イエローマゼンダ・シンドローム - 2/11

「紫穂ー!今日も同伴出勤?」

バベルの駐車場から見送りはいらないと断っているのに、待機室までくっついてきた先生と歩いているところを薫ちゃんと葵ちゃんに目撃されてしまった。

「遂に自分らお付き合い始めたん?」

二人の冷やかしの言葉に何て返してやろうかと頭を巡らせていると、先に先生が口を開いてしまう。

「俺のお姫様は手強いからまだお付き合いできてねぇし、俺は午後からオフだから同伴出勤でもねぇよ」
「なんだぁ、つまんないの」
「ホンマやー。紫穂、いい加減付き合ったりぃな。先生かわいそうやで」
「なっ!どうしてかわいそうだからってお付き合いしてあげなくちゃいけないの?!」
「そんなん言うても、あんたらもう付き合ってるようなもんやんか。」
「そーそー。どっからどう見てもラブラブ!」
「えっ?マジ?俺らそんな風に見えんの?」
「ちょっと!調子に乗らないで!」

わちゃわちゃと始まってしまった会話を、バベルの職員たちが遠巻きに見ながら通り過ぎていく。
恥ずかしくてやっていられない。
顔が赤くなるのを自覚しながら、何とかこの場を切り抜ける方法を考えていると、救世主がやってきた。

「何やってるんだ?君たち。こんな廊下の真ん中で」
「皆本さんっ」

たたっと輪を離れて皆本さんに駆け寄る。
皆本さんの腕を引いて精一杯困った顔を作ってから皆の事を指差した。

「皆が私の事をからかっていじめるのよ!何とか言ってやって、皆本さん!」
「ああ、賢木。紫穂の送迎おつかれ。君これからオフだろ?何やってるんだ?」
「紫穂ちゃんの見送りー。ちょっとでも一緒に居たかっただけさ。もう帰るよ」

ふっと柔らかく微笑んだ先生が、ちらりと私を見てから笑みを深めた。
じゃあな、と手を振る先生を、可愛げなくぷいっとそっぽを向いて見送る。
先生はそれすらもクスリと笑って楽しそうに去っていった。

「ハァー!相変わらず気障やなぁ!」
「ホント!百戦錬磨の男は違うね!」

薫ちゃんと葵ちゃんがキャアキャアと黄色い声を上げているのを皆本さんの隣で一瞥する。
皆本さんを伴って待機室へ入ると、皆本さんが改めて私に向き直って問い掛けた。

「紫穂、一体いつになったら賢木と正式に付き合うんだ?」

皆本さんまでそれを聞いてくるのか、と思わず顔をしかめて溜め息を吐く。
そういったことに鈍いこの人にまで聞かれてしまうなんて、相当賢木先生を待たせていると言われているようなものだ。
何と答えたものか、と逡巡していると、皆本さんにポンと肩を叩かれた。

「まぁ、僕らがあれこれ言うことじゃないけどさ、紫穂の気持ちが固まったら、賢木にちゃんと応えてやれよ」
「……わかってるわよ」

気持ちなんて、もうとっくに固まっているのだ。
ただ、いつまでも最後の勇気が出ないだけで。
怖い、恥ずかしい、という気持ちを乗り越えることができなくて、いつも足踏みしてしまう。
こんなことじゃいけないのに、とわかっていても、先生の優しさに漬け込んでいる私は、本当にズルい。

「わかってるのよ、いつまでも待たせちゃいけないって」

自分に言い聞かせるように繰り返して、目を閉じる。
ふぅ、と息を吐いてから、ゆっくりと目を開いた。

「でもね、どうしたらいいか、わからないのよ」

泣きそうになりながら三人に笑ってみせる。
涙は溢れないけれど、気分的には泣いてしまいそうで、思わず顔を隠すように俯いた。
だって、どうすればいいのかわからない。
あんなに優しい先生に、どう返せばいいのかなんて。
もっともっとと甘えさせてくれる先生を相手に、私はそこからどうやって抜け出せばいいのか、もうわからない。
いつか来るかもしれない終わりが怖くて、このまま、甘いだけの関係でいようとする自分が本当にズルいのはわかってる。
でも、差し伸べられた手を離されてしまったら。
私はもう、きっと生きていけない。

「…紫穂、アンタ、なんか拗らせてもぅてるな」

葵ちゃんの言葉に、ハッとする。
確かに、今の私の状態はいろいろと拗らせてしまっているというのがピッタリとはまる。
元々この恋は、ピンと張った糸ではなかった。
自分の中で縺れて縺れて、扱いきれなくて、一度は捨ててしまおうとしたくらいの糸の塊だった。
それが、優しくほどけるのかと思ったら、また柔らかく絡まり出して、自分で身動きが取れなくなるくらいに私自身に絡まっている。
動こうとする度に絡まるその糸は、私を息苦しくさせるには充分で。
どうすれば思うように動けるようになるのか、私にはわからない。

「…もっとシンプルに考えていいんだと思うよ。好きか嫌いか、触れたいか触れたくないか。例えばそれくらいの二択なら、シンプルに答えが出るだろう?」
「うわっ、鈍い皆本が何か凄い良いアドバイスしてる!」
「…鈍いは余計だ。紫穂、どうだい?」
「…確かに、そうなんだけど」

本人を前にしなければ、素直に答えられるのだ。
好きか嫌いかと言われれば間違いなく好きだし、触れたいか触れたくないかと問われればもっと触れたいというのはわかりきった答えで。
本人を前にした途端、恥ずかしくて素直になれない自分がいる。

「ツンデレも行きすぎたら嫌われるで?紫穂」
「なっ!私ツンデレなんかじゃないわよ!」
「えー?ツンデレなんだと思ってた」
「ち、違うわよ!」

そう。多分、ツンデレなんかじゃない。
純粋に怖いのだ。
恋に不慣れな私が、恋に慣れた先生を相手にできるのか。
すぐに飽きられて終わってしまうんじゃないか。
先生が本気なのはわかるけど、その本気もどこまで続くのかなんてわからない。
だって、私たちにはそれが透視える。
恋心なんて、明るくて柔いものだけど、いつ潰れて汚いものになるのかわからない。
それがわかっているから、踏み出せない。
最初の一歩が始められない。
ずっとこのままもありえないけれど、このままがずっと続けばいいのにと願ってる。
なんて、臆病な、恋心。

「まぁ、賢木が相手だからね。考え過ぎもよくないけれど、答えが出たなら、ちゃんとアイツに応えてやってくれ。」

ポンと、皆本さんに頭を撫でられて、こくりと頷く。

「紫穂なら大丈夫だよ。それに賢木先生だって、紫穂のこと好き過ぎてヤバイくらいだし」
「せやせや、あの女好きが一本に絞ったらこないなるねんなってお手本見せられてる気分やわ」

薫ちゃんと葵ちゃんが私の腕を取って笑いかける。
皆がくれる勇気を、どうかもう少し。
包み込むように、きゅっと自分の手を握り締めた。

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