先生の誕生日

「ねぇ、センセ?」

 事務処理に追われている俺の横で、無理矢理引っ張ってきた椅子に腰掛けたままの紫穂ちゃんが、俺の顔を覗き込むように言った。

「私ね? そろそろ自分に正直になった方がいいと思うの」

 ふぅ、と息を吐いた紫穂ちゃんは、ぎ、と音を鳴らして背凭れに身体を預ける。

「このまま何もせずにいたら、きっと、一生このままなんじゃないかなって」

 眉を下げて、溜め息を吐くように紫穂ちゃんは続ける。

「え?」
「だからね、私も頑張って動くことにする」

 ガタリと椅子から立ち上がった紫穂ちゃんは、自分を落ち着かせるように深呼吸してから俺を真っ直ぐに見つめた。

「先生、今年の誕生日は何がほしい?」

 そう告げた紫穂ちゃんの顔は真っ赤で、ギロリと俺を睨み付けてくる。

「……え? えっと? 紫穂ちゃんがくれるもの、なら何でも嬉しいけど……?」

 実際今までに貰ったものは全部大切に使わせて貰ってるし、と続ければ、そうじゃなくて、と紫穂ちゃんは首を振った。

「今年は本当に先生がほしいものをひとつだけしかあげないわ」
「……俺がほしいものをひとつだけ? それってどういう」
「私が先生にあげられるものもひとつだからよ」
「えー? ……じゃあ……それを俺にくれればよくないか?」
「それじゃダメ。ちゃんとそれがほしいって欲しがってくれなきゃ渡せない」

 きゅっと切なそうに眉を寄せて俺を見つめる紫穂ちゃんに、ドキンと心臓が跳ねる。思わず伸ばしそうになった手を引っ込めつつ、ダメだダメだと自分を諫めた。
 俺がほしいもの。それをほしいと強請らなければ与えてもらえない。そして紫穂ちゃんから貰えるものはひとつきり。
 相変わらずジッと俺を睨むように見つめている紫穂ちゃんにたじろぎながら、えーっと、と居心地の悪さを誤魔化すように頭を掻いた。
 そんなの、と思いながら、本当にそれが正解じゃなかったときはどうなるんだ? と考えあぐねていると、ふ、と悲しそうに眉を下げた紫穂ちゃんが顔を俯けた。

「……何も要らない? 私からあげるものなんて、先生には迷惑?」

 僅かに震えた声が耳に届いて、ハッとしたときにはもう遅かった。

「……そんなわけねぇだろ。本当に、紫穂ちゃんから貰えるものは何だって嬉しいよ」

 勝手に動いた身体はそろりと紫穂ちゃんを抱き寄せて、慰めるようにそろそろと背中を撫でる。抵抗する様子を見せない紫穂ちゃんにほっとしつつ、きゅうと俺の白衣を掴む指先が心細くてより一層優しくぎゅっと抱き締めた。

「……それじゃ、ダメなのよ。もうダメなの。もう、それだけじゃ我慢できないのよ」

 恐る恐る俺の背中に回された手が白衣に皺を寄せる。俺の胸に顔を埋めていた紫穂ちゃんがふるふると首を振って、ゆるりと俺を見上げた。

「私は我が儘だから……待ってるだけなんて、もうできないの」

 かち合った視線は、もう逃がさないとはっきり俺に伝えていて、思わずゴクリと喉を鳴らした。

「ねぇ……先生が誕生日にほしいものは何?」

 真っ直ぐに俺を見つめる目が、改めて俺に問いかけてくる。その視線の強さにもう一度だけ息を呑み込んで、腕の中の存在を逃してしまわないように抱き寄せた。

「……ほしい、って……言って、いいのか?」
「いいよ」
「返せないぞ」
「返品なんてさせないわ」
「後悔するかもしれないぞ」
「このまま待ち続けて何もない方が後悔するわ」

 眉を下げて困ったように笑う紫穂ちゃんに、きゅんと胸が高鳴るのを感じながらそっと身体を離した。

「紫穂ちゃん」

 白衣を掴んでいた手を優しく解きながら、きゅっと指先を包みこむ。

「俺の誕生日に、君を、くれないか」

 見ているだけ、側にいるだけが精一杯だった俺の背中を押してくれた紫穂ちゃんに、精一杯の想いを込めて伝える。

「俺と付き合ってほしい」

 少し震えた自分の声が情けないことこの上ないけれど、誤魔化すように紫穂ちゃんの手を握ってじっと紫穂ちゃんのことを見つめた。紫穂ちゃんは一瞬だけ目を見開いてから、花が綻ぶような笑顔を浮かべる。
 あぁ、やっと。
 手をこまねいて見ていることしかできなかったところから抜け出せる、と肩の力を抜くと、紫穂ちゃんは笑ったまま俺に向かってふるりと首を振った。

「……それじゃダメ。やり直し」

 クスクスとおかしそうに笑う紫穂ちゃんの返事にぎょっとしながら、もしかして自分の勘違いだったのかと頭が真っ白になる。

「えッ!? ……えぇ?」
「大事な言葉が抜けてるわ」

 おろおろしている俺を見て眉を下げて微笑む紫穂ちゃんに、あー、と気の抜けたような返事をして笑った。それから、コホンと咳払いをして、紫穂ちゃんの目を見つめながら、真剣に訴える。

「君が好きだ。紫穂ちゃん。俺と付き合ってほしい」

 今度は震えなかった自分の声に頭の中でスタンディングオベーションをして、じっと紫穂ちゃんの返事を待った。紫穂ちゃんは、ふぅん? と窺うように俺を見つめ返しながら、顔を綻ばせて小首を傾げた。

「まぁ合格ってとこね?」

 先生にしては上出来じゃない? と続ける紫穂ちゃんに、ウッと唸りながらも何とか眉を吊り上げて噛み付いた。

「君こそ! 大事な言葉が抜けてるぞ!」

 それじゃあ返事になってない! と泣き言のように訴えると、バカねぇ、と紫穂ちゃんは肩を竦めた。

「私は先生が好き。愛してるわ」
「え」
「誕生日おめでとう、先生」

 これでようやく私のモノね、と笑いながら、紫穂ちゃんは背伸びして俺の頬に口付けた。

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