私の恋はあっけなく終わりを迎えた。葵ちゃんと薫ちゃんがうまくいっているから私も、なんて、どうしてそんな短絡的になれたんだろう。相手は百戦錬磨の色男だというのに。自分は女としても見られていなかったなんて、とんだお笑い種だ。ぐす、と膝に顔を埋めて身体を縮こまらせる。
ここで撃たれた未来の薫ちゃんは幸せそうだった。私の恋心もいっそ砕け散ってしまえばいいと思ってここに来たのに、零れるのは涙ばかりで一向に自分の悲しみは消えてくれそうにない。早く泣き止んで待機室に戻らなければ。そう思って流れる涙を拭ってみても、涙は次から次へと溢れて止まる気配が見えなかった。
このままでは葵ちゃんと薫ちゃんに心配されてしまう。でも、あの二人なら、こんな私を何も言わずに笑って受け入れてくれる気もする。もう充分大事なモノを抱えているのに、これ以上、なんて思ったのがいけなかったのかもしれない。
ぎゅうと膝を抱え込みながら自分の身体を抱き締める。
私には薫ちゃんと葵ちゃんがいる。二人がいるから充分だ。それ以上、なんて望んじゃいけない。
もう大丈夫、時が全て解決してくれる。そう自分に言い聞かせて無理矢理立ち上がった。びゅうと吹く風が足下を撫でてスカートをはためかせる。この風が全部さらって私を綺麗にしてくれればいいのに。こんな自分じゃそれくらいで何も無かったコトになんてできそうにはないけれど。
ふぅ、と胸に溜まった重い空気を吐き出しながら風で乱れた髪を押える。身体が風に持っていかれそうになるのを堪えるようにコンクリートを踏みしめながら待機室へ戻るために歩いていく。すると閉鎖されているはずのドアが勢いよく開いて、なぜか先生が飛び出してきた。
「や……やっと見つけたッ……なんでこんなトコッ……っつーか危ねぇだろ! こっち来いッ!」
わたわたと走ってきた先生が私に向かって手を差し出す。そのあまりにも必死な表情に思わず先生の手を取ってしまった。ぎゅっと掴まれた手をグイと力強く引っ張られて、気付けば自分は先生の腕の中でぎゅうと胸に抱き込まれていた。
「びっくりすんだろ……あんなトコで何してんだよ……落ちたらどうすんだ……」
ドクドクと先生の速い鼓動が触れた頬から伝わってくる。先生は不安を掻き消すように私の頭を抱き寄せて、はぁぁ、と深く溜め息を吐いている。すりすりと頭に頬を擦り寄せられて、思わず密着していた先生の胸板を叩いた。
「ッ、ちょ、ちょっと離れて! 何するのよ!」
自分の状況をやっと理解した頭がポカポカと先生に向かって拳を振り上げる。その勢いに圧されてそろりと腕を解いた先生からパッと身を退いて背を向けた。
「痴漢! ヘンタイ! 変質者! 何で私に許可無く勝手に触ってんのよ!?」
信じらんない! と空に向かって喚けば、ごめん、と小さく呟いた先生の声が耳に届いた。複雑でどうしようもない気持ちがきゅうと胸を締め付ける。
謝るくらいなら放っておいてほしかった。
どうしていつも、こうして余計なことをするんだろう。
「……どうして先生がここにいるのよ。どうせなら皆本さんか薫ちゃんがよかった! ここは気を遣って先生じゃない別の誰かが登場するシーンでしょ!?」
ぎゅっと目を瞑りながら思い切り叫ぶ。こんなことで気分は晴れそうになかったけれど、無神経なことをする先生にあたらずにはいられない。
「……俺が来ると、まずかったのか」
恐る恐る、頼りなげな先生の声が耳に届いてカッと感情が振り切れる。
私には女性相手の気遣いなんて必要ないと言いたいんだろうか。
恋愛対象としてだけでなく、女として最低限の気遣いもしてもらえない。なんて酷い、となじりたい気持ちを何とか抑えながら、再びじわりと目尻に浮かんだ涙をそのままに先生に振り返った。
「あ、当たり前でしょう!? 先生は私を振ったのよ?!」
キッと眉を吊り上げて先生を睨み上げれば、怯んだように身を退いた先生がブンブンと首を振ってそれを否定した。
「いや! 振ってないって! 何も返事してねぇだろ!?」
「返事してないですって!? 私のこと何とも思ってないクセに! 改めてお断りするためにここへ来たって言うの?!」
そんなのあんまりだ。本当に酷すぎる。
堪えきれない涙がぽろぽろと零れていくのをそのままに、先生を睨みつけた。先生に触れて、もうわかりきっている答えをもらっているのに、もう一度改めてそれを先生の口から直接聞かなければいけないなんて、一体何の拷問だ。
「……先生が私のコト、女とも思ってないってもう伝わってきてるわよ。直接言わなきゃ気が済まないなんて、本当にヒドい男」
子どもの頃から知った仲だったから、私は先生に女性として見てもらえなかったんだろうか。
薫ちゃんと皆本さんとは何が違ったんだろう。
それとも、同じ能力者だからこそ、そういう気にはなれなかった?
ぽろぽろと零れていく涙を手の甲で拭うと、痛ましい顔をして私を見つめる先生と目が合った。なんで先生が辛そうなんだと心の中で文句を垂れながら泣き顔を見られまいと背を向けようとすると、先生に手を掴まれて阻まれてしまう。
「ちょ……ちょっと待ってくれ、紫穂ちゃん」
くい、と手を引かれて縋るような先生の視線にぶつかる。あ、と思っているうちにもう片方の手も取られてしまって、きゅう、と優しく握られた。
「その……ちがう、ちがうんだ。俺は……君のコト、女性と思ってないワケじゃなくて」
ちがうんだ本当に、と繰り返す先生は、頬を紅く染めながら視線を彷徨わせてきゅっと眉を寄せている。
「紫穂ちゃんは……今まで付き合ってきた女の子たちとは違って……その、何て言うか……ずっと一緒にいられて、オマケに俺の隣で笑ってくれてたら、それだけで幸せっていうか……君は本当に、俺にとって特別なんだよ」
何とも思ってないワケないだろ、と困ったように眉を下げている先生に、そんなの嘘だと眉を吊り上げた。
「……それって、兄妹みたいな気持ちじゃないの? どうせ私のコト妹みたいだって言いたいんでしょ?」
そんなのはもう懲り懲りだと先生をキツく睨みつければ、そんなことないと先生は思いきり首を振った。
「ちっ、ちがう! ……だ、だって……い、妹とは……キス、しねぇもん」
かぁぁぁぁ、と恥ずかしそうに顔を赤らめている先生をジト目で睨みながら更に言葉を続ける。
「仲のいい兄妹ならするかもしれないわよ」
「そ、そうかもしんねぇけど! 唇には、しねぇ、だろ?」
「わからないわよ? 世の中にはいろんな兄妹がいるもの」
「なッ……えっ……し、紫穂ちゃんひょっとして誰とでもキスしてるのか? 俺とキスしたのは遊びだったワケ?」
そんなのヒドイ、と泣きそうな目で訴えてくる先生にカッとなって叫ぶ。
「そんなワケないでしょ!? 私は先生とは違うわ! ずっと先生のコト好きだったから! それで……」
想いが届かないのなら、と先生にキスをした。精一杯の強がりが、更なる失恋を教えてくれるなんて思わなくて。
もういいじゃない、ほっといてよ。そんな言葉が口から零れる代わりにぽろぽろと涙が溢れてくる。
「……もう、そっとしといてよ。もう充分わかったわ。しばらく先生とは顔合わせないようにするから。それでいいでしょ」
そうすればきっと時間が解決してくれる。何でもない振りをして笑えるように、少しだけ時間がほしい。
「ねぇ。いい加減手を離してよ。もう待機室に戻るから」
お願い離して、と掠れた声で呟くと、なぜか離さないとでも言うように指を絡められてしまう。ちょっとやめてと手を引けば、先生は首を振りながら切なそうに目を細めて私を見つめた。
「紫穂ちゃん」
「な、なによ。はやく離してよ」
「いやだ」
「どうして」
「離したら行っちゃうんだろ」
「当たり前でしょ。いつまでも振った相手が目の前にいたら先生だって不愉快でしょ」
「いや、だから振ってないんだって。俺は君のコト特別に思ってる!」
「だから! そういうのは要らないの! 私は先生のコト男として好きなのよ!? 妹扱いはもう嫌なの!!!」
キッと眉を吊り上げて下から睨みつければ、先生は何だか複雑な表情を浮かべてきゅっと唇を引き結んでいる。それから自分を落ち着かせるように深く息を吐いて、私をまっすぐに見つめ返した。
「わかってる。だから、ちゃんと付き合おう。君の恋の病は、俺には治せないんじゃなくて、俺にしか治せない。そうだろ?」
先生の真剣な表情にドキリとしながらも、うまく言葉を受け止めきれなくてキュッと眉を顰める。
「……なによソレ……お情けなんて要らないわ」
「お情けなんかじゃないよ。君とは正式に、将来を見据えたお付き合いがしたい」
「……は?」
「俺はセックスのためのお付き合いしか知らないから。君みたいに、ただずっと一緒にいられるだけで幸せなんて思える子は本当に初めてなんだ」
ふわりと花が綻ぶように笑った先生は、そろりと私の手を握り直しながら更に続ける。
「皆本にさ、言われたんだよ。俺のこの気持ちはプロポーズしてるのと同義だろって」
「え? はぁ?」
「だからさ、紫穂ちゃん。俺が君の恋の病を治してみせるから、俺と結婚してくれよ」
「はぁぁぁぁ?!」
それはちょっとあまりにも話がぶっ飛びすぎてはいないか。
何がどうなっていきなり結婚なんて話になるんだ。
さっきまで私のことを全然意識していなかったくせにどうして。
一転してにこにこと嬉しそうに笑っている先生にオロオロしていると、そんな私の戸惑いを指先から透視み取ったのか、先生はクスリと笑って穏やかにゆるりと目を細めた。
「朝から晩まで君と一緒に過ごして、寝ても覚めても君に笑顔でいてもらうためなら何でもする。他なんて見ないように俺に縛り付けるには手っ取り早く夫婦になった方がいいだろ?」
爽やかさすら感じさせる笑顔を浮かべているのに、喋っている内容がどことなく不穏に感じるのは気のせいだろうか。ぞくりと走った寒気を誤魔化すように、きゅっと眉を寄せて眉尻を吊り上げる。
「い、意味わかんない……結婚? 夫婦? さっきまで私のコト何とも思ってなかったクセによく言うわ!」
「だから何とも思ってなかったワケじゃないって。紫穂ちゃんは俺の特別だぞ?」
「そ、そんな言葉で誤魔化したって……だって何も透視み取れなかったんだから! もう離して! 私は薫ちゃんたちのところへ行きたいの!」
ブンブンと掴まれた手を振って先生の手を振りほどこうとしても絡んだ指先はうまく解けてくれない。それどころか離すもんかというように指先をしっかりと絡み直されて、きゅうと手を握り込まれてしまう。
おかしい、おかしい。なんなんだこの状況。
私を特別だと言っている先生もわけがわからないし、そこまでして離してくれないのも意味がわからない。自分はとっととこの場から消えて、先生の前から逃げ出してしまいたいのに。
「……逃げたいなら逃げてもいいけど……逃げられないところまで追い詰めるだけだぞ?」
きょとん、とした顔で先生は首を傾げている。言葉だけなら違和感はない。でも私にはとても物騒な話にしか聞こえない腹黒さが見え隠れしているようで。逃げなければヤバイことになる、と私のエスパーの勘が全力でそう叫んでいた。
「……じゃあ逃げてみる? まぁ逃がすつもりないけど」
思考の隅から隅まで透視み取られてしまっているような感覚に身体の芯から震えてしまう。蛇に睨まれた蛙ってこんな気持ちなのかしら。おかしいな、恋がどうとかという話をしていたハズなのに。どうして私は捕食者に食べられる立場になってるの? 私は振られたんじゃなかったかしら?
私が戦意を喪失し始めたことを悟った先生はゆるりと指先の力を抜いてにこりと綺麗に笑った。
「惚れた男がそういう男だったんだ。諦めろ」
スルリと解けて力なく垂れ下がった腕は、もう抵抗の意思を示す力を失っていた。
どうやら私は最愛の人を手に入れることができたらしい。どうも思っていた形とはかなりかけ離れているようだけれど、とにかく私は先生と付き合えるみたいだ。
え? そもそも交際ってなに?
根本の概念すら崩してしまいそうな目の前の男は先ほどと変わらずニコニコと嬉しそうに笑っている。ここに来て、先生が自他共に認めるくらい、腹黒い性格の持ち主だということを思い出してしまった。
どうやら私が手に入れた恋の病の処方箋は、びっくりするくらい猛毒みたいだ。
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