俺はスパイ、なはずなのに

自分が少し前からどこかおかしいことには何となく気付いていた。具体的に何がと問われれば上手く言語化することはできなかったけれど、確かに自分が何かおかしいことは理解できていた。ただ、もう、気付いたときにはおかしかった、としか言えない。何で自分がこうなっちまったのか、こんな状態じゃわかるわけもない。医者のくせに、自分の状態を分析できないなんて馬鹿みたいだが、どうしてか、自分の中の何かがその作業を拒否していて。自分の中に蠢く何かの正体を把握できないまま、ここまで来てしまった。

「なぁ賢木。ドロシーの状態はどうだ?」
「あぁ、絶好調だぜ!俺の生体制御でバランスもバッチリだ」

ドロシーのカルテを見ながら皆本は暗い笑みを浮かべる。そろそろ決戦も近いんだろうか。その時、俺はどこに居るんだろうか。皆本の側に、居られるんだろうか。

「賢木が居てくれて助かったよ。僕だけじゃこのスピードでドロシーを鍛えてやれなかった」

ふ、と以前のような柔らかい笑みを浮かべて皆本は俺を見る。その笑顔が自分に向けられていることにぞくぞくして、どこかほの暗い感情が沸き立ってくる。

「いやいや、皆本クンの努力の成果だって。俺は何もしてねぇよ」

ニカッと笑って皆本の肩を叩くと、皆本は馴れ馴れしくするな、と言って俺の手を払う。払われて行き場を無くした手にぎゅっと力を込めて、表情は動かさないまま、襲ってくる衝動を誤魔化した。

なぁ、今お前は何を考えてる?もう俺の事なんて眼中にねぇの?

ふつふつと沸いてくる皆本への想いが俺の中をぐるぐると這い回る。目の前にいる本人にぶつけられるわけもなく、ぐっと奥歯を噛み締めて感情を圧し殺す。

「……今日はもう上がっていいぞ」

朧さんに定期報告を済ませてきたらどうだ、と皆本は俺に振り返りもせず、カルテを持って部屋から出ていってしまった。その後ろ姿を何も言えないまま見送って、ふぅ、と溜め息を吐いた。スパイとしての活動を皆本に完全に把握されてしまっていることに頭を抱えながら、自分がそこまで困っていないことに気付いてゾッとする。俺は一体何の目的でここに来た?

「おいおい……どうした、俺。マジで」

もう少しで皆本に手が届きそうだと感じていたはずなのに、これじゃあとても皆本の裏をかけているとは言えない。一体何を根拠に、俺は皆本に近付けていると思っていた?自分がおかしい原因がそこにあるような気がして何とか思考を巡らせようとするけれど、皆本の側にいてアイツの為に自分の能力を活かせている現状に満足して、どうしてもそこで思考が停止してしまう。

「取り敢えず……朧さんのところへ行くか」

どこか、目的を見失ってしまっているような、手から何かを取り落としてしまったような感覚を覚えながら、まぁ、いいか、と、ゆっくりと暗い廊下へと歩みを進めた。

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