのくし切りを忘れずに添えて、出来上がりだ。
「できた……」
腕は落ちていない。失敗もしなかった。完璧と言ってもいいくらい上出来に仕上がったはずだ。それでも。
「すっごく、緊張する……」
完成した料理をトレイに乗せて眺めてみても、やはり仕上がりに文句は言えない出来だと思う。だけれど、好きな人に手料理を振る舞うことがこんなにも緊張することだなんて、思ってもいなかった。
「は、はやく運ばなきゃ……」
折角だから料理が冷めてしまわないうちに食べてもらいたい。慌てて零してしまわないように気をつけながらトレイを持ち上げてダイニングへ向かった。
「……お待たせしました」
ダイニングテーブルにそっとトレイを置いて配膳すると、おお! と賢木さんがキラキラと目を見開かせて感嘆の声を上げた。
「キッチンからずっといいにおいが漂ってきてたからさー、もう涎止まんなくて!」
すっげぇ旨そう! と目の前のお皿に注目している賢木さんは、やっぱりウキウキと嬉しそうで。こんな子どもっぽい部分もあるんだな、と微笑ましくなりながらエプロンを外した。
「どうぞ。お口に合うといいんですが」
賢木さんの正面に座りながら声を掛けると、賢木さんはお箸を手に取って元気よくいただきます! と声を上げて。そのまま唐揚げをひとつ摘まんで口に放り込んだ。
「……どう、ですか?」
食卓に緊張が走る。
賢木さんは目を瞑ったまま一言も言葉を発さずにモグモグと口を動かしている。表情すらひとつも動かさない賢木さんに不安になってきて、ごくり、と息を呑んで賢木さんの反応を待った。
咀嚼を終えて、ごくんと口の中の物を飲み込んだ賢木さんが、そっと箸を置いて顔を俯ける。オマケに目元を手で覆ってしまうものだから、口に合わなかったのだと悟って、愕然と身体から力が抜けていくのを感じた。
僕の料理にすごく期待していた賢木さんを裏切ってしまったという深い絶望を覚えて声を掛けられずにいると、小さく肩を震わせた賢木さんが聞き取れないくらいの小さな声で呟いた。
「……い」
「え?」
ぼそりと吐き出された声は若干震えている。なんと言ったか聞こえなくて僕は思わず聞き返した。すると賢木さんはバッと顔を上げて、僕の目をしっかり見つめて口を開いた。
「めっっっっちゃくちゃ旨い!!!」
「ええっ!?」
「俺が今まで食べた唐揚げの中で一番旨い! マジでホントどんな魔法使ってんだよ!」
美味しい美味しいと繰り返す賢木さんは、とても嘘を言っているようには思えなくて。賢木さんの様子にホッと胸を撫で下ろしながら口元を綻ばせた。
「……お口に、合わなかったのかと、思いました」
「そんなわけねぇよ、むしろ期待以上だよ! ホントどうやって作ってんだ?」
「別に普通だと思いますよ? 基本に忠実に作っているだけです」
「そうなのか? それでこんな絶品の唐揚げができあがるんだから、やっぱり皆本はすげぇよ」
残りの唐揚げにレモンを搾ってまたひとつ口に放り込んだ賢木さんは、幸せそうな顔を浮かべながら唐揚げを咀嚼している。その様子に安心して、僕もいただきますと手を合わせてから箸を付けた。
カリッと揚がった衣の具合とじゅわっと溢れる肉汁が堪らない。久々に作ったけれどちゃんと上手にできたな、と感心しつつ味噌汁に口を付けた。こちらも久々に出汁をとって作ったから優しい味わいが身体に染みるようだ。賢木さんもちょうど味噌汁を飲んでいて、味噌汁を口に含んだ瞬間、また唸りながら目元を覆ってしまった。
「……どうかしましたか?」
恐る恐る賢木さんに声を掛けると、賢木さんはクッと眉を寄せた難しい顔でゆっくりと口を開いた。
「……この味噌汁、毎日飲みたい」
「ぶっ!!!」
淡々と、でも大真面目にそう言った賢木さんの言葉に、ゲホゴホと咽せて咳き込んでしまう。
「んだよ汚ぇな! 俺は真面目に旨いって言ってんだぞ!」
「……そ、そうですよねスミマセン」
それでも何気なく呟かれたまるでプロポーズみたいな言葉に、ドキドキと鼓動が煩く鳴り響いて仕方がない。心を落ち着かせるようにもう一度味噌汁を口に含んで、今にも暴れ出しそうな感情を撫で付けた。
「この小鉢もマジで旨いな。定食屋やったら金取れるだろ、コレ」
「そんな……大袈裟ですよ」
賢木さんがあまりにも褒め倒してくるから気恥ずかしくて仕方がない。
今日用意した小鉢はほうれん草の白和えとニンジンとジャガイモの金平。和食が恋しい賢木さんのことを考えて、こちらではなかなか食べる機会がない副菜にしてみたけれど、それが功を奏したらしい。ぱくぱくと食べ進めていく賢木さんに嬉しくなって、僕も食事を楽しんだ。
「なぁ皆本?」
「どうしました?」
「えっと、あのさ……おかわり、ある?」
賢木さんは、ちろ、と僕の様子を窺いながら、綺麗になったお皿を申し訳なさそうに差し出した。まるで耳の垂れた犬みたいだな、とクスクス笑いながら、お皿を受け取る。
「ありますよ。ちょっと冷めてると思うんですけど、構いませんか?」
「全然いい! お前の唐揚げもっと食いたい!」
ふわ、と顔を綻ばせて話す賢木さんにドキリと胸がときめく。
僕の気持ちを知っているくせに、そんな勘違いしてしまいそうな言い方をしないでほしい。
ぎゅっと胸が苦しくなるのを誤魔化しながら立ち上がった。
「待っててください。折角だから温め直してきます」
「え、いいよ。お前が作った唐揚げだから、冷めてても旨いよ」
ほら、またそうやって。
意図してなのか無意識なのか、賢木さんは僕を切なく苦しめる。堪らなく好きなのに、友人の枠を上手く越えられなくてもどかしい。
僕の気持ちを知っているんだったら、いっそ賢木さんから何か行動を起こしてくれたっていいのに。
それが僕にとって辛い結果を導いたとしても、僕は賢木さんが好きだから、受け入れられる。
痛む胸を誤魔化して、にこりと賢木さんに笑いかけてからキッチンへと向かった。多めに作っておいて良かった、と唐揚げを賢木さんのお皿に装っていく。おかわりがあるとわかって嬉しそうに笑った賢木さんの表情を思い出して、顔が綻ぶ。
「やっぱり、好きだなぁ……」
くるくると変わる表情が愛おしい。
僕の気持ちを知ってるくせに、何の戸惑いもなく、無邪気に僕に向かってくる賢木さんが、恋しくて堪らない。
ぎゅう、と胸が締め付けられて、その切なさに胸元を掴んだ。
でも、この気持ちを捨てるなんてことはできなくて、そんな自分の不器用さに少しだけ笑った。
恋をするって、たとえそれが報われない想いだとしても、素晴らしいことなんだ。
僕は、賢木さんのおかげでこの気持ちを知ることができて、とてつもなく幸せだ、と思った。

1

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください