ひとりでできるもん

通い慣れた道を歩き、門扉を潜る。少しばかりガタついた玄関ドアをノックすれば、満面の笑みを浮かべた毛玉とゴーストが顔を覗かせた。
「邪魔するぞ」
「邪魔するならいつもの例のブツを渡すんだゾ!」
「……ったくテメェは……ホラよ」
「さすがレオナは話がわかるヤツなんだゾ! 仕方ないから俺とゴーストたちは二階に引っ込んでてやるんだゾ!」
渡したツナ缶の詰め合わせを抱えてスタコラと足早に二階へ消えていくグリムの後ろ姿を呆れた顔で見送る。それでもほんの少し口角が持ち上がるのはもう何度も見慣れてしまった光景だからか、ほんのりと笑みを浮かべたまま談話室へ向かった。
談話室は暖炉に火が灯っていてほんのりとあたたかい。コートをハンガーラックへ掛けて暖炉に手をかざしてあたためる。ぱちぱちと穏やかな音を聞きながら、しばらく火は消えそうにないことを確認してキッチンへ移動した。
ユウがもうすぐオンボロ寮へ帰ってくる。バレンタインにあやかって儲ける企画を発案したタコ野郎に駆り出されたユウは、特別手当付きでオープンからクローズまで通しのシフトが入っていると言っていた。チョコに絵を描いたりパフェにハートのクッキーを乗せるだけでお給金上乗せってすごくないですか! とニコニコしながらビデオ通話したのは記憶に新しい。そこまでしてお前からの施しが欲しい野郎どもがこの学園には山ほどいるんだから気をつけろよと忠告して、わかったのかわかってないのか呑気なユウはバレンタインが楽しみだと語っていた。俺もだ、と答えるのも、それは俺と過ごせるからか? と問い掛けることもできず、あんまりはしゃぐんじゃねぇぞといつも通り保護者のような立ち位置から返事をして、はぁい、と嬉しそうな声にこっそりと顔を綻ばせた。
もうすぐ帰るのメッセージとともに届いた画像。そこにはこれからここへ持ち帰るまかない料理の数々が写っている。この量ならこれくらいのサイズか、と食器棚から白いプレート皿を取り出した。オンボロ寮のキッチンはどちらかというとアナログな造りで昔ながらの機材が多い。その分クセも強く扱いに慣れるまで時間は掛かったが、ひとりで調理場に立てるくらいには充分場数を踏んだ。ガス火のコンロに火を着け鍋で湯を沸かす。その間にテーブルを整えてカトラリーを並べた。沸騰した湯でプレート皿を温め、火傷しないよう厚手のクロスでプレート皿の水分を取り磨き上げる。
「……そろそろ、だな」
ホカホカになったプレート皿をテーブルにセッティングして冷めないようクロスを掛けてから冷蔵庫へ向かう。ミルクを取り出しユウのマグカップに八分目まで注いでそろりと電子レンジへ入れた。いつも作るホットミルクより少し熱くなればいい。少しだけ温める時間の設定を長くしてレンジのタイマーをスタートさせた。ミルクは冷蔵庫の元の場所へ戻してミルクが温め終わるのをじっと待つ。チン、という軽快な音とともに扉を開いて恐る恐るカップに触れた。
「ぅあっつ……今日はえらくご機嫌じゃねぇか……」
思っていたよりも熱く仕上がってしまったホットミルクをこぼさないようミトンをはめてそろそろと取り出す。何とか沸騰する前に取り出せたらしい。噴きこぼれずに済んでよかった。作業台の上でミルクを冷ましながら準備してきた上質なミルクチョコレート三粒を取り出し丁寧に包装紙を剥いていく。二つ目が剥き終わったところでガタンとオンボロ寮の玄関ドアが開く独特の音が聞こえた。
「ただいま戻りましたー!」
元気のいい声も聞こえてきて自然と口元が緩む。廊下の床板が僅かに軋む音とともにユウの気配がキッチンへ近付いてくるのを感じてゆっくりと振り向いた。
「……おかえり」
「えへへ……ただいま戻りました」
猫が甘えるような顔でキッチンに顔を覗かせたユウは、警戒を解いた小動物が歩み寄ってくるようにトコトコとこちらへ近付いてくる。自然と自身の隣に並び俺を見上げてくるユウに目を合わせて微笑んだ。
今の研修が落ち着けば、研修という名の名目で外交へ向かうことになる。俺ができる最大限を形にするため、俺は必ず欲しいものを手に入れて戻る。
ユウを元の世界へ返す。
ただその目的を達成するために、使えるものは全部使って、俺ひとりの力で最上の効果を生み出さなければならない。
「……ふふ、何を作ってくれているんですか?」
「……なんだろうなァ?」
最後の包装紙も剥き終わり、今度はチョコのタブレットを小さく割って熱いミルクの中へ沈めていく。
「……ホットチョコレートですか?」
「どうだろうなァ……ひょっとしたらこれから魔法で化けちまうかもしれねぇ」
「んふふ、もしそうならおもしろいです」
ニコッと笑って俺の顔を覗き込んだユウは、確か魔法で味は変えられますよね、と首を傾げてみせた。
「まぁな……料理そのものを変えるより、味だけ変えちまう方が現実的だな」
よく理解してるじゃねぇか、と笑うと、ユウはまた嬉しそうに笑って顔をくしゃくしゃにしている。ミルクをかき混ぜる手を止めて、帰路で風でも浴びたんだろう少し乱れた髪を丁寧に梳かすようにしてユウの頭を撫でた。それからほんの少しだけ自分の方へ抱き寄せて、チョコレートが溶けたミルクを差し出した。
「……ハッピーバレンタイン、ユウ」
熱々だったミルクはちょうど飲み頃まで冷めている。これなら火傷をさせる心配もない。
「今年はわざわざ俺が作ってやったんだ。有り難く味わって飲めよ」
「ふふ、嬉しいです。ありがとうございます」
目尻を下げて笑うユウは両手を温めるようにしてカップを持ち上げる。目を閉じて香りを楽しんでからカップに口を付けた。溜め息を吐くようにおいしいと呟いたユウは、甘えるように俺の肩へ頭を預けた。
「……すごく嬉しいです。手作りなんて、初めて貰いました」
とっても嬉しい、と小さく呟くユウの肩をそっと抱き寄せる。
「俺はもう電子レンジが使えるからな。コイツのクセにも馴染んだ」
電子レンジは機種やメーカーによってそれぞれクセがあって、同じモノを温めても同じようにはならないと知ったときはその魅力にハマってしまいそうだった。そのなかでも一番相手をしたと言っていいオンボロ寮の電子レンジは、箒のような相棒と言ってもいいかもしれない。
「勝手がわかれば、コイツだって何てことはねぇ道具でしかねぇよ」
どんなに難しいと言われたことでも、少しでも可能性があるのなら突き詰めて覆すことはできるはずだ。
片道切符が正真正銘の片道切符じゃないことを、俺がこの手で証明してやる。
シルクのような髪に鼻を埋めて、ミルクとチョコの甘さが混じるやわらかなにおいを胸いっぱいに吸い込んだ。
きっとそれが、俺がしてやれる最善だから。

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