どきどきしちゃう

「センセ?入るよ?」

インターホンを鳴らしても反応のない研究室。電子ロックを透視して中の様子を伺いながら別に悪いことをしているわけじゃないのにこそこそと部屋の中へ身体を滑り込ませる。皆本さんに頼まれて書類を持ってきたのだから、堂々としていればいいのに、最近自覚した恋心が邪魔をして素直に先生に近付くことができなくて。今まで何のてらいもなく会っていたはずなのに、今は理由がなければ真正面に向き合うこともできずにいる。きっと皆本さんには私の気持ちなんてバレバレで、だからわざわざ私を指名して先生に書類を届けるように依頼してきたんだと思う。

「先生?いないの?」

透視してしまえば済むことなのに、キョロキョロと部屋の中を見渡して先生を探して。ひとまず預かってきた書類を先生のデスクの目立つところに置くと、来客用のソファから見慣れた癖っ毛が目に入った。

「先生、寝てるの?」

そっと足音を立てないようにソファへ近付いてみると、すやすやと気持ちよさそうに眠る先生がそこに居て。ソファに身を横たえて、脱いだ白衣を鼻先まで被って眠っている先生は、何の夢を見ているのか、幸せそうに目元を緩めている。あまりに優しい表情に、どんな顔をしているのか気になってしまって。そろり、と白衣をずらして顔を覗き込んだ。一瞬だけ、ひくり、と眉を動かして先生は反応したけれど、すぐにまた表情を緩めて口元にゆるりと弧を浮かべた。

(……可愛い寝顔)

こんなにゆるゆるに緩んだ表情は、見たことがない。寝顔なんて見るのは初めてだから、当然と言えば当然なんだけれど。先生と一緒に過ごせたら、もっとこんな表情が見られるのかしら、なんて夢みたいな妄想をして、ふるふると頭を振って赤くなった頬を誤魔化す。

「先生……書類持ってきたよ?」

起きて欲しいのに、まだこの表情を見ていたくて、少し抑え目の声で呼びかける。もっと間近で先生の顔が見たくて、ソファの傍にしゃがんだ。

「ねぇ、センセ?」

ひそひそと、届くか届かないかわからないくらいの音量で、もう一度声を掛ける。それでも反応を返さないことを確認してから、そっと先生の頬に指を伸ばした。

初めて触れる先生の肌は、思っていたよりもすべすべで柔らかい。ぷに、と指先に力を込めると、柔らかいと固いの中間みたいな弾力が伝わってきた。普段からは考えられない距離感と無防備すぎる先生に思わず、ふふ、と笑みが零れる。どんな夢を見ているのかな、と透視してみようか迷いつつ、するりと先生の頬を指先で撫でると、先生が少しだけ表情を固くして眉を寄せた。

「……んー」

びくり、と慌てて手を引くと、ごそり、と先生が寝返りを打ってこちらに顔を向ける。むずむずと頬を指先でなぞった先生が、ゆるゆると目を開けて。ぼんやりした視界のまま私を見つめた。

「……紫穂、ちゃん?」

寝起きの掠れた声に名前を呼ばれて、どきりと心臓が跳ねる。固まってしまった身体をどうしようかと焦っていると、先生が私を見つめたまま、ふにゃりと笑った。その甘く蕩けるような表情に、どくどくと顔が赤くなっていく。寝惚け眼のままの先生は、大きな掌を伸ばして私の頬を包み込んだ。

「かお、まっかだ」

ふふ、と柔らかく笑う先生に、心臓がどくどくとうるさく鳴り響く。一体なんなの、この状況は。どきまぎとしている間に、ゆっくりと身体を起こした先生の顔が近付いてきて。思わずぎゅっと目を瞑ると、ちゅ、と頬に柔らかいものが触れて、離れていった。それがキスだと気付いた瞬間、衝撃に目の前がくらりと揺れて。

「すげー……ゆめなのに感覚がリアル……」

そのまま、ぎゅう、と抱き締められて先生のにおいに包まれる。ひゃっ、と声を上げている間によいしょっと持ち上げられて、先生の胸に抱き抱えられた。密着度が更に増しただけじゃなく、先生の硬い胸板の感触が頬に伝わって、声にならない声を上げる。今、絶対、顔、真っ赤だわ、私。

「やわらかくてあったけー……」

きゅう、と腕の力が強まって、全く身動きができない。先生は私の髪に顔を埋めるようにしてうりうりと鼻を擦り付けている。

「いいにおい……」

やめて!と心の中で悲鳴にも近い大声を上げて叫んだ。声を出したくても、パニックになってしまっていて声の出し方を忘れてしまっている。固まってしまった身体を何とか動かすように指先に力を込めると、逆に先生にすがるように密着してしまって。とくん、とくん、と先生の鼓動が耳に届いた時、完全に頭がパンクした。

「~~~~~ッ!」

どくどくと早鐘を打つ心臓の音は、きっと先生に伝わってしまっている。ぎゅっと目を瞑って先生の次の行動を待っていると、すぅすぅ、という規則正しい寝息が聞こえてきた。

「……うそ」
「……」
「……嘘でしょうっ!」

腕はがっちりと組まれていて、ピクリとも身動きできない。先生が目を覚ますまで、このままだっていうの!?

「うそ……でしょ……」

いろいろと衝撃的すぎて、脳がオーバーヒートを起こしている。なのに、先生にキスされたことを思い出して、ぼっ、と頭から湯気が出た。

「……もう……むり」

くたり、と先生に身体を預ける。先生が目を覚ましたら、一体どうなってしまうんだろう。全く想像つかないことをぐるぐると考えて、はぁ、と溜め息を吐いて、先生の胸に顔を埋めた。

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