彼の事を知ったのは、教授たちの会話の最中だった。
「ミナモト、君はサカキという男を知っているか?」
突然振られたその質問。サカキという男の名前を聞いたことすらなかった僕は、当たり前のように知らないと答えた。教授たちはそれきり、僕にサカキという男のことを深追いすることもなく、知らないならいいんだ、と自分たちの会話へと戻っていった。ただ、その時、僕の耳には妙にその『サカキ』という名前がこびり付いて、なかなか離れなかったのを覚えている。
意識してみればそれはまるで日常のように存在していた。
少し周囲に耳を傾けるだけで聞こえてくる『サカキ』の噂。超度(レベル)シックスの接触感応能力者(サイコメトラー)。触れれば全てを透視(よ)みとれるその能力を使って、日本で論文を盗んだからコメリカに来たのだとか、ここにも教授を脅して裏口入学したらしいとか。とても喧嘩っ早くて近づく相手を軒並み薙ぎ倒してしまうらしい、とか。嘘か本当かわからない内容のものまで、それこそ聞くに飽きない程に彼の噂はそこら中に溢れかえっていた。
僕は逆に、そこまで噂になる『サカキ』という男に興味を持ってしまって、教授にその名前を聞いたその日から、あまり間を置くことなく彼の事を調べ始めた。
その人の名前は賢木修二。性別は男。僕と同じ日本人。噂の通り、超度(レベル)シックスの接触感応能力者(サイコメトラー)。日本では天才と呼ばれていたらしく、未成年にして医師免許を取得している。世界的にも珍しいエスパードクターとして日本の大学にインターン中、何が理由かはわからないが、そちらを反故にして留学してきたらしい。こちらでの所属は医学部。歳は僕より二つ上。まだ若いのにとても優秀なようで、いくつかの実績も残している。なのに。
「どうしてこんなに悪い噂ばかり立つんだ……?」
僕の耳に入ってくる噂はどれを取っても悪い噂ばかり。彼の功績に対するやっかみもあるのかもしれないけれど、それにしたって聞くに堪えない噂話が殆どで、僕はますます賢木修二という男に興味を持ち始めた。
――一体どうして、彼は皆に嫌われているのだろう。
湧いてきた疑問を解消したくて堪らない性分が疼いてしまったようだ。とにかく、自分で調べられる範囲の事を知り尽くした頃には、僕は賢木修二という男をもっと深く知りたいと強く思うようになっていた。
噂に聞く彼の人柄はとても酷いもの。でも、どうしてだか僕はそれが真実には思えなくて、僕は次の行動に出ることにした。
学業の合間合間に、キャンパス中を歩いて回る。彼の事を噂や知識でしか知らない僕は、実物の賢木修二に会うために、空いた時間を全て大学内で彼を探すことに費やした。そこら中で話題になっている彼なのに、神出鬼没なのか、どこを練り歩いてみても見つけられない。慣れない医学部棟の周りをうろついてみたり、カフェテラスや広場なんかの人が集まりそうなところに行ったりしても、彼らしき姿はどこにもなかった。
なのに、今日は誰と喧嘩したらしい、とか、サイコメトリーでカンニングしているところを見た、だとか、タイムリーな噂は僕の耳にも届いてくる。どうしてだろう。こんなに一生懸命探しているのに、どうして賢木修二に会えないのかわからない。確かに彼はここに存在しているはずなのに、僕だけが彼の存在に辿り着けないような感覚に襲われて、少し、奇妙な興奮を覚えた。これは、とても一方的だけれど、まるで子どもの頃に経験した、かくれんぼそのものだ。こうなったら本気を出してやる、と、妙な意地が沸いてきて、会ったこともない彼に闘争心を抱いた僕は、更に次の行動に出た。
戦略的に賢木修二に出会うために、僕は噂の元を徹底的に辿った。具体的には新しく発生したと思われる噂を口にした人物に、それはどこで起きた事案なのか、何が原因で起きたことなのか、はたから見れば迷惑だと思われても仕方がない勢いで様々な人物に聞いて回った。この頃の僕は自分でもちょっとどうかしていると思える行動力だったと思う。それでも、何としても賢木修二に会って自分の探求心を慰めてやらないと、とてもじゃないけど気が済まないような段階に至っていた。
集めた情報を毎日整理して丁寧にマッピングしていく。すると、噂の出処は点在しているけれど、噂の内容や関係者を洗っていけば、いくつかの共通点を見つけることができた。その共通点を参考にすれば、噂の真偽というか内容の信憑性を、何となく見抜いて情報を精査することができていった。数が集まれば集まるほど、それは顕著に傾向として現れた。
やはり僕が感じていた通り、殆どが彼を扱き下ろす類のもので、噂の半分以上が真実か疑わしいものばかり。それらを集めた噂の中から取り除いて、更に情報の整理を進めていくと、彼の行動範囲と思しき動線が浮かび上がってくる。時間的なものは集めた噂から読み取ることはできなかったけれど、彼も肩書きは学生だ。この行動範囲を意識して行動していれば、必ず彼に出会えるだろうという確信があった。
それから、数日も経たない内に、僕はやっと賢木修二に会うことができた。――正確には僕が彼の姿をたまたま見つけたという、出会いとも呼べないものだけれど。校舎の窓から、聞いていた風貌通りの男性を見かけたのだ。
思わず窓に駆け寄って、じっとその姿を見つめる。一方的なこの遭遇は、僕にとってしか意味を為さないとわかっていても、ようやく出会えた彼の姿に、僕は素直に興奮した。彼が何をしているのかわからない。でも、樹の側に立って、茂みを見上げていることは確認できる。ポケットに突っ込んだままだった両手を、樹の幹に当てて、彼は唐突に樹を登り始めた。長身の彼はあっという間に茂みの中へ消えてしまって、ほんの数秒経った後に、茂みから何かを抱えて飛び降りてきた。目を凝らしてよく見てみると、彼の腕には小さな仔猫が抱えられている。彼は、そのまましゃがみ込んで仔猫を地べたに下ろしてやると、身体に付いた枝葉を払いながら立ち上がった。仔猫は少しの間、彼を見上げていたけれど、すぐにその場から転げるように逃げていって。その後ろ姿を見つめながら小さく手を振って、賢木修二はその場を何もなかったかのように立ち去っていった。
「コーイチ? 何を見ているの?」
クラスメイトの一人が、食い入るように窓の外を見ている僕を不思議がって声を掛けてくる。もう誰も居なくなった窓の外をじっと見ている僕はとても奇妙に映っただろう。僕は先ほどまでの彼の行動を噛み締めるように記憶に刻み付けながら、なんでもないよ、とクラスメイトに答えた。
そう、これはたとえばの話。 - 1/22
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