紫穂ちゃんの誕生日にプロポーズしようと思ったら間男(仮)が現れて情緒をぐっちゃぐちゃにされた話。 - 8/12

「藍田先生、今ちょっといい?」

現場チーフの藍田くんはそれだけで何かを察したのか、苦笑いを浮かべて時計を確認した。

「……三十分後、執務室に伺います。それでもいいですか?」
「あぁ、それで構わない。忙しいトコすまん」
「お互い様ですよ」

ニッと笑って仕事に戻っていく藍田くんに、せめて美味しいコーヒーを飲んでもらおうと準備を始める。そうこうしているうちに、三十分はあっという間に過ぎてしまった。

「すみません、お待たせして」
「いや、こっちこそ悪いな」

いれたてのコーヒーを差し出しつつ、執務室のソファに向かい合わせで座る。ほんの少し流れる気まずい空気を払拭するように、苦笑いを浮かべた藍田くんが口を開いた。

「……で、何から話せばいいです?」
「え」
「紫穂先生と間島先生のことじゃないんですか?」
「え……えーっと、まぁ、そうなんだけど……」
「賢木部長のことだから、もっと早めに動くのかなと思ってましたけど。意外と遅かったですね」
「え」
「想像ですけど、紫穂先生に止められてたとかですか? まぁ紫穂先生の気持ちもわからんでもないですけどねー……アレは確かに、まぁ、ねぇ……」

言うなり腕を組んで藍田くんは唸っている。いつも穏やかに笑っている藍田くんがそこまで険しい表情を浮かべているのが驚きで、思わず自分も眉を寄せた。

「えっと……俺も何から聞けばいいのかわかんないんだけど、今は一体どういう状況なんだ?」

俺の質問に少しだけ考える素振りを見せた藍田くんは、小さくうんと頷いてから真剣な顔で俺を見つめた。

「先に紫穂先生からどう聞かされているか教えてもらってもいいですか? 何と言って関わらないよう止められてます?」
「え? うーん……それは……何か関係あるのか?」
「まぁそうですね。あとは保身のためです。僕だって紫穂先生に睨まれたくないので」

アイツ一番若手のクセにどこまでここを牛耳ってんだよ。
思わず頭が痛くなるのを誤魔化すように思い切り眉を寄せて溜め息を吐く。どっちかと言うと、紫穂ちゃんは俺より藍田くんの言うことの方がよく聞いている。それなのに藍田くんがそんなことを言うってことは、今回のことはよっぽど何かあるのかもしれない。

「あー、気にしすぎないでくださいね。僕も今回ばかりは紫穂先生の味方なだけで」

通常時であれば紫穂先生の行動を注意してますよ、と続けた藍田くんは苦虫を噛み潰したような難しい顔をしている。

「部長の手を煩わせるまでもなく、僕がどちらに対しても注意するべきなんでしょうけど……今回に限っては大目に見るしかないというか……現場スタッフが一丸となるしかないというか……残業が増えてて申し訳ないとは思ってるんですけどね、今のところ僕にも他に解決策が思い付かないんですよ……」

本当に申し訳ありません、と頭を下げた藍田くんにぎょっとして慌てて頭を上げさせた。

「まだ何も聞いてないし俺も何も話してないのになんで謝罪になるんだよ。つーか藍田くんまで彼に関わるなとか言い出さないよな?」
「……紫穂先生は関わるなって言ってるんですか?」
「めちゃくちゃ何回も関わるなって言われてるよ……」
「……確かに、まぁ、僕の意見もそうですね。賢木部長は関わらない方がいいです。他にも何か言われてます?」
「いや……何を聞いても答えてくれないし、せめてどんな奴か教えろって言っても間島の存在自体を忘れろとか無茶言ってくるしさー……」

はぁぁぁぁ、と深い溜め息を吐きながら、眉間の皺を解すように指で揉み込む。本当に俺は何にも知らないなと改めて落ち込んでしまった。でも行動に移さなかったわけじゃないと、唯一知っている情報を藍田くんに伝える。

「身内から聞いた話だと間島くんは紫穂の天敵だって……それだけしかわからなかった」
「あー……あぁー……天敵。そうですねぇ」

そうか、天敵か、としみじみ呟く藍田くんは、更に表情を険しいものにして淡々と続ける。

「僕の意見ですけど……天敵というより、ライバル、かな」
「ライバル?」
「ええ。あまり穏やかな関係ではありませんね。それは賢木部長も認識してらっしゃるんでしょう?」
「……まぁ、な。そんなに嫌で苦手な相手なら俺が対応するって何度も伝えてるんだが、絶対ダメしか言わないんだ……」
「重ねてになって申し訳無いんですけど、絶対に賢木部長は表に出てこないでください。忘れろとまでは言いませんが、現場を任されている僕が表に立つので、どうか部長は距離を取って、関わらないように過ごしていただけると僕としても助かります」

力無く笑ってみせる藍田くんの顔には疲れが滲み出ている。実際紫穂ちゃんだけじゃない、藍田くんを含め、スタッフ全員が今回のことに巻き込まれて疲弊し始めているんだろう。それでも藍田くんすら俺に助けを求めない状況というのは、俺のことをよっぽど頼りない上司と見ているのか、それとも間島と俺を会わせてはいけない絶対的な何かがあるということなんだろう。

「……もしかして……間島くんは紫穂の元カレだったりとか? それとも……学生時代はいい感じ止まりだったけど、再会して恋に発展しちゃったり、とか……してるのかなぁ……」

もう持て余してしまって仕方がない大きな不安が弱り切った心とともに口から溢れ出ていく。
嫉妬を通り越して諦めにも似た心境に至り始めている現状、みっともなく縋ったり怒ったりするより、大人の余裕のある男として、その時が来たら紫穂ちゃんを笑って送り出すくらいしなきゃなんないんじゃないかと思い始めている。とてもじゃないけどそんなのまだ無理だと心が叫んでいるし、用意した婚約指輪だって毎日眺めては泣いたりしているんだから本当に俺って情けないよなあと一人で嘆いてはどうしようもない感情に日々振り回されていた。

「……部長はそういう方向に心配してらっしゃるんですね」

ははぁ、と眉を寄せた藍田くんは、やれやれと首を振って顔を顰めている。

「はっきり言ってそれは万にひとつも無いですね。そもそも紫穂先生が浮気するわけないじゃないですか」
「……浮気じゃなくて本気かもしれないじゃん」
「本気で言ってます? 僕らはお二人の結婚を今か今かと待ち望んでるんですよ? 紫穂先生だってそうだと思いますけどね」
「えっ、マジ?」
「っていうか賢木部長のことだから、今度の紫穂先生の誕生日に素敵なプロポーズで決めようとか計画してるんじゃないですか? 別に賭けたりはしてませんけど、我々はそう踏んでそのあとのお祝い準備で忙しいんですよ。だからこんなことで弱気になってないでとっとと結婚決めちゃってください」

ね! と藍田くんは妙な自信で念押ししてくる。そこまで無鉄砲にはなれねぇよ、と想いつつ、ずっと俺たちを見てきた彼らが後押ししてくれているんだから、今抱えている不安は全部杞憂だと信じて突き進むのもアリかもしれない。

「……フラれたら慰めてくれよ」
「フラれませんて。紫穂先生がどれだけあなたのことを想っているか、知らないわけじゃないでしょう。今回のことだって、部長を守るための行動なんですから」

言ってから、しまった、と表情を変えた藍田くんはもう話は終わったとでも言いたげに立ち上がる。それを引き留めるために自分も慌てて立ち上がった。

「え、今のどういうことだ。ちょっと詳しく話せ」
「聞かなかったことにしてください。僕は何も言ってません。あと、結婚おめでとうございます!」

じゃ、そういうことで! と逃げるように立ち去った藍田くんの背中をポカンと口を開けて見送る。
俺を守る? 一体どういうことだ?
守らなきゃいけないくらい、俺は頼りないってこと?
ますます落ち込みたくなる事実を突きつけられた気がして、がっくりと項垂れるしかなかった。

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