「見送りありがとな、皆本」
「これくらいさせてくれよ。親友を送り出すんだから」
「ああ……でも、ホント、お前がいてくれて助かった」
本当に助かった、と重ねて皆本に告げる。コメリカ行きの手配もそうだけど、紫穂と別れてからの俺の精神状態はとてもマトモなものじゃなかったから、皆本がいなければ本当に自暴自棄になってコメリカに飛ぶことになっていたかもしれない。
「向こうに着いたら、すぐ連絡入れるし、今日はもうここでいいぞ」
空港まで車出してくれてありがとな、と続けると、ちらりと時計を確認した皆本が少しだけ慌てたように答えた。
「いや、まだ少し時間あるし、ギリギリまでいるよ」
搭乗手続きのカウンターに並ぼうとして、皆本にそれを引き留められる。それを首を傾げながら訝しんで見つめると、皆本はいかにも挙動不審に目を泳がせた。
「……頼むから俺の決心を鈍らせんなよ」
「うう……済まない」
「取り敢えず身軽になりてぇから、搭乗手続きしてくるわ」
「あ、ちょっ! 賢木!」
尚も俺を留めようとする皆本を振り切って、搭乗手続きを済ませてトランクを預ける。これでもうどうやったって俺はコメリカ行き決定だ。
「お待たせ! もう泣いても笑っても俺の身柄はコメリカ行きってわけだ」
ニッと笑って皆本にピースサインを送ると、ぎゅっと眉を寄せて泣きそうな顔で皆本が、賢木、と呟いた。そんな皆本に、困ったような笑顔を向けて、肩を叩く。
「俺よりおめぇの方が泣きそうじゃんよ。出立するのは俺よ? 振られて傷心で国を出るのは俺の方だぜ?」
目頭を押さえている皆本の肩を抱いてカラリと笑ってみせる。そうでもしてないと自分も泣いてしまいそうでどうしようもなかった。ゆっくりとそのまま出国審査の窓口へ向かおうとすると、皆本が足を踏ん張って抵抗する。
「待ってくれ! もう少し、せめてギリギリまで待ってみないか?」
顔を上げた皆本が、俺に向かって懇願するように叫ぶ。それを眩しいものを見るような目で見つめ返して、ふ、と力なく笑った。
「……もういいよ……来ねぇよ、紫穂は。薫ちゃんと葵ちゃんは見送りに来てくれるかもしんねぇけどさ」
皆本の肩を抱いていた腕を解いて、両手をポケットに突っ込む。そのまま皆本を置いてゆっくりと歩き出す。
「決心ぐらついちまうから、ホントもう行くわ。今はいくらでも連絡の取りようあるしな。向こうでホームシックになっちまったらビデオ通話で相手してくれよ」
皆本に振り返りながらニカリと笑う。表情筋に力を入れていないと、強がりが崩れてしまいそうで。皆本が悔しそうに俺の後を着いてくるのを確認して、ゆっくりと出国ゲートへと向かう。周りには抱き合って別れを惜しむ人や家族に見送られて笑顔で手を振っている人、いろんな人がいた。あのクソ忙しい皆本が俺の見送りに来てくれただけ、最高じゃないか。
「じゃあな! 皆本! 向こうの空港に着いたら連絡する」
「賢木ッ」
「……紫穂を頼む」
「だからそれは君がッ」
皆本が言葉を続けようとしたのを手の平で制止して、静かに笑いかける。そのまま何も告げずに皆本に背中を向けて、ゲートの列に向かって歩き出す。
「……先生ッ」
聞こえるはずのない声が耳に届いて、思わず足を止めた。遂に幻聴まで聞こえるようになったか、と自分の精神状態のマズさに笑みを溢して、もう一度足を前に進める。幻聴を振り切るようにしっかり前を見据えて歩き出した。
「修二ッ!!!」
聞き間違えようのない声がもう一度聞こえてくる。しかも滅多に呼んでもらえない俺の名前。まさか、いるのか? いや、そんなはず。そう考えながらも身体は声のした方向へと振り返っていた。恐る恐る目を開けて、視界をクリアにする。ピントの合った目が、その姿を捉えた。俺目掛けて一直線に駆けてくる紫穂が、俺の胸に飛び込んできた。俺は幻覚でも見てるのか? 固まってしまった自身を何とか奮い立たせて、受け止めた紫穂を見下ろす。
「……え? なんで? 紫穂?」
俺の身体に紫穂が抱き着いている感覚、俺の手が紫穂の肩に触れている感覚、それらがこれは幻覚ではなく現実だということを告げていて。思考の追いついていない頭が空回りして、まともな言葉が出てこない。紫穂は肩で息を整えながら、ぎゅうと俺の身体を抱き締めて、キッと俺のことを睨みつけた。
「行かないでッ!」
俺に向かって叫ぶ紫穂の目には、涙が浮かんでいて。呆気に取られて何も言えないでいると、ぎゅっと眉を寄せた紫穂が、縋るようにもう一度叫んだ。
「私を、先生の……修二のお嫁さんにして!」
嘘だろ。遅ぇよ。今言うのかよ。いろんな言葉が湧いてきては消えていく。それでも、口をついて出たのは、びっくりするくらい間抜けな言葉だった。
「……それ、ホント? 信じていいのか?」
何とか誤魔化していたはずの涙腺が、遂に緩んで目頭を熱くしていく。じわりと溢れてきた涙が零れないように目を細めて、紫穂の頬に手を添える。その手にそっと指を這わすように触れてきた紫穂は、泣きながら笑って、言った。
「修二になら、私の自由、奪われてもいいかなって」
思ったの、と続けた紫穂を、力いっぱい抱き締める。細くて折れそうな身体は俺に応えるようにぎゅっと縋り付いてきて。愛しくて堪らなくて、その小さな丸い頭を抱えるように手の平で抱き寄せた。
「紫穂……紫穂ッ」
溢れてくる涙も気にせずに紫穂の肩に顔を埋めて、久し振りの紫穂の髪のにおいを胸いっぱいに吸い込んだ。甘くてくらくらするそれは、変わりなく俺を包んでくれて。縋ってくる紫穂の身体とひとつに溶け合うように抱き締め直した。
「ゴメンね……修二……待たせて、ゴメンね」
涙声で呟いた紫穂の頭を優しく撫でて、耳元で囁き返す。
「……いい女は男を待たせるのが定石なんだよ」
自分の声も涙声になってしまっていて情けないけれど、そんなことはどうでもよかった。だって、紫穂が俺の胸に飛び込んできてくれる。それだけで最高じゃないか。
「皆本ッ! 間に合ったッ?!」
「紫穂はちゃんと先生に会えたんかッ!?」
「ああ! 大丈夫、問題ないよ」
バタバタという足音と共に駆け寄ってきた薫ちゃんと葵ちゃんの声が届いて、ふと顔を上げると、自分たちの周りにサークル状の人だかりが出来ていて、その中心で俺たちが注目を浴びていることに気付く。次第に上がる、パチパチというバラついた拍手の音が徐々に大きくなっていって、自分たちがどうやら世間の皆様の前で所謂感動的な再開とプロポーズを繰り広げてしまったことに思い至った。未だ俺の胸に顔を埋めている紫穂は気付いていなかったようだけど、拍手の音に周囲の異変を感じたのか、顔を上げると瞬時に状況を察知したようで、顔を赤くしてまた俺の胸に顔を埋めてしまった。俺も多少赤くなった頬を誤魔化しながら周りの人に頭を下げつつ、紫穂を連れて一緒に輪の中にいた皆本たちへと近付いていく。集まっていた人たちも、これ以上は何も無さそうだということを察してくれたのか、ザワザワとまた喧騒の中へと戻っていった。
「……ギリギリまで、待っててよかっただろ?賢木」
ふわりとこちらに笑いかけてくる皆本に、うん、と頷いて、ふと、嫌なことを思い出してしまう。
「……でも、俺、そろそろ行かなきゃなんねぇ」
時計を見れば、今が本当に何とか出国手続きを済ませて搭乗に間に合うギリギリのタイミングだった。精一杯イヤだと目線で伝えてくる紫穂を、惜しむように見つめ返して身体を離す。
「今更、コメリカ行きを無しになんてできねぇよ」
「その件だけど、賢木、ちょっと搭乗券貸してくれ」
「……は? いいけど」
どうした急に、と思いながら搭乗券を皆本に手渡すと、受け取ったその手で皆本はビリビリに破いてしまった。
「はぁ!? お前何やってんの!?」
「いいんだ、これで。元々お前のコメリカ赴任はフェイクだったから」
「はぁァァァッ!?」
破いた搭乗券を丁寧に集めてダストボックスに投げ込んだ皆本は、眉を下げて笑いながら俺に向かって言った。
「そもそも、君みたいな優秀な人材をみすみすコメリカに渡すわけないだろう? 取り敢えず、向こうに着いたら全部バラして、ひとまず二週間くらいの外交任務をしてもらってからこっそり帰国してもらう予定だったんだ」
これはもちろん管理官命令で動いてたことだけど、と続けた皆本は、悪びれた様子を一切見せずに俺たちに向かって笑顔を向けている。
「だからこんなにいろいろスムーズに話が纏まってたのか! 何かおかしいなとは思ってたんだよ! っていうかお前俺を騙したな!!!」
「騙したんじゃない。君たち二人を守りたかったんだよ」
「……皆本……って何かいい感じに話纏めてくれちゃってるけど! 俺の荷物どうすんだよ! もう積荷に乗っちまってるぞ!?」
「ああ! それなら僕と葵と薫で何とかしてくるから! 君たちはここで待っててくれ!」
さあ行こう! と駆け出して行った皆本は、俺からちゃっかり荷物の半券も奪っていってしまい、待っててなーと手を振る葵ちゃんと薫ちゃんを見送って、この場にはポツリと俺と紫穂が取り残されてしまった。取り敢えず手近なベンチを探して二人並んで座ると、ぽてり、と紫穂がもたれ掛かってきた。久し振りの甘えられ方が何だかくすぐったくて、そろりと様子を窺いながら肩を抱き寄せる。
「紫穂」
外で触れ合うことを嫌がる紫穂が素直に受け入れてくれているのに感動しながら、そっと声を掛ける。
「ありがとな……俺を、引き留めてくれて」
そろりと紫穂の肩を撫でて囁くと、ハッとしたように俺を見た紫穂が、ふわりと笑った。
「違うわ、先生」
紫穂の、空気の澄むような美しさに周りの喧騒が一瞬だけ遠のいたような感覚に陥って、目を細める。
「先生が……修二が愛してくれる自分に、自信を持とうと思っただけよ」
吹っ切れたように笑って言う紫穂の横顔にぐっと胸が締め付けられた。
「……そっか」
もう引っ込んだと思った涙が、うっかり顔を出してしまいそうで。無理矢理口だけ笑みの形にして、顔を少し俯けて前髪で目元を誤魔化した。
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