そう、そうだ。そうだった。

昨日は当直で、何事もなく終わればいいなと祈っている日に限って救急搬送の受け入れがあって、しかも結構重症で。久し振りにヘットヘトになって帰宅した。帰宅前に、病院でシャワーは浴びたから、着替えもそこそこに服を脱ぎ散らかしてベッドに潜り込む。肌に直接触れる柔らかいコットンの感触がするりと心地いいけれど、オフの被った週末なら、手を伸ばした先に紫穂がいて、もっと最高だったんだろうなとぼやけた頭で考えて、すっと意識を手放した。
何時間くらい眠っただろうか?ふと、目が覚めてもそりと身体を動かすと喉が渇いていることに気付いた。この部屋には俺以外の誰かがいるわけでもなく、水を持ってきてもらうようお願いすることも叶わないから、仕方なく気だるい身体を無理矢理起こしてキッチンへと向かう。道中で脱ぎ散らかした服を避けて歩きながら、冷蔵庫を開けるとデーンと刻んだ野菜と玉子の入った雑炊が鎮座していて。旨そうなそれに目を奪われて、貼り付けられたメモを手に取ると、間違いようのない紫穂の字で『起きたら食べてね』の一言。当直明けの俺を気遣って食事を用意しにわざわざ主の居ない家に来てくれてたのか、と感動しながら水のペットボトルを取り出して寝室に戻る。歩きながらペットボトルの封を切ってごくりと渇きを潤す。何も飲まず食わずで寝てしまったから、もう一度寝て、起きたら早速紫穂の作ってくれた飯でも食うかとぼんやりした頭で考えて。ベッドに腰を下ろしてもう一口水を口に含んだところで、タイミングよく携帯が着信を知らせた。それがプライベート用の端末だと確認してのそりと腕を伸ばすと紫穂の名前が表示されている。慌てて画面をスワイプして端末を耳に当てた。

「もしもし?センセ?起きてくれる?」

女王様然とした声色の紫穂が、電話越しに俺に語り掛けてくる。さぁ私の話を聞きなさいとでも言い出しそうな紫穂にクスリと笑ってから返事をした。

「……たまたま水飲みに起きてたから、問題ねぇよ」
「あら、そう。それならちょうどいいわ。お願いがあるの」
「お願い?」
「雨が降りそうなのよ」

告げられた内容に、わざわざそれを伝えるために起こされたのか?と、疑問を抱いて回らない頭を何とか回しながら紫穂に問い掛ける。

「……雨?それで?」
「洗濯物、うっかり外に干しちゃったの。取り込んどいてくれる?」
「洗濯物?飯だけじゃなくて洗濯もしてくれたのか?」

のろのろと立ち上がってベランダへ向かうとひらひらと棚引く俺の服と紫穂の服が目に入って。

「……なに寝惚けてるの?一緒に住んでるんだから、やれる方がやるのは当たり前でしょ?」

紫穂に言われてやっと頭が冴えてくる。
そう、そうだ。そうだった。俺達一週間前から一緒に住み始めたんだった。なんだかんだと渋る紫穂をあの手この手で説得して、やっと承諾してもらえて、紫穂を我が家に招いたんだ。疲労困憊のせいで忘れちまうなんて馬鹿じゃねぇの?俺。

「あー……そうだな。でも、ありがとう。もうちょっと寝て、起きたら飯食うよ」

マジでありがとうな、と電話越しに囁くと、別についでに作っただけだもの、なんて可愛らしい紫穂の言葉が返ってきて。あー、なんかホント幸せだなぁ、と心の底からしみじみ感じる。

「洗濯物は部屋干しにかえて様子見とくわ。晩飯は何がいい?何でも作るよ」
「いいの?じゃあ久々に先生の焼いたお肉が食べたい!」

きゃっ、とはしゃぐ紫穂に可愛いなぁと心があったかくなりながら、冷蔵庫の中身を思い出しつつ買い物の算段を立てる。

「いつものステーキでいいか?」
「あれがいいの!焼き加減が最高!」
「はは、おっけ。任せろ」
「じゃあいろいろ宜しくね。今日はゆっくり休んで。当直お疲れさま」

少し、羞恥が混じったような、でも優しい声で労りの言葉をくれた紫穂に、ほっこりと胸が熱くなる。

「うん。紫穂も仕事頑張って。いい子で待ってるから早く帰ってこいよ」
「もう、何言ってんのよ!じゃあ切るわね!」

照れたように早口で言ってぶつりと勢いよく電話を切った紫穂に、どうしても口許が緩んでしまう。今の俺の顔は絶対他人には見せられないくらいにやついているはずだ。ここが自室で、しかも誰も居なくて本当に良かった。

「さて、まずは洗濯物!」

からりと窓を開けて、確かに雨が降りそうな湿っぽい空気を肌で感じながら洗濯物を取り込む。乾いたものとそうでないものに仕分けながら部屋干しの段取りをして。自分の服と紫穂の服が当たり前のように隣り合っているのを見て、自分でもわかるくらいに口許が更に緩んだ。

「あー……幸せ……」

今日はいつもよりちょっといい肉を用意してもいいかもしれない。ウキウキで帰ってくるであろう紫穂を想像して、もうどうしようもなく緩む頬を両手で持ち上げながら笑った。

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