いとし いとし と なく こころ - 6/6

 昨日はゴメン。という一言から始まったメール。それは午前四時に送信されていた。
『TITLE:昨日は楽しかったよ
 昨日はゴメン。
 最後まで一緒にいられなくて残念だった。
 でも、久々に一緒に過ごせて楽しかったよ。
 今度は二人で食事に行けると嬉しい。
 本部にいる間に、必ず誘うから。
 待ってて。』
 朝から、何度読み返したことだろう。まだ返信は打っていない。そもそも、これは返事が必要なメールなのか。午前四時という送信時間も気になる。そんな時間まで仕事をしていたのか。それとも、蕾見ばーちゃんに拘束されていたのか。モヤモヤした気持ちと、うずうずと頬が緩むような気持ちが渦巻いて、ふわふわとした思考のまま携帯端末とにらめっこを続けていた。
「なぁ……朝からどうしたん? そない難しい顔して」
「……葵ちゃん、何でもないわ。ごめんなさい」
「何でもないことナイやろ。眉間に皺寄ってんで?」
 ぐい、と待機室のソファの横から身を乗り出して葵ちゃんが私の携帯端末を覗き込む。咄嗟に画面を隠したけれど、その行動を益々怪しがった葵ちゃんがテレポートを発動させようと手を翳かざしたのを見て、肩を竦めて降参の意を示した。
「メールが来たの」
 はい、と携帯を差し出して画面を確認するよう葵ちゃんに促す。葵ちゃんは携帯を受け取って画面を見る前に首を傾げて私に尋ねた。
「誰から?」
「……先生から」
 葵ちゃんは私の返答にきらきらと目を輝かせて携帯の画面を確認している。じっと興味深げに内容を読んでから、にたりと笑って携帯端末を私に向かって差し出した。
「良かったやん。デートのお誘いやで」
「……良くないわよ。なんで私が先生とデートなんか」
「そんなん言うて、ホンマは嬉しいクセに」
 このこの! と葵ちゃんが横からぎゅうぎゅうと私を抱き締める。そんなことないわよ、と呟きながら、嬉しいのか私は、とどこか冷静に受け止めている自分もいて、ほんの少し戸惑う。葵ちゃんの腕に赤くなった顔を埋めて、ぽつり、と言葉を零した。
「……どうしたらいいのか、わからないのよ。本当に。先生と私が二人で食事? 想像もできないわ」
 いつだって先生と関わる時は皆本さんと薫ちゃんと葵ちゃんが一緒だった。それなのに、急に二人きり、なんて、想像できる範疇を超えてしまっている。
「そんな難しく考えんでもええんちゃう? 取り敢えず一遍行ってみたらエエねん」
「……そういうもの、なのかな」
「そうそう。一回食事してみて、アカンと思ったらまた次。そんなもんやろ、恋愛なんて」
 葵ちゃんの口から飛び出した言葉にぎょっと目を見開いた。
「れッ、恋愛ッ_!?_」
「エ、あれ? 違うのん? 紫穂、てっきり先生のこと好きなんやと思ってたわ」
「だッ、誰があんなエロ医者ッ_!?_」
 ばっと立ち上がって葵ちゃんに向かって叫んだ。カッと火が付いたように上がっていく体温に、ふるりと肩を震わせる。葵ちゃんはびっくりしたように目を見開いてから、困ったように笑ってトントンと優しく私の肩を撫でた。
「……ゴメンゴメン。勘違いやってんな……それやったら、尚更気楽に食事くらい行ったらエエやないの。何も関係ないんやし」
 どうどう、と宥められながらソファに座って、確かに、と独り言ちる。でも、素直にじゃあ行ってくる、とは言えない自分がいて、ますます自分の感情に戸惑ってしまった。
 一体自分はどうしたいのか、どうすればいいのかわからない。
「二人ともお疲れー。皆本、会議終わったみたいだよー……ってどしたの?二人とも」
「あー、うん、紫穂、まだいろいろ悩んでるみたいやねん。そっとしといたって」
「……察した。ま、取り敢えず皆本を迎えに行こーよ。それからまた話聞かせて?」
 さぁ行こ、と葵ちゃんに連れられて、待機室から会議室へと向かう。まだ頭の中はモヤモヤとした複雑な感情に支配されていたけれど、今は取り敢えず皆本さんの報告を聞くことが先だ。
 気持ちを切り替えて本部会議が行われていた会議室への道のりを歩いていると、会議を終えた人だかりの向こうから皆本さんが歩いてくるのが見えた。
「皆本っ! 迎えに来たよ!」
「……薫、待機室で待っててくれてよかったのに」
 廊下の端に寄って三人で会議を終えたばかりといった様子の皆本さんを迎える。書類の束と電子端末を抱えた皆本さんが私たちのことを見つけてふわりと笑った。
「……あれ? 賢木先生は? 会議一緒だったんじゃないの?」
 何気なしに問いかけられた薫ちゃんの言葉に、ピクリと肩を震わせる。
 別に会えるなんて期待していた訳じゃないのに、どうして、少しだけ残念な気持ちが広がるのか。
 訳の分からない感情に振り回されてばかりの自分に嫌気が差しそうだった。皆本さんは薫ちゃんの質問に答えようと一瞬だけ間を置いて口を開いた。
「ああ……賢木は今……」
「ねぇ、賢木クンってばぁ」
 タイミングよく聞こえてきた声に、ぞわりと背筋を逆撫でられたような気分に襲われる。
 声がした方に目を向けると、ちょうど賢木先生と蕾見ばーちゃんが会議室から出てきたところだった。
「ちょっと勘弁してくださいよ……俺ほとんど寝れてないんすよ」
 先生は私たちがいることに気付いていない様子で、腕に絡んでいる蕾見ばーちゃんを振り払えずに戸惑っているように見えた。二人のその様子に、自然と眉が寄ってしまう。
 二人の様子を窺うようにじっと見つめていたのがバレてしまったのか、チラリとこちらを見た蕾見ばーちゃんと目が合った。蕾見ばーちゃんは私に向かってニッと笑ってみせてから、私に見せつけるように賢木先生の首に腕を絡めて。
「やぁーん。昨日の夜、一緒に過ごした仲じゃなーい。どうしてダメなのぉ?」
 チラリと一瞬だけ私に投げられた目線は酷く挑戦的で。耳に届く猫撫で声は不快感を倍増させるものだった。
「ホントそういうの困りますって……誤解を招くような言い方せんでくださいよ」
 そう言って賢木先生は、そっとおばーちゃんの腕を解いている。
 他人から見ればおばーちゃんの我儘に振り回されて困っている先生の姿に見えたかもしれない。それでも、私には大人の男女が絡み合っているようにしか見えなくて、込み上げてくるような吐き気を我慢することができなかった。
「……ごめんなさい。私、ちょっと体調が悪いみたい。先に待機室に戻って休んでるわ」
 ふらりと覚束ない足を動かして、視界を遮断するようにくるりと背中を向ける。薫ちゃんたちの私を心配する声が耳に届いているのも無視して、そのままふらふらと歩き出した。のろのろとした足取りが次第に速くなって駆け足になっていく。会議から解放された人たちの合間を抜けて、不快なものからできるだけ遠ざかるように廊下を走り抜けた。
 はぁはぁと息を切らせながら待機室の中へ駆け込む。そのままソファに倒れ込むように身体を臥せた。ぎゅっと自身の身体を抱き締めて不快感をやり過ごす。先ほどの光景を思い出してはムカムカと沸いてくる吐き気に眉を寄せた。
「紫穂ッ! 大丈夫_?!_」
 ヒュパッと現れた薫ちゃんと葵ちゃん、それから皆本さんの姿に少しだけホッとして息を吐く。
「……ええ、ごめんなさい。ちょっと気持ち悪くなっただけなの」
 眉を寄せたまま何とか笑ってみせると、心配そうな顔をした皆本さんが私の側へ寄ってくる。
「大丈夫か? 賢木もいることだし、診てもらうか?」
 皆本さんの言葉に、まだやり過ごせていなかった不快感を思い出して、ぎゅっと眉を顰しかめる。
 どうしてだかはわからないけれど、今は駄目だ。
 今は、先生に、会えない。
「……大丈夫。本当に辛かったら、本部の医務室に行くわ」
「本当に大丈夫か? 顔が蒼いぞ?」
「……忙しい賢木先生の手を煩わせるのも申し訳ないから。他の人に診てもらうわ」
 何とかニコリと笑ってみせて、心配性の皆本さんを黙らせる。何か言いたそうにしている薫ちゃんと葵ちゃんにも笑顔を向けて、話題を切り替えるように努めて明るい声を出した。
「ごめんなさい。でも、本当に大丈夫なの。だから、本部会議の報告を聞きましょ」
 ね、と念を押すように言葉を掛けると、納得はいっていないようだけど仕方がない、といった様子で皆本さんは会議の内容を喋り始めた。
 定例会も兼ねている本部会議。初日の今日は情報の共有と明日からの議題のことばかりで大した内容ではなかった。簡潔に纏めながら説明してくれる皆本さんの報告を聞きながら、荒くれ立った精神を少しでも落ち着けようと深呼吸を繰り返す。次第に波立っていた気持ちも落ち着いてきて、皆本さんの話に集中することができた。
「……今日はこんなところかな。何か質問はあるかい?」
 ぱたむ、と書類ファイルを閉じた皆本さんが、ふ、とにこやかに微笑む。内容自体が大きな議論を生むようなものでもないから、特に誰も質問を口にはしなかった。
「まぁ、会議の本番は明日からだからね。明日からは君たちの意見も参考にしていきたい」
 皆本さんは閉じたファイルをもう一度開いて、明日からの議題リストに目を通している。そのリストには、私たちの今後の運用についてや後進の教育についての内容も載っていた。
「……僕としては、君たちはチームでの運用実績が非常に高いから、解散という考えは一切ない。でも、君たちがチームとして成長する中で得てきた経験を、後輩のエスパーたちに伝えていくのも重要な仕事だと思ってる」
「えー。私、指導って柄じゃないよー」
「なにも指導だけが伝達の手段じゃない。経験の浅いエスパーと現場で組むのも有効な手段だと思うんだ」
「ってことは皆本ハン的にはチルドレン以外のメンバーともチーム組んでみたらって考えなんやね?」
「まぁそういうことだね。あと、単独での任務も少しずつ増やして、君たちの能力の応用性も図りたい」
 もう子どもではなくなった私たちをどうしていくのか。それはバベルにとっても重要なことだし、私たちにとっても重要なことだった。一人の大人として、これからのことをしっかりと考えていかなければならない。
 皆本さんも言っていたように、明日からが本番の本部会議は、内容によっては私たち自身も参加することになるのかもしれない。
 そうなると、また、あの光景を目にしなければならなくなるのか、とふと思い立って、追いやったはずの吐き気がじわりとぶり返して。不快感をやり過ごすように眉を顰めてゆっくりと目を閉じる。身体に溜まった膿を吐き出すように深く息を吐き出すと、多少はマシになった気がした。
「紫穂、本当に大丈夫か? やっぱり顔色が悪いぞ?」
「……大丈夫よ、皆本さん。本当に何でもないの」
 くらりと揺れた視界を支えるように額を手で押さえる。ムカムカと沸き上がってくる不快感に目が回りそうだった。さっき目にしたあの光景が、ぐるぐると頭の中を蠢いて、ぞわぞわと背筋を撫でていく。込み上げてくる吐き気に思わず口許を押さえた。
「……すぐに賢木を呼ぼう。ちょっと顔色が悪すぎる」
 やめて、と叫ぼうにも上手く口が動かなくて、携帯を操作する皆本さんを制止することができない。端末を耳に当てている皆本さんを恨めしげに見つめて、もう諦めるしかないことを悟る。はぁ、と深く溜め息を吐いてから、座っていたソファに身体を沈めた。数分もないような短い遣り取りのあと、電話を切った皆本さんは、じっと私のことを見つめた。
「賢木、すぐに来てくれるって言ってるから」
「……そう」
 できれば先生に会いたくない、なんて我儘は、きっと皆本さんの前では通らない。
 ざわめいて仕方がない胸の内を抱えたまま、先生の目をまっすぐ見ることなんてできるのだろうか。
「……紫穂、ウチらも一緒におるから。そんな気構えんと」
「そうそう。先生と二人っきりになんてさせないから、大丈夫だよ」
 そう言って、薫ちゃんと葵ちゃんは私の手をきゅっと握った。その手をそっと握り返して、ふぅと息を吐く。視界をシャットアウトするようにゆっくりと目を閉じて、深呼吸を繰り返した。
「……ありがと、二人とも。それに、皆本さんは大袈裟よ」
「そうは言っても……賢木に診てもらって何もなければそれでいいじゃないか」
「でも、わざわざそんなことの為に呼び出すなんて」
「いやでもちょっと顔色はホンマに悪いで、紫穂」
「うん。さっきの今で、イヤかもしんないけど、診てもらった方がいいと思うな」
 心配そうに私を見つめてくる皆の表情に、ここはもう折れるしかないのだと息を吐いた。しかも、薫ちゃんの言葉から、私が何をキッカケに体調を崩しているのか、バレていることを察して唇を噛む。気付いているのなら、そっとしておいてほしいのに。
 でもきっとこれが逆の立場だったなら。薫ちゃんの身に何かがあって、薫ちゃんが皆本さんに会うことを拒んだとしたら。私だって、嫌がる薫ちゃんを皆本さんの前に無理矢理でも連れて行っただろう。葵ちゃんだってそうだ。何かあったら、きっとそれぞれにとって必要な人の側に連れて行く。
 ――あれ? でも、どうして?
 どうして、私が辛い時、側にいてくれるは先生なの?
 どうして皆本さんや薫ちゃんや葵ちゃんじゃないの?
 先生は、関係ないはずなのに。
「わりぃ、遅くなった! ……で? 紫穂ちゃん調子悪いって?」
 バタバタと部屋に駆け込んできた先生は、少し息を切らしながら一目散に私の方へ歩み寄ってきた。じっとまっすぐに見つめられて、思わず目を伏せる。見られているだけで上がってしまいそうな体温に気付かれないよう息を吐いて、もう逃げられない、とゆっくりを目を開いて、先生を真正面に見据えた。
「どうした? いつから調子悪い?」
 先生が、私が座っているソファの前にしゃがみこんで、私の顔を覗き込んでくる。
 その表情は真剣そのもの。――きっと、これは、お医者様の顔。誰にでも等しく向けられる、先生の顔のひとつ。
「……さっきからちょっと。でも本当に何でもないの。皆本さんが大袈裟に捉えただけで」
「大袈裟でも大事を取るに越したことはないから。何かの不調がキッカケになって暴走することだってあるんだからな」
 そう言って、先生はスッと右手を差し出してくる。差し出された手を断ることもできず、渋々、私の手も差し出した。
 これは先生の診察方法なんだから、と心を落ち着けて、そっと指を伸ばして先生の指先にチョンと触れる。すると、優しく労わるように指先を捕まえられて、先生がふわりと口角を上げて微笑んだ。その表情の柔らかさに囚われて、ドキドキと鼓動が早くなってくる。
 ただ、診察の為だけなのに、どうしてそんな表情をするの?
 誰にでもそんな優しい顔してるの?
 蕾見ばーちゃん相手だったら、もっと優しい顔するの?
 次から次へと湧いてくる疑問を悟られないように心の奥底に仕舞って、表層だけを透視よみ取れるようにプロテクトを掛ける。先生の力をごくごく表層部分に感じ取って、ほぅ、と息を吐いた。
「……大事は無さそうだな。具体的にどう調子が悪い?」
「……ちょっと、吐き気と眩暈がしただけよ」
 真正面からの先生の視線に耐えかねて、ぷい、と視線を外しながら答える。先生はフッと困ったように笑ってから、ポンと優しく私の頭に触れた。
「……急に何かしらのストレスを感じて身体に負荷が掛かったんだろう。あんまり無理すんなよ。落ち着くまでは安静に」
 柔らかい表情をしているくせに、至極真面目なお医者様みたいな口調で言ってくるから、本当に調子が狂ってしまう。触れた手のひらから伝わってくるのも純粋な心配で、先生のその顔が一体誰向けのものなのか、確認するのが怖くて顔を上げられなかった。先生はポンポンと大きな手で私の頭を撫でた後、私の顔を覗き込むようにしてニッと笑った。
「何か悩みでもあるんなら吐き出しちまえ。君には薫ちゃんや葵ちゃんがついてる。それに皆本だっているんだ。辛い時は甘えていいんだからな」
 俺だっているしな、とふざけた口調で言う先生は、くしゃりと表情を柔らかくして、優しい目で私を見つめている。その目にチラリとだけ視線を絡ませて、またフイと視線を逸らした。
「……先生に頼らなきゃいけないことなんて、何もないわ」
「まぁそう言うなって。とにかく、今日は皆本に胃に優しい飯でも作ってもらって、ゆっくり休め」
 いいな、と念を押してくる先生に、コクリと頷く。先生がクスリと笑った気配がして、そっと先生を窺い見ると、ふわりと優しげな表情を浮かべている先生と目が合って、とくんと心臓が音を立てた。
「皆本、多分紫穂ちゃん問題ねぇと思うけど。大事取って気に掛けてやってくれ」
 じゃあ俺行くわ、とゆっくり立ち上がった先生に、皆本さんがありがとうと小さく声を掛ける。それにニカリと笑顔で返事をして、先生は部屋から出ていってしまった。
 ふっと息を吐いて肩の力を抜くと、薫ちゃんと葵ちゃんがそっと背中を撫でてくれて。
「何ともなさそうで良かったな」
「……だから言ったでしょ。大丈夫って」
 ぷぅと頬を膨らませながら答えると、皆本さんは眉を八の字にして笑った。
「それは何ともなかったから言えることなんだぞ。賢木も言ってたじゃないか、大事を取るに越したことはないって」
 ぽん、と私の頭に触れた皆本さんの手のひらから伝わってくるのは安心と、先生と同じ純粋な心配で。その質が同じものであることにどこかホッとして、なぜか少し寂しくて。余韻を振り払うように気持ちを切り替えてにこりと笑った。
「本当にもう何でもないの。それより、今日の晩御飯、久々に皆本さんの作ったポトフが食べたいわ」
「……そうだね、ポトフなら消化にも優しいだろうし、身体も温まる。久々に腕を揮ふるうよ」
 皆本さんの返答に、きゃっと三人で声を上げる。皆本さんの手料理は、やっぱりいつまで経っても大切な、心を温めてくれるものなのだ。
「じゃあ、少し仕事を片付けたら迎えに来るよ。それまで待機室で待っててくれ」
 はーい! と声を合わせて元気よく返事をすると、皆本さんはじゃあ後で、と部屋から出て行ってしまった。
 久し振りに皆本さんの作ってくれる料理で食卓を囲むことができるのだ。今からとても待ち遠しい。体調が悪かったことなんて忘れてうきうきと心を弾ませていたら、薫ちゃんと葵ちゃんがじっとこちらを窺うように見つめてきた。
「なぁ、紫穂? 自分、蕾見ばーちゃんと賢木先生の仲、疑っとるんか?」
 葵ちゃんの問いかけに、ぎゅっと胸が潰されるように感じて、それを必死に隠すように顔に笑顔を貼り付ける。
「……そんなわけ、ないでしょ」
 ひきつりそうになる喉を何とか動かして、言葉を吐き出した。上手く笑えているのかわからないけれど、この二人の前なのに、どうしてだか平静を装わずにはいられなかった。
「紫穂」
 薫ちゃんの静かな声が耳に届いてドキリとする。宥なだめるでもなく、淡々としたその声に、ふるりと心臓が震えた。
「先生とばーちゃんは、きっとそういうんじゃないよ。ばーちゃん、ちょっとオーバーっていうか、ボディタッチが大袈裟なトコあるじゃん」
 私たちもその被害に遭ったことあるし、と苦笑いしながら言う薫ちゃんは、そろりと私の背中に手を添えて続けた。
「だから、紫穂が不安に思うようなことは、何もないよ。きっと」
 大丈夫、と念を押すように言われて、ぽろりと涙が溢こぼれた。ありがと、と小さく呟くと、ぎゅっと二人が横から抱き締めてくれて。ぽろぽろと溢れる涙を隠すように拭った。
 自分でも持て余してしまっていた感情を、二人が言葉にしてくれたことで、ストンと何かが心に馴染むように落ち着いた。ずっと、ただ、不快で不快で堪らなかった何かが、言葉という形で姿を現したことで、指先で触れて、形をなぞれるようになったような感覚に襲われて。でも、涙に洗われて、ほろほろと形を現したそれの名前を、私はまだ、形容することはできなかった。

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