駅前の待ち合わせスポットに九時半。
少し早めの時間設定だけれど、電車での移動を考えるとこんなもんだろう。いつもより丁寧に身なりを整えて、念入りに玄関の姿見で全身をチェックしてから家を出た。
仕事以外で着るのは久し振りのスーツに、少し窮屈な思いをしながら、用意した手土産を確認する。
紫穂にリサーチした、ご両親にウケると願いたいこの手土産。
選ぶのにかなり緊張と時間を費やしたのは良い思い出だ。
「先生、お待たせ」
「紫穂ちゃん」
普段着の紫穂ちゃんが、早々に待ち合わせ場所に到着していた俺のもとに歩み寄ってくる。
「今日、本当に車じゃなくて良かったの?」
「ああ。まぁ、ないとは思うけど、お酒が出てきたら断れないしな」
「そんなの……気を遣わなくていいのに」
「そういうわけにはいかないの」
眉を下げて笑いながら、紫穂ちゃんを伴って駅へと向かう。紫穂ちゃんの分も合わせて二人分のチケットを買って、改札を抜けた。土曜日なだけあって、適度な混み具合だ。
「先生、切符代……」
「あぁ。いいって。今日は俺の用で動いてもらうんだし」
納得いかない、というように頬を膨らませた紫穂の頭をポンポンと撫でて、電車に乗り込む。座席が空いていないくらいには混雑していたので、紫穂ちゃんを乗客から庇うようにしてドア前のスペースを陣取った。二人で電車に揺られながら、そっと身体を屈めて紫穂ちゃんの耳許に顔を近付ける。
「……今日の俺の格好、変じゃない?」
指先でネクタイを弄りながら、きょとんとしている紫穂ちゃんに問い掛けた。
超特急とは言え、この日の為に新調したスーツだ。店で合わせてもらっているから変なコーディネートになっているとは思えない。でも彼女の目から見てどうか、は男としては気になる意見で。
ぷい、とそっぽを向いた紫穂が俺の袖の端をそっと掴んだ。
(いいんじゃない? いつものチャラさがいい感じに隠れてるわ)
(チャラさってなぁ……格好いい?)
(……まぁまぁね)
(……もうすぐ紫穂ちゃんのモノになるよ)
ふっとウインクしながら笑いかけると、小さく、バカ、と顔を赤くして紫穂ちゃんが呟いた
ご実家の最寄り駅に着いてからは、紫穂ちゃんに案内されるがまま、道を歩いていく。
「……着いたわ」
「……相変わらずでけぇな」
前に何かの用事で紫穂ちゃんを送った機会に家自体は見てはいた。でも今日は緊張も相まってか余計に大きな門構えに感じる。門扉の前で緊張を鎮めるように深呼吸を繰り返していると、カシャンと隣で音がした。
「ちょっと待ってくれ。紫穂ちゃん、何で勝手に入ろうとしてんの」
「……自分の家に入るのに勝手も何もなくない?」
「や、あの。俺、一応、三宮家にとっては客のハズ、なんだよね。だから、インターホン鳴らしてくれる?」
「……招かれざる、が付くかもしれないけどね?」
ちょっぴり黒い笑顔を見せた紫穂ちゃんに、否定はしねぇ、と呟いた。
実際、あのツンデレパパから見たら、俺は絶対に招かれざる客だろう。
ピンポーンとインターホンらしい音が響いて、間を置かずにガチャリと応答があった。
「ママ、お待たせ。連れてきたわ」
「あら、いらっしゃい。ちょっと待ってね」
パタパタパタ、という音がインターホンから遠のいて、ガチャリ、と玄関扉が開く。
「いらっしゃい。賢木さん」
「ご無沙汰しております」
「パパも呼ぶから入って、紫穂」
お母様が家の中に向かって、パパー、招かれざる客が来たわよー、と叫んでいるのが聞こえた。
あぁ、緊張でおかしくなりそうだから本当にそういうのやめて欲しい。
紫穂ちゃんに連れられてリビングへ足を運ぶと、そこには既にお父様がソファに鎮座して俺たちを待っていた。
「あら。パパ、こんなところに居たの。呼ぶ手間が無駄になっちゃったじゃない」
「……あぁ」
「ただいま。パパ、ママ」
紫穂ちゃんは二人の遣り取りを全く気にせずに軽く挨拶を済ませて、恐らく定位置なのであろうソファの位置に座った。御家族全員がソファに落ち着いたところで、え、あれ、俺はどうすれば、と挙動不審になっていると、無表情のお父様に声を掛けられてしまう。
「……賢木くん、だったかな? そんなところで立ってないで、座りたまえ」
「……はぁ、ありがとうございます」
この場合どこに座るのがいいんだっけ、と頭が真っ白になりながら、どう見ても紫穂の隣しかソファが空いていないので、取り敢えずそこに腰を落ち着ける。そのまま持参した手土産をリビングテーブルの上に取り出して、静かに差し出した。
「……あの、気に入って頂けるとよいのですが。どうぞお受け取りください」
「あらー。気に入らないモノなら要らないわよ?」
「ママ! 今日くらい素直に受け取って!」
フォローどうもありがとう! 紫穂ちゃん! 心の中で叫びながら内心だらだらと流れている冷や汗が表に出てこないよう気を引き締めた。
俺、顔は引き攣っていないだろうか。ちゃんと笑えてるだろうか。どうもうまくいっていない気がする、と泣きそうになりながら無理矢理口角を吊り上げる。オホホホ、と紫穂ちゃんに良く似た顔で笑っているお母様が俺の手土産を受け取って、お茶を入れてくるわね、と部屋から立ち去ってしまった。
すると、途端に、シーン、と耐え難い沈黙が広がる。これは何か話をして場を繋げねば、と思いつつ、何を話せば良いのかさっぱりわからなくてニコニコと笑っていることしかできない。緊張しすぎだろ俺! と自分にツッコみつつも、いやこれは緊張するって! と返す自分もいて。それでもせめて好印象は持ってもらわないとこれから何も始められない、と気合いを入れ直した。
ここは取り敢えず世間話でも、と考えたものの、ご両親とする世間話ってどんなだよ、と真っ白な頭はちょうど良い話題を導き出してはくれなくて、更に焦りが生じてしまう。どうしようどうしよう、と惑っているうちに、ふ、と息を吐いたお父様が口を開いた。
「……賢木くん、だったね? 紫穂から少し、話を聞いてるよ」
おい、紫穂ちゃん一体どんな話をしたのかな?
お父様、お顔が笑ってないよ?
なぁ、いつもみたく俺を下げるような発言ばかりしてないよな?!
半ば泣きそうになりながら、無理矢理笑顔を浮かべてさっと立ち上がった。
「……申し訳ございません。自己紹介が遅れました。私、賢木修二と申します」
背中に流れている汗を誤魔化して、緊張で声が裏返りそうになるのを必死に取り繕いながら、ポケットから名刺を取り出して丁寧に差し出す。学会くらいでしか役に立たない俺の名刺が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
「……ほぅ。君も特務エスパーなのかね」
「はい。まぁ、医者が本業になりますので、特務がメインという訳ではないのですが……」
「医者と特務の両立だと、忙しい日々を送っているんだろう」
にこり、と笑顔を見せたお父様に、お、これは意外と好感触なのでは? と少しだけ緊張が解れる。
「紫穂から、医者としては本当に尊敬できる方だと聞いているよ」
「……ありがとうございます。自分はまだまだ若輩ですので、これからも精進するばかりです」
紫穂ちゃんありがとう!
そういうの言っておいてくれると本当に助かる!!!
紫穂ちゃんの有り難い事前フォローが心に染みる。紫穂ちゃんが俺のコトをそんな風にご両親に話しているというだけで嬉しくて泣けてしまう。一気に緩んでしまいそうな気を引き締めながら、お父様に向かってぺこりと頭を下げた。
「……でも、特務としては同じ能力だからぶっちゃけムカつく、ってこの前言ってたわよね?」
フフフ、と笑みを浮かべながらお茶を持って部屋に入ってきたお母様の第一声。
いや、何となくそう感じてるんだろうなって思ってたけど。
改めて、しかも直接ではなく、紫穂ちゃんにとって身近な人からそれを聞かされてしまうと、ハートにグサリと矢が刺さるどころか、ハートがぐちゃりと潰れた気分だ。
「しかも、紫穂よりレベルが低いのに、出しゃばってくるから面倒臭いって」
うふ、とお茶を配膳しながら続けるお母様に、俺はもう、ハハハ、と乾いた笑いしか返せなかった。
「もうその辺りにしておきなさい」
「アラ。でもいじめるのが楽しいんだもの」
にまりと楽しそうなお母様の笑顔に。間違いなく親子だな、と心の奥で納得した。シン、と静まり返って重たくなってしまった空気を取り払うように、お母様がパチンと手のひらを合わせた。
「賢木さん、パパの好きなお菓子持ってきてくださったのよ。お茶にしましょ」
「……うむ」
心なしか綻んだように見えるお父様の顔を窺いながら、いただきます、と言ってお茶を口に含む。唇を湿らせる程度に含んだはずの緑茶がじんわりと口の中に広がって気付いた。
やべぇ。俺、緊張でめっちゃ喉乾いてる。
頂いたお茶でしっかりと喉を潤してから、これはもうとっとと本題に入ろうと姿勢を正した。
「……あの……いきなり本題で大変恐縮なのですが、本日、お伺いしましたのは、紫穂さんとの交際を認めて頂きたく、ご挨拶に参りました」
何度もイメージトレーニングしてきた台詞を、何とか噛まずにビシッと言えた。背筋もちゃんと伸ばして、俺イチの真面目顔も保てているはず。
ここを乗り越えなければ、絶対に最難関なんて越えられるわけがない。
ごくり、と喉を鳴らしてご両親の反応を待った。
「……」
シーン、とした重苦しい沈黙が再び部屋を支配する。ご両親は固まってしまったかのように無表情。
早く何か言ってくれ。
それか、俺が追い撃ちを掛けるべき?
作戦を練りながら黙々と黙っていると、お父様が表情を和らげて俺を見つめた。
「構わんよ」
「……へ?」
「紫穂が君を選んだんだから。構わんよ」
あまりの展開につい、ポカンと呆けてしまう。
ちゃぶ台返しが来るとばかり思っていたので、この展開は全く予想していなかった。
「私も、反対なんかしないわよ」
「ママ! 素直に表現して」
「あらぁ、これでも充分素直よ? 紫穂が選んだ人なんだもの。反対なんかするわけないじゃない」
「……そう、で、すか」
何だか変に力が抜けて強張っていた肩を落とすと、にっこりと微笑んだお母様が両手を合わせてコトリと首を傾げた。
「こぉーんなイケメンで高給取りのお医者様、オマケにバベルの特務エスパーだなんて、今すぐでもパパから乗り換えたいくらいよ?」
「ママッ!」
うふふ冗談よ、と言いながらも何故か冗談に聞こえてこないお母様の台詞に、敢えて聞こえない振りをする。
そんなお母様相手に顔を赤くして反抗している紫穂に、何だか心があったかくなった。
俺のこと、紫穂なりにきちんと、素直にご両親に伝えてくれていたことが伝わって、妙に嬉しくて顔がにやけそうになるのを何とか堪える。
「それよりも……まだ未熟な紫穂が、君に迷惑を掛けないかが私は心配でね」
紫穂の我が儘に振り回されていないかね、と問いかけてくるお父様に、自分の真価が問われている気がして。
きゅっと気を引き締めて、お父様に向き直った。
「私は……子供の頃、紫穂さんのように、支えてくれる大人や側にいてくれる仲間がおらず、辛い経験をした時期があります」
今でも思い出せば暗い気持ちで支配されるあの頃。
「紫穂さんは既に、皆本主任という素晴らしい大人に支えられ、素晴らしい仲間たちに出会い、真っ直ぐに成長しています。ですが、私も、別の方向から、紫穂さんの人生を支えられる存在でありたい」
自分にとって、紫穂ちゃんが傍に居て心地いい存在であるように、紫穂ちゃんにとってもそうであって欲しい。
「同じ力を持つ人間だからこそ、理解できることがあると思います。私は、紫穂さんの一番の理解者にはなれなくても、彼女のこれからの人生で起きることを紫穂さんの側に寄り添って、一緒に何でも受け止めて支えていきたいと思っています」
言い終えて、ちょっとクサかったかなと思いつつ、本心なので仕方ないかと開き直る。
紫穂ちゃんにとって、俺がどういう重さの存在なのかはわからない。
ただ、俺にとっては、その重さごと両腕で包み込んで抱えていたいと思える程、紫穂ちゃんは大きな存在だ。
これから大人になる過程で、紫穂はきっといろんな経験をすると思う。紫穂ちゃんのことだから、俺なんて要らないと言うかもしれないけれど、そのひとつひとつの出来事に、俺は、皆本とは違う、男として、大人として、同じ能力者として、側に寄り添って支えられる、できれば俺のことも頼って貰えるような存在でありたい。
「……君のような男に出逢えて、紫穂は幸せだよ」
お父様が、優しげな表情を浮かべて紫穂を見つめている。お母様も、何も言わず、にこやかな優しい目で紫穂を見ていた。
「……恐縮です」
「……ホントよ。先生が皆本さんみたいになれるわけないんだから」
「ハハハハハ……」
顔を引き攣らせながら、何とか場を和ませるように笑顔を浮かべる。
正直、紫穂ちゃんのツッコミが一番キツい。
多分、照れ隠しなんだろうとは思うけれど、今のこの状況でそれはマジでキツい。
知ってるよ。俺はきっと、君の一番にはなれないってコト。
心の中で、そっと紫穂ちゃんに向かって呟けば、にこにこと表情を崩さずにお母様が口を開いた。
「紫穂? そんなこと言ってると、ママが賢木さんを横取りしちゃうわよ?」
まだアナタのモノじゃないんだからいいわよね? と笑顔で続けたお母様に、それはちょっとホントに笑えない冗談で困ります、と答えるべきなのか迷っていると、ガバリとソファから身を乗り出して紫穂ちゃんが叫んだ。
「ダメッ!!! これから先生は私のモノになるんだからッ!」
リビングテーブルに手を突いて、紫穂ちゃんは噛み付くようにお母様に歯向かっている。
好きな子に、これだけ言ってもらえるって、何て幸せなんだろう。しかも、ご両親の目の前で。
なんだか、年の差を考えてグズグズしていた自分が本当に情けない気がして、身が縮む思いだった。
「……そうよ。本当に大切な人は、それくらいの勢いで守らなきゃダメよ。紫穂」
「ママ……」
目の前に迫っている紫穂ちゃんの頭を撫でながら、お母様はにこりと笑いかけている。
本当に、心から愛されているんだな、と感じて、何だか俺まで嬉しくなってしまった。
綻んでしまった顔を僅かに引き締めながら、最後の締めだ、とご両親に向き直って口を開いた。
「……認めて頂いたとしても、当然のことながら、紫穂さんの年齢相応のお付き合いをしていきたいと考えております。何かご不満があれば、私に直接ご指摘ください」
言いながら、名刺とは別に用意してきた私用の連絡先をご両親に手渡す。
これが終われば、今日の俺の任務は殆ど完了と言っていい。
「紫穂。お世話になっている方々への挨拶は済ませたのか?」
「……まだこれからよ。ちゃんと皆に認めてもらうわ」
「そうか……何か言われたら、守るべきことは守るんだぞ」
「わかってるわ。パパ」
紫穂ちゃんが、真っ直ぐご両親へ向かって笑みを浮かべる。
実家に来るまで、どことなく少し硬い表情を浮かべていた紫穂ちゃんも、すっかり落ち着いて娘の顔をしていた。
何だかんだ言って、紫穂ちゃんも緊張していたんだなと改めて感じて、自分のことばかりで気遣えてやれなかったことに悔しさを感じる。
紫穂ちゃんの前で大人ぶってはいるけれど、やっぱり、俺はまだまだだ。
もっと、彼女のために、大人になろう。
改めて強く、そう思った。
「じゃあね。パパ、ママ。また来るから」
「今日は、お忙しい中、お時間頂きましてありがとうございました」
ご実家の玄関先で、紫穂ちゃんと二人、肩を並べて挨拶をする。するとお母様が、紫穂に向かって満面の笑みで答えた。
「嫌になったら、いつでも言ってね。ママが賢木さん貰いに行くから」
「……嫌になんか、ならないわよ」
「……まぁ、また気兼ねせず、いつでも二人で帰ってきなさい」
ヒヤヒヤさせられる二人の遣り取りに、お父様が割って入った。紫穂ちゃんのご両親に認めてもらえて嬉しいけれど、この言葉の応酬にはいつまで経っても慣れない気がする。
だらだらと流れる冷や汗を誤魔化しながら、改めて頭を下げた。
「今日はお邪魔いたしました」
「バイバイ。またね」
ガチャリ、と玄関の扉を閉める。そのまま二人で門扉まで歩いていって、またガチャリ、と音を立てて門扉を閉めた。
無言のまま、駅に向かう道を数十メートルほど歩いたところで、ピタリ、と足が動かなくなってしまった。力が抜けたようにその場にへたりこんで、思わず叫ぶ。
「ッはぁーーーーーッ!!! 緊張したッ!!!」
「……ちょっと。こんな往来で止めてよ」
「そうは言ってもね……紫穂ちゃん……」
ぶっちゃけ、今、俺、腰抜かしそうよ? と紫穂ちゃんが伸ばしてくれた手を掴んでゆっくりと立ち上がる。
「俺、一応、彼女のご両親にご挨拶、とか、初体験なんですよ」
「……まだ彼女じゃないんでしょ?」
「……ソウデシタ。まだアイツが残ってる」
はぁ、と溜め息を吐いて肩を竦める。
正直、一番気が重い。
緊張は、ご両親へのご挨拶がダントツのぶっちぎりだったが、気が重くて進まないのは最難関の方だ。
「でも、紫穂ちゃんのご両親にはお墨付き貰ったんだし、皆本もこの勢いでいっちまうか……」
「……勢いで乗り切れるかしら?」
紫穂ちゃんが考え込むように難しい顔をして口許に手を添える。
確かに、勢いで乗り切るのはかなり厳しいと思う。だが、勢いでもなけりゃ、最初から完敗してしまうのは目に見えていて。
なんてったって、皆本にとって、きっとチルドレンは子どもや妹同然の存在だ。
「……取り敢えず、私も同席するわ」
「え? いや、紫穂ちゃんはいいよ。俺一人で」
「ここからは二人じゃないとダメなんじゃなかったの?」
少し頬を赤らめてそっぽを向きながら、不機嫌な声で紫穂ちゃんは唇を尖らせている。
可愛い。うん、改めて可愛い。
「……そうだな」
繋いでいない方の手で、紫穂ちゃんの頭をそろりと撫でる。
「一緒に、話そう。皆本と」
「……ええ。絶対、認めてもらいましょ」
紫穂ちゃんが微笑みながら、ぎゅっと俺の手を握った。俺もそれに応えるように、紫穂ちゃんの手に指を絡めて繋ぎ直す。
「ちょ、ちょっと! まだ彼女じゃないんですけど?!」
「でも、俺と付き合ってくれる予定なんだろ?」
にやり、と笑って紫穂ちゃんの顔を覗き込めば、紫穂ちゃんは顔を赤らめつつも不貞腐れたようにぷぅと頬を膨らませた。その照れ隠しが何だかとても可愛くて、予行練習予行練習、と恋人繋ぎのままゆっくりと歩き出す。
「センセイ……」
「ん? なに? 紫穂ちゃん」
「あの、あのね」
足を止めた紫穂ちゃんが、遠慮がちに俺の手を引いて俺を見上げている。
「今日は、ありがと」
「……うん」
「あとね……」
「ん?」
「……すごく、かっこよかった」
ちょっと待ってほしい。
え? ホントちょっと待ってほしい。
今のは何だ。
これが噂のデレってヤツですか。
え、紫穂ちゃんのデレの威力、マジ半端ないんですけど?
頬を薄ら紅く染めて、ふわりと柔らかく微笑んでいる紫穂ちゃんが、じっと俺を見つめている。
本当にちょっと待ってほしい。
この子が! 俺の! 彼女になるのか!!!
「……センセイ。手からいろいろ駄々漏れよ」
打って変わって呆れたような表情を浮かべてジト目で俺を睨み付けてくる紫穂ちゃんの視線から逃れるように、思わず目元を手のひらで覆った。
「いいよ……今は感じてくれ……俺がどれだけ、君が好きだったのかってコト」
「や、やだっ、恥ずかしいっ」
慌てて繋いだ手から逃れようとする紫穂ちゃんを繋ぎ止めるように、ぎゅっと強く手を握る。
あとは、最難関、皆本光一を納得させれば、紫穂ちゃんと堂々とお付き合いができるようになる。
正直、不安しかないし、寧ろ殴られてボコボコにされた上で追い返されて二度と皆本の家の玄関を跨げなくなって終わるかもしれないが、俺たちの仲を認めてくれるまで、誠実に、向き合い続けよう。
「大丈夫。私が殴らせないわ」
俺の思考を透視(よ)み取った紫穂ちゃんが、強い目で真っ直ぐ前を見つめている。
「先生が皆本さんに殴られる理由がないもの」
ちゃんと話せばわかってくれるはずよ、と紫穂ちゃんは微笑んだ。
あの堅物が、素直に受け入れてくれるといいんだけれども。
そうだな、と紫穂ちゃんの手をぎゅっと握り返して、再びゆっくりと歩き出した。
三年目のバレンタイン - 3/5
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