「オイお前」
何ソレ怖い。いきなり声をかけてきて『オイ』ってマジこわすぎるんだが。
ワンチャン、僕の後ろの奴に声を掛けたんだと信じて無視を決め込むと、悪そうな目付きが更に悪くなってぼくを睨みつけた。
「テメェ、返事しろや」
「ひぇ……ぼ、ぼくですか」
「お前しかいねぇに決まってんだろ」
ギロリとぼくを睨んでくるソイツに震え上がりながら、ぼくのATフィールドが全く効かないってどゆこと? と縮み上がった。
ズレた眼鏡の位置を戻しつつ、ぼくは何か目を付けられるようなことをしたっけ、と必死に過去の行いを思い出していた。イグニ寮生らしく目立たず慎ましく教室の隅で過ごしてきたぼくが、不良代表格と言っていいサバナ寮のソイツと接触した記憶はどう頑張っても思い当たらない。
アレか、お前は生きてるだけで罪なんだよォ! とか言われてリンチされるんだろうか。
マジで勘弁なんだが。
「……お前、小説書いてんだろ」
「ひぇ」
ちょっと待って?
なんでそれを知ってるの?
白目を剥いて卒倒しそうな事実を突き付けられて平常でいられる奴なんているんだろうか。いやいない。しかも相手は一番そういうことに縁遠そうな野蛮族だぞ。いや、縁遠いからこそそれをネタに揺すろうっていうのか。
ヤバイ、不良の発想恐ろしすぎんか。
「ちょっと俺に協力しろよ。何でも好きな肉奢ってやるからよ」
許可した覚えはないのに堂々と隣の席に座ったソイツは、やけに人懐っこい表情でぼくに擦り寄った。
「映画のシナリオ書いてほしいんだけどよ。何日くらい掛かるモンなんだ?」
できるだけ早く仕上げてもらいてぇんだ、と眉を下げるソイツに困惑しながら、びくびくと震える身体を縮めて圧の強いソイツから逃れるように目をそらす。
「え、映画のシナリオと小説は……違うものなので……」
「ハァ? 小説が映画になったりしてんじゃん。何が違うってんだよ」
「ひっ」
途端に不機嫌そうに顔を歪めたソイツに喰われてしまわないよう、ますます身を縮めてどうか嵐が去ってくれますようにと祈っていると、何を思ったのかソイツは僕の顔を覗き込んでジロジロと見聞し始めた。
「オイ、お前」
「ひゃ、ひゃい……」
「名前は何て言うんだ?」
「え?」
「名前。これから仲間になるのに名前も知らねぇんじゃ困るからな。俺、バカだから細かいことはわかんねぇけど、俺と俺のダチよりはお前の方が泣けるシナリオ書けると思うんだ。だから、よろしくな! 俺の名前はアルゴ・ティエナ。アルゴでいいゼ!」
いや全然よろしくじゃないんだが!?
きらりと歯を輝かせて手を差し出したアルゴは、固まっているぼくの手を無理矢理掴んで握手の形を取った。
シナリオを書くことを了承した覚えもないし、何なら彼らと仲間になる約束をした覚えもない。これはアレか、今日から俺たちはお前を虐めますと宣告を受けてしまったのか。普通に勘弁なんだが?
「オイ、はやく名前、教えろよ」
「ひっ……フ、フィーネ・フルルフィエンタールフロロフォア……」
「……フ、多くね? 俺普通に覚えらんねーわ。フィーネでいいよな!」
ここここコイツッ!
由緒正しき我がFの家系を覚えらんねーのひと言で片付けやがった!
かくなる上は我が一族に伝わる秘伝の魔法で木っ端微塵にしてくれる!!!
「ア……それでイイです……」
「じゃあさ、早速なんだけどよ。主人公はウチの寮長とオンボロ寮の監督生な。これもう決まってっから!」
バシバシと遠慮無くぼくの背中を叩いてくるアルゴはガサガサとがさつな動作で紙の束をぼくの前に並べた。
「俺たちでさー、頑張ってみたんだけどどうもうまくいかなくてよ。っつーか俺たちの寮長ももっとカッケーし、監督生もかわいいのに、全然スゲー感じにならなくて困ってんだよ。あの二人はもっとヤベーしスゲー感じなのになんか違うっつーか」
無駄な争いを生むのはぼくの主義に反するので反撃はできなかったけれど、シナリオを書くことに納得したわけじゃない。なのに妙に綺麗な字で並べられた数々のエピソードが目に入ってくるうち、頭のなかの創作スイッチがゆっくりとオンに向かって動き始めた。
「……ちょっと待って。誰と誰のエピソードだって?」
「ウチの寮長と監督生」
「マジで言ってる? これが? あのレオナ先輩と監督生くん?」
主語と述語しかないメモ書きから、覚束ないなりに終始がまとめられたエピソード。いくつもあるそれらを一つ一つ丁寧に辿ってみても、どうしても僕のイメージとかけ離れたその姿に首を傾げた。
「……ちょっと想像がつかないな」
「ア? ナマ言ってんじゃねぇぞ、寮長はカッケーし監督生はかわいいだろうが」
「あ、すみませ……ってそうじゃなくて。監督生くんはわかるんだ。イメージ通りのかわいいエピソードだと思う。でも、その……何て言うか、レオナ先輩は、もっと大人っぽいというか、色っぽい、って言えばいいのかな? ぼくたち高校生にはない格好いい大人の雰囲気を持った人だと思っていたから、ちょっとイメージと違っただけなんだ。どのエピソードも、その……すごく可愛げがあるというか」
可愛いなんて言ったら余計に怒らせてしまいそうな気がするけれど、目の前に並んだエピソードはどれも初々しさに溢れていて可愛いと表現するのが一番正解なものばかりだった。
恐る恐るアルゴの様子を窺うと、アルゴは感動したように目をきらきらさせてガシリと僕の肩を掴んだ。
「フィーネ! お前イイ奴だな! ちゃんとわかってくれてんじゃねーか!」
最高だよお前、と顔をクシャクシャにして笑ったアルゴはちょっとだけ泣いている。マジで? そんなに?
「あのよ、俺たちが映画を作ろうって話になったのはな、映画を作って寮長のお兄さん、国王サマに見てもらおうって思ったからなんだよ。二人があんなに一緒にいるのにお付き合いしてなくて寮長が監督生の気持ちに応えねぇのは、国王サマに反対されてるからじゃねぇかって俺たち思ってよ。じゃあ二人がどんだけ最高でヤバくて最高なのかわかってもらえれば考え変わるんじゃね? じゃあもう感動ムービーを俺らで撮るしかなくね? ってなったわけよ」
ヤバイと最高しか伝わってこないし、だいぶ意味がわからない。
でもこの感じは少しだけ身に覚えがある。僕らオタクが推しに対して無理になっている状態だ。語彙力が死んでしまっているあたり、間違いなくソレに近いけれど、アルゴの場合はちょっとおバカなのも原因かもしれない。
「……事の顛末は大体理解できたよ。でもさ、やっぱりこのエピソードと実際のレオナ先輩はかけ離れてるというか……どっちかというとあの人、溢れるフェロモンで女性を侍らせてそうじゃない?」
「お前は寮長のコトを何もわかってねぇ!!!」
そりゃそうでしょ自分とこの寮長ならまだしもヨソの寮長なんて喋る機会ほとんどないから! そんなに言うならウチのイデア寮長が今やってるゲーム知ってる?! 知らないよね!? それと一緒!!!
……と、まぁ当然そんな言い返しができるわけもなくモゴモゴと喉の奥に言いたいことを詰まらせながらウーンと頭を捻る。
「……そうは言っても……レオナ先輩は少女漫画の胸キュンストーリーより、ティーンズラブのエロ甘ラブストーリーの方が似合ってるのでは……?」
「そ、それだよフィーネ! 俺ずーっと引っ掛かってたんだ! ねーちゃんの部屋で読んだ少女漫画! それ! 寮長と監督生はそれなんだよ! キュン!!!」
「きゅ、きゅん……?」
「あの二人はマジで最高でキュンなんだよ……見てるだけで胸がこう、きゅーんって苦しくなるっつーか……俺らが応援してやんなきゃ! みてぇな感じよ!!!」
「へ、へぇ……そ、そうかなぁ……?」
確かに、あの二人を推しカプとして信仰する派閥はイグニ寮にも存在する。ついこの前も過激派と穏健派が談話室でディベートを始めて寮長が諫めてた。
ぼくとしては監督生くんは我が校の癒やしとしていつまでもそこでニコニコと笑っていてほしいし、守りたいその笑顔の精神で可愛いあの子に害為す者は影ながら滅していきたい所存である。
でも、レオナ先輩はどうかと言うと、やっぱり少女漫画に出てくる王子様よりアダルト向けのホストだとか俺様主人公が似合うのではないかと思ってしまうわけで。
そうなれば監督生くんが苦労するのは目に見えているけれども、レオナ先輩スキスキ! とあのイケメン王子を追いかけている様はとっても可愛らしくて胸がほっこりして堪らないので、人の心というのは相反する二つの心を有しているものまた事実。
とにかく、監督生くんのスキスキ光線はこの学園のほとんどの人間が認識しているから、このエピソードの数々には至極納得でしかないんだけれど、レオナ先輩はむしろ監督生くんを揶揄っているんじゃないか? そして監督生くんはイジワルしないで! でもスキ! みたいな? まぁ本当に顔だけは良いからな、あの人。
「……わかった。お前がそんなに言うなら証拠を見せてやる」
今日は火曜日だからな、監督生と寮長は図書館にいるはずだ、とアルゴはぼくの腕を掴んで教室から移動を開始した。
「ちょ、ちょっと待って。ぼくは」
「いいかフィーネ。寮長も含めて俺たち獣人は耳が良いのは知ってるだろ。だからこれからは喋るな。コレで会話する。アカウント教えろ」
「は?」
「だーっ、もう! 貸せ! 今アカウント繋いだから! 黙って俺についてこい」
ぐいぐいぼくの腕を引っ張っていくアルゴに足を縺れさせつつ何とか『どこいくの』とトーク画面に打ち込むと、『図書館』と返ってくる。『絶対喋るな』『気配はバレてる』『でも喋るな』と連続で打ち込まれた返信と絶対だぞとぼくを脅してくる熊のスタンプ。やっぱり関わり合いになるんじゃなかった、と半ば泣きそうになりながら足音を潜めて本棚の間を進んでいく。ある場所で足を止めたアルゴは、いくつかの本を抜いて本棚の向こうが見えるよう端に寄せた。
『覗いてみろ』
『は?』
『いいから 覗いてみろ』
無理無理さすがに犯罪はちょっと、と首を振って抵抗すると、アルゴは苛ついたように唇を歪めて僕の首根っこを掴んで本の隙間に顔を押し当てた。
わーやだ強引マジで勘弁してよ! と目をぎゅっと瞑っていてもぐいぐいとぼくの頭を押し付けてくるから逃げようがない。仕方なく恐る恐る目を開ければ、監督生くんとレオナ先輩が一冊の本を一緒に覗き込んでいる後ろ姿が見えた。
『見たけど』
何とかブラインドタッチでそう返すと、『いいから見てろ』とアルゴも一緒になって隙間から顔を覗かせた。
見ろって言われても、監督生くんが指で文字を追いながら音読しているようだけれど。時折考えるような間はあるものの、レオナ先輩はまだひと言も喋っていないし、じっと監督生くんの様子を見守るだけで、これはただの勉強会なのでは?
そう思っていたら突然、レオナ先輩は監督生くんのペンを取ってそのままサラサラと監督生くんのノートに何かを書き込んだ。そして革手袋を嵌めたままの指で本とノートを照らし合わせ、何かを口にしながら更に文字を書き込んでいく。
話している内容は全く聞き取れないけれど、ふんふんと興味津々に頷きながらレオナ先輩の言うことを聞いていた監督生くんは全身で喜びを表現するように目を輝かせた。そして、嬉しそうに手を合わせて何かを伝え、はにかんだ。
かわいい。
守りたい、この笑顔。
心のシャッターに本日の癒やしを記録して拝んでいると、アルゴが思いっ切り僕の脇腹を突っついてきた。慌てて表情を引き締めながら何もなかった振りをして前を向くと、そこにはとんでもない爆弾が炸裂していた。
『まって むり まじむり』
『わかったか』
『仰げば尊死』
『は? お前何言ってんの?』
『は? お前尊いって感情知らんの?』
すわすわと画面上で会話しながら目が離せない隙間の向こうを凝視する。
監督生くんがかわいいのはいつものこと。
永久不滅。
でもなんだアレ。
レオナ先輩あんな顔して笑うんか。
あの笑顔見たら多分全世界の女が落ちる。
全面降伏待ったなし。
あんな、あんな優しい顔する人だとは思わなかった。
夕焼けの草原出身だから女性には優しいんだろうけど、どっちかというともっとオラオラしてると思ってた。
っていうか絶対スキじゃん。
レオナ先輩も監督生くんのことスキじゃん。
相思相愛じゃん!
何で付き合っとらんの?
『完全に把握 あの二人は間違いなく尊い存在』
こりゃいっちょぼくが最高の感動ラブストーリーに仕上げて、国王様を納得させるしかないな。
クラスメイトが覗きを強要してきて草なんだが。
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