星屑キラリ - 8/14

「お待たせー! ゴメン遅くなっちゃって!」
「……大丈夫よ、そんなに待ってないわ」
「葵はまだなの?」
「うん、でももう着くってメッセージ来たわ」
薫ちゃんが椅子に座ったのと同時に葵ちゃんがテーブルに駆け寄ってくる。
「ゴメン! 遅なってもーた」
「皆今着いたところよ。大丈夫」
席に着いてから思い思いにドリンクを注文して、ホッと息を吐く。
会いたいと思ったときにすぐ会ってくれる二人の親友の存在が、今はとても心強かった。
薫ちゃんの家、正確には皆本さんの家に集まれないときによく使うこの喫茶店。ちょうど三人が住む場所から中間に位置していて徒歩圏内であることから、ここは三人だけの秘密の話をするときによく使う場所だった。
程なくして注文したドリンクが運ばれてきてそれぞれの前に配膳された。温かいセイロンティーからはふわふわと湯気が上がっている。ひとくちだけ口を付けてから、そっと目を閉じて口を開いた。
「……もうやめようと思うの」
口にしてみると、思ったよりも軽い調子で言葉にできた。ほ、と息を吐いてから目を開くと、迫真の表情で私を見つめる二人と目が合った。
「……何があったか、聞かせてもろてもエエんやろか?」
葵ちゃんが、恐る恐るといった様子で聞いてくる。何をやめるのか、ではなくて、何があったのか、を聞いてくる察しの良さに眉を下げて笑った。
「……何もなかった。それだけよ」
静かに、事実だけを告げる。
愚かなことに、本当に何もなかった。空気を甘いと感じていたのは私だけで、甘えた仕草も、何もかも全部、意味がなかった。
「え……で、でもさ、何もないのは、いつものことじゃん? なんで、もうやめようって思うのさ? もっとこう、逃げられないように追い詰めて、やることやっちゃえば」
「無理なのよ」
堪えていたものが溢(あふ)れるように声が震える。もう大丈夫と思っていたけれど、堰を切ったように溢(こぼ)れてくる涙を止めることなんてできない。
「甘えてみたって駄目だった。寝室まで入ってきたクセに何にもなかった。それって私をそういう対象で見てないってことでしょ? もう無理だよ」
ぽろぽろと溢(こぼ)れた涙が服の上に染みを作っていく。涙を拭う気力すら、もう残ってはいなかった。目許を隠すように俯けば、ぱたぱたと涙が零れ落ちて、更に染みが広がる。
「え、ちょっと待って! 寝室って? 紫穂、先生の家行ったの?」
薫ちゃんの問いかけに、ふるふると首を振って仕方なく口を開く。
「……昨日、酔ったフリして、私のマンションまで送ってもらったの。そのまま一緒に部屋に入って、精一杯甘えて、ベッドまで運んでもらって……このまましちゃうのかな、って思ってたら、生体制御で眠らされて……先生はすぐに私の部屋から出て行っちゃったわ」
今思い出しても笑えてしまう。自嘲気味に口許が歪んで自分が酷い顔をしているのがわかった。くしゃりと前髪を掴んで表情を隠す。
自分のこんな顔、二人にも見せたくなかった。恋に破れただけじゃない。その対象にも、先生の周りにいる女の人たちと同じ立ち位置にすらいなかった現実なんて、この二人にも知られたくなかった。拗らせた私の初恋は、醜い音を立てて、ぐしゃぐしゃに潰れてしまった。
二人の顔を見るのが怖くて、俯いたままぐすぐすと鼻を鳴らす。少し涙は落ち着いたかなと紙ナプキンを取ろうとすると、葵ちゃんが無言でそっと紙ナプキン数枚を手渡してくれて。小さくありがとうと告げてその内の一枚で目許を拭った。
「……私、今からちょっと、賢木先生殴りに行ってくる」
めらり、と背中に赤黒いオーラを背負って薫ちゃんがゆっくり立ち上がる。
「私の紫穂を傷付けた罪……絶対、許さない」
ギン、と鋭く寄せられた目許は、今にも人を殺してしまいそうだった。
「あ、アカンて、薫。流石に物理で殴ったらアカン。アンタももう大人やねんから……」
あわあわと薫ちゃんを無理矢理元の椅子に座らせた葵ちゃんは、少し俯きながらキラリと眼鏡の奥で目を光らせた。
「殺るんやったら確実に、誰にもバレへんようにやらんと」
ゾッとしたような表情を浮かべた葵ちゃんも後ろにどす黒いオーラを纏っていて。慌てて二人の暴走を止めた。
「や、やめてよ二人とも! そんなことされたら余計に惨めになっちゃう……」
「紫穂が惨めになることなんてない! 紫穂はめちゃめちゃ魅力的だし、男にも女にも超モテるじゃん!!!」
「せや! 賢木先生の目が節穴なだけや! こぉーんな可愛い子が好き好きオーラ全開で無防備に寝っ転がってるのに何も起こらへんってどぅいうことや!?」
二人は本当に心から憤っているようで、眉も目尻も吊り上げながら、まるで自分のことのように感情を剥き出しにして怒ってくれている。それを嬉しいと思う反面、自分は先生の好みにとことん合わなかったんだろうな、という現実を思い知らされてしまって痛かった。
「……もういいよ、二人とも。二人がそれだけ怒ってくれれば私はもう充分だわ。初恋は叶わない、ただそれだけのことでしょ」
拗らせすぎて長く煩ってしまっていた初恋を清算できる良い機会だ。これを機に、他の人に目を向けてたくさん恋を経験していけば、きっとこの傷の痛みなんてすぐ忘れてしまう。
「先生言ってたの。私が二十歳になる頃、きっとイイ女になってるから、側で見守らせてほしいって。いっぱい笑って、たくさん恋をした私は、絶対イイ女になるって。でも、私は結局、先生しか知らないから、先生の言うイイ女にはなれなかったのよ。私のこと、ずっと保護者みたいな目線で、付き合ってくれてたのかもしれないわ」
言ってみて、自分でも驚くほど納得できる答えが出てしまって、ぷつん、と糸が切れたように力が抜けた。ふ、と力無く笑ってまだ怒りが収まらない様子の二人を見つめる。
「もう、先生と食事に行くの、止める。誘われても、行かない。他の人に目を向けて、新しい恋を探してみるわ」
幸い、自分を誘ってくれる人は男女問わず多数いる。まずは食事から始めてみて交流を深めれば、そこから先に繋がる人も出てくるかもしれない。
「……ゴメンね、二人とも。休日なのに呼び出しちゃって。話聞いてくれて、アリガト」
できるだけ明るく笑ってみせると、二人は顔をくしゃくしゃにして私の手をぎゅっと握った。その手に応えるように私も握り返すと、がばりと顔を上げた薫ちゃんが意を決したように私を見た。
「飲もう、紫穂」
「え?」
「せや! 飲もう! ウチらもう大人やねんから昼から飲んだって許される!」
「えッ、ちょっと二人とも?!」
「明日休みでしょ? ハメ外したって明日リカバリすればいいじゃん!」
行くよ! と薫ちゃんに腕を引っ張られて慌てて立ち上がる。
「薫ちゃん待って! どこ行くの?」
「こんな時にウチらが集まる場所言うたら決まっとるやろ!」
葵ちゃんが慌てている私の背中を押した。
「皆本も来ていいよって言ってるし! 皆本に愚痴聞いてもらお!」
たぷたぷとスマホを操作しながら薫ちゃんは私の手を引っ張ってお店を出ていく。縺れる足を何とか前に動かしながら手を引いて抵抗した。
「だ、ダメよ薫ちゃん! 皆本さんは、先生の親友なのよ?! 皆本さんに愚痴るなんてっ」
「だからだよ!」
薫ちゃんは私の手を引いたまま振り返って足を止めた。その目は感情を抑えきれないと言うようにゆらゆらと揺れている。
「先生のダメなとこわかってる皆本だから、愚痴る意味があるんだよ!」
「せやで紫穂! 皆本ハンは紫穂の気持ち知っとった上でずっと自分ら二人を見守ってはったんやから、何かエエ助言くれるかもせぇへん」
な、行こう紫穂、という葵ちゃんの後押しに、涙を溢(こぼ)しそうになりながら、小さくうんと頷いた。

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