Failure is success in progress. - 3/4

静かだった部屋に、インターホンの音が響く。ふと、賢木は集中していた仕事を止めて、インターホンに応答した。
「どうぞ」
「失礼します……」
シュンとスライドドアを開けて、ゆっくりした足取りでバレットが部屋に入ってくる。
「どうした?珍しいな。お前が俺を訪ねてくるなんて」
何かあったのか、とバレットに問い掛けながら椅子ごとくるりと身体を向けると、バレットは少し視線をさ迷わせた。賢木はそんなバレットの様子を首を傾げて見ていると、バレットは、何かを決意するようにぎゅっと目を瞑ってから、ゆっくりと口を開いた。
「今お時間ありますか?折入って相談が」
「相談?時間は問題ねぇけど、どうした?」
深刻そうなバレットの様子に、賢木は椅子を用意して自身の前に座らせると、バレットはありがとうございます、と呟いて腰を落ち着けた。バレットの深刻そうな顔付きに、賢木は余程深刻な悩みでもあるのだろうかと眉を寄せる。バレットは、ふぅ、と一息ついてから賢木を真っ直ぐ見つめて口を開いた。
「賢木先生」
「?おう……」
「俺に……」
「……お前に?」
「俺に、男女の作法を教えてください!」
最後は半ば叫ぶように声を上げたバレットに、賢木は身を引きながら応答した。
「……はぁっ?」
賢木は思わず間抜けた声が出てしまった。皆本とほぼ同様と言ってもいいほどの真面目くさったバレットの口から、男女の作法なんて言葉が出てきたことに賢木は驚いた。だがしかし、当のバレットの目は真剣で、それこそ真面目に、賢木に相談に来ているようだった。
「……なんで急に男女の作法よ?お前と葵ちゃん、上手くいってるだろ?」
ふぅ、と肩の力を抜きながら賢木はバレットに問い掛ける。バレットは、少しだけ頬を赤くしてきゅっと身体を縮こまらせた。バレットのその様子に、賢木は何となく男の勘で相談の意味を察した。
「あー、アレか。遂に一線越えちゃう系?」
頬をポリポリと掻きながら、賢木はバレットに問い掛ける。賢木は何となく気まずいような、こっぱずかしいような、でも、子どもたちの成長を喜ばしい気持ちで見守るお兄さんのような、なんとも言えない気持ちが溢れてきて、ここは茶化さずに真面目に相談に乗ってやるべきだろうと判断した。何より、皆本ではなく賢木を相談相手に選んだということは、そっち方面の話題について少なくとも信頼を寄せてもらっていると考えていいだろう。ならば余計真っ当に話を聞いてやるべきだ。賢木は腰を据えて、バレットの話を聞く体制を取ると、バレットは力なく首を振って言いにくそうに口を開いた。
「あの……違うんです……えっと、その……」
「……何だよ?俺とお前の仲だろ?恥ずかしがってねぇで、話しちまえよ」
言葉を濁しているバレットに、賢木は先を促す。バレットはやはり言葉にしづらそうに目をあちらこちらへ遣っている。ここで焦らせてはバレットは口を閉ざしてしまうかもしれない。賢木は辛抱強くバレットが話し出すのを待った。バレットは深呼吸をして、ゆっくり目を閉じてから、真っ直ぐに賢木を見つめた。
「実は……この前のモナコ公国での任務の夜に、その……」
また言いにくそうにしているバレットの代わりに、賢木は口を開いた。
「……一線越えたのか?」
賢木の言葉に、バレットは、びくり、と肩を震わせた。ただ、バレットの様子から、あまり良い話ではないような気がして、賢木はどしりと構えて椅子の背凭れに身体を預けた。
「……で、上手く出来なかったから、俺に相談に来たとか、そういう系?」
ビビらせないように気を付けて言葉を選びながら賢木はバレットの様子を窺う。バレットは、ぐっ、と息を飲んで身体を固くしてから、ふぅ、と息を吐いた。
「……少し、違うんですけど、そういった感じです」
がくり、と項垂れたバレットを見ながら、バレットの何だか的を得ない返答に、賢木は首を傾げた。
「……ちょっと詳しく聞かせてくれるか?」
ふむ、と賢木は真剣な顔でバレットを見つめる。バレットは、賢木のその様子に、覚悟を決めてその時に起きたことを話すことにした。恥ずかしいだとか、羞恥プレイだとか言っている場合ではない。このタイミングを逃せば、どんどん葵と自分の関係は悪化してしまうかもしれない。少なくとも、賢木は今までの流れで笑うようなことはせず、むしろちゃんと話を聞いてくれている。これはもう、恥なんて捨てて賢木に洗いざらい話してしまうしかない。
「その……あの晩、葵どのに、誘われるような形で、事が始まってしまって……」
「葵ちゃんからかッ?!」
賢木はびっくりして目を見開いた。そんな賢木の様子にバレットはこくりと小さく頷く。
「それで……葵どのに翻弄されっぱなしというか、ずっと、葵どののペースで物事を進められてしまって……とにかく、本当に初めてなのかと疑うほどに、いろいろと、その、手馴れた様子で……それから、いざと言う時を迎えたんですが、その、上手く、入らなくて……」
全ては自分の不勉強の結果なのですが、とバレットは俯き加減になりながら、何とか説明を続けた。それに、賢木はふーん、と少し考え込むような素振りで顎を撫でている。
「……具体的には?」
「え?」
「葵ちゃん、具体的には何してくれたんだ?」
賢木は至極真面目にバレットに問い掛けた。そこには冷やかしやからかいなどはなく、少しだけ安心して、バレットは大人しく、あの日の流れを思い出しながら答えていく。
「撫でたり、触ったり……なんですけど、本当に、こちらがびっくりするくらい、手付きが手慣れてると言うか、的確というか……」
「へぇ……それで?」
「その……えっと……口でも、その……してくれて……」
バレットにとって、一番言いづらい部分を口に出したとき、一瞬だけ賢木の纏う空気が変わった。賢木はぎろりとバレットを睨み付けてゆっくりと口を開く。
「……バレット、オメェ……口に出したりしてねぇだろうな?」
賢木が凄んで言うと、バレットは首をブンブンと振って否定した。
「出してませんッ!むしろ口でされることに驚いてしまってそれどころじゃなかったというか!」
バレットは必死になってそんなことはしていないと主張した。賢木はまだ疑いの眼を向けている。バレットは少しだけ泣きそうになりながら、あの時の自分の醜態を吐露した。
「流石に初めてなのにそんなことをさせるのはどうかと思って!すぐ止めてもらったんです!それで……葵どのを何とか止めることには成功したんですけど、何故か、すぐに葵どのが入れようとして……」
上手くいきませんでした、と尻すぼみになりながらバレットは呟いた。そんなバレットの様子を見て、賢木は、はぁーと深く溜め息を吐いてから、バレットを見遣る。
「バレット……まず、お前は葵ちゃんに翻弄されすぎだ。次の時は最初っから最後までお前のペースでもっていけ。葵ちゃんに主導権を渡すな」
「……はい」
「狩りのつもりで挑め。ぜってぇ逃がすな」
賢木の強い目線にたじたじになりつつもバレットは何とか頷く。
「次の機会を即、作れ。場所に困るなら俺が協力してやる。とにかく間を開けるな。一週間……いや、三日以内に実行しろ。そんで、今度はちゃんとお前から誘うんだ。不格好でもいい。格好つけようなんて思うな。お前の誠実な言葉で、初体験をやり直せ」
賢木は切々とバレットに向かって説いた。バレットはただ頷くことしかできなかったが、賢木の力強い言葉に背中を押してもらっている気分だった。
「上手く事を運ぼうなんて思わなくていい。ただし、セックスは二人ですることだってのを忘れるな」
「……二人で、すること」
「いいか、お互いのいいところを探りながら気持ちよくなってこそ、恋人同士でするセックスに意味があるんだ。どっちかが一方的に気持ちよくなったり気持ちよくさせたりするセックスなんざ、風俗でやりゃあいい」
賢木はバレットに自分の言葉の意味がきちんと伝わるように、真摯に語った。バレットは、それを息を呑みながら一生懸命聞き取っている。
「……その気になりゃ葵ちゃんはいつでもどんな状況だって逃げられるんだ。なのに葵ちゃんは逃げなかった。そこに自信を持て」
バレットは賢木にそう言われて、確かに、と心が前を向く。ただ、どうしても何とも言えない不安な気持ちが拭えない。
「……その……葵どのは、何故……あんな、まるで……経験ある、みたいな……」
最後まで言葉にならず、バレットは思わず俯く。それに、賢木が少し考える素振りをみせてから、重々しげに呟いた。
「……思い当たりがある。そっちは俺が何とかしとくから、バレットは次の時思いっきり葵ちゃんを気持ちよくしてやれるようにイメトレでもしとけ。AVとかエロ本は参考にすんなよ。今はマトモな参考文献も溢れてるから、そういうのを参考にしろ」
ポン、と頭を撫でられて、やはりこの人に相談して良かった、とバレットは胸を一撫でする。感じていたものを吐き出しただけで、とても気持ちが軽くなっていた。バレットは言葉にならず、頷くことで賢木に返事をすると、賢木は軽く笑ってバレットの肩を叩いた。
「まぁ頑張ることじゃねぇんだけど、頑張れよ」
ニッと賢木は笑ってバレットを励ます。賢木の後押しを貰って、バレットはほっと身体の力を抜いた。
「ありがとう、ございました。話、聞いていただいて」
「いいって。こっちこそ、勇気出して相談してくれて、ありがとよ」
たまには兄貴面しとかねぇとな、と賢木はまた笑った。そんな賢木につられてバレットも笑う。もう一度、ありがとうございました、と頭を下げて、賢木の部屋から退室した。部屋に残された賢木は、それを笑顔で見送ってから、ふ、と表情を固く変え、思い詰めたように眉を寄せた。

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