星屑キラリ - 11/14

「お待たせ」
「……ん」
「おいおいもう酔ってるのか?」
「……いや? まだ何も飲んでねぇ」
ぼーっとしてた、と力無く呟く。個室の引き戸を開けて顔を覗かせた皆本は、相当訝しんだ表情を俺に向けながら静かに個室の戸を閉じた。そのまま俺の真向かいに座った皆本をぼんやり見つめていると、本当にどうした? と真剣に皆本に心配されてしまう。その優しさに何だかホロリときてしまって、思わず顔を手で覆った。
「……紫穂ちゃんが」
「紫穂が?」
皆本が静かな声で復唱してくれるのを聞きながら、何とか振り絞るようにして声を発した。
「紫穂ちゃんが……俺と……飯に、行ってくれない」
やっとの思いで出た言葉に、く、と眉を寄せる。シンとした個室の空気に、重苦しい俺の声が響く。オマケに気分もドン底な自分のオーラが室温まで下げている気がして、がくりと落とした肩に更なる重石が乗っかってくるようだった。
「……取り敢えず何か頼もうか。ビールと……適当でいいか?」
淡々とした皆本の声にこくりと頷いて、皆本が備え付けのタブレットから注文をしている様を見遣る。皆本は俺のことなんて気にした風もなく、黙々と注文を済ませた。
「……で? 紫穂が何だって?」
あっという間に運ばれてきたビールのジョッキを受け取りながら、皆本はあっさりした様子で俺に向かって問いかける。ジョッキと共に運ばれてきたお通しと枝豆をテーブルに並べつつ、もう一度皆本にこの悲痛な現状を訴えた。
「紫穂ちゃんが! 俺と食事に行ってくれない! もう構うなとか言われた!!!」
改めて口にすると、少しは落ち着いたと思っていた衝撃と悲しみがまた一気に襲ってきて、わーッと泣きそうになるのを堪えながらテーブルに突っ伏す。次々に運ばれてくる料理がテーブルの上を占拠していって、皆本に邪魔だ賢木顔上げろ、と冷たくあしらわれてしまう。
「ヒドい! 俺めちゃくちゃ落ち込んでるのに! 皆本まで冷たい! 世界が俺に優しくない!!!」
「だから言ったろ。僕も君に怒ってるんだ……それにしても、紫穂……その様子じゃ相当怒ってるな……」
ガバリと身体を起こすと、空いた場所にすかさず届いた料理を並べていく皆本は、やっぱりいつもより冷たい。
そりゃあの後どうしようもなくて皆本のトコロへ助けを求めに行って、お願い今日俺をひとりにしないで! と泣きついたのは悪かったと思う。めちゃくちゃ蔑む目で睨まれて、それでも怯まず呑みに行こう俺の話聞いてくれと拝み倒して薫ちゃんのお家ご飯をキャンセルさせたのだからそんな態度を取られるのは仕方がないのかもしれないけれど。それでも俺の頼れる親友は諦めたようにいつものこの居酒屋を指定し、仕事を片付け駆けつけて来てくれた。
「ねぇ俺一体何したの!? 俺は一体何をして紫穂ちゃんを怒らせたの!? マジで心当たりねぇんだよ教えてくれよ!!!」
頼むよ皆本! と言い縋れば、届いたジョッキに口を付けていた皆本は、うーん、と気難しそうに眉を寄せて口を開いた。
「だから……僕の口からは何とも……それに、一概に何かしたから怒ってるわけじゃないって言ったろ?」
「それがますます意味わかんねぇんだよぉー……何だよ俺一体何したんだよぉー……」
紫穂ちゃんを怒らせるようなことなんて、した覚えもないし、するつもりもない。怒らせたり傷付けたりして、あの笑顔を曇らせるなんてコト、絶対にしたくないのだから、自分がそんなことをしてしまったこと自体ショックだし、あのキラキラした紫穂ちゃんの笑顔を奪ってしまった自分にもショックを受けている。
先日のデートだって何か怒らせることをしたという心当たりがなくて、本当に困り果てていた。ひょっとして、以前からの何か積もり積もるような内容のコトなんだろうか。そうなってくるとますます原因がわからない。
俺としては紫穂ちゃんとのデートは最重要事項としてできる限りベストコンディションで挑むようにしていたし、俺と会ってくれる紫穂ちゃんの為にその時間を大切に過ごすようにしていた。
いつまで紫穂ちゃんが俺とデートしてくれるかなんてわからないし、いつだってそのつもりで可愛い紫穂ちゃんとの食事を楽しんでいた。
でもそれは、少なくとも俺は、の話で、紫穂ちゃんにとってはもう、楽しくない食事の時間、だったのだろうか。
いやでも、紫穂ちゃんは楽しんだ食事の対価としていつもお金を払うことを止めなかったし、だから楽しんでくれてる、なんて短絡的に受け取っていたけれど、本当はそうじゃなかった、ってことか?
ぐるぐると答えが出ない問題に頭を悩ませていると、はぁ、と溜め息を吐いた皆本が、枝豆に手を伸ばしながら口を開いた。
「……賢木は紫穂とどうなりたいんだよ」
「え?」
「賢木はさ、紫穂と、一体どうなりたいんだ? 毎週毎週食事して? その先にあるものは何なんだ?」
「は?」
「何にも無しでデートしてたのか? あの賢木が? 何の魂胆もなく? ただ食事をするだけ? あの賢木がか?」
そんなわけないだろう、とでも言いたげな皆本の口調にカッとなって言い返す。
「ちょ!? ひでぇ言い方だな?! 俺はただ紫穂ちゃんと……」
「紫穂と?」
じ、と俺の目を見つめながら皆本は問い返してくる。その真剣な眼差しにウッと息を詰まらせて、それでも何だか苦しい空気を払拭するように言葉を続けた。
「……俺は……いつか、俺の側から飛んでっちゃう可愛い紫穂ちゃんを、ギリギリまで側で見ていたいだけだ。他意はない」
そう。他意なんてない。
星屑みたいにキラキラした紫穂ちゃんが、俺の隣で笑ってくれるギリギリまでずっと側で見守っていたい。ただ、それだけ、のハズだ。
「……賢木はそういうポジションでいるつもりなんだな」
ほんの少し眉を寄せた皆本がジョッキを煽る。皆本の言葉に俺も眉を寄せると、皆本はテーブルにジョッキを置いて口を開いた。
「君は医療棟勤務だから知らないかもしれないけれど。紫穂はモテるぞ」
皆本は何でもないことのように言いながら、目の前の冷や奴に箸を付ける。
「階級が上がって予知対策課で仕事するようになって、ますます人気が上がった。あの見た目だけじゃない、紫穂は仕事振りもなかなかだしね。男ばかりの部隊を率いて作戦指揮を執っている姿なんて、そりゃあ立派になったよ」
ふ、と優しい表情を浮かべて、皆本は何かを思い返すように目を閉じた。しみじみと紫穂ちゃんの成長を喜んでいるようにしか見えないのに、どこか俺を試しているようにも見えて、ク、と眉を寄せた。
「……そんなにモテるのか? そういや今日も男にデート誘われてた」
「男女問わず。引く手数多だよ」
「……俺と食事行ってない日は、そいつらとデートしてたりするのか」
自分でもビックリするくらい情けない声が出て、思わずビールを煽る。ごくり、と喉を鳴らしてジョッキをテーブルに戻した。独特の苦みがほんの少し気分を覚ましてくれたような気がするけれど、年齢を重ねたことで表情に深みが増した皆本に微笑まれて、なんとなく居心地が悪くてそろりと目を逸らした。
「……君がそんな様子じゃあ、あっという間に横から紫穂をかっ攫われるだろうな」
なんてことのないように皆本は言いながら、目の前に並ぶ刺身を口に運んでいる。皆本の言葉に含まれているいろいろな意味を咀嚼してギュッとジョッキグラスを握り締めながら、眉を寄せて目を閉じた。
「……紫穂ちゃんは、皆本みたいに真面目で、仕事ができて、紫穂ちゃんの力に深い理解を示してくれる、懐のでっかい、優しい男と一緒になった方が幸せになれるんだ。だからそんなイイ男が現れるまで、俺は」
「指を咥えて待ってるのか? 君の抱えてる想いには蓋をしたままで?」
矢継ぎ早に責め立ててくる皆本の言葉に息を詰まらせながら、息苦しいのを我慢して答える。
「……俺より紫穂ちゃんを幸せにしてやれるイイ男なんて山ほどいる。俺の気持ちは、関係ないだろ」
「それが自分だ、って君は言えないのか? 賢木」
皆本の問いかけに、ドキリと心臓が跳ねる。あまりにもハッキリした物言いに何も答えられずにいると、ふぅ、と皆本は溜め息を吐いて箸を置いた。
「……紫穂はあっという間にもっと肩書きも立派になって、自分の部隊を持つようになると思う。そのうち、陣頭指揮、なんてことも有り得るかもしれない」
「……そんな危険な仕事してるのかよ。あの子はまだハタチになったばかりの女の子だぞ!」
「紫穂の父親が立派な方だからな。紫穂だって肩書きも立派になるさ。危ない任務だってこれからもっと増える」
「はぁぁ? 今すぐそんなん止めさせろよ! 紫穂ちゃんの能力はサイコキノとかじゃねぇんだぞ!? あの子は武器が無ければ戦闘力のないただの女の子だ!」
「それを君の立場で言われてもね? 賢木はバベルの医療部長でしかないんだ。そんな君に人事のことでどうこう言われても困るよ」
「……お前なら持ってるだろ、それを何とかできる人事権を」
「でも賢木に言われたからって紫穂を安全な仕事に就かせるわけにはいかないよ。正直関係がないからね。紫穂も今の立場で活き活きと仕事をしてるみたいだし」
本人が自分の力を存分に発揮して働いているのに、一方的な個人の感情でそれを妨げるわけにはいかないよ、と皆本は続ける。
どこから聞いてもド正論のそれに、俺はどうしても反論したくて、でも反論なんてできようがないことも頭は理解していて、どうしようも無い気持ちの遣り場に唇を噛み締めた。皆本はそんな俺をじっと見つめていたけれど、ふ、と肩の力を抜いて優しく微笑んだ。
「……そろそろ素直になったらどうだ?」
「……どういうことだ」
「紫穂のことが好きだから危険な仕事に就いてほしくない。ただそれだけだろ?」
静かに、柔らかい声色で告げられたソレは、あまりにも俺の心を剥き出しにするもので。抵抗する間も与えてくれずさらりと心の蓋を開けていく皆本に、思わず首を振って叫んだ。
「あの子は俺にとって特別なんだ! 俺の手が届くような存在じゃない!」
俺が好きだなんて伝えて、触れていい存在じゃない。
紫穂ちゃんは俺の特別だから、ずっと俺の隣にいてほしいなんて我が儘、通るわけが無いんだ。
俺の様子をじっと見守っていた皆本は、淡々とした表情で、ごくごく冷静に俺へと言葉を投げ付けた。
「紫穂は普通の女の子だよ。君と同じ、サイコメトラーで、なんら特別な存在じゃない」
皆本の、俺の言葉を否定するような台詞にカッとなってダンと机を叩いて叫ぶ。
「ッ!!! お前にわかるのか! 俺たちサイコメトラーがどんな思いで世界を覗いてるのか! あの子は俺にとって唯一その世界を共有できる存在なんだぞ! お前になんかわからない、特別な存在なんだ!!!」
俺がテーブルを叩いたせいで料理の皿は跳ねてビールジョッキはぐらぐらと揺れている。ムキになって叫んでいたことにハッと気付かされて慌てて頭を下げた。
「……ご、ゴメン。言い過ぎた……お前だって、普通人のクセにこんだけエスパーのこと理解してくれて、特別な存在だと思ってるよ。ただ、それとは別に、紫穂ちゃんはホント、何ていうか別格なんだよ……皆本とは違う、特別なんだ」
皆本を傷付けるような言葉を言ってしまった自分を恥じながら、ちゃんと自分の本音が伝わるように精一杯言葉を並べる。
皆本のことは今でも特別だと思ってるし、唯一の親友だと思っている。
でもそれとは別に紫穂ちゃんも特別で、自分には欠かせない存在で。
前髪をくしゃりと掴んで俯くと、皆本は眉を下げながら笑って、わかってる、と頷いた。
「……ちゃんとそこまでわかってるなら、紫穂にとっても君がどういう存在か、考えてやったらどうだ?」
「え……」
「紫穂はモテるぞ。君が覚悟を決めなければ、あっという間に君の知らない誰かの隣で笑うことになると思う。君は本当にそれでいいのか?」
皆本ははっきりした口調で言っている割に、優しい笑顔を浮かべて俺に問いかけて。
思わず、よくない、と答えそうになってしまった口を引き結んだ。
もう殆ど皆本の手によって剥き出しにされている俺の本心がずきずきと疼く。そっと服の上から胸の辺りを撫で付けて誤魔化してみても、一向に痛みは治まらない。ぎゅっと胸元を掴んで深く息を吐くと、皆本は優しい目をしてそっと首を傾げた。
「君にとって紫穂が特別なら、紫穂にとってもそうじゃないのか?」
「そんな、わけ……」
「紫穂がそういう意味で自分を好きになってくれるワケがないっていう前提から、いい加減離れたらどうだ? そんな風に拗らせてても、いいことなんて何一つないぞ」
眉尻を下げた皆本は、ゴクゴクとビールを飲んでから、顔をくしゃりと歪めて困ったように表情を緩めて笑った。
「……紫穂はさ、君が何もしてくれないから怒ってるんだよ。賢木がいろいろ拗らせてるのを知ってる僕からすれば、どっちもどっちだと思うけどね。紫穂も、関係を進展させたいなら、ちゃんと言葉で伝えないと。君もね、いい加減、紫穂が誰のことを見つめているのかよく見てみたらどうだ。コミュニケーションが足りないって僕が言ったのはそういうこと」
賢木と紫穂はお互いを見ているようでちゃんと見てないんだよ全く、と残りのビールも勢いよく煽った皆本は、次は何を呑もうかなと俺を気にせずタブレットのメニュー表を物色している。
俺はというと、流石にそこまで言われてしまうと鈍感にはなりきれなくて、何度も何度も皆本の言ったことを反芻しては顔を赤くしたり青くしたりの繰り返していた。
何もしてくれない、って、まさか、あの夜のことか? 紫穂ちゃんが珍しくトロトロに酔って、マンションの紫穂ちゃんの部屋まで送っていった、あの?
甘えてくる紫穂ちゃんはそりゃあもうめちゃくちゃに可愛くて、こんなトコロ間違っても他の男に見せらんねぇな、と気合い入れて部屋まで送り届けて、ベッドで寝かしつけてあげた、あの日?
何もないってそりゃ当然だ、俺は紫穂ちゃんに手を出そうなんて考えは一切無かったし。でも、紫穂ちゃんはつまり、そういうことを求めていた、ってそういうことか? そういうことなのか?
赤くなった頬を両手で押さえる。そのままぐしゃりと髪を乱して頭を抱えた。
「えっと……それって……つまり、その」
「僕からはこれ以上のことは言えない。あとは君が、自分で頑張るんだな」
次はハイボールにしようかな、と注文画面を呼び出している皆本は、もうこれ以上話すことはない、とすっきりした顔で次の酒を待っている。ドキドキバクバクと鼓動が跳ね上がってうるさい自分を落ち着けるように、俺も残っていたビールを一気に煽った。
「……皆本、俺もハイボール、頼んでくれ」
「……調子に乗って呑みすぎるなよ?」
「というより、混乱してペースを見失いそう……」
「しっかり自我を保ってくれよ。酔った君の世話なんてしたくない。僕は真っ直ぐ薫の待つ家に帰りたいんだから」
「……相変わらず、ラブラブなこって」
「羨ましかったら君も頑張れ」
「ぐぅッ……てめぇ……言うようになったじゃねぇか……」
く、と眉を寄せて唇を噛み締めると、皆本は、ハハ、と楽しそうに笑った。
「まぁ僕はさ、君たちを応援してるから。それは昼にも言ったろ? どういう結末を迎えるのか、ちゃんと見届けてやる」
テーブルに手を突いて指を絡めた皆本は、緩く目を細めながら俺を見つめて、にこりと微笑んだ。その目は君なら大丈夫だ、と言ってくれているようで。小さく、そりゃどーも、と呟いて、不貞腐れるように口をへの字に曲げてそっぽを向いた。

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