ピンクグリーン・シンドローム - 2/10

「紫穂ちゃーん、いつものミルクティでいいか?」

キッチンからひょっこり顔を出した先生に、うん。とだけ答える。
先生のマンションで、大学受験のお勉強。
何となく、医学部目指してみようかな、なんて思い立って、勉強をし始めたら、皆本さんからそれを聞き付けた先生に勉強を見てもらうようになった。
ここで勉強をするようになって暫く経つけれど、勉強の合間のひとときに、先生はミルクティを入れてくれるようになって。
慣れ親しんだ味に最初は驚いたけれど、皆本に教わったんだと悪戯っぽい笑みで私に言った先生のことを今でも覚えてる。
それは私のためにしてくれたの?って、聞きたかったけど、どうしても聞けなくて。
先生は大人で、私は子ども。
そういう対象にはきっとなれないとどこかで諦めていたから、踏み出す勇気がなかった。
でも、先生の部屋で過ごす時間が増えるにつれて、どんどん、聞きたいことが増えてしまって、どうして私のためにそこまでしてくれるの?って聞けないもどかしい毎日が続いてる。

「ほい。一旦休憩したら?」
「…ありがと」

差し出された私専用のカップに入ったミルクティを受け取って、口に含む。
ここで飲むミルクティは、皆本さんのと同じ味のはずなのに、いつも少しだけ甘く感じてしまう。
ちらり、と前を見ると、先生は私の前に座ってコーヒーを飲んでいる。
これもいつも通り、いつの間にか習慣になっていて。
先生と過ごす時間が、どんどん、私の当たり前になっていく。

「?どした?勉強わからないとこあった?」
「…ううん、大丈夫」

何でもない、と言いながら、じっと先生を見てしまっていたことに気付いて、そっと目を伏せる。
はち切れてしまいそうな気持ちを何とか抑え込むために、違和感ないように深呼吸をする。

「…ゴメンね、やっぱりわからないとこがあるの」

誤魔化しきれないサイズに膨らんだ想いを何とか誤魔化すように、先生に笑い掛ける。
すると先生はカップを持ったまま隣の椅子に移動してきて、そのまま参考書を覗き込んだ。

「わからねぇとこは即刻潰す、遠慮なんかすんなよ。」

頭を、ポン、と先生の大きな手が撫でていく。
先生は怒るでもなく、柔らかい表情で私の顔を見ている。
ねぇ、どうしてそんなに優しい顔で私を見るの?きっと私の頬は赤らんでしまっているはず。
先生に勉強を教えてもらうようになってから、明らかに距離が近くなった私たち。
ねぇ、どうして、どうして。
沢山の疑問符が胸のなかに溜まって、いつか弾けてしまいそう。

「…わかってる。でも、先にちょっと休憩しよ?」
「そうだな、リフレッシュも必要だ。」

ニッと笑って先生はコーヒーを飲む。
私もそれに倣ってミルクティのカップに口をつけた。

「ああ、そういや、皆本から差し入れでプリン貰ったんだ。」

食べるだろ?と問い掛けられて、素直に首を縦に振る。
先生が再びキッチンに戻ったときに、突然インターホンが鳴った。

「…誰だろ?紫穂ちゃん代わりに出てくれる?」
「…はぁい」

キッチンから声だけで返事をした先生。
女の人だったらどうしよう、と思いながらも、私が応対してもいいってことは、女性だとしても何かトラブルになるわけじゃないと思ってもいいのかしら。
ふぅ、と緊張する心を落ち着けるように息を一つ吐いてから、インターホンの前に立つ。
インターホンの画面に映っていたのは、宅配業者と思しき人物。

「センセ、宅配便みたい!」
「んー?何か頼んだっけ?受け取りお願いしてもいいか?」
「…しょうがないわね」

プリンを食べる準備をしているのだろう、ガサガサと音を立てている先生に、私一応お客様なんだけど、と思いながらも、宅配の応対を任せてくれるという気の許され方に何だか嬉しくなって、軽い気持ちでインターホンに応対してから、玄関へと向かう。
宅配のお兄さんから伝票を受け取って、何とサインすればいいのか少しだけ迷ってから、ドキドキしながら賢木とサインする。
ここは賢木先生の家なんだし何も変なことはないものね、と心の中で言い訳をしながら荷物を受け取った。
それなりに大きな箱の割にとても軽い。
何が入っているのだろうと思いながら、宅配のお兄さんにありがとうとお礼を言ってから家の中へ入る。
リビングへ向かう廊下を歩きながら、荷物の宛名を見る。
明らかに、女性の字。
先生が見てないのを良いことに、力を発動させて箱を透視る。
なに、これ、ほとんどが緩衝材?一番底の、小さな箱を守るように緩衝材が敷き詰められている。
頭の隅で、違和感を感じながら、宛名の女性の存在が気になってしまって、冷静になれない。
一体誰なの、貴女は。

「先生、荷物、開けてみてもいーい?」

何だか無性に腹が立ってきてしまって、先生の返事が返ってくる前に、箱のテープに手を掛ける。

「いーよ!開けたら何か教えてくれー」

キッチンから聞こえてくる間延びした声に、気分を逆撫でられてしまって、ビリビリと勢いよくテープを剥がす。
緩衝材がテーブルの上に広がるのも気にせずに、ガサガサと底の箱を探る。
黒くて、小さな、その箱。
これを開けてしまうのは躊躇われたけれど、どんなに透視てみても、中身もわからなければ、思念も読み取れなくて、余計に苛々と感情が高ぶってきているのがわかる。
どこのどんな女から、先生は一体何を受け取るの?冷静さを失っているから透視めないんだわ、と決め付けて、そっと箱に手を掛ける。
何が出てきても、私は、動揺したりなんかしない。
ふぅ、と深呼吸をしてゆっくりと蓋を開けた。

パァンっ!

「きゃっ!」

弾ける音と共に、カッと目の前が明るくなる。
眩しい光で部屋中が照らされて、真っ白になった。
衝撃で箱を落としてしまったことはわかる。
それ以外のことはわからない。
だって、何も見えない。
一体、何が、起こったの?

「紫穂ちゃんッ!」

力強い腕に引き寄せられて、先生の声が凄く近くで聞こえる。

「何があった!」

先生に肩を掴まれて、より先生が近付いた気がする。
まだ、何も見えない、目の前が真っ白のままだ。

「箱、開けたら、光が…」
「閃光弾か!」

先生が私をその場に座らせて、離れていく。
傍らでガサガサと音を立てているから、恐らく届いた荷物を確認しているのだろう。
チッと舌打ちした音が側で聞こえる。
私はまだ、何が起こったのか整理がつかなくて、その場にへたりこんでいることしかできない。
段々と目の前が暗くなっていく。
白い光がじわじわと小さくなって、点になったと思ったら、消えてしまった。
真っ暗になってしまった視界が心細くて、両手で自分を抱き締める。

「センセ…」

やっとの思いで絞り出した声は、とても掠れていて。

「ごめんなさい、先生」

何とか口にできた言葉は、何に対してかはわからなかったけど、謝罪の言葉だった。

「ッ!泣くな、紫穂ちゃん…」

太くてゴツゴツしたあたたかいものに、目許を拭われる。
わたし、泣いてるの?

「紫穂ちゃんは悪くないから、泣かなくていいから」
「私、泣いてるの?目が熱くて、わからない」
「ッ!紫穂ちゃん、まさか!」

ちょっと見せろ、と言われて、先生の大きな手が私の頬を包んで力を発動させた。
自分が陥っている状況が見えなくて、とても不安になってくる。

「紫穂ちゃん、目、見えてないな?」

少し焦ったような声で、先生に問われる。

「わからない。目の前が真っ暗ってことしかわからないわ」

先生が息を飲んだ気配がする。
頬に当てていた手をするりと肩へ動かして、先生はきゅっと力を入れた。

「紫穂ちゃん、落ち着いて聞いてくれ。君は今、閃光弾を間近で喰らって、恐らく、失明してるかもしれない。」
「…え」
「詳しくは、検査してみないとわからない。今からすぐにバベルへ行こう。行く道中で、覚えていることを、できるだけ詳しく教えてくれ」

先生に説明されて、自分の置かれている状況を理解する。
あの光は閃光弾、じゃあアレを送りつけてきた女は一体何者なの?先生が私の周りをバタバタと動き回っていることは何となくわかる。
移動の為の準備をしているのだろう。
届いた荷物も検証するだろうから、運ばなくてはいけない。
身動きできない自分がもどかしくて、透視して動こうかと思ったその時。

「ダメだ!紫穂ちゃん!」
「え?」
「ESPは使うな!脳にどんな影響があるかわからない!」

これ着けてろ、とじゃらじゃらと何か手首に巻き付けられる。
恐らく、先生の使っていないリミッターだろうと予測する。

「移動の準備ができたから、行こうか。紫穂ちゃん」
「…うん」

立てる?と声を掛けられて、立とうとするけど、力が抜けてしまっていて、何か支えを探そうと手をさ迷わせると、ぎゅっと強い力で掴まれた。
それが先生の手だとわかって、安心して握り返すと、優しく抱き起こされた。

「見えなくて不安だろうけど、俺に掴まって」

先生に手を誘導されて、見えない不安に思わず腕を掴んで先生に寄り添う。
先生は私のペースに合わせてゆっくりと歩いてくれている。
非常事態だというのに、一つ一つの行動が優しくて、胸が苦しくなる。
初めての、先生との近すぎる距離に、息ができない。
そんなこと、考えてる場合じゃ、ないのに。

「頭、ぶつけるなよ」

車に乗り込む時に、先生がそっと腰に手を添えて、誘導してくれる。
シートベルトを探してもたついていると、グッと先生の気配が近付いて、カチリ、と音がした。

「シートベルトの調節は自分でできるか?」
「…うん」

こんな時なのに、いちいちのことにドキドキしてしまう自分が不謹慎に思えて、嫌になる。

「じゃあ、行こうか」

先生が車を発進させる。
何度も乗ったことがある助手席なのに、前が見えないだけでこんなにも不安になるなんて。
心細い気持ちを誤魔化すようにシートベルトをきゅっと掴んだ。

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