アイツは俺の光

 もうこの世の全て、どこの世界にも、自分にとっての救いなんて存在しない。そう諦めきっていた俺の前に現れた男は、軍属とは思えないくらい人好きのする笑顔を俺に向けていた。その奥に潜む静かな自信が、死んでいた俺の心を揺さぶって、久々に感じる興奮で背筋が震えた。

「すみません。もう診察は終わりですか?」

 コンコンとドアを開けながらノックしているその男は、ニコリと笑って俺を真っ直ぐに見つめている。

「あー……スミマセン。今日の診察時間はもう終わってるんですよ。緊急でしたら時間外の受付してもらって夜間診療の診察室に」

 行ってください、と言い終わる前に男はドアを閉めて、カツカツと靴の音を立てながら俺に近付いてきた。

「……え? や、あの、もう診察は終わって」
「あぁ。うん。すまない。知ってて来たんだ」
「は?」
「突然の訪問ですまない。でもアポを取っても断られると思って」
「……はぁ」
「君に会うためにはどうも、直接アクションを起こした方がよさそうだったから」

 やわらかい微笑みを浮かべたまま首を傾げて俺を見つめるその目はあまりにまっすぐで思わず身を引いてしまう。そんな俺の様子を気にした風もなく、患者が座るための椅子に腰掛けたソイツは、座ったままだった俺と視線を合わせてもう一度ニコリと微笑んだ。

「僕は君を引き抜きに来たんだ」

 俺から目を離さずにそう言い切ったその男は、まるで断られるワケがないという自信に溢れた態度で俺の返事を待っている。そんな男に、はぁ、と肩から溜め息を吐いて身体を背けた。

「軍の方がわざわざドーモ。でも申し訳ないけどそういうのはもう全部断ってんだ。帰ってくれ」

 シッシッ、と不躾に手で追い払う仕草をしてみせると、男は驚いたように目を見開いてから口元に手を遣ってクスリと笑った。

「……噂通りだ。でも……君は僕の誘いを断らない」

 クスクスと笑う口元を綺麗に整った指先で隠しているソイツはワケのわからないことを言いながら俺を見つめている。その視線にゾワゾワと足下から何かが駆け上がってくるような感覚に襲われて、思わず眉を顰めた。

「はぁ? 今断ったじゃん。さぁホラ帰った。もうここは店じまいなんで」

 もう話することなんてない、と男を追い出そうとすると、男は目を細めてジッと俺を見つめた。

「君が発表してる論文は全て読ませてもらったよ。それから君の経歴も全部調べさせてもらった。その上でひとつだけ言わせてもらってもいいかな?」
「はぁ……」
「君にはスリルが足りていない。違うかい?」

 ニヤ、と口角を持ち上げた男に、ガシリと心臓を掴まれたような気がして急激にドクドクと心拍数が跳ね上がる。
 何を言っているんだこの男は。
 そう思いながら、男が発した言葉がおかしいくらいに耳に馴染んでいる自分もいて頭が混乱する。

「……まぁ、今日はアポなしだったからね。これくらいで退散するよ」
「……ッ」
「次に会うとき、君はもう僕の仲間だ。賢木修二先生?」

 じゃあまた、と立ち上がって背を向けたその男の腕を俺は思わず掴んでいた。

「名前……お前、名前は何て言う?」

 引っ張られるがままこちらに振り返ったその男は、一瞬だけ驚いてみせたもののすぐに取り直して俺を真っ直ぐに見つめた。

「僕かい? 僕は皆本、皆本光一だ」

 よろしく、と皆本は人好きのする笑顔を浮かべて言った。

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