雪の悪戯 - 1/2

「……なぁ、もう帰ろうぜ」

薫ちゃんと葵ちゃんが元気よく雪合戦をしている向こう側。
くちゅん、と大の男には似つかわしくない可愛いクシャミをしながら賢木先生は皆本さんに声を掛けている。モコモコのダウンの中には暖かそうなセーターを着込んで防寒対策はバッチリに見えるのに、どうもまだ寒いらしい。

「あー……賢木、寒いの苦手だもんな。どこか暖の取れる場所……」
「いや、オヒメサマたちを置いて一人だけあったかいとこへ逃げるなんてできねぇよ。だからさ、もう帰ろうって皆本が薫ちゃんを説得してくれよ」

頼むよ、と眉を下げている先生に、皆本さんは苦笑いを返す。仕方がないな、といった様子で薫ちゃんたちの元へ向かった皆本さんを見送っている賢木先生の背中はがら空きで、私の前で隙を見せるのが悪いのよとほくそ笑んだ。
今の今まで雪ダルマを作っていた手はキンキンに冷えている。できるだけ音を立てないように忍び足で先生に近付いて、後ろからほっぺたに目掛けて手を伸ばした。

「えいっ」
「うひゃぁ!!!」

面白いくらいにびくりと跳ねた先生の肩が腕に当たる。背伸びしていたのと雪で足元が悪かったのもあって、心許なかったブーツの底がつるりと滑った。あ、と思ったときにはもう身体はぐらりと後ろにバランスを崩していて、受け身が間に合わないとぎゅっと目を瞑る。尻餅の衝撃に備えようと身を固くするとぐいっと腕を引っ張られて腰を抱き寄せられた。

「あぶねぇなもう! 雪舐めんな?! 怪我したらどうするんだよ!」

予想を外れて、しっかりとした身体に支えられている自分の身体は、雪に埋もれることも固く踏みしめられた冷たい地面に打ち付けることもなく、まるでダンスでエスコートされるように優しく体勢を立て直されていた。驚いてぱちぱちと瞬きを繰り返しているうちに、腰に回された手は移動して中途半端な位置で固まっていた私の手を掴んだ。

「オイオイふざけんなよ女の子がこんなに手ぇ冷たくして! 体調崩したらどうすんだ!」

私の手を掴んだ途端目を見開いてぎゅっと私の手を掴んだ先生は、ゴソゴソとダウンのポケットを漁って白い何かを取り出した。

「カイロ貸してやる。この辺自販機もねぇから温かい飲み物調達できねぇし……」

あーもう、と言いながら、私の両手にカイロを挟んでそれを包むように先生の大きな手が優しく添えられる。冷えきった私の手を擦るようにしてマッサージしてくれる先生は、冷たい冷たいと言いながらも私の手に触れることは止めない。

「なかなか温もらねぇな……生体制御してやろうか?」
「い、いらない」

別に変なことを言われているわけじゃないのに動揺してどもってしまった。何故か妙にドキドキもしている。なんだか顔があつい。指先はまだ氷のように冷たくてジンジンしているのに、先生の手が触れているところが火傷しそうなくらい熱くて堪らない。

「あー! 紫穂と先生がいちゃいちゃしてる!」

突然届いた薫ちゃんの声に、バッと手を引き剥がそうとしても先生は離してくれなくて、ぎゅっと私の手を包んだまま薫ちゃんたちの方へ顔を向けた。

「えー? 俺らそんな風に見えるか?」

ヘラリと笑ってそう答えた先生に向かって、そうだよー! とニヤニヤしながら近付いてくる薫ちゃんたちにワッと叫ぶ。

「いッ、いちゃいちゃなんかしてないッ!!!」
「えぇー? いちゃいちゃじゃん! イチャラブじゃん!」

にまにまと笑いながら指摘してくる薫ちゃんは私たちの真似をするように葵ちゃんの手を掴んだ。

「すっかり冷えてるじゃねぇか、紫穂。俺の熱であっためてやるよ」
「先生の手ぇ、あったかい? 私の心も身体もあっためて!」
「紫穂!」
「先生!」

私たちの目の前で繰り広げられる葵ちゃんと薫ちゃんの茶番劇は二人がひしと抱き合うところで終わる。見せつけられたそれらにわなわな唇を震わせながらそんなことしてない! と抗議の声を上げた。

「……ちょっと大袈裟だし最後は違うけど大体そんな感じ……だったかもな? 紫穂ちゃんの手があんまり冷たいからさ、俺のカイロ使ってあっためてた」

ホラ、と私の手を解放した先生は、私の手に包まれたカイロを二人に見せて説明している。先生は本当に何でもないことのように振る舞っていて、それが何だか胸の奥をチリチリと焦がした。

「ほらー! やっぱり超ラブラブじゃん!」
「おアツい二人のおかげで雪も溶けそうやわぁ」
「んなことねぇよ。紫穂ちゃんの指先あっためるだけで手一杯だって」
「ラブラブなのは否定しないんだー?」
「別にこれくらい普通だろ?」
「きゃー! モテはる男は余裕が違わはるわぁー」

キャッキャと盛り上がる二人に先生は笑みを崩さないまま応対している。その余裕が腹立たしくて、ムッと頬を膨らませながら三人の様子を見つめる。

「でもさでもさ、私とか葵が先生にあっためて? って言ってもしてくれないんじゃん?」
「……そりゃあな? 薫ちゃんには皆本がいるし、葵ちゃんにはバレットがいるだろ? 彼氏持ちの女の子に気安くそういうことしちゃダメだろ」
「またまたそんなん言うてー。正直に言わはったらどないやのん!」
「えー? 俺は男として当然のことをしたまでだって」

さ、ホラもう帰ろう帰ろうと笑う先生の横顔は本当に何ともなくて、むくれていた気分が一気に萎んだ。私に背を向けて歩き始めた先生の背中をじっと見つめて溜め息を吐く。
何をこんなに乱されているんだろう、私らしくもない。フン、と鼻を鳴らして手のなかでホカホカしているカイロを先生に返そうと口を開いたときだった。先を歩いていく皆から一歩遅れたところで立ち止まった先生がくるりとこちらに振り返る。真っ直ぐ私を見つめてニッと笑った先生が、ダウンのポケットに手を突っ込んで言った。

「それ、やるよ。俺の代わり」

大事に使えよ、と目を細めた先生は緩く首を傾げてみせる。さっきまでとは違う、どことなく色気を孕んだその仕草にドキリとして、掴んでいたカイロをぎゅっと握り直した。
先生はそんな私に満足したのかふわりと優しく微笑んで、また皆の元へ戻っていく。取り残された私は掴み直した拍子にうっかり透視んでしまったカイロに色濃く残る先生の手の感触にまたドキリとして慌ててカイロを取り零しそうになった。
今のは一体なんだ。ついさっきまで私のコトなんて何とも思ってないとでも言いたげだったのに。薫ちゃんたちに見つかる前までとも違う甘い顔。見ているだけでクラクラするような表情に惹き付けられる。きゅうと胸が苦しくなって息苦しささえ覚える感覚に困惑して、貰ったカイロで赤くなった顔を隠した。
誰も見ていないとわかっているのに、今の自分の顔は誰にも見られてはいけない気がする。紫穂ー、置いてくよー、という薫ちゃんの呼び声が聞こえるまで、その場に立ち尽くしたまま何度も何度も、深呼吸を繰り返した。

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