「皆本のバカッ!!!」
薫ちゃんが皆本を責める声が部屋中に響く。葵ちゃんもその横で怖い顔をして皆本を睨みつけていた。
「何もあのタイミングでコメリカの話出すことことないじゃん! そもそも先生がコメリカに行くかどうかもまだ決まった話じゃないでしょ!!!」
「皆本ハン、紫穂を連れてこいしか言うてへんかったやん! あないな煽り方ないんとちゃう?!」
「……紫穂を煽ったような形になったのは悪かった。でもあれくらい言わないと紫穂も危機感持たないんじゃないかと思ってだな」
「だからってまだ決まってもないコメリカ行きの話を嘘吐いてまですることないじゃん!!!」
薫ちゃんの訴えを聞きながら、くしゃりと前髪を掴んで深く溜め息を吐いた。
「……いや、いい。皆本、そのまま話を進めてくれ」
思ったよりも淡々とした声が出て、ふ、と口許を歪める。もっと取り乱すかと思ったけど、案外落ち着いている自分。それは年のせいなのか、それともある程度予想して覚悟を決めていたからなのか。どっちなんだろうと思いながらゆっくり顔を上げて皆本に向き直った。
「俺のコメリカ行き、二月十二日発で手配しておいてくれ」
俺の言葉に、この部屋にいる全員が大きく目を開いて俺の顔を凝視している。それに苦笑いを返しながら白衣のポケットに手を突っ込んで、おどけた様に言ってみせた。
「そんな驚くことでもねぇだろ? 予定してたことが早まっただけじゃん」
肩を竦めて首を傾げると、薫ちゃんがキッとキツイ目を俺に向けて今度は俺に突っかかってくる。
「まだ! ……まだッ! 紫穂と先生は別れてない!!!」
縋るように繰り出された拳を胸で受け止めて、そこから溢れるように伝わってくるもどかしいという気持ちに眉を顰める。俯いて肩を震わせている薫ちゃんの肩をそっと撫でて、宥めるように頭に手を置いた。
「もう、いいんだ。薫ちゃん。今ので、俺も覚悟決まったから」
紫穂は、自由になれて清々する、と言っていた。それが本心でないとしても、やっぱり、俺には言葉通りにしか受け取れない。これ以上、紫穂の内側へ踏み込むことができなかった。その時点で、俺が紫穂に結婚を申し込んだって、上手くいく訳がなかったんだ。
「コメリカに行くまでに、紫穂とのことはちゃんとケジメつけるから。もう、そっとしておいてくれないか」
目尻に涙を浮かべて俺を睨みつけてくる薫ちゃんにはっきりと告げる。もうここからは俺と紫穂との問題だ。ちゃんと紫穂が次の男に目を向けられるように、俺ができる精一杯のことをしてやらなきゃいけない。
「紫穂なら大丈夫だ。ああ見えて、芯だけは人一倍強いのは皆知ってるだろ?」
まるで自分に言い聞かせるように笑って告げる。それを泣きそうな目で見つめ返してくる薫ちゃんは、子どもの頃に戻ったようにイヤイヤと首を振った。
「ダメだよ! 紫穂から先生を取っちゃったら、紫穂が紫穂じゃなくなっちゃう!」
髪が乱れるのも気にせずそんなのダメだと頭を振り続ける薫ちゃんの様子に、じわじわと自分の中にある悲しみが呼び起こされて心が痛む。ぎゅっと潰れてしまいそうな胸を服の上から掴んで少しでも痛みを誤魔化そうとしてはみるけれど、きっともうこの痛みは一生消えることはないんだと思う。この決断をした時から、ずっとずっと胸の奥で軋み続けていた傷が、遂にひび割れて血を溢れさせてしまった。
「それでも、俺が紫穂の自由を奪っちまうのだけは許せねぇんだよ。紫穂には紫穂の未来を自由に生きて欲しい」
精一杯笑って言うと、今までずっと黙っていた葵ちゃんが、強い意思を持って俺を見つめ返してきた。
「……ウチは……ウチはまだ諦めへん! ギリギリまで粘ったる! 先生がコメリカに行ってまうまで、ウチは紫穂を説得し続ける!」
目に宿るのと同じくらいの力の強さを持った言葉を投げつけられて、ぐらりと決断が揺らぎそうになる。そんな俺を見て皆本も何か思うところがあったのか、真っ直ぐにこちらを見て言った。
「僕も……紫穂を信じるよ。コメリカ行きの手配はするけれど、紫穂はここで終わる珠じゃない」
眉を寄せて険しい顔で俺を見つめてくる皆本の視線から逃れるように、顔を俯ける。
「……ありがとな、皆」
俺だってそうだと願いたい。紫穂が俺に向かって手を伸ばしてくれるなら、俺は迷わず全て放り投げてでも紫穂を受け止めるだろう。それくらい自分にとって紫穂は大きい存在だと言っていい。自分だって本当は紫穂から離れなくて済むのなら、その道を選びたい。それでも、俺が紫穂の側に居続けたなら、きっと歪みが生じてうまくいかなくなるのは見えている。ただでさえ精神感応系は人より過敏で生きづらい。力が強すぎる紫穂が、何にも縛られず自由に生きたいと思うのは俺にだって理解できる。ずっと一緒に居たい俺とは、どうしたって平行線なんだ。
「でもさ、俺は紫穂の意思を尊重したいんだ」
俺たちを見守ってくれている三人に、眉尻を下げて笑顔を返すと、目元をぐいっと拭った薫ちゃんが俺を見つめて言った。
「先生も紫穂を諦めないで! 紫穂は先生のこと、ずっと……ずっと好きなんだよッ!」
「……薫ちゃん」
「紫穂のことが好きなら、ワガママでも何でもいいから紫穂のこと離さないでよ! お願いッ!」
ぎゅっと眉を寄せて苦しそうに薫ちゃんは叫ぶ。同じように眉を寄せて葵ちゃんも俺を見ながら頷いている。皆本は眼鏡の位置を直してから、真っ直ぐ俺を見つめた。
「……僕は、賢木の気持ちもわかるから。紫穂のことを素直に応援する気にはなれない。そろそろ、紫穂も腹を括ればいいんだ」
腕を組んで静かに告げた皆本に、薫ちゃんと葵ちゃんがどっちの味方なんだと詰め寄っている。それをちょっとだけ暖かい気持ちで見守りながら、まだ少し痛む胸を撫で付けた。
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