愛を知ったゴーストの話。

宙に浮かぶ本を手に取り、白く透けた手のひらで表紙を撫でる。
身体を失ってしまった今でも、こうして仕事をさせていただけるのは心優しい学園長のおかげでございます。
私は生前、とある国の城にある書庫室に勤めておりました。濡れ衣を着せられ命が途絶えた私は、天に昇れないまま慣れ親しんだ数々の書籍を求めてこの世を彷徨っておりました。そんな折に『本と一緒にいたいならとっても良い仕事がありますよ!』とお声掛け頂いたご恩は今でも忘れません。
ここはナイトレイブンカレッジ。
魔法士の卵たちが通う男子校。
その校舎のなかにある大きな図書館で、私は図書司書として働いています。
書庫室に勤めていた時代からずっと心に秘めていたことですが、司書の仕事は私にとって天職でございました。城からみて書籍は財産。その財産の管理を任されているという責任と、黙々と本に目を通し分類、整理していく淡々とした仕事を私は愛していましたし、誇りをもってお勤めさせていただいておりました。
ですが、その城の書庫室は本来の機能としてだけでなく、貴族様たちの秘密の逢瀬の場としても重宝されておりました。私としては仕事ができればその他の些事は関係なかったので、そこで誰が何をしていようが知らぬ存ぜぬを突き通していたのです。
ですが、ある日秘密裏の関係が社交界に露呈された上級貴族様がいらっしゃいました。そして、その貴族様は私が虚偽の事実を触れ回ったのだと糾弾し、私は鞭打ちと石つぶての刑に処され、こうしてゴーストの身となった次第でございます。
さてさて、お話を戻しましょう。
正直なところ、もう一度司書の仕事をしたいのかといえば私自身とても不明瞭でございました。本を愛して止まないのは間違いありませんが、司書という仕事が私の命を奪ったも同然ですから、本に触れることさえできれば司書職にこだわる必要はなかったのです。
しかし、ゴーストとなってしまった私が他者から恐れられず本に囲まれる環境は、廃墟となったどこかのお城にある書庫室くらいでございます。ボロボロではない新しい本に触れられるかもしれない学園長の申し出はとても魅力的で、私の不安を払拭するように告げられた『当校は男子校ですよ』のひと言に私の第二の人生に明るい兆しが見えたのです。
こうして私は再び図書司書として歩み始めました。仕事は以前とほとんど変わりません。ただ、ここは以前の書庫室とは違い、勉強のために利用する生徒さんたちばかりで、今まで以上に図書司書としての力を活かすことができる最高の環境でした。書籍の問い合わせに書架配置の見直し、生きていた頃よりも生きがいを感じる仕事の山に、せっせとお勤めに励む毎日でございました。
そうして数え切れないほどの長い季節の繰り返しを経て、あるときこの図書館に異変が起きました。
私を窮地へ追いやった秘密の逢瀬。
それが、この、隅から隅まで、塵ひとつ残さず管理維持してきた私の図書館で行われていると耳にしたのです。
私は戦慄しました。
また私の命を脅かす、事実は小説より奇なりと言っていい徒事が、私の愛して止まない在り処で繰り広げられているということに、私はもう二度と感じないはずの底冷えに身体を竦ませ狼狽したのです。
落としてしまいそうになった大切な本たちを胸に抱え込み、私は怯えながらもそれが嘘偽りの噂であることを願って図書館のなかを彷徨いました。
そうして図書館の至るところを浮遊していると、普段は何でもないひそひそとした生徒たちの内緒話も全て怪しく聞こえてくるのだから不思議です。ここでも私は本だけに意識を注ぐことはできないのかと絶望しかけたその時、私はふと、ひとつの事実を思い出しました。
ここは男子校でございます。私が生きていた時代は男性同士の蜜月関係は貴族の嗜みでしたが、今は時代も世相も違います。うら若い青年たちが、人目を憚りひっそりと関係を深めるため、確かにこの図書館は青い恋人たちにとってサンクチュアリとなり得るのかもしれません。
そうとなれば、障碍を取り除こうと躍起になっている私自身のこの行動は果たして本当に目的を果たすことに繋がるのでしょうか。私を死に追いやったあの上級貴族様のように、私が秘密を暴いたのだと誹りを受けることになる結果は容易に想像できました。
噂を知ってしまった以上、もう、何も知らなかったでは済まされないのです。弱い立場の私が発する意見はあまりにも力を持たないということを私は身をもって知っておりますから。
私は震える身体を叱咤しつつ、ひとつの決意を固めました。彼らにとってここが聖域となっているのと同時に、私にとってもここは聖域なのです。私は愛するこの場所を守るために、何としても彼らを見つけ出し、ここは図書館であることを説明し、双方納得の上で彼らに出て行っていただかなければならないと考えました。
それから数日、書架の整理をしていると見せかけながら、必死で生徒さんたちの様子を窺いますがなかなか事実に辿り着くことができません。
ですが、何とか最初に噂を口にしていた生徒さんのそばで聞き耳を立てることには成功いたしました。何とも自分には似つかわしくない密偵のような行動でしたが、ゴーストの身体が私を手助けしてくれました。
獣の耳が生えた生徒さんと、初めて見かける丸い黒縁眼鏡の生徒さんが、必死に身を寄せ合って本の隙間から何かを覗き込んでいます。
スマートフォンの画面上で交わされている会話を覗き見て、間違いなくこの先に噂の張本人たちがいるのだと確信いたしました。
逢瀬を盗み見ている彼らがいなくなってからご本人様たちとはお話させていただこうと恐怖に震える心を落ち着かせつつ、身体を透けさせたまま張本人二人は一体どなたなのかを確認しようと書架をすり抜けました。
すると、そこにはよく見知った二人が、肩を並べて黙々と勉学に勤しんでおりました。
私は彼をよく知っていましたし、彼女のこともよく知っておりました。
だって彼はこの図書館の常連で、この学園唯一の女子生徒として在籍することになった彼女も、この図書館をよく利用する常連でしたから。
お昼寝にこの図書館を利用していた彼が、ここで勉強していた彼女に私を紹介してくれた日のことを昨日のように思い出せます。
ここにある本についてならこの学園にいる誰よりもコイツが一番詳しいと彼女に告げたその言葉は、何よりも代え難い私にとっての賛辞でもありました。そのように自分の仕事を評価されたのは生まれて初めて、絶命したあとも含めてこのときが初めてでしたから、そのときの何とも言い難い感銘とともにひとつの言葉も漏らさずに強く強く記憶に刻まれております。
そんな彼らが噂の張本人であるということに、私は驚きを隠せませんでした。彼らは、共に勉学に励む先輩と後輩として私の目に映っておりましたから、彼と彼女がそのように噂されることは私にとって青天の霹靂でございました。
勉強中に交わされる会話に色めいたものはなく、どこかの国の言葉とこの世界の公用語で交わされる真面目なもので、時折彼から魔法の原理やこの世界での常識や知識を補うための解説が為されるものの、ずっと彼らのそばにいた私は二人が噂されるような関係ではないということを知っておりました。
もちろん、彼女が彼を男性として慕っているという事実も存じております。
女性の秘めた恋心というのも美しいものですが、彼女のようにまっすぐ想いを伝え続けることができる女性もそれはそれは可愛らしいものであると私は彼女の姿から教わりました。長くこの世を彷徨っている私でも知らないことがあるのだなと、無知な自分を恥じたのは記憶に新しいことでございます。
また、その想いを受け止め続けても態度を変えることなく、彼女と接し続けている彼のこともずっと見てきました。彼女の想いを遇うのではなく、また、その想いにあぐらを掻くような態度を取ることもなく、彼は彼女に自身の知識を分け与え、見返りに彼女から何かを受け取り楽しそうに何かを学んでいる姿を、私はここでの仕事を通して見守ってまいりました。
とは言っても、私が知るのはここでの二人のみ。ここを出た学舎のなかでの二人のことは存じません。
ですから、二人は外では恋仲なのかもしれないとも思いましたが、噂の場となっているのはこの図書館です。私の知らない決定的な何かが、あの二人にはあるのかもしれない。そう思って私は息を潜めてじっと二人の様子を窺い続けました。
正直にお話しすると、私は彼女の想いが報われることはないと思っております。それほどに彼は彼女からの想いを受けても彼女への態度を変えておりません。彼女の想いが図書館中に響いたあの日からずっと、彼は彼女の告白に応えていないのです。だからこそ、そこに愛は生まれないのだと私は思っておりました。
書籍に囲まれた空間の静かな気配。
その独特な雰囲気のなかで、彼と彼女がペンを走らせる音だけが響きます。ノートの端まで書き進めたあと、彼は一旦インクを乾かすためにペンを起きました。
そこで私は見たのです。
柔らかな表情を浮かべ、勉強に励む彼女を見つめている彼を。
見たことのない面持ちで彼女を直視する眼差しには、私の知らない感情に溢れていたのです。
いとしい、と。ただ愛おしいとその目は私に教えてくれました。
そして、視線に気付いた彼女が顔を上げて、二人の視線は交わりました。
唯々嬉しそうにはにかむ彼女に、彼は優しげに微笑んだのです。
触れ合いもなく、言葉を交わしたわけでもありません。
ですが、そこには確かに存在しておりました。
私はその日、はじめて二人の間に流れるものを知ったのです。
それは誠に、純愛(ロマンス)そのものでございました。

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