そう、これはたとえばの話。 - 16/22

「おー、皆本っ! お疲れっ」
注文したクラブハウスサンドをいつもの座席で頬張っていたら、賢木さんの明るい声が耳に届いた。慌てて顔を上げると、ひらひらと手を翳しながら賢木さんはこちらに向かって歩いてくる。久し振りに見たその眩しい笑顔に、思わず目を細めた。
「あの後ちゃんと寝れたのか? また籠もって研究してたんじゃねぇだろうな?」
「えっと……実は、さっき目が覚めたばっかりで」
「あれからずっと寝てたのか?」
「はい……久し振りによく眠れました」
「お前……昼夜逆転しちまってんじゃねぇだろうな?」
「そ、そんなことは、ないと思うんですけど」
「まったく……研究バカも大概にしろよな……」
はぁ、と深々と溜め息を吐いた賢木さんに、すみません、と呟きながら小さく微笑み返す。それに賢木さんはクスリと困ったように笑って、それから不思議そうに僕の皿を見つめて言った。
「でもこんな時間にお前がここで何か食べてるって珍しいな? それ、晩飯の代わり?」
半分くらいに減った僕のクラブハウスサンドを指差して、賢木さんは首を傾げて僕に問いかけてくる。
賢木さんの癖のある髪がそれに合わせてさらりと揺れて、そんな仕草の一つ一つを取ってもいちいち僕の目を惹き付けて仕方がない。少しだけ赤くなった頬を隠すように俯きながら、笑って表情を誤魔化した。
「……えっと、僕、昨日から何も食べてなくて。起きてすぐに何か食べようと思ったんですけど、冷蔵庫の中に何もなかったんですよ。買い出しも作るのも面倒で、ここで食べようかと思いまして……」
また賢木さんに不摂生を怒られるかもしれないな、と思いながら、あは、と表情だけでも無理矢理笑って賢木さんの反応を窺う。賢木さんはそんな僕の様子に目を見開いて、また深々と溜め息を吐いてから、ジト目で僕を睨み付けた。
「皆本ってアレ? 何かに熱中すると寝食忘れちゃうタイプ?」
「……あー……そう、かもしれません」
今回の件に関しては実際のところと少し違うけれど、自分にそうした傾向がないとは言い切れない。何かに夢中になってしまうとまるで周りなんて見えなくなってしまうみたいに集中してしまう。昔からそうだったけれど、今が正しく顕著にそういう状態だ。賢木さんに夢中になって、ずっとその姿を追いかけている。今回自暴自棄になっていたのは別の理由だけれど、今はそういうことにしてしまった方が、いろいろとうまく誤魔化せるような気がした。僕の曖昧な笑顔をどう受け取ったのかはわからないけれど、賢木さんはまた困ったように笑って、僕の頭に手を伸ばしてくしゃくしゃと髪の毛を掻き混ぜた。
「うわ、何するんですか」
賢木さんの行動に、心臓がどきりと跳ねる。一気に心拍数が上がって上気した頬を何とか誤魔化しながら賢木さんを見ると、そこには何となく嬉しそうな笑顔を浮かべた賢木さんがいて。
「……ったく、しょうがねぇなぁ! そんな皆本クンのお世話はお兄サンがこれからも見てやるよ!」
くしゃり、と顔を綻ばせて笑う賢木さんが眩しくて、もうどうしようもないくらいに胸が高鳴った。
「……僕、賢木さんがいないと、ダメ、みたいです」
ぽろり、と口から溢れ出た言葉。
たったこれだけのことなのに、泣きそうなくらい胸が苦しくて。
サイコメトリーが言葉に乗った想いも透視(よ)み取れてしまうのなら。溢れて止まらない賢木さんを好きな気持ちは、きっと賢木さんに嫌というほど伝わってしまっているだろう。バレてしまっているこの気持ちに更に想いが上乗せされて、どんどん賢木さんを満たしてくれればいいのに。
嫌悪の感情をひとつも見せずにまだ友達でいてくれる賢木さんに甘えて、僕はますます賢木さんから離れられなくなるんだろうなと切なくなった。
「可愛いこと言ってくれんじゃん! お兄サン張り切っちゃう!」
はは! と気持ち良く笑って賢木さんはまた僕の頭を撫でる。賢木さんの大きな手が僕の髪を優しく梳いて、穏やかに笑った。
その目があまりにも優しくて、惹き付けられるように見惚れてしまって。
離れていく指の感触だとか、今また僕の気持ちがバレてしまっただろうなとか、いろいろなことが頭を過(よぎ)っていく。
それでも、あたたかい気持ちに包まれるこの瞬間が堪らなく愛おしくて、じっと賢木さんを見つめてしまう。
ずっとこうして、この人の側で笑っていたい。
苦しくなった胸を誤魔化すようにぎゅっと目を閉じると、そういえば、と賢木さんがハッと閃いたように口を開いた。
「お前さ、晩飯どうすんの?」
帰っても何もねぇんだろ? と賢木さんが僕の顔を覗き込んでくる。
「まさか、昨日から何も食ってねぇのに、それだけで終わりってことはないだろ?」
そんなんじゃ足りねぇだろ、と僕の前にある皿を指差しながら賢木さんは首を傾げた。
「……ええ、まぁ、確かに。これは取り敢えず何か食べようと思って食べてるだけで」
まだ空腹が満たされたわけでは、と続けると、賢木さんはニッと口元を綺麗な弧の形にして目を細めた。
「ならさ、お前さえよければ、晩飯一緒に食わねぇか?」
「え」
「いい中華の店知ってんだ。ガッツリ食いたい時に超オススメ。どうだ?」
ん? とテーブルに肘を突いて僕に問いかけてくる仕草は凄く様になっていて。綺麗に整った目鼻立ちや男らしい腕が魅力的で、美しかった。
惹き付けられて仕方がない目線を誤魔化しながら、賢木さんに向かって上手く動かない口を動かして答える。
「い、行きたいです」
「じゃあ決定。一旦帰って荷物軽くしてから集まろうぜ。それでいいか?」
「はい」
「それじゃ帰ったら連絡くれ。俺もう帰るだけだから」
じゃあまた後でな、と賢木さんは笑顔で手を振りながら去っていった。その後ろ姿をぼんやりと見つめて、じわじわと沸いてくる実感にぎゅっと胸元を両手で掴んだ。
「……賢木さんと、ご飯」
しかも、多分、二人きりで。
かぁ、と頬が熱くなって、思わず水の入ったグラスに手を伸ばした。自らを落ち着かせるように、コクリ、とひとくち口に含んで喉を潤す。ほ、と息を吐いても、まだドキドキと心臓が煩くて。
「はやく、帰ろう」
男友達と二人で食事をする。
ただそれだけだ。
そこに深い意味なんて何もない。
それでも。僕にとってこれはデートだ、と妙に回転の速い頭が僕に囁きかけてくる。
火照った頬が無駄に熱くてカッカッと顔に熱が集中しているのを感じた。注文から時間が経ってしまって少し乾いたサンドイッチを手に取る。
早く食べ終えて帰らなくては。
慌てて口いっぱいに頬張りながら咀嚼していく。具だくさんでボリュームがあるのにお手頃、と評判のクラブハウスサンドは、パサついていても美味しかった。多少お行儀が悪いと言われても仕方がない。だってこんなにも浮き足立って、気が逸(はや)っているんだから。
サンドイッチを全部口に放り込んで、指に付いたソースを舐め取る。そのままトレイと鞄を持って勢いよく立ち上がる。ご馳走様、と返却口で挨拶を済ませてカフェテリアを飛び出した。

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