賢木修二はネコである! - 4/5

負け戦に挑むつもりはないけれど、やっぱり負け戦、なの?(皆本→賢木)

「はっぴばーすでーとぅーゆー! はっぴばーすでーとぅーゆー!」

 明るい手拍子と歌声が暗い部屋の中で響く。

「はっぴばーすでーでぃあ賢木せんせー! はっぴばーすでーとぅーゆー!」

 お誕生日おめでとう賢木先生! と、わっと皆の声が上がる。それに合わせて先生がふぅ、と蝋燭の火を消して、部屋の中が真っ暗になった。一瞬の間を置いて、ふ、と部屋が明るくなる。皆本さんが照明のスイッチを操作して、部屋の明るさがちょうどよくなった。

「いやー、やっぱたまにはこうやって祝ってもらうのも嬉しいもんだな!」

 アハハ、と本当に嬉しそうに笑いながら先生は皆本さんお手製のケーキの前に座っている。私たちはそれを囲むように立っていた。大人になってからは久々のフルメンバーで食卓を囲っていた。

「せんせー、なんかそれオジサンっぽいよ」
「うわ、マジで? 気を付けねぇと……」
「それがオジサンぽいねん。もう先生も若ぅないってことちゃう?」
「そ、そんなことねぇよ! 俺まだ若いって!!!」
「……そういうこと、自分で言うから年寄りなのよ」
「ひどっ! 紫穂ちゃんひどいッ!」

 皆それぞれの座席に座りながら口々に軽口を叩きあう。こんなのも本当に久し振り。皆本さんが今年は皆で賢木のお祝いしないかって声を掛けてくれなかったら、この楽しい食事会にも参加できなかった。

「先生は! 歳を重ねられてもきっと格好いいままだと思われます!」
「そーだよ! 絶対ダンディでハンサムなおじ様になるよ!」
「マジで? そうかなぁ?」

 先生はバレットとティムに褒められて、えへへ、とだらしなく笑って調子に乗っている。
 薫ちゃんと葵ちゃん、バレットとティム、それから皆本さん。数年前までは一緒にご飯を食べるのが当たり前だったメンバー。皆もう大人になってしまって、以前使っていたテーブルに追加のテーブルを繋げないと皆で食卓を囲めなくなってしまった。今日の主賓の先生は所謂お誕生席に陣取って、にこやかに笑っている。
 当然よね。だってお腹いっぱい皆本さんの手料理を食べて、オマケに先生好みのケーキまであるんだもの。先生が喜ばないわけがない。

「ケーキ切り分けようか。皆食べられそうかい?」
「当たり前やん! デザートは別腹や!」
「あ! 私の分大きめに切って! 皆本!」
「こら薫! このケーキは賢木の……」
「いいっていいって。女の子たちのケーキは少し大きめに切ってやんなよ、皆本」

 にこにこと笑みを絶やさない先生は本当に幸せそうで。それは皆本さんと過ごせているからなのか、こうして皆からお祝いされているからなのかはよくわからなかった。皆本さんがケーキをキッチンへ運ぼうとするのを見てスッと席を立ち上がる。

「私も手伝うわ」
「そう? ありがとう、紫穗」

 軽く言葉を交わして皆本さんのあとについて行く。後ろで先生と皆が楽しそうに会話しているのを聞いて、小さく溜め息を吐いた。

「……皆とお喋りに混じってなくてよかったのか?」

 そろりとケーキを崩さないように作業台に置いた皆本さんは、ケーキ用の波刃包丁を取り出しながら私にだけ聞こえるような音量で呟いた。

「……別に。それに、皆本さんに聞きたいことあったから」

 棚から人数分の食器を取り出しながら、私も小さな声で答える。皆本さんは包丁をお湯で温めながらくすりと小さく笑った。

「聞きたいこと?……あぁ、当ててみようか? どうして今年は皆でお祝いすることにしたの、かな?」

 ふふ、と楽しそうに笑いながら皆本さんは包丁に付いた水分を布巾で綺麗に拭き取っている。聞きたかったことを丸々当てられてしまって、自分でも眉が寄るのがわかる。顰め面が皆本さんに見つからないように背を向けながら、紅茶を淹れる準備を進めた。

「……私のことは何でもお見通し、とでも言いたいの?」
「違うよ。僕はただ、公平に楽しむにはどうすればいいのか考えた結果がこうなっただけだよって言いたいだけさ」

 皆本さんは器用にケーキをカットしながら静かに答えている。まるで自分は何が来ても正々堂々とブレずに立っているだけだとでも言うように。

「……それだったら。松風君がいないのはおかしいわ。皆本さんなりの人選はしたってことじゃないの?」

 少し棘が目立つような言い方になってしまったのは致し方ない。皆本さんの前ではいつも自分がまだまだだと見せつけられているようで心が痛い。

「松風も誘ったよ。でも断られたんだ。まぁ、予定が入っていたのも知っていたけど、アイツは虎視眈々と賢木が独りになるのを狙っているから、こういう輪に入って僕と面するより陰で動くんじゃないか? 今の松風は」

 それは君も想像できるだろ? と言いながら、皆本さんは私が差し出したお皿にひとつひとつ、丁寧にケーキを並べていく。

「……皆本さんだって何かと先生を独り占めするくせに」

 ぽつり、と口から出た不満に、皆本さんは綺麗に微笑んだ。

「まぁね。僕はアイツの唯一の親友だから」

 浮かべられた余裕の笑みに、ぐっと奥歯を噛み締める。私がどうしたって手に入れることができないそのポジション。それをわかっていて皆本さんは私の前でその言葉を口にする。きっと先生に一番近いのはこの人だ。

「そうね。賢木先生、皆本さんのこと大好きだものね」

 だからって負けたなんて認めるのは悔しい。今言っている台詞が負け惜しみにしか聞こえないのも悔しい。この人にはどうしたって勝てそうな気がしない。他の有象無象とは違う、圧倒的ラスボスだ。
 くっと唇を噛み締めていると、使い終えた包丁を洗い終えた皆本さんが、前髪で表情を隠しながら小さく呟いた。

「僕は紫穗が羨ましいけどね」
「……え?」

 珍しく弱気なその発言に目を見開いていると、ふわりと優しい笑顔を湛えた皆本さんがそっと私の頭を撫でた。

「君だって賢木の特別だ」

 子どもの頃にそうしてくれたように、優しい目で私の頭を撫でる皆本さんは、少しだけ寂しそうに微笑んで。

「君以上に、賢木のことを理解できる人間なんて、この世に存在しないんだ」

 僕はそれが羨ましくて堪らないよ、と小さく呟いてからパッと私に背中を向けた。離れてしまった所為でもう皆本さんの表情は見えない。大きなトレイを取り出してこちらを向いた皆本さんは、もういつも通りの皆本さんの笑顔で私を見ていた。

「さぁ、ケーキを運ぼう。皆が待ってる」
「……そうね」

 私を置いて気持ちを切り替えた皆本さんが悔しくて、何でもない風を装って笑ってみせて。トレイを持ってキッチンを出て行く皆本さんの後を、ティーセットを持って追いかけた。

「わぁ! 皆本の本格ケーキ! 久し振り!!!」

 主役の賢木先生よりも目を輝かせた薫ちゃんがケーキを前にして叫ぶ。
 お店で買ってきたと言ってもわからないくらいの皆本さんのケーキは、スポンジが三層になっていて、間にクリームと果物がたっぷり挟まれている。デコレーションは生クリームとイチゴのシンプルなものだけど、技巧が凝っていてとても素人じゃ真似できないクオリティだった。
 そして嫌というほどに先生の好みを網羅している、完璧な誕生日ケーキだった。

「皆本ハン、相変わらず料理の腕前プロレベルやな」

 ひと口分のケーキをフォークで掬い取った葵ちゃんが、それをまじまじと見つめながらうっとりと呟く。

「だろー? マジで皆本、料理屋とかしてみたらどうだ? 俺も手伝うからさ」
「いや……プロと肩を並べるのは流石の僕も遠慮するよ」

 僕のは趣味の範囲だ、と言いながら皆本さんはケーキを食べ進める。その場にいる全員が、これのどこが趣味の範疇なんだと心の中で突っ込みを入れながら美味しすぎるケーキに舌鼓を打った。
 本当に美味しくて、今にもお店に出せそうなのに。先生の口から自然と出た『俺も手伝う』という言葉が引っかかって仕方がなかった。皆本さんの為ならお医者様のお仕事だって捨てられる先生のいっそ潔い友情の示し方が憎らしい。皆本さんにだけ向けられるその特別感が羨ましくて仕方なかった。

「はぁー……でもマジでこんな旨い飯食えるんならなんだってするわ……」

 紅茶のカップに口を付けながら、先生は溜め息と一緒に吐き出すみたく呟いた。その顔は本当に幸せを満喫しています、という顔で。悔しくて悔しくて泣きたくなった。

「じゃあ皆本さんと結婚しちゃえば」

 上手く笑えているかなんてわからない。でも素直に負けを認めるのは悔しくて、こんな風に皮肉を言って。まるで子どもみたいだ。

「……僕は賢木みたいな奥さんはお断り、かな」

 私の言葉にぽかんとしている先生を置き去りにして、皆本さんは私に向かって笑いながら呟いた。そんな余裕も悔しくて、何も言えずに押し黙ってしまう。
 急に静まりかえってしまった空気が痛いけど、どうしようもなくて。そんなシンとした空気を破るように、先生が恐る恐る声を発した。

「なぁ……もしかしなくても、俺、フラれてる?」

 ぽつり、と様子を窺うような目をしながら呟いた先生に、プッと吹き出しながら薫ちゃんが答える。

「私でも先生みたいな奥さんはお断りだよ? ずっとフラフラしてそうじゃん?」
「え、俺、薫ちゃんにもフラれんの?」
「もっと言うたらウチもお断りやで」
「あ、葵ちゃんまで……」

 皆の反応にどんどん顔を引き攣らせていく先生に、バレットとティムが立候補しようとしているのを視線だけで黙らせて、溜め息を吐いた。
 いつまでも特定の人を作らずにフラフラしてるからだ。そう思うのに、特定の人は作ってほしくない、なんて我儘だ。

「先生は誰とも結婚できないのかもね?」

 このままずっと誰のモノにもならなければいいのに、という願いを言葉の裏に乗せながら、にこり、と先生に笑いかけると、先生は、紫穗ちゃん酷い! と泣いた振りをしてみせて。泣きたいのは私だ。でも自分からアプローチできない私には泣く資格なんてない、と自虐的に笑った。

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