あのね、明日になったらね - 6/14

仕事中は邪魔しないように、センセイの側に置かれた、センセイが買ってきてくれた可愛い籠と、ふかふかの夕オルでできた寝床に、大人しくしている。
時折飛び出して、センセイの様子を見に行ったりはするけれど、センセイの邪魔になるといけないし、でもセンセイに構って欲しい気持ちもむずむずして、にゃごにゃごと鳴いていると、大抵、クスリと笑ってセンセイが私を膝に乗せてくれる。

「しほは甘えん坊さんだなぁ」

そう言いながら、私の毛並みを弄ぶように撫でてくれるセンセイは、苦笑しながらも優しく私を受け入れてくれて。
その特別感がとても心地好くて、どうしてもセンセイから離れることができない。

「動物が側にいる生活ってたまんねぇな…こりゃ結婚できなくなるってワケだ」

うりうりと私の首を指で撫でながらセンセイは嬉しそうに笑う。
センセイが首に着けてくれた白のリボンが、センセイの指に引っ掛かって存在を主張する。
私はセンセイの飼い猫なんだということを実感して、とても嬉しくなる瞬間だ。

『センセイ、そろそろお仕事終わりの時間じゃなぁい?』
「お、もうそんな時間か」

私のサイコメトリーの能力レベルも上がってきて、私から触れなくてもセンセイが触れてくれるだけで思念を伝えられるようになってきている。
センセイはデスクを簡単に片付けて、私を籠に乗せた。
そしてそのまま籠を持ち運んでベッドのある部屋に帰っていく。
センセイのお部屋は簡易のベッドと服を掛けるハンガーラックがあるだけで、他には何もない。初めて部屋に連れてきて貰った日は私の寝る場所がなくて、センセイの枕元にタオルを敷いてもらって眠った。
籠を用意してくれてからも、寝るときはセンセイのベッドに潜り込んで一緒に寝ている。
センセイのお腹の上に乗っかって寝るのが好き。
暖かいセンセイの体温を感じながら、丸くなって眠るのだ。
今日もぴょんとべッドに飛び乗ると、寝転びながらセンセイが私を抱き上げた。

「おやすみ、しほ」

センセイが近付いてきて、私の頬にキスをした。
一瞬何が起こったのかわからなくて呆けてしまったけど、センセイが鼻を私の頬にうりうりと埋めてきて直ぐにハッとなった。

『やだ、何するの!』

腕を精一杯伸ばしてセンセイの顔を押し退ける。

「いてて、もうだいぶ馴れてきたと思ったけど、まだこういうのはダメなのか?」
『ダメに決まってるでしょ!気安く触らないで!』
「ちぇっ…猫って本当にツンデレなんだなぁ…」
『私、別にツンデレじゃないわ!』
「そ一いうのをツンデレって言うんですー」

べ一っと舌を出してみせるセンセイにムカムカして、爪を立てた手をシャシャっと振り回す。
うぉっ、あぶねぇ、と全部避けてみせたセンセイに余計に腹が立って、でもこれ以上の反抗が思い付かなくて、フン!とそっぽを向いた。
そんな私を見て、センセイは、プッと吹き出した。

『…なにょ』
「いや、俺の知り合いにさ、君と同じ名前の紫穂って子がいるんだけど」
『…へぇ?』
「しほがさ、その紫穂ちゃんと結構似てるんだ」

いつも見せてくれる、優しい笑顔。

――センセイは今、その、紫穂って子のことを考えているの?

何故だかわからないけれど、ツキリと胸が痛んだ。

『その子、人間でしょ?似てるわけないじゃない』
「それがさあ、紫穂ちゃんも猫みたいなトコがあるからさ。」

よく似てるんだよなあ、と私の頭を撫でながら、くしゃっと笑う。

「可愛いのに、いつもツンケンしてて、超勿体無ぇの」
『私の方が仔猫だもの、可愛いわ』
「いや、しほも可愛いよ?でも、紫穂ちゃんも可愛いんだ」
『…センセイって気が多いのね?』
「気が多いっていうか…女の子は皆可愛いよ?」
『気障ね』
「よく言われる」

クスクスと笑いながら、センセイはぎゅうっと私の小さな身体を抱き締める。
潰されてしまいそうな力が苦しくて、何とか腕から這い出して、センセイの胸の上にお利口に座って首を傾げる。

『で?急にその紫穂って子がどうしたの?』
「いや…元気にしてるかなぁって」
『気になるの?』
「うん…まあ、実を言うと、いつも気にしてる」

少しだけ申し訳なさそうに笑ったセンセイに、またツキリと胸が痛む。この痛みの正体は一体何なのかはわからない。
でも、その正体に気付かないふりをして、話を続けた。

『センセイは、その紫穂って子とずっといたの?』
「う一ん…ずっと、ってわけじゃないけど、割と側に居たかなあ?」
『へぇ?そんなに可愛いの?』
「可愛いっていうか…もっと笑って欲しいなって、いつも思ってた。」

遠くを見つめる目で、センセイは言った。

――ねぇ、今、その紫穂って子のこと考えているんでしょ?

ぎゅっと胸が潰れそうに痛い。

――目の前にいるのは私なのに、私を通して紫穂を見ているの?

その事実が切なくて、思わずにゃぁん、と鳴いてしまった。

『今、センセイの側に居るのは私だわ…』

素直に思念が溢れていってしまう。その思念を、センセイが受け取らないわけなくて。

「そうだな、ゴメン」

再び私を抱いて、私の頬にキスを落とす。
今度は素直にそれを受け入れて、何となくの優越感に浸った。
今、側にいるのは私なのだ。紫穂って子がどんなに足掻いても、今の私の立場は譲れない。
そこまで考えて、はたと気付く。

――私、人間に嫉妬してるの?

(どうだい?魔法を掛けられた気分は)

――また、この声だ。

頭の奥の方で、よく知っている筈の声が聞こえる。

(君はもっと素直になった方がいいと思ってね)

――素直?私が素直じゃないっていうの?

(まあ、じきに全て思い出す。それまでを楽しみたまえ)

――全てを思い出すってどういうこと?
――私、何か忘れてるの?

目の前のセンセイを見ると、ん?と優しい顔で私を見ていて。
ああ、やっぱりセンセイが好きだなって思った。
そこまで考えてドキリとする。

――素直になるって、こういうこと?
――私、猫なのに、人間に恋してるの?
――私は、センセイのことが、好きだったの?
――好きだったから、センセイのこと、探していたの?

わからない。それ以上は思い出せない。

――さっきの胸の痛みは、紫穂って子に嫉妬してたからなのかしら。

ふっと靄が掛かったような頭でぼんやりと考え込んでいると、大きな手が降ってきた。 わしわしと毛を整えるように指先が私を撫でていく。

「どした?眠くなってきた?」

センセイが私を抱いて枕元に移動させる。優しいセンセイの顔が目の前いっぱいに広がって、ドキリとして。

『うん、そうかも。おやすみなさい』
「おやすみ、しほ」

最後に私をひと撫でして、センセイは目を閉じる。
それに倣って私も身体を丸めて目を閉じてみるけれど、頭が冴えてしまったのか、なかなか眠りにつけなくて。

――私は一体、何を忘れてしまっているのだろう。

センセイが好きで、センセイを探してて。それから…どうしてもその先は頭に靄が掛かってしまって思い出せない。

――私、どこから来たんだろう?

私、どうしてここにいるんだっけ?
そんなモヤモヤとしたことを考えていたら、だんだんと瞼が重たくなってきて。
ふつり、と意識が途絶えた。

「おはよう、しほ」

ゆらゆらと揺られる籠の中で、目が覚めた。んーっと伸びをしてから頭をプルプルと振って思考をクリアにする。この道は、確か。

「今日は訓練の日だから、大人しくしてろな」
『…私、いつも大人しいわよ』
「ハハ、そうだな。まぁ、籠の中で大人しくしててくれ」
『はぁぃ』

サイコメトリーでの会話もだいぶ慣れてきた。もうセンセイに直接触らなくても、センセイが触れているものに私も触れていれば会話できるようになっている。
目的の部屋に辿り着いて、ガチャリ、とドアを開けると、あの小さな女の子と皆本と呼ばれていた人が既に部屋の中にいた。

「遅いぞ、賢木」
「あぁ、ゴメンゴメン。ちよっと寝坊しちまって」
「情けないぞ賢木!私なんか五時起きだ!」
「んなこと言ったってよぉ、ここ日差しが全くねぇじゃんか。体内時計が狂っちまって…」

言いながらデスクの上に私の籠と荷物をどさりと置いたセンセイは、皆本と呼ばれていた男の人の元へ歩いていく。
すると、小さな女の子がトトトと私に近付いてきた。

「賢木、今日こそしほを触らせてもらうぞ!」
「おぅ、俺は構わねぇけど、しほが嫌がったら止めてやれよ。ドロシー」

センセイの許可を得た小さな女の子は、私の籠に向かって手を伸ばしてくる。
近付いてくる気配にぞわりと背中が逆立って、籠の端へと後ずさる。

――何でかな、すごく嫌なの、このドロシーって子。

フーッ、と威嚇してみせても全く意に介さずに手を伸ばしてくるこの子に爪を立てていいのか迷っていたら、ひょいっと抱き上げられた。

「ずるいぞ!賢木ばっかり!」
「いや、しほが嫌がってるからさ」

威嚇されてんじゃん、と私の背中を落ち着かせるように撫でるセンセイ。

「でも!しほは賢木にベッタリじゃないか。たまには触らせろ」
「ほら、しほにとって俺は命の恩人みたいなもんだからさ。だから、なついてんだよ」

センセイにそう言われて、それだけじゃないのに、と思う。
でも、それを伝えることは憚られて、押し黙るしかない。
とにかく、このドロシーって子は何だかいけ好かないのだ。嫌な気配がするというか、嫌な感じがするというか。
とにかく、私の身体を触らせたくない。

「本当にそれだけか?賢木」
「…どういうことだ?」
「お前、最近猫に構いすぎなんじゃないか」

急に、空気がピンと張り詰める。
この皆本さんという人は、何となくだけど、こんな冷たい雰囲気の人ではなかったはず。もっと暖かくて、ずっと側にいてくれて、そっと私達を守ってくれていて。
そこまで考えて、あれ、と気付く。

――私達って何?

ずっと側にいたってことは、私は皆本さんを知っているの?

「構いすぎって…何よ、皆本クン寂しいの?」
「そんなこと言ってないだろう?」
「う一ん?まぁ、しほがあんまりにも可愛いから夢中になってはいるかなぁ?」
「それは意図されたものじやないと言い切れるのか?」
「何?しほを疑ってんの?それはこの前フルスキャンしたじゃんか」

センセイが私を庇うようにぎゅっと抱き締める。

「賢木にそんなになつく動物っていうのが怪しいだろ?」
「ひっでぇ!お前それある意味悪口だかんな!」
「うまい話には裏があると考えるのは道理だろ」
「確かにそうだけど…俺が信用できねぇの?」
「君だってスパイなんだぞ、賢木」
「そうかもしんねぇけど、俺はお前を!」
「口では何とでも言える。行こう、ドロシー」
「?賢木がいないと計器の測定が面倒なんじやないのか?」
「今日は二人で訓練だ。」
「おい、皆本ッ!」
「君は頭を冷やすんだな、賢木」

ばたん、と二人が扉の向こうへと消えていく。
部屋の中には、静寂が戻ってきたけれど、何だか空気は重くて。
元気のなくなってしまったセンセイを元気付けたくて、にゃぁん、と鳴いた。

『大丈夫?センセイ』
「…ああ、ゴメンな。何か卷き込んじまって」
『私は…何を言われてもセンセイの側にいるわ』
「そっか…ありがとな、しほ」

センセイが、きゅっと私を抱き締めて、そっと籠へ下ろしてくれる。大きな手で頭を撫でられて、ゴロゴロと喉を鳴らした。

『…センセイにとって、皆本さんは大事な人?』
「…うん。すっげえ大事なヤッだよ」
『紫穂って子より?』
「あー…紫穂ちゃんと皆本は、全然別枠かなぁ…同じ天秤には掛けらんねえよ」

困ったように笑うセンセイに、胸がツキリと痛む。
その、センセイの大事なものの中に、私は入ってる?

「皆本は…どん底だった俺を救ってくれた、唯一の恩人なんだ。だから、他の何かと比べたりする存在じゃねえんだ」
『…その皆本さんに疑われて、センセイは辛いのね』
「…………確かに、辛いかも」

苦しいのを誤魔化すように笑ってみせるセンセイに、胸がぎゅっと苦しくなる。
センセイのことを元気付けたくても、どうしてあげればいいのかわからない。
何とかしてあげたくて、センセイが撫でてくれる手のひらをペロリと舐めて、にゃぁん、と鳴いてみせる。

「…慰めてくれんの?」
『今センセイの一番側にいるのは私なのよ?私が慰めてあげなかったら誰がセンセイを慰めるの?』
「ハハ…違いねぇ」

センセイは、にっと笑う。
私にできることはきっととても少ない。
でも、私がついてる。だから、先生は死なせない。
この強い想いは誰にも譲れない。

――え、ちょっと待って。私、今、一体何を。

「しほ、ゴメン。俺、やっぱり皆本が気になるから」

ガタン、と立ち上がったセンセイが、私を籠と一緒に担いで走り出す。放り出されないように必死でしがみついていると、センセイがいつも寝ている部屋にやって来た。

「俺の部屋で待っててくれるか?」

ベッドの上に下ろされて、センセイは私に目線を合わせるように膝に手を突く。
それに答えるように、にゃぁん、と鳴くと、しほはいい子だな、とまた頭をわしわしと撫でて部屋を出ていこうとする。
もう一度、にゃぁん、と鳴くと、センセイが振り返った。

「じゃあ、俺、行ってくるよ。しほ」

記憶の中の先生の姿と、今のセンセイの姿が被る。
パタン、と部屋の扉が閉まって先生の姿が見えなくなった。

――私、やっぱり、先生を知っている。
――そして、大切な先生を守るために、先生を探してここに来たんだわ。

(そう。君の目的は賢木修二を救うこと)

先生が居なくなって、いつもの声が頭に響いた。

(奴は皆本に殺される。それを回避するんだ)

――皆本さんに?先生が?

信じがたいけれど、今の状況を考えると納得がいく。
先生のことを、皆本さんは疑っている。スパイだとも言っていた。

――皆本さんは、先生を信用してないんだわ。

でも、先生は、皆本さんのために一生懸命で。
歯車が噛み合っていなくて、狂ってしまった現実が、その未来を呼び寄せているのが手に取るょうにわかる。

――私がそれを回避しなければ、先生は死んでしまうのね?

頭の中の声に問い掛けても、返事は返ってこない。
ずいぶん靄が晴れた頭がくるくると回り出す。
何故、猫の私がそんな重大な任務を背負っているのかとか、どうして私は過去の先生を知っているのに先生は私を知らないのとか、沢山の難解な疑問は残るけれど、目的だけははっきりしている。

――大好きな先生のこと、私が守らなければ、私は先生を失ってしまぅ。

それだけは絶対に避けたい。
今の私に何ができるのかなんてわからないけれど、ここまではっきりしてきた頭なら、きっと何か思い付けるはず。
先生の居なくなった部屋で、私は決意を新たにしてベッドから飛び降りた。

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