僕の頭は回避の二文字でいっぱいだった。あんまりにもやわらかく微笑む賢木を可愛いと思ってしまった瞬間、もうまともに賢木を見ることは出来なくなっていた。適当に話をはぐらかしてその場を立ち去る。訝しげな君を振り切って、僕は走るしかなかった。わかってる。わかってはいるけれど、その場から一刻も早く離れたかった。逃げ出してしまった、僕の負け。だって、あんまりにも君が優しく微笑むものだから。僕は心の内に火が灯るのを気付かずにはいられなかった。あたたかくて、優しくて、それでいてメラメラと時折不安げに揺らぐ心の炎。それは余りにも小さくて、何かあれば消えてしまうんじゃないかと思えるほどほのかなものだったけれど、確実に、火は点いてしまった。どんなにその場から逃げようと思っても、チリチリと燃える火の音が耳をついて離れない。僕の負けだ。間違いなく、僕は、負けたんだ。目を背けるように、逃げて、逃げて。それでも君は優しく微笑んで。まるで、それでもいいのだ、と僕を肯定するように。逃げる僕すらも受け入れて、君は優しく微笑むものだから、僕はもう、息切れしてしまって。逃げる術を失ってしまった。ダメだ、いけない、という理性の警告を外側で聞きながら、ゆっくりと振り返る。やっぱり、君は僕に向かって優しく微笑んでいて。もう、僕は改めて負けを認めるしかなかった。突っ立って、僕に笑い掛けるだけの君に近付いて、思い切り抱き締める。小さいと思い込んでいた火は、とても力強く、消えることなく僕の中で灯ったままで。君への気持ちを自覚するしかなかった僕は、僕らが僕らであるために君との二人だけの秘密を作った。良いかい、秘密だよ。二人だけの、一生の、秘密だ。
僕の負けだよ
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