三年目のバレンタイン - 4/5

「いらっしゃい。どうぞ」
「どうも。お邪魔しまーす」
皆本に招かれるまま、リビングへと足を進める。紫穂ちゃんは、他の二人と一緒に部屋に居るはずだ。
「お嬢さんたちにケーキ買ってきた」
「ありがとう! 皆喜ぶよ、早速食べようか」
「……あー……その前に。話、いいか?」
ケーキの箱を開けようとしていた皆本の動きがピタリと止まる。
身体を硬直させた皆本はそのままぎこちなくキッチンへと消えて、冷蔵庫にケーキを入れているのだろう、パタンと扉の音がしたり、カチャカチャとお茶の準備をしている音が静寂の中に響く。
その音を聞きながら、俺は気が重いのと緊張で、ぶっちゃけ今すぐでも吐きそうだった。
「ごめん、お待たせ。まぁ、座りなよ」
「……サンキュ」
皆本がテーブルに二人分のお茶を並べてロボットのように硬い動きで椅子に座る。ふぅ、と覚悟を決めて俺も皆本の真正面に座った。
皆本のどこかそわそわとした表情に、話の内容を知っているのかいないのか、不安が煽られて仕方がない。その割に何だか嬉しそうな気配も窺わせて、一体コレはどういう状況だ? と首を傾げた。
「賢木が僕に相談なんて珍しいな。気楽に早く話せよ」
「……そうか? いや。まぁ、その。なんだ……」
俺が口を開いた途端、何故か皆本はキラキラとした目をこちらに向けてきて。思い切ったように皆本はガバリと身を乗り出した。
「……結婚、するんだろ?」
「へっ?」
「……え? ……披露宴のスピーチ……頼みに、来たんじゃないのか?」
「はぁっ?!」
皆本によると、俺が一年前くらいから、女遊びを止めたことを気にしていたらしい。
つまりそれは遂に本命ができた。そして一年間のお付き合いを経て結婚を決意。今日はそれの報告とスピーチの依頼、と推測していたらしい。
さすが皆本クン。話がブッ飛んでて、何だかとても君らしい。
「相手は誰なんだ? 僕の知らない人だろう?」
キラッキラした目で俺を見てくる皆本に、そう言えば忘れてたと頭を抱える。
コイツ、男の癖に妙に乙女っぽいところがあるんだよな。
男にも恋する乙女みたいな思考回路がないわけではないが、コイツのは一層飛び抜けたところがあることをうっかりしていた。気まずさを誤魔化すようにバリバリと頭を掻いて微妙な笑みを浮かべる。
「あー……結婚する時はそりゃもちろん是非スピーチをお願いしたいんだけどさ。今日はそういう話じゃねぇんだ」
外れているようで、本筋は意外と外れていない皆本の推測に一瞬ヒヤリとしたけれど、話を何とかこちらのペースに戻そうと軌道修正していく。皆本は不思議そうな顔をして首を傾げているが、そんなの気にしちゃいられない。
「……交際相手と上手くいってないのか?」
「いや。そうでもなくてね……えーっと……実は、さ……」
言い淀んでいる俺を見た途端に深刻そうな表情を浮かべた皆本に、いやまだその大本命とはお付き合いすら出来てないんだよな、と心の中で一人ツッコミを入れる。
腹を決めて、予定通りに計画を実行するべく、深く深呼吸をした。チルドレン達が籠もっているはずの部屋に身体を向けて、もう一度深呼吸を繰り返す。
「紫穂ちゃん」
俺が呼んだと同時に、ガチャリ、と扉が開く。恐らく扉の前で待っていたのだろう、待つ間もなく紫穂ちゃんが部屋からゆっくりと出てきた。その後ろで薫ちゃんと葵ちゃんが、ガンバレ、と紫穂ちゃんの背中に小さく声援を投げかけている。
皆本はというと、顔に浮かんでいる疑問符を更に増やして、横に並んだ俺たち二人を不思議そうに見比べていた。
どうやら、皆本の耳には先日の騒動の話は何も届いていないらしい。
紫穂ちゃんはそんな皆本の様子を気にした風もなく、俺の隣にゆっくりとした動作で座り、俺に向かって笑顔を向けた。
その目は、こちらの不安を吹き飛ばすような強い力を持っていて。
俺に最後の一歩を踏み出させるには充分な後押しだった。
「……紫穂? どうした?」
「あのさ。皆本」
「え? あ、うん」
「単刀直入に言う。俺たちの交際を認めてくれないか」
瞬間、ピタリ、とまるで空間が止まってしまったように、皆本は動きを止めた。ひくり、と口を引き攣らせた皆本は、それでも自分を保つようにふるふると震えながら無理矢理口を開いた。
「え、っと……誰と、誰の、交際、だって?」
「俺と、紫穂ちゃんの、交際を、認めてくれないか」
ピシリ、と音を立てて皆本は本格的に固まってしまった。完全に硬直してしまった皆本が早く回復するように、じっと皆本を二人で見つめる。
紫穂ちゃんが立てた作戦では、回りくどい言葉は使わず、単刀直入にぶつかった方がなし崩し的に皆本という壁を破壊できるのではないか、ということだった。
なし崩しってところが大人としては気になるけれど、取り敢えず、少しでも壁を崩して皆本を懐柔できる状態にしないと話が前に進まないのは納得だった。
「……賢木。お前、紫穂に手を出したのか?」
「出してないし、お付き合いもまだしてない。俺たちはびっくりするくらい潔白だ」
皆本の様子に、まぁ手は繋いだけどね、と心の中でぼそりと呟く余裕は少し出てきた。けれど、いつもみたいに茶化しながら話を進めてしまうと、進む話も進まなくなるのは明白なので、至って真面目に話を続ける。
「みんなに俺たちの交際を認めてもらうまで、俺たちは付き合わない」
「……誰も認めるわけないじゃないか。紫穂は中学生だぞ」
「管理官と局長、紫穂ちゃんのご両親は認めてくださった」
「はぁ?」
嘘だろ、と眉を寄せて皆本は呟いて。
残念ながら事実なんだよ、皆本。あとはお前だけなんだ。
どう畳みかけようか迷っていると、紫穂ちゃんが淡々と皆本に向かって真実を告げた。
「嘘じゃないわ。管理官と局長には、賢木先生が挨拶してくれたし、うちの両親にはこの前二人で挨拶に行ったわ」
「……っ! あの、急に実家に帰るって言い出して予定を変更した日か!?」
「そう。二人で挨拶に行ってきたの」
にこりと綺麗に微笑みながら、紫穂ちゃんは事実を繰り返す。それを聞いて、皆本もやっと話を信じたのか、崩れかけていた姿勢を正して、俺たちに向き直った。
「賢木……お前、今までみたいに遊びで手を出そう、っていうんじゃないだろうな?」
「当たり前だろ。真剣だから、女遊びも止めたし、こうやって挨拶にも来てる。いくらなんでも、怒るぞ」
「いや……そうだな、賢木のことはこれでもよくわかってるつもりだ。お前が真剣なのは……伝わってる」
はぁぁ、と息を吐きながら、皆本は言った。
伊達に長いこと親友やってるわけじゃない。俺の態度が今までとは違うってことを、皆本は頭では理解しているようで。
「……認めてくれるか?」
「それとこれとは話が別だッ!」
頭を抱えて叫んだ皆本に、どれとどれの話が別なんだよと心の中でツッコミを入れつつ、皆本の整理がつくのをひたすらに待つ。
ここで結論を急かしても良いことはないというのは経験上知っている。皆本が納得できる解を導けないと絶対にウンと頷いてくれないことはわかっていたから、黙々と黙って皆本の思考が整理されるのを待った。
「……紫穂」
「なぁに? 皆本さん」
「本当に、賢木でいいのか?」
至極真面目な顔をして、皆本は紫穂に向かって言った。
ぶっちゃけその言い方めちゃくちゃ傷付くんですけど!? と思わず声を上げてツッコミたくなるけれど、ここはグッと我慢するしかない。
眉を寄せながらもひたすら黙って二人の遣り取りを聞くことに専念した。
「賢木先生がいいから、こうして二人で皆本さんとお話してるのよ」
「そうは言ってもだな……他にもいいと思う相手は沢山いるだろう? クラスの子とか、小学校の時の知り合いとか……」
「いろいろ見てきた中で、賢木先生が一番いいと思ったのよ」
「でも、一回りも歳上だし……知ってると思うけど、あまり女癖は良くないぞ」
黙々と二人の会話を聞いていて、紫穂ちゃんの発言には舞い上がりそうになるし、皆本の発言には打ち拉がれそうになる。有頂天とどん底を一気に経験できるなんて貴重な体験、今後はもう一切したくないなと思いながら、そろりと二人の顔色を窺った。
二人の会話から、取り敢えず、皆本が男としては俺をあまり評価していないということがよくわかった。あと、紫穂ちゃんがちゃんと俺を選んでくれたことも。
平行線を辿っている二人の会話に、紫穂ちゃんがふぅと溜め息を吐いてトドメを刺すように綺麗に笑った。
「あのね、皆本さん。先生が、今は私しか見ていない、って私知ってるの」
紫穂ちゃんの言葉に、皆本は眉を寄せて疑いの眼を俺たちに向けている。
「……なんでそんなのわかる? 口だけだと何とでも言えるぞ」
「潜ったの。先生に」
ひらり、と手のひらを翳して、紫穂ちゃんは皆本に告げた。それを聞いて、皆本は信じられないという顔で俺を見ている。俺はまるで降参とでも言うように両手を挙げて、真実を伝えた。
「事実だよ。研究室で居眠りしてるとこをヤラレたんだ」
「賢木が? お前一応仮にもレベルシックスだろ?」
「いやー。それが潜られたことにも気付いてなかったくらい、紫穂ちゃんには警戒心ゼロなんだよねぇ」
「……相変わらず間抜けだな」
辛辣な皆本のツッコミに、眉を下げてタハハと悲しみを堪えて笑ってみせた。
認めたくないけれど的確すぎる皆本の指摘は、地味に傷になっているそのことを遠慮なく抉っていく。力を認めてくれているからこその発言だとわかるだけに、仰るとおりで、としか言えなかった。
「……でも……それくらい、私たちお互いが必要な存在なの。だから、認めて? 皆本さん」
落ち込んでいる俺をよそに、紫穂ちゃんが真っ直ぐ皆本に想いをぶつけている。それに言葉を詰まらせた皆本は、紫穂ちゃんの気迫に圧されているようだった。
「……で、でもな? もうちょっと、他を見てからでも」
「なんでっ!?」
バターンという勢いの良い扉の開く音と共に飛び出してくる影。俺たち二人で話したいから、と事前に伝えてはいたけれど、我慢出来なくなったのか、身体を宙に浮かせたまま薫ちゃんが俺たちと皆本の間に割って入った。
「紫穂たち両想いなんだよっ!? なんで皆本が反対するのっ?!」
「か、薫ッ!? それは、その、好きだからって皆が皆、お付き合いに発展するとは限らないんだ」
「~~~ッ! 皆本のわからず屋ッ!!! こんなにラブラブなのに、邪魔したら牛の頭にタックルされちゃうんだからッ!」
「……薫? それを言うなら『馬の足に蹴られる』や。でも……ホンマに、人の恋路を邪魔する奴は、やで。皆本ハン」
今にも皆本に飛び掛かりそうな薫ちゃんと、それを何とか抑えている葵ちゃん。紫穂ちゃんからだけじゃなく、二人にも責められて、皆本は何も言い返せない苦しそうな顔を浮かべている。それでも簡単に認めるわけにはいかない、と眉を吊り上げて反論した。
「でもな? 紫穂はまだ中学生で……」
「来週、卒業するわよ」
「ッ!」
紫穂の鋭い返しに、皆本はぐっと唇を噛んで押し黙ってしまう。
実際、俺だって皆本と同じ意見で今は交際できないという意見を貫いていたのに、それを指摘されて意見を覆さざるを得なくなったんだから、皆本も今、かなり苦しい境地に立たされているのは間違いないだろう。
それでも認められない! というのが皆本の生真面目で頑固で実直な部分でもあるんだが。
「……認めてくれないなら、隠れてお付き合いしちゃうから」
痺れを切らした紫穂ちゃんが、プイとそっぽを向いてとんでもないコトを言い出すから、慌てて紫穂ちゃんの方へ向き直って口を開く。
「それは駄目だ! 隠れて交際するつもりなら君とは付き合えない」
「どうして? 私のモノになる、って言ったじゃない!」
「それは周りに認めてもらってお付き合いできたらの話だ。俺は正々堂々紫穂ちゃんは俺のモンだって言える立場になりたいの!」
「……バレなきゃ大丈夫よ」
「こういうのはバレるもんなんだよ! だから隠れてお付き合いするのは絶対ナシ!」
「何ソレ!!! 話が違うじゃない!!!」
「違わない! 公認が貰えないなら君が十八になるまで交際はできない! それは何があっても譲れない!!!」
「ハァァァァ?! ふざけないで私のこと好きって言ったのは嘘だったの!?」
「嘘じゃないし、君のコトは本気で好きだけど! 俺と君は歳が離れてて、君はまだ未成年なんだ!」
「なによ! 未成年は恋愛もしちゃいけないって言うの!?」
「そうじゃない! 俺と君の年の差の話をしてるんだ!」
「ちょ、ちょっと落ち着くんだ二人とも……」
突然始まってしまった俺たちの言い合いに、皆本がおろおろと仲裁に入る。そんな皆本をキッと睨み付けて、紫穂ちゃんは猫が威嚇するように目を吊り上げながら噛み付いた。
「元はと言えば、皆本さんが悪いのよ!!! 私たちを認めてくれないから!!!」
「へっ?! 僕のせい?!」
「皆本さんが私たちのことを認めてくれないから、変なところで真面目な先生が気を遣っちゃうんじゃない!」
「ええっ!?」
半ば涙目になりながら紫穂ちゃんは皆本に訴えている。そして急に矛先が自分へと向いた皆本は、面白いくらいに狼狽えだした。
「高校生になったら歳上と付き合う子なんて五万といるわ! なんで私だけダメなのッ!?」
「そ、それは……」
紫穂ちゃんの叫びにうまく言葉が返せない皆本は、汗を垂らしながら目をあちらこちらへと泳がせている。そんな煮え切らない皆本の態度に我慢の限界が来たのか、紫穂ちゃんはクッと唇を噛み締めてから目尻に溜めた涙を拭って叫んだ。
「大体! 皆本さんは私のお父さんでも何でもないのに、無意味に反対される理由がわからないわ!」
思い切り叫んだ紫穂ちゃんの声が、この部屋に流れていた静かな環境音さえも消してしまう。
シーンと静まり返ってしまった部屋に、あちゃー、と頭を抱えた。
紫穂ちゃん、それを言いたくなる気持ちはめちゃくちゃわかるけど、それは言ったらアカンやつ。
しかし、口から出てしまったものはもう仕方ない、と恐る恐る皆本を見遣ると、やっぱり固まって砂になりかけていた。
あーあ、どうすんだよコレ。
復帰すんのか?
再起動のスイッチはどこ?
「おーい、皆本クーン。固まらないで! 帰ってきてー」
テーブル越しに皆本の肩を叩きつつ、泣きそうになりながらか細い声で呼びかける。
皆本が復旧できないのが原因で話が終わってしまったら、多分きっとこれから皆本はマトモに俺たちの相手はしてくれなくなる。現実逃避するように俺たちから逃げて姿を眩ましてしまうのは目に見えていた。だからこそ、何とか皆本には緊急再起動していただいて、俺たちの交際を認める、まではいかなくても、ちゃんと俺たちの話を聞いてもらえる状態になってからこの家を出たい。
「なぁ、皆本……ちなみに、お前が反対する理由は何だ?」
やっぱり、俺自身か? とちょっぴり悲しくなりながら、何とかこちらの世界に帰ってきてもらえるように皆本に声をかける。皆本はハッとしたように崩れてしまった姿勢を何とか立て直して、でもやっぱり身体を支えきれずテーブルに突っ伏してしまった。
「……何だろう……反対なんだ……反対なのに、これという明確な理由が浮かんでこない」
うぅ、と唸りながら、皆本は答えて。
まさかこんなところで皆本の理系脳が俺たちに手助けしてくれると思わなかった。
そりゃそうだよな、俺たちが普段どっぷり浸かり込んでお世話になっている理系脳は、論理的に説明できないことは全てノー、または存在しない、のどちらかだ。
つまり。
にやけそうになる顔を何とか平常に保ちつつ、そっと皆本に語りかける。
「……それって、反対できる正当な理由がないってことだろ?」
「……そうなるな」
「じゃあ、答えは1つだろ?」
「……そうなるな」
「俺たちはその解が聞きたいんだけど?」
「……わかったよ……認めるよ。二人のこと」
ガクリと項垂れながら、皆本はずり落ちかけた眼鏡の位置を直した。俺たちの後ろでは薫ちゃんと葵ちゃんが手を取り合って、やったぁと喜んでいる。俺は心の中でガッツポーズを決めながらも、ホッとした気持ちの方が大きかった。
大きく溜め息を吐いて紫穂ちゃんの方を見ると、紫穂ちゃんは何故か皆本の手を握って、優しく皆本に微笑みかけていた。皆本は皆本でそんな紫穂ちゃんの視線に応えている。
ちょっと待ってほしい。
そこは俺じゃないのか。
あれ? でも、紫穂ちゃん的には皆本なの、か?
え? 何それ……嫉妬しちゃう。
「認めてくれて、ありがとう。皆本さん」
「……羽目を外し過ぎないように。約束と、門限は守るんだぞ」
「もちろんよ」
少女漫画のキラキラトーンまで見えてきそうな雰囲気で、手を握りあって見つめ合う二人。
え、マジで何ソレ。
何で相手は俺じゃねぇの。
ホントマジで嫉妬しちゃうんだけど!?
何この状況!?
「ちょっとちょっとお二人さん! いつまで手を握り合ってんの!」
「……あ。ご、ごめん。紫穂」
「あら。男の嫉妬は醜いわよ? センセ?」
わたわたと手を離そうとする皆本に対して、わざと俺に見せつけるようにぎゅっと皆本の手を紫穂ちゃんは包み込んだ。うふ、と含ませるように笑う紫穂ちゃんに、これは俺の反応を見て遊んでるなと心の中で舌打ちをして紫穂ちゃんの肩を抱いた。
「……嫉妬して当然だろ? それだけ大事なんだから」
紫穂ちゃんの耳許に口を寄せて、できるだけ声を低くして、甘く呟く。この場にいる全員にわざと聞かせるような音量で囁くと、それを聞いた皆は顔を真っ赤にして固まってしまった。
その隙に、ていやっ、と皆本と紫穂ちゃんの繋がれた手を無理矢理解く。
「……な、ナ、何、言って」
「し、しほ! せっかく、せんせいとつきあえることになったのに、う、うわきはよくないとおもうな!」
顔を真っ赤にしたままの紫穂ちゃんが、なけなしの抵抗をしてみせようとしたところに、こちらも負けないくらい顔を赤くした薫ちゃんが、片言でギクシャクしながらも俺がひっぺがした皆本の手を横から奪っていく。
「せ、せや! ここでいきなり浮気しとったら、先生のこと言われへんで!」
これまた林檎みたいに顔を赤くした葵ちゃんが紫穂ちゃんに向かって叫んでいるけれど、その内容にどうしても異議を唱えたい。
申し訳ないけれども、俺が浮気する前提みたいな話し方は止めてほしい。
過去の行いで何か言われるのは仕方ないが、これから起こってもいないことで何か言われるのは正直心外だ。
「いや。俺、浮気しないよ? もう紫穂ちゃん一筋だから」
シン、と部屋が静まり返る。
俺としては葵ちゃんの発言を訂正しようと、当たり前のことを言っただけなのに、みんながみんな、ますます顔を赤くして固まっている。
変なコト言ったかな? と首を傾げていると、何とか浮上した紫穂ちゃんが両手で顔を押さえてポツリと呟いた。
「……ちょっと……もう、やめて」
「え、何を?」
「……賢木って……本当にキザだよな」
「え? そうか?」
「ウチ、もうさっきから砂糖吐きそうや……」
「え? なんで?」
「……アタシもいつか言われてみたい」
最後のセリフは敢えて聞かなかったことにして、それぞれの反応を見せてくれているみんなに目を遣りながらぽりぽりと頬を掻いた。
自分では別に普通だと思っていたことも、他人からすればキザに見えるらしい。紫穂ちゃんの前ではとびきり格好良い自分で居たいと思っているから、いつもより何かいろいろ増しているかもしれないが。
「そうだ、賢木」
「え? なに? 皆本」
意識をはっきりと取り戻した皆本が、コホン、と気を取り直したように咳払いをして。
「……論理的には認める。ただ、感情的には納得できない」
「お……おう」
「だから、一発殴らせろ」
きらり、と眼鏡の下にある皆本の目が光った。
あー、やっぱり? やっぱり殴られるのは回避できないんだな?
ゆらゆらと近付いてくる皆本に、仕方ない、と覚悟を決めて向き直ると、女の子たち三人が皆本の前に立ちはだかった。
「皆本さん! 先生に殴られる理由がないわ!」
「そーだそーだ! 暴力反対ッ!」
「賢木センセ! 今のうちに逃げるんや! 何ならウチのテレポートで!」
「いや! ここで逃げたらすっげー情けないし、男が廃るよッ!?」
「それでも、よ! 先生が私を守ってくれるように、これからは私だって先生を守るわ」
紫穂ちゃんの言葉にハッと目が醒めたような気持ちになる。
俺は、今まで紫穂ちゃんのことが大事すぎて、彼女を守ることばかり考えていたけれど、お付き合いをするってことはお互い対等になるってことで。
紫穂ちゃんが俺を守ろうとするのは、何らおかしいことではなかった。
「……ありがとう。紫穂」
俺に比べてはるかに小さな身を挺して、皆本から守ろうとしてくれる紫穂ちゃんに、ぎゅうと心があつくなる。
今すぐにでもその小さな身体を抱き締めて、この感情を伝えたい。
でも今それやっちゃうとなぁ、逆効果だよなぁ、と心の中で頭を抱えながら身悶えていると、皆本は悔しそうに顔を歪めてから溜め息を吐いて、構えていた拳をゆっくりと降ろした。
「……わかった、わかったよ。これじゃあ、僕が悪者みたいだ」
俺を感情的に殴ろうとしてた時点でちょっとは悪者なんじゃないの? というツッコミは敢えてしない。俺に対してちょっとデリカシーがないくらいがいつもの皆本らしい。
身に迫る危機から逃れてホッとしたのも束の間、このままここに居残ると、きっと薫ちゃんと葵ちゃんにいろいろと質問攻めにされるのは間違いない、という予感がしたので、とっとと話を切り上げて退散することにした。
「じゃあ、話も済んだし。帰るわ」
そそくさと帰り支度を始めると、思った通り、薫ちゃんの残念そうな声が聞こえてくる。
「えーっ! 今日こそは二人の話を聞けると思ったのにーっ」
「ハハ……また今度な」
ぶーぶーと不満そうにしている薫ちゃんの非難を背中に受けながら、慌ただしく玄関へ向かう。そのまま靴を履いて、見送りに玄関まで来てくれた全員に向き直った。
「……また今度、ゆっくり来いよ」
「ああ、そうする。またケーキ買ってくるな」
チルドレン三人の、やった! という小さな歓声にクスリと笑みが零れた。
その微笑ましい光景の中に、紫穂の姿を確認して、あたたかい気持ちのまま、扉を開ける。
「じゃあ、お邪魔しました」
「またね、先生」
これで、晴れて堂々とお付き合いできるようになった俺たち。恋人らしい別れの挨拶は、これから覚えていってもらうことにして、今日は素直に家路につく。少しずつ少しずつ、恋人らしくなれるように、今までみたいに時間を掛けていけばいい。
まずは、バレンタインのお返し。ホワイトデー。
紫穂ちゃんにとって、忘れられない思い出の日になるように。とびっきりの記念日にしてあげよう、と思わず笑みが溢れた。

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