おしりにシッポが生えちゃった!

「遅い! 呼び出したらすぐに俺の元へ来るという当たり前すら、お前には躾直しが必要なのか!」
魔法薬学の準備室に入った途端、飛んできた怒号に耳を臥せる。
思わず寄った眉もそのままにして、不快であることを思い切り顕わにした。
そんな俺の様子を全く気にすることもなく、クルーウェルは己の苛々をいつものように厭味ったらしくオブラートに包んで披露する余裕もないのか、学生に向けるものとは到底思えない鋭さの籠もった視線をギロリと俺に向けた。
「この俺がわざわざ名指しでお前を呼び出しているんだ! 連絡を耳にした時点ですぐさま俺の元まで走ってくるぐらいの気概でいろこの駄犬!!!」
そこらの犬なら尻尾を巻いて縮み上がってしまいそうな剣幕で叫んだクルーウェルに、お前の方が余程『狂犬』という言葉がお似合いだと心のなかで呟く。
大きな吠え声に反応して伏せていた耳をフルリと動かしてから、片眉を態とらしく吊り上げてクルーウェルを煽った。
「……いちいちウルセェ……ちゃんと来たじゃねぇか。褒めてくれよ」
「お前は! 俺の可愛い仔犬が一大事だというのに! いよいよ本格的な調教が必要のようだな!!!」
ダンッ、と思い切り作業台を叩いた音にビクリと耳が反応するものの、クルーウェルが発した言葉の意味をすぐに理解して眉を寄せた。
「……ユウに何かあったのか」
思ったよりも低い声が出たことで冷静さを取り戻したのか、クルーウェルは一度深く息を吸って呼吸を整えてから、教師の顔に戻って口を開いた。
「……手短に説明する。待ての出来ない駄犬が俺の授業で粗相をした。その被害を俺の可愛い仔犬が一人で被っている。解除薬の準備が整うのが先か、薬の効果が切れるのが先かはわからない。それまでお前が俺の可愛い仔犬に危害が及ばないよう面倒を見ろ」
教壇に立っているのと寸分の狂いもない様子でスラスラと言ってのけたクルーウェルに、僅かばかり眉を寄せる。
話の内容から、恐らく何処かの馬鹿がやらかして、本来求められていた魔法薬とは違う効能が発現した魔法薬を生成。そしてそれを運悪くユウが被ってしまったか何かしたんだろう。
有りがちで片付けていい問題ではないが、ここではよくある事態だ。
だからと言って、俺が名指しで呼び出された上に、アイツの面倒を見なきゃいけないことに納得はできない。
「……何で俺が」
そもそもクルーウェルの不始末じゃないのか。
どうして俺がクルーウェル先生の尻拭いをしなきゃならない。
そこはかとなく漂う面倒事のニオイに、動物的直感がこれ以上関わらない方がいいと告げている。
不服を抱えているのは俺の方なのに、何故かクルーウェルは納得がいかないという渋い顔で、深々と溜め息を吐いた。
「……理由は二つ。お前が獣人属であること。そしてお前の理性は信用に足るものだと信じていること。以上だ。俺は偶然産まれてしまったこの難解な薬の調合と魔法呪文を解読するので忙しい。お前に拒否権はないと思え」
「ハァ? 横暴だろ」
「お前も見ればわかる。他の駄犬には任せられない。わかったらとっとと行け。俺の親切に感謝しろ」
クルーウェルが右手でフィンガースナップを鳴らしたと同時に緊急用の転移魔法が発動する。
瞬く間にオンボロ寮の玄関前に転移させられた俺は、ガタガタと建て付けの悪い音を鳴らすドアを睨んだ。
これ以上の不平不満は受け付けられない、とでも言いたげな隙の無さじゃねぇか。
可愛い獅子の戯れにだって、答えてくれてもいいだろ。
大体、ユウを可愛い仔犬呼ばわりしやがって、しかも『俺の』を強調しすぎだ。
アイツはお前のモンじゃねぇ、今はまだ誰のモンでもねぇんだ。
クルーウェルが俺を頼ってきた理由はイマイチよくわからない部分が多いが、俺を名指しで指名したのは気分がいい。
ユウに日頃から何かあれば他ではなく真っ先に俺を頼れと言い聞かせてきた甲斐がある。
何が起こっているのかはわからないが、ユウのことが心配なのは変わりない。
一度だけ自分を落ち着かせるように深呼吸してから、ボロボロのドアを二回軽くノックした。
しばらくして、中からパタパタと小さな足音が近付いてくるのが聞こえて、ゆらりと尻尾が揺れる。どんな小さな音も聞き逃さないようにと耳も震わせて待ち構えていると、ギィ、と歪な音を立てて玄関が開いた。
「……クルーウェル先生?」
ドアの僅かな隙間から顔を覗かせたユウは、きょろりと小動物のように首を動かして俺の姿を認識する。
「えっ!? レオナ先輩?!」
リスが驚いて木の実を落としてしまったように、目を真ん丸にしてユウは驚いている。
「……クルーウェルじゃなくて悪かったな」
自分以外の男を期待して、自分以外の男の名をコイツが口にしたという不愉快さが身体の内側を撫で上げる。不愉快を通り越してわかりやすい嫉妬へ変わってしまう自分の未熟さから目を背けるようにフンと鼻を鳴らした。
男が嫉妬なんてみっともねぇ。
そんな格好悪い姿をコイツの前で見せられるか。
逆立ってしまいそうな心情を宥めるように尻尾を揺らしていると、ぱっと表情を変えてドアから飛び出してきたユウが俺の前に立ちはだかった。
「い、いえ! てっきりクルーウェル先生が来てくれると思っていたのでビックリしちゃっただけで! レオナ先輩が来てくれて嬉しいです!」
満面の笑みを浮かべて俺を見上げてくるユウに他意はないようで、いつも通り大きな青い瞳に俺だけを映している。
キラキラと光る海の色をした宝石に満足して、ゆらりと尻尾を揺らしてから腕を組んで無表情を装った。
「……クルーウェルにお前の世話を頼まれた。それより……その服はなんだ。俺が渡した服はどうした」
表に出てくるには幾分心許ない装いのユウを頭の先から足の先までじろりと見つめる。
もう着るなと言い渡したはずのジャックのでかいTシャツに素足のまま室内履きを引っ掛けている格好はどうしたって誰かを迎え入れる様相ではない。
頭からすっぽり被るだけでいいから楽なんです、と笑うコイツに男子校でそんな隙だらけの格好すんじゃねぇと叱りつけたのは記憶に新しい。
ジャックが楽に過ごすための服なんだ、コイツが着たら首周りのサイズが合うわけもなく目も当てられないことになる。首元の白い肌が見えるだけでも許せないのに、それ以上が見えそうになるなんて、どうかしているとしか思えない。
ジャックのTシャツをワンピースのように着こなすユウに対して、きちんと身体のサイズに合った部屋着用の楽なワンピースは買い与えたし、ビッグサイズのTシャツが欲しいならと俺のTシャツだって渡した。
あんなに言って聞かせて、ジャックのTシャツはもう着ないよう納得させたのに、どうしてまた、それを引っ張り出して着込んでいるんだ!
もう一度指導が必要なのか、と頭を抱えたくなるのを何とか堪えて眉を寄せるだけに留めると、ユウは困ったように眉を下げて弱り切った顔で俺を見上げた。
「えっと……それが……これしか着られるものがなくて」
「ハァ? 俺のTシャツがあるだろうが」
「えっとですね……こんなところじゃ何なので、中に入ってお話しませんか? 私今こんな状態なので何のお構いもできないんですけど」
ゆら、とユウの背後が揺れて思わず身構えると、見慣れない茶色の艶々した毛並みがユウの後ろから顔を覗かせた。
「アー……尻尾だけか?」
ユウの後ろでゆらゆらと揺れている馬の尻尾に、何が起きたのかを察して顔を手の平で覆うと、ユウはしょんぼりと落ち込んだ様子でこくりと頷いた。
「お前……また性懲りも無く面倒事に巻き込まれたのか」
「えへ……でも今日は半分グリムのせいなんですよ? グリムが薬瓶をひっくり返しちゃって」
私だけ隣のグループが失敗した魔法薬を被っちゃったんですよね、と続けたユウの後ろで尻尾も落ち込んだように、ゆら、ゆら、と元気がない。
そう言えば、とこんなとき一番煩いグリムがいないことに気付いて、周りの気配を探った。
「……毛玉はどうした」
「グリムは今トレイン先生に叱られてます」
クルーウェル先生は忙しいので、とユウは苦笑いを浮かべて俺を見上げている。
その様子に、ハァァ、と深く溜め息を吐いてから、気を取り直してユウの代わりに立て付けの悪いドアを片手で押し開いた。
「まぁいい。俺はお前の世話をするためにここへ来たんだ。俺に構う必要はねぇよ。それより、困ってることはねぇか」

~中略~

キッチンからスコーンとティーセットを運んできたユウに、俺の部屋から召喚したハーフパンツとTシャツへ着替えさせてソファに二人で腰を落ち着ける。俺の服を着込んだユウはご機嫌にお茶の準備を始めていて、それをどっと押し寄せる疲労感とともに見守った。
たった数時間で一年分くらい労力を使ったんじゃねぇか。
ユウが差し出したスコーンと紅茶を受け取って、たっぷりのクリームチーズとブルーベリージャムを乗せて頬張る。香り高い紅茶と一緒に楽しめば、少しは疲労も回復する気がした。
「……コレ、ジャムもお前が作ったのか」
甘さがちょうどいい、と続けると、ユウはぱっと表情を綻ばせてこちらを見た。
「ハイ! ハーツラビュルで余ったブルーベリーを頂いたので、じっくりコトコト煮込みました!」
俺に褒められて嬉しい、とユウは全身で表現している。
それに釣られて尻尾もソファの上でバサバサと暴れまくるモンだから、俺の脇腹やら腕やらを毛先が撫で上げてくすぐったくて堪らない。
繊細な毛先がむず痒さを呼び覚まして尻尾の付け根がむずむずしてくるし、妙な気分になってくる。
オマケにチラチラと視界の隅で動く尻尾の毛先が気になって、つい目で追ってしまうし追いかけ回して手で掴んでしまいそうだ。
「……オイ」
「はい? 何でしょう?」
「……尻尾、何とかならねぇのか」
「……尻尾?」
「尻尾がウルセェ。ちったぁ大人しくしろ」
ぱしぱしと俺の身体を叩く尻尾は可愛いモンだが、このままでは変な反応を返してしまいそうで恐ろしい。
ユウの前でカッコ悪い姿を曝すわけにはいかないと俺を誘う尻尾を懸命に無視した。
「え、え? どうしたらいいんだろう。すごい。勝手に動いてる」
ユウは自分の尻尾と追い駆けっこをしながら何とか尻尾を捕まえようとあちこちへ手を伸ばしている。
仔猫が猫じゃらしで戯れるのとそう変わらないその姿に、きゅうと胸の奥が締め付けられるのを感じながら眉を寄せてユウの姿を見守る。
次第に疲れたのか、ユウは困ったように眉を下げて助けてほしいと俺に縋った。
「どうしましょう! 止め方がわからないです!」
自分の尻尾じゃないみたい! と心底困り果てたように叫ぶユウは、万策尽きたとでも言いたげな悲痛な表情で俺を見上げてくる。
それは間違いなくお前の尻尾だ。
お前の賑やかな感情に合わせて動いてるだけに過ぎねぇ。

~続きは同人誌へ~

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