司郎のくせに、なまいきだ - 9/13

紅葉の手を引いてゆっくりと廊下を歩いていると、向こうから見慣れた銀髪が歩いてくるのが見えた。パッと顔を上げて少佐の元に駆けていった紅葉を追いかけながら、マッスルと葉の姿が見えないことに首を傾げる。
「少佐! あの……あのね! さっきはごめんなさい!」
紅葉はパタパタと近付いていった足をピタリと止めて、ぺこりと勢いよく頭を下げる。少佐はそれに驚いた表情を浮かべたものの、すぐに柔らかく微笑んで、僕こそ悪かったね、と短く返した。
無事仲直りできそうだな、と紅葉の横に並んでほっとしていると、紅葉が少佐にもう一歩近付いて少佐の顔を見上げた。
「マッスルと葉は? 一緒じゃないの?」
「あー……紅葉が出て行った後、二人で散歩に出かけてね。まだ戻ってないよ」
「これから探しに行くの?」
「いや? 僕はこれから出掛けようと思って」
「え……どこへ?」
更にもう一歩少佐に近付いた紅葉が、縋るように少佐の服の袖を掴む。
今日は特に出掛けなければいけない予定はなかったはずだ。どういうことだろう、と眉を寄せて少佐の様子を窺うと、少佐は肩を竦めて、なんてことのないように口を開いた。
「ちょっとアイツいい加減うるさくてさ……少し構ってやったらアイツも大人しくなるだろ」
ウンザリした顔をしてそっと紅葉の手を離した少佐が、苦笑いを浮かべて紅葉の頭を撫でる。
「男っていう生き物はね、どうしようもない生き物なんだよ。司郎ならもうわかるだろ?」
急に同意を求められてビクリと肩が跳ねる。
そんなの俺に聞くなと大声で叫びたい気持ちもあるし、まだよくわからないと答えたい気持ちもあって困惑していると、特に気にした様子もなく少佐は紅葉の肩をそっと掴んだ。
「紅葉はあんな男に引っ掛かるなよ。誠実で優しい、裏のない相手を選べ?」
まるで親が子どもに言って聞かせるような、少し圧を感じさせる口調で言い終えた少佐は、ポカンと少佐の言葉を聞いていた紅葉の頭を撫でてふわりと微笑んだ。
「じゃあ、ちょっと行ってくるよ。留守番、頼んだぞ?」
ひらりと手を振りながら俺たちに背を向けた少佐は、そのまま俺たちをその場に置いて歩き始める。慌てて引き留めようと手を伸ばして、先に少佐を捕まえたのは紅葉だった。
「行かないで少佐!」
小さな身体を精一杯使って、紅葉が少佐の腕を引っ張った。
「あの人のところ、行かないで」
ほんの少し、泣き出しそうな苦しい表情を浮かべて訴えている紅葉に、少佐は困ったような笑顔を浮かべている。どうしたものか、と眉を下げている少佐に、思わず自分も訴えた。
「……あんな男のところになんて、行くな」
自分が思っているよりもかなり低い声が出てびっくりする。
それでもそんなことに驚いている暇はないと自分の心が俺を突き動かしていた。
「……司郎までそんなこと言うのか? お前はそろそろこういうことが理解できる年頃になったのかと思っていたんだが」
違うのか? と首を傾げている少佐に、ぎゅっと眉を寄せる。少佐の言いたいことはわかる。でも、わかるからこそ、止めたい。あんなヤツ放っておいて、俺たちと一緒にいてほしい。いや、違う。あんな男のところへ行って良いようにされるなんて、俺が嫌なんだ。そんなの俺が耐えられない。
「……少佐は、アイツの恋人になるつもりなのか?」
ぎゅう、と寄せた眉間が痛い。
受け入れがたい少佐の行動が胸を締め付けて苦しい。
もう自覚してしまった自分の気持ちは、とどまることを知らずに溢れてきて少佐に向かおうとしている。
そんな浅はかな行動はよくないとわかっているのに、今にも少佐にぶつけてしまいたい。
あんな男の相手をしなくてもいいように俺が力をつけるから。
俺がずっとそばにいるから。
少佐が求めている本当の目的を達成するせめてその時まで、俺たちの、いや、少佐は俺のものでいてほしい。
到底今の自分じゃ叶えられない望みを抱えながら、そのどれか一ミリでも少佐に伝わって引き留めることができればいいのに、と少佐を睨みつける。
少佐はきょとんとした表情を浮かべながらも、俺の気迫に圧されたのかほんの少しだけ眉を寄せて答えた。
「アイツのモノになるつもりはないけれど……僕がアイツと遊ぶのは僕の勝手だろ?」
司郎にどうこう言われる筋合いはないはずだよ、と僅かに不快な感情を表に出した少佐に、くっと唇を噛んで真正面から向き合う。
「……たとえ遊びだとしても、俺はあんな男のところになんて行ってほしくない!」
自分たちを置いていかないでほしい。
遊びだなんて、そんな簡単にあんな男を受け入れないでほしい。
いろんな感情が渦巻いてどろどろと説明し難いものへと変化していくのを感じながら、じっと少佐の視線に負けないよう見つめ返す。
嫉妬なのか独占欲なのか、それとも家族を取られたくないという子どもじみた我が儘なのか自分でもよくわからない形のそれを胸に抱えて少佐の返事を待ち続けた。
「……どうした? 司郎までそんな我が儘言って。珍しいじゃないか、何かあったのか?」
熱でもあるのか? と少佐が紅葉から離れて俺に一歩近付く。本能的に、今少佐に接触されるのはまずいような気がして、自分もじりりと身を引いた。
すると、その行動が少佐の癇に障ったのか、逃げるな、と低い声が耳に届いて思わずぶるりと膝が震える。その隙に一気に距離を詰めた少佐が俺の顔をまじまじと覗き込んで、冷たい手のひらが俺の額に触れた。
もうどうしようもない、ときゅっと目を瞑りながら何とかやり過ごそうと必死に身を固くする。少佐の透視から逃げられるわけがないとわかっていても抗いたい気持ちを無くせるわけではない。
防壁を張るように肩を強張らせて、ひたすら少佐が離れてくれるのを待っていると、ぴくりと少佐の指先が震えて、ひんやりとした感触がそっと離れた。
「司郎……お前……」
ぽつり、と呟いた少佐の声は、驚いたように震えている。恐る恐る目を開くと、やっぱりそこには目を見開いた少佐の綺麗な顔があった。
「そうか……そうなのか。お前……」
ククク、と肩を震わせながら、もう一度確かめるようにわざとらしく俺の手を取って、少佐がキュンと力を発動させる。にんまりと人の悪そうな笑顔を隠さずに、少佐はまじまじと俺の顔を見つめていた。目からも俺を見透かそうとするその不躾な視線に奥歯を噛み締めながら応えてはみるけれど、もう耐えきれなくてフイと顔を背ける。
「お前……僕のこと、好きなのか」
アハ、と抑えきれない笑いをこぼしながら、少佐は掴んでいた俺の手を解放する。まだ少し残っている冷たい感触を掻き消すように解放された手を包み込んだ。
自分でも自覚したばかりの淡いけれどあつい感情を言及されて、カッと頬に熱が集中するのがわかる。
堂々としていればいいのに、何とも居たたまれない気持ちが湧いてきて、何も言い返すことができない。ここには紅葉だっているし、自分自身、まだ直接少佐にどうこうしようなんて段階にもなかった。
それなのにこんな風に自分の抱えているものを明らかにされるなんてたまったもんじゃない。
「……え? 少佐、何言ってるの? 私たちみんな少佐のこと好きよ?」
わけがわからない、という顔で紅葉は少佐を見上げている。そんな紅葉の態度にますます体温が上がるのを感じて、そうじゃないとすぐに言えない自分の幼さを呪った。
そんな紅葉を気にする様子もなく、フーン、と楽しそうに俺を見つめながら考え事をしている少佐が顎に手を遣って、コクリと大袈裟に頷いてニヤニヤと悪戯を思い付いたときの酷い顔で笑った。
「……やっぱりやめた! アイツと遊ぶより司郎と遊んでる方がよっぽど楽しそうだ」
怖いくらい綺麗な顔で微笑んだ少佐は、まるで役者のようにたっぷりと間を置いてから後ろで手を組んで首を傾げてみせる。
「僕が、司郎の初めての恋人になってあげよう」
仕草だけ取れば可愛らしくて見た目の通り少年らしい振る舞いなのに、俺にとっては台詞と表情があまりに不穏すぎてゾクリと背筋がざわつく。
「僕の美しさに司郎も惑わされていたとはね。計算外だよ」
ククク、と半分人を小馬鹿にしたように笑いを堪えている少佐に、怒りにも似た激情が込み上げて握り締めた手が震えた。少佐はそんな俺の様子なんて構いやしないとでも言うように白くて綺麗な指先を俺の前にちらつかせた。
「どうせ紅葉くらいとしか手を繋いだことないんだろ? 経験豊富で美しい僕が君のハジメテを貰ってやる」
光栄に思えよ、と目の前に差し出された手のひらにカッと逆上して思い切り払った。
「やっぱりアンタ最低だ!」
同時に言葉にならない思いをありったけの大声で叫んで少佐を睨みつける。沸騰した感情をぶつけようにもうまく言葉にならなくて唇は震えるだけだった。そんな自分が情けなくて、堪えるように唇を噛み締める。強く力を込めすぎた唇は血の味がして、泣きたい気分なのはそのせいだと自分に言い訳をした。
グイと熱い目元を拭ってどうしようもない衝動のままふたりに背を向けてその場を走り去る。
このままここにいれば、もっと酷いことになるのはわかりきっていた。
「少佐ッ! 酷すぎるわ! わたしたちを子ども扱いするのも大概にして!」
わたしも真木ちゃんももう子どもなだけじゃないのよ! と紅葉が大声で叫んでいるのが背中越しに聞こえる。
ただ揶揄われてばかりの子どもだけじゃなくなってしまった自分たちを、少佐は未だに揶揄って遊ぼうとする。
それが、あの人からみて自分はやっぱりまだまだ子どもなのだと言われているようで、この想いも自分の決意も、あの人には届かないのかもしれないと悲しくなった。

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