「ごめんなさい。ちょっと遅れちゃった」
「いいよ。仕事立て込んでたのか?」
「うん、ちょっとね」
デートの準備に手間取りました、なんて口が裂けても言うことはできない。先にテーブルに着いていた先生の隣の椅子に腰掛けながら適当に誤魔化すと、じっと先生の視線を感じて。
「……な、なによ」
あんまりにもまじまじ見てくるものだから、ほんの少しだけ身構えて先生を見遣った。すると先生はテーブルに肘を突いて私の視線に応えた。
「今日可愛いじゃん」
「え?」
「スカートなのも珍しい。何かあった?」
フ、と口角を緩く上げた先生は、眩しいものを見るように目を細めた。
「……わ、私はいつだって可愛いわよ」
ふい、と顔を背けて赤くなった頬を隠す。
「知ってる。でも今日は特別可愛い」
先生の特別甘い声が耳を撫でる。久し振りに可愛いと言われたことが嬉しくて、どうしたってにやけてしまう顔を隠しきることなんてできそうにない。綻んでしまう頬をさりげなく押さえながら小さく、ありがと、と答える。すると先生はくすりと笑ってから、メニュー表を開いた。
「取り敢えずいつものでいいか? それとも今日は気分変える?」
どうする? と聞いてくる先生の顔はやっぱり大人で。それが余裕たっぷりに見えてしまってほんの少しだけ悔しい思いを感じながら、澄ました顔で答える。
「たまには、気分変えてみようかしら」
「……本当に珍しいな? 何か隠してる?」
訝しむような先生の視線にくすりと笑いながらメニュー表を受け取る。
「先生相手に隠し事したって意味ないじゃない。どうせバレちゃうし」
「……最近の紫穂ちゃん相手に俺が敵うワケねぇだろ? 俺なんて君の足元にも及ばねぇよ」
くしゃりと笑う先生は、椅子の背凭れに背中を預けながらこちらを見ている。その目は優しいくせに困ったような表情を見せるから、何処か色気を感じさせて、ドキドキと心臓がうるさくなるのを止められなかった。
「……そんなことナイでしょ」
「いやいやー、最近のご活躍は医療研究棟まで届いてますよー? 三宮紫穂中佐?」
「もう……階級で呼ばないでって何度も言ってるわ」
「ゴメンゴメン……気が付いたら俺より上官になってんだから……つい、な」
「先生とは部隊が違うんだから、私の方が上官ってワケじゃないでしょ? 先生は相変わらず医療部隊のトップなんだし。それに比べたら私なんてまだまだ一兵卒よ」
「おいおい紫穂ちゃんが一兵卒なワケねぇだろ。もう立派な参謀じゃん。皆本なんか越えちゃってんじゃねぇの?」
「そんなことないってば……」
もう、と頬を膨らませてプイッとそっぽを向くと、クスリと笑みを零した先生が、ゴメン、と言いながら私の頭を撫でる。その手は大きくて、子どもの頃にしてくれたそれと変わらない。変わってほしいのに、変えてほしいと言う勇気はなくて、黙ってそれを受け入れた。
この手が私を子ども扱いしているのかどうか、透視(み)ることができればいいのに。私たちの超度同士じゃ、それも上手く叶わない。
「……やっぱり、いつものにするわ」
もどかしい気持ちで胸がいっぱいになって、背伸びする余裕なんてなくなってしまった。メニュー表をそっと閉じてテーブルに置きながら息を吐くと、大人の余裕を感じさせる笑顔を浮かべた先生がニッと口角を持ち上げた。
「じゃあ俺もいつもので」
小首を傾げてそう告げた先生がスッと手を上げて店員さんを呼ぶ。そのまま慣れ親しんだメニューを注文する様はどこから見ても大人の男で、腹が立つほどに手慣れている。一回りも歳が離れているのだからそんなの当たり前のことだし、相手は女好きで名が通っているのだ。こんなところで嫉妬したって仕方がないとは思いながら、その目が自分だけに向いてくれればいいのに、と叶わない想いを胸に燻らせてしまう。店員に向けられる整った横顔を盗み見ながら、そっと溜め息を吐いた。
もう二人で何度も通っている店だから、顔馴染みになっている店員さんもいる。お酒が飲めるようになったお祝いに、と先生が連れてきてくれたこのカジュアルフレンチのレストランは、いつの間にか二人の定番になっていて、お気に入りのメニューができるくらいには通い詰めている。先生は他の女の人とも来ているのかもしれないけれど、店員さんはそういったことを私に悟らせない、教育の行き届いたよくできた店員ばかり。先生もその安心感から私との食事にずっとこのお店を選んでいるのかもしれない。なんだかなぁ、と浮かない気分になりながら、すぐに運ばれてきたスパークリングワインと前菜の盛り合わせに視線を移した。
「……今週もお疲れ?」
グラスを持ち上げた先生に釣られて慌ててグラスを持ち上げると、そっと手のひらを翳した先生が意味有り気に笑った。
「それから……君の瞳に、乾杯?」
フ、と口元を綻ばせた先生にドキリとしながら、ぷぅ、と頬を膨らませる。
「……ナニよ、それ」
「いーじゃん。乾杯しようぜ」
「……乾杯」
「乾杯」
チン、と上質なグラスが合わさって音を立てる。
こちらが舞い上がるようなことを簡単に言ってのけるくせに、ときめく間も与えずにはぐらかしてしまう。そんなことが何度も何度も重なって、期待することを諦めてしまったというのに、何だか嬉しそうな先生を見ていたら、またうっかり期待しそうになってしまう。久し振りに気合いを入れた服装や髪型やアクセサリーが私の背中を押して、生まれた小さな期待に胸が膨らんでいく。テーブルに戻した華奢なグラスに両手を添えると、綺麗に手入れされた指先が目に入って、私を応援してくれる親友二人の笑顔をふと思い出した。
そうだ。今日は落ち込んでいられない。二人がくれた勇気をきちんと発揮させなくては。
キラキラと照明を反射して輝いているグラスに口を付けて、スパークリングワインをひと口含む。しゅわりと弾けた泡さえも自分を後押ししてくれているようで、ドキドキしてきた胸を押さえながら、こちらを見ている先生にとっておきの笑顔を向けた。
星屑キラリ - 3/14
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