司郎のくせに、なまいきだ - 13/13

食事を終えて、勘定も済ませて、二人で店を出たというのに、少佐はまだ子どものようにむくれている。
本当にこの人の方が自分よりもよっぽど子どもっぽいよなと呆れつつ、でもそんな自由さを守りたいと思っているんだから本当に自分は矛盾していると思わず笑ってしまう。
じっと横顔を眺めながら歩いていると、ギッと眉を吊り上げた少佐が、何だよ! と叫んだ。
「お前、僕のこと好きなんだろ! ならもっと甘やかしたらどうだ?!」
理不尽すぎる我が儘な要求に驚いて目を見開く。でもそんな反応をしたのは一瞬で、すぐに肩を竦めて呆れた溜め息を吐いた。
「甘やかすって……言われても」
こちらとしてはもう充分すぎるほど甘やかしている自覚がある。
それでもまだ足りないと言われているのか、それとも甘やかし方が違うのか、ひょっとしてどちらもなのか、と戸惑っていると、キツい目をした少佐が俺を睨み付けて唸った。
「僕に言い寄ってくる男たちはみんな僕のことちやほやしてたし、僕の美しさに感動していたぞ。お前もちょっとはそういう恋人らしい態度を見せたらどうなんだ!」
あからさまに怒った態度で腕を組みながら俺に噛み付いてくる少佐に、思わず首を傾げる。
「……でも、俺と少佐は、恋人同士じゃないだろ?」
ごく当たり前の疑問を投げ掛けながら、終始俺を揶揄ってばかりだった少佐の行動にひとつの可能性を見出だして恐る恐る口にした。
「……それとも……少佐は、俺と恋人になってもいいと思ってるって……受け取っていいのか?」
ごくり、と喉を鳴らしながら問いかけると、慌てたように身を引きながら顔を真っ赤にした少佐が叫んだ。
「なッ、何を言い出すんだ! 僕は最後の思い出に謝罪の意味も込めてお前とデートしてやろうと思っただけで!」
ただの年長者の気遣いだ! と自棄のように叫ぶ少佐にまた目を見開く。
確かに俺を無理矢理連れ出したときは思い出作りだと言っていたし、少佐のおふざけに付き合うのであれば徹底的にデートの体裁を取ってやろうと思っていた――だからと言ってうまくエスコートできたとは言えないけれど。
結局いつもと何も変わらない時間を過ごしてしまったという思いもあるが、それだって自分たちらしいと言えばそうで、日頃から少佐への気遣いを欠かしたことはないのだから、それはエスコートと何が違うんだという話になってしまう。
普段の自分たちに何を足せば、もっとデートらしくなるんだろうか。
恋人らしい態度。
自分たちの間にそんなものを求めるのはどうかと思うけれど、もし、本当に自分の思い至ったひとつの可能性通り、少佐がそれを望んでいるのであれば。
ほんの少し、勇気を出して、それっぽく、今だけでも、自分たちの間に流れているものを色っぽいものに変えられるのかもしれない。
本当にただの思いつき。
少佐からすればまだまだ子どもっぽい考え方かもしれないけれど、自分だってずっと少佐のことを見てきたという自負を自信に変えて、少佐の手を取った。
「ついてきて」
向かうのはアーケードを抜けた広場。
驚いたように目を見開く少佐に笑いかけながら、少し駆け足で広場のメインとも言える大きな教会の前に立つ。
ふぅ、と呼吸を整えてから少佐の両手を掴んで髪に仕込んだ自身の力の源たちに意識を集中させる。
ぶわりと俺に反応して広がったそれは大きな翼となって力強く羽ばたいた。
「……俺だって、もう少佐ひとりくらいなら抱えて飛べるようになったんだ」
ふわ、と浮いた自分の身体を安定させてから、ぐいと少佐の身体を引っ張り上げる。ぐらりと揺れる重心を、歯を食い縛って持ち堪えた。
「おい、無理するな。手伝うぞ」
「いやッ……イケるっ、いけるからッ」
グググ、と少佐の身体を抱き寄せるように近付けて何とか重心を安定させる。そのまま翼の羽ばたきに合わせて空を蹴るように空へ舞った。びゅう、と風に乗り高い尖塔へ向かって飛んでいく。ゆらゆらと不安定な軌道を無理矢理真っ直ぐ進むように力を調整して一気に屋根の上まで身体を舞い上がらせた。
しばらく雨は降っていないのか、翼の羽ばたきに合わせて屋根の上の埃がふわりと広がる。何とか足場のいいところに着地して、身を寄せていた少佐の身体をそろりと屋根の上に下ろす。すとんと足を着いた少佐は素直にありがとうと呟いて俺の手から離れていった。
ざわざわと乱れそうになっていた炭素たちを宥めるように深呼吸して髪の形へと整えていく。しゅるりと何とか見てくれがおかしくない状態になってからやっと肩の力を抜いてその場にへたり込んだ。
「……ハァッ……ハァッ……し、しんど、ッ、ゴホッげほッ」
集中が切れて急に乱れてしまった呼吸に肺が驚いて思い切り咽せてしまう。ゼーゼーと吐いて吸ってを無理矢理繰り返して息を整えると離れたところで景色を見ていた少佐がふわりと笑って俺のそばにやってきた。
「お疲れさま。かっこよかったぞ? ちょっとだけドキッとした。本当にちょっとだけどな? でも最後がかっこ悪いから全部台無しだ」
ニコニコと笑顔を浮かべながらそんなことを言う少佐に、喜び半分悔しさ半分で顔を顰めてしまう。自分でもこんな格好悪い結果になるなんて思っていなかったから、少佐の言葉を否定できないのでどうしようもない。
「ホラ。落ち着いたんなら見てみろ。ちょうど日が沈む。綺麗だぞ」
立てよ、と差し出された手を素直に掴んで立ち上がると、確かに街の向こうに見える海辺に大きな太陽が沈んでいく真っ只中だった。
「うわぁ……思ってたより、スゴいな……」
沈む太陽の陽射しが海に反射してキラキラと光っているだけではない。海沿いの民家の赤いつやつやとした屋根も光を弾いてチラチラとこちらに光を届けてくれている。
まるで星が地面で瞬いているような輝きに、思わず息を呑んだ。
「……なんだよ。これを知ってて連れてきてくれたわけじゃないのか?」
「来るのが初めての街なのに知ってるわけないだろ。高いとこ登ったら景色いいだろうなと思っただけだよ」
本当にただそれだけでここまで登ってきた。
ふたりきりのデートなのだから、眺めのいいところで綺麗な景色を共有すれば、デートらしい雰囲気になるかもしれないと思ったからだ。
「ふぅん……まぁ上出来じゃないか? 最後はカッコ悪かったけど」
「……イケると思ったんだよ! だいぶ上手く扱えるようになってきたから、それで」
本当に格好良く、ここまで少佐を連れて飛ぶことができていれば。
もっといい雰囲気になれたんだろうか。
そう思いながら、でもきっとそれはそれで別のところで揶揄われていたに違いないと思い至る。
「まぁいいじゃないか。司郎とふたりきりでこうして一日を過ごすなんて、今までほとんどなかっただろ? お前の成長を改めて感じたよ」
沈んでいく太陽を見つめながら、少佐はふわりと優しい笑顔を浮かべている。海から吹く柔らかい潮風が少佐の銀髪をさらりと撫でていった。
「……前に言ったの覚えてるか? 俺は、アンタに追いつきたくて、強くなりたくて、大人になろうと足掻いてきたんだ。まだまだ足りないって思うことは多いけど、それでも少しは成長できたって、自分では思ってる」
繋いだままだった指先をきゅっと握りながら伝えれば、少佐はふとこちらに顔を向けてから再び微笑んで海を見つめた。
「そういえばそんなこと言ってたな……忘れてたわけじゃないぞ? お前が四苦八苦しながらあっちこっちへ右往左往してる様を見るのは結構おもしろかった」
「何だよそれ……」
アハハと軽く声を上げて笑う少佐に膨れていると、少佐は海を見つめたまま繋いだ手を持ち上げて、そろりと俺の手に指を絡めた。
俺の体温で少しだけあたたかくなった冷たい指が、俺の指の間をするりと撫でて手の甲に絡みつく。
いわゆる恋人繋ぎという形だけれど、ただ手を繋いだだけ。
たったそれだけのことなのにひどく動揺して心臓がバクバクと跳ね上がった。
同じように指を絡み返せばいいのか何をすればいいのかわからなくて、どぎまぎと心の中で焦っていると、俺の様子に気付いた少佐が首を傾げながらこちらに顔を向けた。
「……なんだ。結局、女の子と手を繋いだこともないのか?」
上げていた手をゆっくりと下ろしながら、少し驚いた風に俺に問いかけてくる少佐に、顔を赤くしながら俯いて返事をする。
「……ねぇよ。あるわけ、ないだろ」
女の子に興味がなかったわけじゃない。
それよりも少佐の存在が大きすぎたというだけだし、そもそもいろいろとそれどころじゃなくてそんな暇なんてなかった。
幼い頃に揶揄われた言葉が甦ってこんなところで現実になるなんて思いもしないし、結局あの頃から自分は成長できていないと言われているようで恥ずかしい。
「……どうだ? 初めて人とこうして手を繋ぐ感触は。なかなかいいものだろう?」
ニッと表情を崩して笑う少佐は、時折見せる優しく子どもを導く大人の顔をしていた。普遍的なこととしてそれを教えてくれているのが伝わって、違う、そうじゃない、と顔を顰めて首を振る。
そうだけれど、そうじゃない。
グッと叫びだしたいような衝動を抑えるように細く長く息を吐き出す。くっと目を瞑ってから、言いたいことを整理するようにゆっくりと深呼吸して目を開いた。
「俺は。誰かじゃなくて、少佐の手の感触が知れて、嬉しい。他の誰でもない、これはアンタの手だ」
ぎゅう、と痛くない程度に少佐の手を握り返しながら、愛おしむようにもう片方の手で繋いだ手を包み込む。そっと大切に胸に抱き込めば、きゅうと胸が切ないくらいに痛んだ。ハッと目を見張りながら俺を見つめ返してくる少佐の視線に応えながら、何をどう伝えればいいんだろうと必死に思考を巡らせる。
「ただ手を繋ぎたいだけなら、他の誰かでもいいんだと思う。でも俺はそうじゃなくて、知りたいと思うのは、少佐だけだ」
撫でるように少佐の手の甲に指を這わせれば、少佐は顔を真っ赤にして無理矢理手を振り解いた。
「ちっ、調子に乗るなよ! 今日はただ気分がいいから! 手を繋いでやっただけだからな!」
そうだ今日はちょっといつもより気分がいいだけなんだ! とまるで自分に言い聞かせるように呟きながら少佐はまた沈んでいく太陽に視線を移した。
太陽はもうほとんど顔を隠していて、海面にまっすぐ一筋の光を延ばしている。少佐に釣られて太陽が沈んでいく様子を見守っていると、あっという間に太陽は海の中へと潜ってしまった。
日が沈んだばかりの淡い色が混じりあった独特の明るさが俺たちを包む。その明るさも少しずつ失われていって、徐々に暗くなっていく景色に少佐の白い肌が際立った。
闇に溶ける黒い服を着ているせいかぼんやりと明かりが灯っているようにすら感じる透き通った頬は艶さえ感じられて柔らかそうだ。血の気の薄い蒼白さが色気すら感じさせて、触れてはいけないのに触れたい衝動が抑えきれなくなってしまう。
このままではいけない。
目を離さなくてはいけないのに、どうしても惹き付けられて、目が離せない。
「……なんだよ」
「……え」
「僕のこと、じっと見てるのバレバレだぞ。なんだ? キスでもしたくなったか?」
ニヤ、と笑みを浮かべてこちらを見た少佐にドキリと胸が弾む。
指摘されて、そうではないと思いながら、そうだったのかもしれないと思い知らされて、唇が震えた。
「きっ、きす、とか……そんな」
「んー? 別にいいんだぞ? 僕は大人だからなぁ。キスくらい幾らでもしてやるぞ?」
「なっ……えっ……」
わなわなと震える口元を手のひらで覆い隠しながら、じわじわと赤くなっていく顔を隠すように俯く。それでも首も耳も熱を持っているように感じて、夜の帳がそれを隠してくれることが幸いだった。
「どうする? キスなんて司郎にはまだ早かったか? 思ってたよりもお子ちゃまなんだな?」
ん? ん? とわざとらしく俺を煽るように下から覗き込んでくる少佐を手で振り払いつつ、キッと眉を釣り上げて少佐を睨みつけた。
「俺は! 少佐から見ればお子ちゃまなのかもしれないけど! キスもできないガキなわけじゃない!」
わーっと血が上った頭で思い切り叫ぶ。挑発に乗っていい場面ではないのに誘われるがまま挑発に乗ってしまった。これでは自分から子どもですと宣言しているようなものだ。暗がりでもわかる少佐のにたにたとした笑顔が今はとても憎たらしい。
「ほぉーう? それじゃあキスしてもらおうか? 司郎くんにはそれくらい簡単だよなぁ?」
ニコニコと嫌になるくらい綺麗な笑顔を浮かべて少佐は可愛らしく小首を傾げてみせた。
「まぁお前は初心者だろうから? 僕は目を瞑っててやるよ。無理だったら無理って言うんだぞ?」
さぁホラどうぞ、と言わんばかりに腕を開いて俺を招く。それから腕を下ろして少佐はゆっくりと目を閉じた。
うっかり挑発に乗ってしまったばっかりに、逃げられない状況に自分を追い込んでしまった。今からでも謝罪して取り消せば、数日は顔を合わせるたびにネタにして揶揄われるだろうけれど、このとんでもない状況から逃れることはできる。
チラ、と恐る恐る様子を窺うと、まだじっと俺のことを待っている少佐が俺の前で立っていた。
閉じられた瞼は長い睫毛に覆われていて人形が眠っているようだ。そして色づいた唇はずっとずっと触れたかったあの頃の色味を残して目の前で無防備に晒されている。
今でも知りたくて仕方がない感触が、手を伸ばしたすぐそこにあって、触れてみろと俺に向かって色香を放っていた。
ゆらり、と意に反して足は少佐に向けて一歩踏み出していた。
だめだ、と自分に言い聞かせながら、本人がいいって言ってる、と悪魔の囁きにも似た自分の声に促されるまま少佐へと近付いていく。少佐の伏せられた目蓋を縁取る睫毛一本一本が確認できる距離まで近付いて、やっと足が止まった。
少佐はピクリともしない。目を閉じたままじっと俺のことを待っている。
今、この瞬間、無理だと言ってしまえば、自分が笑われるだけで済ますことができる。それでも、ずっと触れたいと思っていた欲望に嘘をつくことはできなかった。
そろり、と白い頬に手を伸ばすと、ぴくりと少佐の目蓋が震える。驚かさないようにそっと指の腹で頬に触れると、まるで陶器のようなのに柔らかくて、風に曝されたせいか少しだけ頬の表面が乾燥していた。
手のひらで包むように手を添わせると本当に顔が小さくて感動してしまう。乱れてしまいそうになる呼吸を何とか落ち着けながら間近で少佐の顔を見つめる。作り物のようにすら思えるその顔を、目に焼き付けながらゆっくりと顔を近付けた。
あと僅かで唇が触れ合う、というところで静かに目を閉じ、柔らかい粘膜同士を触れ合わせる。音も立てずに離れたそれは、一瞬のようにも永遠のようにも思えた。
薄い皮膚と濡れた粘膜の感触にぞわりと背筋が震える。
初めてのキス、ということよりも、少佐に口付けたという事実に感動してしまってどくどくと鼓動がうるさい。
至近距離を保ちながら薄く目を開くと、少佐もそろりと目を開いて視線がゆるく絡み合った。流れる甘い空気に流されるようにもう一度ゆっくりと口付けを交わす。少佐がそれを受け入れてくれていることに心が震えて、少し離れては何度も何度も、角度を変えてキスを繰り返していった。
次第に口付けは深くなり、ただ粘膜を触れ合わせるだけだったものが、啄むように唇を動かして少佐の感触を味わっていく。頬に添えていた手も後頭部へとまわり、髪に指を通して頭を固定しながら片方の手は自然と少佐の腰を抱いていた。
抱き寄せるように身体を密着させて少佐の唇を割るように舌を這わせる。柔らかくぺろりと舐め上げれば、ん、と鼻に抜けたような声が聞こえて、じわりと熱を持ち始めていた下腹部に過剰な熱が走り抜けた。脳が焼き切れそうな興奮に襲われて、はふはふと息を上げながら少佐の唇を舐める。
僅かな抵抗を見せていた少佐も音を上げたのか、ゆるく唇が開いて、観念したように俺の舌を受け入れた。ぬるりと絡み付く熱い粘膜の感触にひどく興奮して、全てを味わい尽くそうと舌を動かし続ける。上顎をなぞるように舌でつつけば甘い吐息をこぼしながら少佐は俺の背中に腕を回した。
縋るように抱きつかれるのが嬉しくて、もっともっとと深く追い求めていると、ドン、と背中を強く叩かれて思わず唇を離した。やっと解放された少佐は俺の腕の中でぐったりとしていて、はぁはぁと肩で息を整えながら恨めしそうに俺を見上げている。
「はぁッ……ハッ……ちょ……待て、しつこい」
「ご、ごめん……夢中に、なって……その」
苦しそうにしている少佐に謝りながら、未だ俺に身体を預けてくれていることが嬉しくて、ドキドキとうるさく心臓が鳴り響き続ける。少佐の身体を支えるようにぎゅっと抱き締めると、暗闇に濡れた唇がてらてらと光って見えて、思わず視線を逸らした。
さっきまでそこに夢中になって触れていたというのに、さっきよりも色っぽく見えてしまって仕方がない。上がってしまった熱も、とてもじゃないけど冷めてくれそうにはなくて、今更ながらそろりと腰を引いた。
そんな俺に気付いたのか、少佐は眉を寄せながらもニヤリと口角を上げて隠し切れないほどに硬くなったソコを手のひらで撫で上げた。
「なんだ……キスだけじゃ足りないのか?」
明らかに意図を持って触れてくる手のひらに思わず戦慄いていると、少佐は俺の首に腕を絡めて口付けるように顔を寄せてくる。それからその色っぽい唇をそっと開いて、俺だけに聞こえるような甘く掠れた小さな声で告げた。
「いいぜ。相手してやるよ。大人の僕が、司郎を満足させてやる」

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