未熟なプリムラは肩を寄せ合う方法を知らない。

「あ、レオナ先輩」

 寒空の下、購買部からの帰り道。耳に馴染む声に振り向くと、毛玉を頭に乗せてトコトコとこちらへ歩いてくる草食動物の姿が見えた。ゆらりと尻尾を揺らして待ち構えていると、ユウは微笑みながら、こんにちは、と丁寧に挨拶をしてみせる。
 だがしかし、寒いだけでは説明しきれない目尻の赤みが目について眉を寄せた。そんな俺の様子に気付いているのかいないのか、ユウは呑気に俺のそばに歩み寄って腰に手を突いた。

「聞きましたよ。サバナクロー寮のみんなを使って購買部のミステリーバッグを買い占めようとしたんですってね」

 デュースとカリム先輩から大変だったって聞きました、とユウは少しだけ眉を吊り上げている。
「……相変わらず耳が早ぇな草食動物」
「結局ラギー先輩を使ってお買い物するんだったら騒動なんて起こさず最初からそうすればよかったのに」

 ユウの指摘にチッと舌打ちで返事すると、でもひと声でみんなの統率が取れちゃうのはすごいです、と草食動物は笑った。

「そういう才能はマジフトとか他のところで発揮すれば先生たちの評価だって変わるのに……」
「……うるせぇよ」

 クスリと微笑んでこちらを見ている監督生の視線がむず痒くて、もう一度チッと舌打ちをしながら視線を逸らす。
 まるで俺のことはよく見ているからわかるとでも言いたげなやわらかい目許がイライラする。ぐっと険しく寄ってしまう眉間を自覚しながら、フンと鼻を鳴らして腕を組んだ。

「で? 草食動物は雄の群に怖じ気付いて何も買えずに引き返したってところか?」

 ハッ、と小馬鹿にするよう片眉だけを器用に上げて揶揄うように言ってやれば、ぎくりと肩を震わせたユウが気まずそうに俺から目を背けた。
 自分の苛立ちに任せて強く当たってしまったことに少し後悔しながらも、俺を見透かすようなことを言うからだと無理矢理自身を納得させる。女相手に何をやっているんだと何処か冷めた気持ちになっていくのも感じて、ふぅ、と知らぬ間に入っていた肩の力を抜いた。
 少し俯いてしまったユウの横顔は、落ち込んでいるように見えて、やってしまった、というなぜかよくわからない焦りを感じて忙しなく尻尾の先を揺らす。

「……今からラギーに草食動物の必要なモノも調達するよう伝えてやることもできるが?」

 贖罪のようにそう告げると、びっくりしたように目を見開いたユウが俺を見つめてプッと笑う。自分よりも低い位置にある頭が揺れて、それに合わせて流れる髪に目を取られた。

「あはは、違うんです。買いたいものは買えなかったんですけど、別に人だかりに負けて買えなかったわけじゃないんで」

 誤魔化すようにそう言って笑ってみせたユウに、眉間の皺を深くする。隠し切れていない目尻の赤みを労るように、そして傷つけてしまわないように恐る恐る人差し指の背でなぞった。

「……それで? 結局何も買えなかったから泣いてんのか?」

 泣き虫だもんナァお前、といつものように揶揄い口調で告げながら鼻で笑うと、監督生は急に表情を固くして唇を引き結んでしまう。
 普段なら揶揄うなと威勢よく噛みついてくるタイミングで押し黙ってしまったユウに動揺して、柔い肌に触れていた指をそろりと離した。
 どうした、と俺が声を掛ける前に、珍しく今までずっと黙り込んでいた毛玉が顔をくしゃくしゃにして力無い声で鳴いた。

「……そうじゃないんだゾ……ユウは、故郷を思い出して泣いてるんだゾ」

 小さな肉球でぎゅっとユウの頭を抱き寄せるようにしている毛玉に、ハッとしたように監督生は俺を見上げて笑った。

「あ、あは。べ、つに、そんなんじゃ。だいじょうぶ、ですよ」

 取り繕うように硬い表情のまま笑ったユウの顔はいびつに歪んでいる。よく泣くクセにすぐ綻んだように笑ういつもの少女とはかけ離れたその姿に目を見開いた。

「そんなわけないんだゾ! 購買部に行った途端ポロポロ泣き出して、オマケにカリムとデュースの服を見ただけでわんわん泣いてたんだゾ!」

 オレ様の目は誤魔化せないんだゾ! と毛玉は監督生の頭の上に乗ったまま、パシパシと小さな手で監督生を叩いている。それを抵抗することもなくユウが受け入れている異常事態に思わず眉を顰めた。
 購買部に何かあっただろうか。
 いつもと違う内装だが、サムの野郎がやることだ。奇妙奇天烈なのは今に始まったことじゃない。カリムとデュースの衣装は確か東方の民族衣装だと記憶しているが、それが何故ここまでコイツの感情を乱す要因になっているのかはわからない。
 自分の知らないユウの一面を突きつけられているようで、ジリジリと胸の奥が焦げるような気がした。

「……サムの店も、カリムたちの衣装も、東方の国のものらしいんだゾ。それが、ユウの住んでたところのものによく似てるらしいんだゾ」

 しょんぼりと落ち込んだように耳を垂れている毛玉の様子が、いつもとまるで様子の違う監督生を如実に表している。
 未だ、帰ることができるのか帰ることができないのかすらもわからない状態で、自らの故郷を感じるものを目の当たりにして心を揺さぶられたのだろう。ユウは相変わらず唇を噛んで俯いたままだ。

「そんなに寂しいならオレ様が大魔法師になったらその『東方の国』ってヤツに連れて行ってやるって励ましたんだゾ……でも元気ないままなんだゾ……」

 不細工と言ってもいいくらい顔をしわくちゃにした毛玉までが落ち込んで元気がないといった様子で、あまりにいつもと違う二人の状態にぐっと奥歯を噛み締めた。

「デュースもカリムも心配して、買い物はあとにして休んだ方がいいって言うから戻ってきたんだゾ……サムは泣かしたお詫びに、って虎のぬいぐるみをユウにプレゼントしてたけど、ユウはそれも受け取った途端に泣いちまったんだゾ……」

 泣いてばっかりで心配なんだゾ!? と終いには毛玉までがボロボロと大粒の涙を流し始めてしまう。
 ユウはもう泣いてはいないものの、大粒の瞳に薄い膜が張っていて、涙を堪えているのが手に取るようにわかった。監督生は片手で頭の上の毛玉を撫でながら、制服のポケットに収められた小さな虎のぬいぐるみをポケットの上からぎゅっと握っている。彼女の手のなかでとぼけた顔をしているその虎の表情は俺を嘲っているように見えて、ユウに聞こえないよう口の中で小さく舌打ちした。
 どうしてお前を慰めるのは獅子ではなく虎なんだ! と心の奥底から湧き上がって叫び出しそうになるのを堪えながら、その意味のわからない衝動にギリリと唇を噛み締める。それだけでは逃し切れない感情の波に比例して、眉間の皺は深くなった。
 お世辞でも強そうだとは言えない、狩りなんて一度もしたことがなさそうな腑抜け顔をしている虎の何が慰めになると言うのか。どうせなら女子どもが喜ぶぬいぐるみでも渡しゃいいのに、この虎を選んだサムのセンスを疑う。
 じっと睨み付けるように虎を見つめて、フンと鼻で笑ってやった。

「それで足りないならチェカと同じテディベアでも送ってやろうか?」

 ガキにはその方がお似合いだろ? と口角を上げて監督生を見下ろす。俯いたままだったユウはふと俺を見上げて、緩く目を細めてからふわりと笑った。

「……虎のぬいぐるみが嫌だったわけでも、これだけじゃ足りないから泣いてたわけでもないんですよ? 流石にそこまで子どもじゃないです」

 でもチェカくんのテディベアはちょっと気になるかも、と微笑むその顔はもう吹っ切れたように笑っている。

「ホームシックなんて情けないですよね。もっと強くならないと」

 あはは、といつも通りの笑顔を見せるユウの横顔は、もうしっかりと前を見据えていた。
 相変わらず、寄り添って言葉を掛ける隙も与えてくれない。
 もっと頼れだとか甘えろだとか独りで抱え込むなだとか、言いたいことはいろいろあるはずなのに、どれも言葉にならないまま歯噛みすることしかできない。知恵を回して上手く立ち回ることなんて朝飯前だというのに、コイツの前では何故か何ひとつうまくいかず、気の利いた言葉のひとつも掛けられず空回りしている。全く俺らしくない。
 そもそも優しい気の利いた言葉を、俺がコイツに伝えようとしていること自体がおかしいと気付いたところで、ユウはポケットの中の虎を取り出してその小さな両手にぬいぐるみを包み込んだ。それからパペットのようにひょこひょことぬいぐるみの頭を動かして首を傾げてみせる。

「私の世界では寅は今年の干支なんです……あー、えっと、干支っていうのは、ハッピーアニマルとでも言えばいいんですかね? その年の縁起がいい生き物っていうか」

 十二種類の動物がいて、と説明し始めたのを聞き流しながら、俺自身まだ足を踏み入れたことのない東方の知識を頭の中で辿っていく。順々に提示されていく動物の種類の中にも獅子はいないのかと溜め息を吐いて、ある程度喋り終えたユウの話に口を挟んだ。

「お前の故郷は……東方の国みたいなところなのか?」

 静かに、そう問い掛ければ監督生は、うーん、と首を捻りながら答える。

「そうですね……でも、写真と映像で見ただけですけど、夕焼けの草原に似た場所もありますよ。まぁ、夕暮れの草原のことも写真でしか見たことないけど。ただ、こちらの世界と違うのは、私の世界のサバンナは、動物たちを保護するために人間は入れない決まりがあるんです」

 密猟とか悪いことしちゃう人がいるんですよ、と何気なく続けている監督生には俺の表情は見えていないのだろう。
 お前が入れないサバンナなんて意味あるのか。
 なぜお前を拒絶する。
 忌み嫌われた俺ですら、サバンナの自然は受け入れてくれるのに。
 どうして。
 夕焼けの草原も、お前を拒絶するんだろうか。
 もしそんなことになったら、俺は。
 考えても仕方のないことに支配されている頭を整理するようにふるりと振って、ニッと口角を持ち上げて不敵に笑った。

「毛玉が大魔法師になるより、俺が草食動物を東方へ連れていってやる方が早そうだ」

 だからそんなこと言うなよ、のひと言はまだ言えない。

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