司郎のくせに、なまいきだ - 8/13

「……紅葉」
「……真木ちゃん」
波が打ち寄せる砂浜に、ひとりぽつんと座って膝を抱えていた紅葉の元へ、そっと歩み寄る。紅葉の様子を窺いながら、自分も紅葉の横に腰を落ち着けて静かな海を見遣った。
どこまでも青くてキラキラと光を反射している海面は、紅葉を慰めるように低い波が押し寄せては砂を撫でて泡立っている。いくつもいくつも重なっていくそれは独特の音を立てて、じっと海を見つめている俺たちを優しく包んでくれていた。真木ちゃん、と小さく呟いた紅葉は、膝を抱えている腕にきゅっと力を込めて思い詰めたように眉を寄せて続けた。
「私……少佐に酷いこと言っちゃった。少佐は、私たちのこと揶揄ってただけだってわかってたのに」
言い終えて、顔を膝に埋めて隠してしまった紅葉の頭をポンポンと優しく撫でながら眉を下げて笑いかける。
「大丈夫だ。少佐はわかってるし……反省するかどうかはわからないけど、ちゃんと紅葉の言いたいことを受け止めてくれてるよ」
少女らしい小さな丸い頭に手を乗せたまま、よしよしと子どもにするように撫でてやると、子ども扱いしないで! と紅葉はぷぅと頬を膨らませてしまった。すまない、と苦笑いしながら頭に乗せた手を退けると、わかればいいのよ、と不貞腐れたままの尖った唇で紅葉は呟く。
「ふざけてだったとしてもあの男の人のところへ行くなんて言うから、カッとなっちゃったの」
私あの人キライ、という子どもらしいストレートな物言いに思わず苦笑いしてしまう。全部わかってるよ、と落ち着かせるように告げれば、紅葉は居心地悪そうに身動ぎして、はぁ、とウンザリしたように溜め息を吐いた。
「……ホント、いやになっちゃう。少佐って大人のクセにビックリするくらい子どもっぽいんだもの!」
やれやれ、とまるで大人みたいな顔をして肩を竦めている紅葉に、思わず笑ってしまいそうになりながら、足を崩して後ろに手を突く。そのまま空を仰ぎ見れば、空もまた、晴れ晴れとどこまでも青く澄み渡っていた。
「……少佐は……時を止めてしまった人だから。仕方ないんだよ」
「そうだけど……」
「……不満か?」
「不満っていうか……真木ちゃんの方がよっぽど大人なんだもの」
「え」
「だって……少佐って、時々私たちの保護者ぶるくせに、君たちの保護者にはなれないとか言い出すし、我が儘なお兄ちゃんって言った方がしっくりくるんだもの。で、真木ちゃんはみんなの面倒を見てくれる頼りになるお兄ちゃん」
そこまで言って、ふと何か考え込むように紅葉は黙り込んでしまう。急に難しい顔をしてしまった紅葉の様子を窺うように見つめていると、ピン! と何かとてもいいことを閃いたように紅葉は顔を輝かせた。
「そうよ! 真木ちゃんが少佐のことちゃんと見張っててくれれば! あの人が勝手にふらっと何処かに行っちゃう心配しなくて済むわ!」
とてもいい考え! とキラキラ目を輝かせた紅葉に思わず眉を寄せる。
「はぁ?」
「真木ちゃんが少佐の騎士になれば! きっと少佐も言うこと聞いてくれるわ!」
「え……お、おれは、王子様とか、そういうのは、ちょっと」
「なに言ってるの? 真木ちゃんは王子様ってキャラじゃないでしょ? 王子様じゃなくて騎士様よ。真木ちゃんは少佐の従者になるのが一番いいと思うわ!」
「従者?」
「我が儘な王様を守ってずっとそばで一緒にいるの! 王様が悪の道に進みそうになったら身体を張って止めるのよ!」
フフン、と自慢げに鼻を高くして、紅葉は腕を組んでいる。興奮しているのか少し頬を赤らめて、紅葉はウンウンと自分の言ったことを改めて納得するように頷いていた。その様子を見守りつつ、確かにそうなればいいけれど、きっとそうはならない現実をどう伝えたものかと思案しつつ、そっと視線を穏やかな海に戻しながら呟いた。
「……少佐は……俺が見張ってたってきっと自由に、何処かに行くと思うぞ」
俺は、もっと力をつけて、少佐の役に立ちたいと思っている。それは、自分の気持ちとは別次元の思いだし、自分が少佐に向けている感情を抜きにしても、その思いは変わらない、絶対のものだった。
少佐の隣には立てなくても、少佐のそばで、守られるだけでなく、少佐の力になりたい。
これは、きっと自分の気持ちが昇華されて消えたとしても必ず残る、それくらい固い決意のものだ。
名前を捨てたあの日に芽生えた、誰にも左右されない、俺だけの強い意志。
でも、そんなものはお構いなしで少佐は行きたいところに行くだろうし、そこに俺たちを連れて行かないと決めれば何があっても俺たちを連れて行かないだろう。しかも、おそらくそのことを俺たちにはひと言も相談してくれない。
勝手に一人で決めて、実行する。
それが少佐という人物だ。
「そうよねぇ……でもあの男の人のところはなんかヤダ! 絶対少佐幸せになれないと思う!」
ワッと抑えられない感情を発散するように空に向かって叫んだ紅葉は、パンパンに膨らんだ風船が萎んでしまったみたいにふにゃりと膝に顔を埋めて力なく続けた。
「やっぱり、真木ちゃんが少佐の騎士になればいいのよ……絵本に出てくる、王様のそばにずっと仕えている、格好いい騎士様に」
絶対似合うと思うんだけどなぁ、と思うようにならない現状を嘆くような紅葉の呟きに、思わずどきりと心臓が跳ねる。
「……お、俺が……少佐の、騎士」
「そう。だって真木ちゃん少佐のこと好きでしょう?」
「えっ」
「私も葉も少佐が好きよ? でも真木ちゃんは私たちより前から少佐と一緒にいるし、真木ちゃんの力はもっともっと強くなるって少佐も言ってたわ」
ぷぅ、と頬を膨らませて膝に顎を乗せた紅葉にほっと胸を撫で下ろした。
紅葉の言った好きの意味はそういう意味かと安心しつつ、でも、少佐は紅葉に俺のことをそんな風に言っているのかと変にドキドキしてしまって心臓がうるさくなる。
自分は期待されていると受け取ってもいいんだろうか。
紅葉から見ても、俺があの人のそばで力を振るうのは分不相応ではないようだし、身近な存在からそういった信頼を向けてもらえることがこんなにも自分を高揚させるという未知の体験に、どうしても興奮が抑えられなかった。
そわそわと落ち着かない自分を何とか落ち着かせながら、そっと紅葉の手を取った。
「そろそろ戻ろう。きっと少佐も俺たちが戻ってくるのを待ってる」
まだ少し居心地悪そうにしている紅葉の手を引いて、大丈夫だ、と笑いかける。
「……私、戻ったらちゃんと、少佐にごめんなさいって言うわ」
俯けていた顔を上げて、力ないものの眉を下げて笑ってみせた紅葉に、そうだな、と優しく頷いた。

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