いとし いとし と なく こころ - 3/6

「はい! じゃあ今日はお疲れ様でした! 皆飲み物持った? いくわよ! ではっ、カンパーイ!」
 明るい蕾見ばーちゃんの声が広く響き渡って、ワァッとそこら中で乾杯の音頭が上がる。それに合わせて私たちもジュースの入ったグラスを掲げて乾杯をした。
「いやー、やっぱ制圧の時に思いっきり力を解放できるのは気持ちいいね!」
 ぷはーっとジュースを飲み干した薫ちゃんが、一仕事終えたオジサンみたいな雰囲気を醸かもし出しながら、ピッチャーに入ったオレンジジュースを自分のグラスに注いでいる。
「おい、あまり飲み過ぎると食べられなくなるぞ……まぁでも、普段は力を抑えるコントロールばかりしてるから、そう思うのも仕方ないよな」
 薫ちゃんの世話を焼きながら少しだけ納得するように呟いて、皆本さんも自分のグラスに注がれたビールを傾けていた。
 作戦を無事成功させて任務を終えた私たちは、バベルと警察部隊、合同で開かれた打ち上げに参加していた。結局、先生の奢りで御飯に行く、という話は有耶無耶になったままだ。
「でも、やっぱ流石っちゅうか、先生と紫穂が組んだら世の中何も隠し事できへんねやなって、改めて思い知らされたわ」
 目の前に積まれた唐揚げを口に放り込みながら、葵ちゃんは私と、私の隣に座っている賢木先生を見ながら告げた。それに何かを言い返す前に、皆本さんがうんうんと頷きながら会話を続ける。
「……何だかんだ言って、相性は悪くないんだよ。高超度エスパー、しかも同じ接触感応能力者。普通は波長が合わなくて連携が上手くいかないことも多いのに、君たちは目配せひとつで、ハウリングを起こすこともなくシンクロダイブできるんだからね」
 皆本さんは目の前のサラダを全員の皿に取り分けながらツラツラと私たちのことを評価した。それが何だかむず痒くて俯いていると、隣で先生が嬉しそうに声を上げた。
「マジで! 俺らって、実は相性良くて超優秀?」
「……昔から喧嘩するほど仲がエエって言うもんなぁ」
「だってよ、紫穂ちゃん。俺ら相性良いんだって」
 ニカッと嬉しそうに笑顔を向けてくる先生からチラリと視線を外して、グラスの縁をカリ、と噛んだ。
「調子に乗らないで。先生なんかと相性が良くたってちっとも嬉しくなんかない」
 ジリ、と心底嫌な顔をして先生を睨み付けると、先生は困ったように眉を八の字にして笑ってみせた。
「そこまで嫌がることねぇじゃん……同じ能力者なんだしさ」
「同じ能力者ってだけよ。ただそれだけでしょ」
 ふい、と顔を背けながら私も唐揚げに手を伸ばした。すかさず小皿に取り分けられた唐揚げを先生に手渡されて、受け取らないわけにもいかず、渋々先生からお皿を受け取った。
「……アリガト」
「どういたしまして。レモン要る?」
「……あると嬉しいわ」
「取ってやるからちょっと待ってな」
 優しく微笑まれて、片手を取られたと思ったら、ホイ、とカットされたレモンを手に乗せられた。唐突に先生の体温に触れて、ぶわっと頬が熱を持ったような気がする。小さく、最低、と呟きながら自分のお皿に乗った唐揚げに勢い良くレモン果汁を掛けた。果汁で濡れた手を拭こうと思ったら、先生はご丁寧に新しいおしぼりまで差し出してくれて。赤く染まった頬を見られたくなくて、そっぽを向きながら無言で受け取った。
「もう、見てるこっちが退ひくくらい息ピッタリやねんから、もういい加減諦めたらええのに……」
 葵ちゃんがグラスに入ったオレンジジュースを傾けながら、ポツリと誰に聞かせるでもなく呟いた。それを何のことかと私が問とい質ただす前に、皆本さんが口を挟む。
「いろいろ思うことがあるんだろ。まぁこういうのは他人が突っつくといい方向に転ばないものだから、見守るしかないよ」
「他人から見ればただの仲良しさんなんだけどねー」
 チラリと私と先生を見ながら、モグモグと皆本さんが取り分けてくれたサラダを食べている薫ちゃんに、カッと頬を上気させながら叫ぶ。
「なっ、仲良しなんかじゃないわッ」
「えー? 誰も紫穂と先生のことなんて言ってないけどー?」
「ッ!」
 ニヤニヤと私を見つめてくる薫ちゃんに、まるで自分で墓穴を掘ってしまったような雰囲気に包まれて言葉に詰まる。眉を寄せて、子どもみたいに頬を膨らませつつ薫ちゃんを睨み返すと、薫ちゃんはニシシと笑ってプチトマトを口に放り込んだ。
「まぁその辺にしてやれ、薫。こういうのはホント本人次第だから」
「え、それ皆本ハンが言うんや」
 心底驚いた、といった表情で葵ちゃんが皆本さんを見ている。皆本さんは頬を引き攣らせていて、薫ちゃんは、何のこと? と不思議そうな顔で残りのサラダを摘まんでいる。先生は堪えきれないとでも言いたげに吹き出してしまった。
「……笑うなよ、賢木」
「わりぃわりぃ……あんまりにも葵ちゃんのツッコミが鋭かったもんだからさ」
 関西人のツッコミ舐めんといてや! と笑う葵ちゃんに、皆本さんはぐっと苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。それを先生がひとしきり笑ってから、ふわりと笑ってこちらに優しい目線をくれる。
「まぁ……紫穂ちゃんは嫌かもしんないけどさ」
 緩く弧を描いた、まるで愛おしいものを見るように細められた目が、私を見つめて。そろりと私たちの距離が縮まった。
「俺は君と相性が良いって言われて嬉しいよ」
 そっと、私にだけ聞こえるような音量で囁かれたそれに、とくり、と心臓が音を立てる。
 ――やめて。そんな蕩けるような目で私を見ないで。
 心の中ではそう叫びながら、絡む視線に捕えられてしまって目が離せない。熱の籠った目に見つめられて、責め立てられるようにどんどん冷静でいられなくなっていく。先生にも聞こえてしまうんじゃないかというくらいにドキドキと心臓の音が煩くて、その場から逃げ出したくて堪らなかった。
 何か言って、この状況を打開しないと、きっともう、戻れなくなる。どうにかしなくちゃ、と気持ちが焦るばっかりで、頭がうまく回ってくれない。じりじりと追い詰められているみたいだ、と思いながら、何とか口を開こうとしたその時だった。
「はぁーい、みんな呑んでる~?」
 軽やかな声と共に現れた人物に、一気に注目の的が移る。先生の視線も私から離れてその人物へと移された。少しだけ生まれた寂しい気持ちを無視して、ホッと息を吐いてから、私もゆっくりと視線を移した。
「管理官、あまり騒がれるとお身体に障りますよ」
「ちょっとー? アタクシまだまだ現役のつもりよぉ?」
 ビールジョッキ片手に私たちのテーブルのところへやってきた蕾見ばーちゃんが、皆本さんに窘たしなめられている。それを何でもない振りをして横目で見つめながら、グラスを傾けてジュースを口に含んだ。楽しそうに和気藹々としている輪の中で、そのやり取りをどこか冷めた目でぼんやりと眺めて。
「あ! そーだ! ねぇ、賢木クン。警察関係者で賢木クンにね、紹介しておきたい人がいるの」
「は? 俺っすか?」
「そうそう! だからちょっと付き合って」
 私と先生の間に身体を滑り込ませたおばーちゃんが、グイグイと先生の腕を引っ張って先生を椅子から無理矢理立たせる。一瞬だけチラリと先生が私の方を見たけれど、そのまま流れるように警察部隊のテーブルへと立ち去ってしまった。
「なんや、嵐が来たみたいやったな」
「だね。しかも賢木先生、嵐に巻き込まれて連れ去られちゃった」
 何気ない薫ちゃんの言葉に、口に付けたグラスの縁を再びカリリと噛む。チラと視線だけ動かして、遠くに見える賢木先生とおばーちゃんの姿を目で追った。
 先生は警察のお偉方と思しきオジサンと笑顔で握手を交わしていて、その横でおばーちゃんはにこやかにその様子を見守っている。
 チリ、と胸の中で何かが焦げたような感覚が走ったけれど、それを無視して目の前の唐揚げに齧かじりついた。新鮮なレモン果汁の酸味と、じゅわりと溢あふれ出た肉汁が混ざりあって、口の中の満足を取り敢えず満たしてくれる。もぐもぐと咀嚼して飲み込むと、同じように先生たちの様子を見ていた薫ちゃんがポツリと呟いた。
「賢木先生と蕾見ばーちゃんって、セットでいること多いよね」
 薫ちゃんは、皆本さんがお皿に取り分けてくれた唐揚げに手を伸ばしながら、本当に思ったことを口にしただけ、といった様子でもぐもぐと唐揚げを食べ始めた。葵ちゃんはサラダのプチトマトを口に含みながら、過去を回想するように、目線を少し上にして腕を組んでいる。
「……確かに。そう言われてみれば、一緒におること多いなぁ。よぉ二人で喋ってんのも見かけるし」
 仲エエんかな? と言いながら、葵ちゃんはサラダを食べ進めている。何気ない二人の呟きに、先ほど無かったことにしたはずの心の燻くすぶりを呼び戻してしまって、急に口の中に苦味が走ったような感覚を覚えて口許を歪めた。
「まぁ……賢木はバベルの医療部長っていう立場もあるけれど、黒い幽霊の一件から管理官の腹心の部下も務めてるからね。それに、管理官の担当医でもあるから、一緒にいる機会は必然的に多くなるんじゃないか?」
 二人の様子を遠目に窺いながら、皆本さんは半分ほどに減ったビールのグラスを傾けた。その返事にふぅん、と相槌を打った薫ちゃんと葵ちゃんは、急にニヤニヤしながら私の様子を窺いつつ、ヒソヒソと私に聞こえるように内緒話をし始めて。
「賢木先生、蕾見のばーちゃんにも手を出してたりするのかな?」
「いや、流石にそれはないやろ。やって、言うたら医者と患者やで? 流石の先生もそこまで倫理観グズグズちゃうんちゃう?」
「でもさー、あの先生だよ? オマケに蕾見ばーちゃんのあのおっぱいだよ? クラッときちゃうこともあるかもしれないじゃん!」
「うーん……まぁ、そんなことはない、と言い切られへんのが賢木先生の悪いトコロやなぁ」
「……おい、お前ら。下世話な想像をするんじゃない」
「いいのよ、皆本さん。そういう風に疑われても仕方がない下半身の持ち主じゃない。あの人は」
 自分でそう言いながら、じくじくと胸の奥の方が痛むのを感じて、服の上からそっと胸を押さえた。
 どうして。関係ないことのはずなのに。どうしてこんなにも心を乱されるの。
 心が乱されてしまっている自分にイライラしながら、それをぶつけてしまうように薫ちゃんと葵ちゃんに向かってニッコリと微笑んだ。
「でも、どうしてそんな内緒話を私に聞こえるようにするのかしら? 私には関係のないことのはずだけど、どうしてそんなに私の様子を窺っているの?」
 うふ、と絶対零度の微笑みを称えながら二人を見つめると、ヒッと小さく声を上げて二人は後ろに身を引いて。それを、まぁまぁ、と皆本さんに諫いさめられながら、ふい、と顔を背ける。
「先生と蕾見ばーちゃんがどうこうしてたって、私には関係ないんだから」
 まるで自分にも言い聞かせるようにして小さな声で文句を垂れる。
 そう、だって何の関係もない。
 仮に、先生とおばーちゃんがそういう関係だったとしても、私にはどうしようもない。
 ただ、それだけのことなのに。
 どうして、こんなに泣きたくなるの。
「……そもそも、おばーちゃんにまで見境なくチャラチャラしてる先生が悪いんだわ」
 ホント、どうしようもない男、と続けて呟くと、ニヤニヤした薫ちゃんと、苦笑いしている葵ちゃん、それから微妙な表情を浮かべている皆本さんが、私のことをじっと見つめ返していて。思わず身を引いて、なによ、とそれらの視線に対抗するように呟くと、ニヤリと笑みを深めた薫ちゃんが口を開いた。
「……そうだよね。こーんな可愛い子を放っておいて、他に浮気してる先生が悪いんだよね」
「いや、違うで、薫。多分、浮気はしてへんけど、アプローチが全然届いてないんが問題なんや」
「……それには僕も同感かな」
 葵ちゃんと皆本さんが同じように顔を少し俯けて、メガネのブリッジを指で押さえている。薫ちゃんは唇を突き出して、うーんと唸りながら首を捻った。
「私が思うに……多分、アプローチ自体は届いてるんだけど、本人が必死に抵抗してるのが一番問題だと思うな!」
 うんうんと頷きながら言った薫ちゃんに、葵ちゃんも皆本さんも、あー確かに、と深く頷いて。
「いい加減諦めたらええのに、って思うんやけど。何をそんなに抵抗しとるんやろ」
「だから、さっきも言っただろ。こういうのは本人次第なんだって」
「んでやっぱりそれを皆本ハンが言うんやな」
「ぐっ……それは言ってくれるな、葵……」
「……ねぇ、さっきから何の話?」
 さっきから私抜きで進められる主語のない会話に、じっと三人を見つめながら眉を顰ひそめる。そんな私の様子を見て、三人ともがにこにこと笑っていて。愛おしいものを見つめるような目をして薫ちゃんがふわりと笑った。
「内緒だよ! でも、紫穂が、もっと自分に素直になったら……きっと何のことかわかるようになるよ」
 大切に囁かれたその言葉に、どきりと心臓が音を立てる。
 何故か熱くなってくる頬を隠すように顔を俯けながら、グラスを傾けてオレンジジュースを口に含んだ。上がってしまった体温を冷ますように、氷の溶けたオレンジジュースが私の喉を潤していく。こくり、と喉を鳴らしてそっとグラスをテーブルに戻すと、少しだけ気分が落ち着いた気がした。
 ちら、と視線だけを動かして、警察部隊の方を見る。もう一度先生の姿を捉えようとしたけれど、さっき居た場所に先生の姿は見当たらなくて。どこに行ったんだろうと辺りを見渡してみても、先生を見つけることはできなかった。
 そして、そのまま、その日はお開きになっても、先生は戻ってこなかった。

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