乙女心と機関銃。 - 1/3

溜まった書類整理に勤しんでいた静かな部屋に、ピッピッと単調な電子音が突然鳴り響いた。
定期的に変わるこの部屋の電子ロックをいとも簡単に解除できる人間を、俺は一人しか知らない。
ガーッとドアが開く音と共に聞こえてきた聞き慣れた足音に来訪者が誰なのかを確信する。

「あのさぁ、紫穂ちゃん。勝手に入って来るのは構わねぇけど、せめてノックくらい…ッ!」

振り向き様に眉間に突き付けられたものに思わず喉がひきつった。

「ねぇ、私と駆け落ちしましょ?センセ」

語尾にハートを飛び散らせながらにこやかに微笑み小首を傾げて尋ねてくる彼女は美しいフォームで両手で構えているモノをカチャリ、と音を立てながら構え直した。

「…彼氏にお願いするのに、そんな物騒なモンは要らないんじゃないっすかね?紫穂サン?」

世界が平和になって、訓練以外じゃお目にかかることもめっきり減っていた拳銃に、思わず両手を上げて無抵抗の態度を示す。

「んー、今は彼氏と書いて下僕と読む?」

これ以上無いくらいの可愛らしい顔で凶悪なことを宣った彼女がテヘッと一瞬気を抜いた瞬間を狙って銃口を掴み、銃の狙いをサッと床へ向けさせた。
うん、よかった、俺、まだ鈍ってない。

「…で、何で急に駆け落ち?えーっと、女王サマ?」
「先生が言うと気持ち悪い。普通でいいわ」
「ひっでーな、オイ!て言うか質問に答えろよッ!」

この部屋に来た時から多分俺くらいしか気付かない程度に漂わせていたピリピリとしたオーラをブワッと増幅させて、有無を言わせない笑顔で紫穂は言う。

「答えはイエスかノーか、よ。さぁ、答えて。先生」
「答えろって言われてもなぁ…」

駆け落ちするのか、しないのか、と言われても、正直ピンと来ない。
何故ならば、俺達は所謂公認の仲ってヤツ、なはずだ。
紫穂と付き合うにあたって、認めてもらうまでは付き合わないと方々に頭を下げて回ったのは今では良い思い出だ。
そうこう過去に思いを馳せている内に、紫穂の纏う空気が力無いものに変わっていった。
普段、怒りや苛立ちを覚えると気が済むまで爆発させないと落ち着かない彼女が急に気持ちを萎ませるとは何事かと、ギョッとしていると、泣きそうなくらいにか細い声で力なく紫穂が呟いた。

「私と駆け落ちしてよ…センセ…」
「オッケー。わかった。しよう。駆け落ち。」

可愛い彼女の滅多に無い姿に、思わず即答していた。
立ち上がりながら着ていた白衣を脱いで、ザッと荷物を確認する。
車のキーと財布を確認してから、紫穂の手にある拳銃をそっと抜く。

「…コレは持ってくか?」
「…要らない、多分」

デスクの上に拳銃を置く、ゴトリ、という音が、いやに部屋に響く。

「よし、じゃあ行くか。」

紫穂の背に手を回して、ドアの方へと促す。
念のため、研究室の電子ロックの暗証コードを変更して部屋を出た。
車を停めている地下の駐車場に向かいながら、そっと紫穂に囁く。

「俺、駆け落ちしたことねぇんだけど、取り敢えず北にでも向かっとく?」

駆け落ちといえば確か北だったよなと朧気な知識を手繰り寄せていると、何か決意したような表情で前を向いていた紫穂がちらりとこちらを見た。

「行きたい場所が、あるの。」

透視ろ、とでも言わんばかりに手を差し出してきた彼女の手を握る。
力を発動させると、俺も知ってる海岸が浮かび上がった。

「取り敢えずここに向かえばいいか?」
「ええ、お願いできるかしら」
「喜んで、女王サマ?」
「ちょっと、それ止めて」

少しいつもの調子に戻ってきた紫穂に安心しながら、車のドアを開けて助手席へと促す。
慣れた様子で助手席のシートベルトを締める紫穂を見やりながら、自分は運転席へと急ぐ。
荷物を後部座席に放りながらシートベルトを締めて、エンジンを掛ける。
ナビの操作もそこそこに、車を発進させた。

「で?」
「…なによ」
「駆け落ちの理由は聞かせてくれるのか?」
「…」

明らかに不貞腐れた顔になった紫穂に、薄々気付いていたけど見ないようにしていた可能性が頭をもたげてくる。

「薫ちゃんと喧嘩でもした?」
「…薫ちゃんじゃないわ」

やっぱり喧嘩が原因かとげんなりしながら、滅多に短絡的思考に陥らない紫穂が駆け落ちなんていう発想に思い至った喧嘩の原因に思いを巡らせる。

「じゃあ、珍しいけど葵ちゃん?」
「葵ちゃんでもないわ。」
「えー?じゃあ誰よ?」

彼女をここまでさせる喧嘩の相手が思い付かず、喧嘩の内容もわからないため、お手上げ状態だ。
車を走らせながらチラリと紫穂を見やると、喧嘩を思い出しているのか、納得いかないといった苛立った顔で窓に片肘をついて、未だに悔しげに口許を抑えている。

「…皆本さんよ」
「皆本ッ?!」

赤信号で良かったと心から思う。
サイコメトラーが車の操作を誤ることなんて有り得ないとはいっても、余程衝撃を受けて驚いた時は別だと身を持って知ることになるとは思わなかった。
信号が緑に変わったことを確認して、足をブレーキからアクセルへと踏み替える。

「なんでまた、皆本と喧嘩なんか…」

薫ちゃんとは未だにしょっちゅう喧嘩してるイメージはあっても、歳を重ねて更に穏やかになった皆本が、紫穂と喧嘩するなんて全く想像ができない。
余程お互いに譲れないことでもあったのだろうか。
それでも、割と、というより大人びてその辺上手くやるタイプの紫穂が、年相応に喧嘩して家出してくるなんて、普段はそんなこと感じさせないがまだ高校生らしいところもあるんだなぁと感慨に耽っていると、横から刺々した声で注意される。

「透視まなくても考えてることが顔に出てて丸分かりよ、オジサン」
「仮にも彼氏にオジサンはねぇだろ!そのオジサンと付き合ってんのは誰だよ」

こりゃ相当機嫌が悪いな、とハンドルを切りながら喧嘩の原因を想像する。
俺達は付き合い始めた時にひとつだけルールを決めていて、透視ればわかるからこそ言葉を大切に、きちんと言葉で伝え合って向き合おうと決めている。
だから今回の喧嘩の原因も、紫穂が話してくれなけりゃ、俺には想像することしかできない。

「話したくないような喧嘩の内容なのか?」
「…」

グッと何かを飲み込むような、悔しそうな顔をする紫穂に、こちらまで苦しくなってくる。
おまけにきつく寄せられた眉間、潤んだ瞳に、何かもう皆本が無条件で悪いような気がしてきた。

「…門限を」
「…門限を?」
「門限を、延ばして欲しいって、お願いしただけなの」

紫穂の大きな目から、耐えられなかった涙が一粒こぼれ落ちる。
今すぐにでも抱き締めて頭を撫でてやりたいが、今は運転中。
それは叶わないので、ポケットに入っているハンカチを引っ張り出して紫穂に差し出した。
小さな声でありがとう、と言ってハンカチを受け取った紫穂は、俺のハンカチに顔をうずめた。
その可愛らしい仕草に不覚にも胸がきゅんと音を立てる。
あー、マジで俺の彼女可愛いわ。

「…で、門限延ばすのがなんで駆け落ちに繋がるワケ?」
「だって皆本さん絶対ダメしか言わないのよッ」

クワッと目を見開いて、ハンカチから顔を上げた紫穂の勢いに気圧されながら、女子高生らしいマシンガントークに耳を傾ける。
要約すると、門限を延ばして欲しいという懇願に、皆本は絶対ダメの一点張りで全く聞く耳も持ってくれず、激しい言い合いの末、家を飛び出してきたらしい。
高校生になって、実家に戻ったものの、任務やらその他諸々で、今でも時々皆本にお世話になっている紫穂は、皆本の提示している門限が気に食わないらしい。
そりゃ当然ご実家にも門限はあるが、どうしても門限に間に合わなさそうだなって時は、俺が前もって警察官ばりの行動計画書を作成し、お父様に提出、ご両親の了承を貰ってから紫穂を連れ出しているから、実際門限はあってないようなもんなんだが。
皆本の提示している門限は、ご実家の門限より一時間ばかり早いが、皆本のところにいるときにそんなに遅くまで出掛けることもなかったから、俺自身はあまり気にしていなかった。

「せめて理由くらい聞いてくれたっていいのに!それか、今日だけって言ってるんだから一日くらい大目に見てくれたって!」

普段ちゃんとしてるんだから、たまには良いじゃない、と先程までの勢いが落ち着いてきたのか、少しボリュームを落とした声で紫穂が呟いた。
真面目な皆本のことだから、そのたまに、が気の緩みに繋がってずるずると常習化しかねない、なんて考えてそうだが。
まぁ、もうちょっと俺と紫穂のこと、信用してくれてもいいんじゃねぇの、とは思う。

「話は大体わかった。で?今日だけっていうのは?」

目的地に近付いたので、一度、紫穂との話に集中しようと、車を停めて紫穂に向き直る。
紫穂は、相変わらずムスッとした顔で窓の外を見ている。

「今日じゃなきゃ意味無いからよ。っていうか、今日じゃないとダメなの」

どうしても今日、と言い張る紫穂に、今日って何かあったっけ?と頭の中をひっくり返す。
特別なイベント?ってわけでもないし、何かの記念日?を忘れてるわけでもなさそうだ。
何よりまず、俺が、紫穂との記念日を忘れるなんて有り得ないし、イベント事に乗っからないっていうのも有り得ない。
じゃあ何だ、と考え込んでいたら、紫穂がチラリとこちらを見て言った。

「花火が上がるの。砂浜で、その花火が見れるのよ」

ぶっちゃけ、紫穂と花火デート、してないわけがない。
寧ろ、夏の定番イベントを、俺が外さないわけがない。
なのに、今日限定の花火にこだわる紫穂に対して、少しだけ首を傾げて、あ、と思い出した。

「あれか、メモリアル花火のことか。」
「…そうよ」

紫穂は少しだけ照れた様子で、それでもそれを隠すように窓の方へと目を反らす。
メモリアル花火っていうのは、毎月決まった日、申込みをすればメッセージと共に花火を打ち上げてくれるサービスで、恋人たちが愛の確認に使ったり、プロポーズに使ったりする、ロマンチックなアイテムだ。

「それが観たいの。連れてって」

紫穂がきゅっと俺の袖口を引っ張って、照れているのか少し俯いて呟く。
その頬が少しだけ赤らんでいて、俺の彼女は本当に可愛い。

「もう、あと5分くらいで着くよ。花火にも間に合う」

紫穂の頭をそっと撫でて、再び車を走らせた。

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